殿下、早く私を切り捨ててください。
国同士の同盟を強固にするための典型的な政略結婚だけれど、私と殿下はうまくやっていたと思う。
お互い、望んだ相手ではない。すべては国同士の和平のため。そしてこれからの国民のため。
政略だからこそ、お互いの不足に目をつむる為の恋情が欠けていて、そこを補うには尊重と敬意が必要になる。
顔を合わせる前に婚約が決まるほどの状況だった。だからこそ、私は役に立てると思ったのだ。恋なんてしたことがないし、自分が誰かを好きになる想像なんて微塵も出来なかったから。
しかし、顔合わせの日がやってきて、自分なんてと申し訳なさそうにする殿下の伏し目がちの視線で、私は恋を知った。
日ごと、殿下への思いは増すばかり。
ただ、私だけが恋に落ちている。現実は物語のようにはいかない。殿下は私を生涯を共にする共同経営者か何かだと考えている。
別に私は、祖国だけではなく、殿下の生まれ育ったこの国が良くなり、そして世界から少しでも争いが無くなればいいだけなのだ。殿下に愛されなくていい。私がただ一方的に想っているだけだし、殿下の想いを得ようとはしない。
変に自分の心の内を晒し、求めて──破綻を招いたら。
影響を受けるのは──国。
だから私は、この想いを伝えることはないし、報われる瞬間なんて一生来なくていい。
心の底から、そう思っていた。
「王位継承が済み……頃合いを見て、貴女とは婚姻を解消しようと考えている」
うららかな午後。殿下からの呼び出しに胸騒ぎを覚えていたら、案の定だった。
結婚しもう三年にもなるが、私と彼は寝室を共にしていない。政治に関わる話ならば他に人間がいる場でも出来るし、むしろ彼は、宰相や側近がいない場所で政治の話をすることはない。彼が二人で話をしたいと言えば、それは私の祖国になにかあったとか、婚姻そのものの話になる。
「元々、私の王位継承の地位を安定させる目的もあった。貴女の……かけがえのない十代を奪ってしまったこと、本当に申し訳ない」
私は現在二十歳。殿下は三十歳だ。私たちには十年の年の差がある。寝室を共にしないどころか、白い結婚だった。
「君の再婚は、必ず……良縁が結ばれるよう尽力する。君の名誉を守る。何でもする」
「いえ……元々、結婚には興味が無かったので。恋愛よりも、外交や交渉のほうが興味があったので、私は……楽しかったです。この三年間」
三年前。
王族付きの教師が『王妃教育の一環』として、殿下の好みや嫌いなもの、苦手なものの知識を私に授けた。
教育のたび、私は殿下に詳しくなった。
──合法なのでしょうか。
──私が殿下の情報を把握することは法的に問題ないのでしょうか?
と聞きたくなるが、教師は「私語は謹んでください」「そして学びは、教養を得てからその必要性の有無を問うもの」「こんな勉強をして何になるのかと是非を問うのは教育が済んでからにしてください」と王妃教育開始冒頭に宣言していた。
つまり私に裁きが下るのは殿下の全知識が手に入った後だ。手遅れである。
ゆえに殿下の好きな食べ物、好きな花、お気に入りの曲、どんなことが得意か、把握できてしまっている。
過去の記録もだ。知らないところなんてその御身しかない。
なのに家庭教師は「まだまだ学ぶことは多いですからね」と言い出す。
不安だった。
王妃教育の一環と称して殿下の入浴に立ち会うことになるんじゃないかと。
そんなことが起きてしまったら私はどうなるかわからない。その前に殺してほしい。私が私であるうちに。でも、そもそも、寝室は別だった。この三年、私は命拾いしていた。一緒だったら間違いなく私は気が狂っていたから。
「この三年間が幸せだったなんて言ってもらえると、世辞でも少し、救われてしまうな。貴女にとっては……こんな私なんかとの結婚を強いられて、逃げ場のない立場であっただろうに」
殿下はさみしそうに笑う。
殿下はどうかしているので、私がどんな目で殿下を見ているか知らないどころか、自分が誰かの恋愛対象になることは無いと考えている。
殿下がこちらから視線を外すとき、私は必ず殿下を見ているのに。
誰からも恋愛対象として見られない。そう思い込んでいる殿下もまた、無垢な感じがする。手が出そうになる。
それに殿下は年の差を気にしているので、私を怖がらせないよう努めていた。「本当に怖いもの教えて差し上げましょうか! 私でーす」と本性を露にして、そこら辺の護衛騎士に首を刎ねられたかった。もう今刎ねられたい。殿下に幻滅される前に適当な罪状で首を刎ねられたい。離縁はいつなのだろう。契約や儀礼はとにかく手続きが多く長いので、その間に私の理性が衝動と欲に負ける可能性がある。普通に首を刎ねてほしい。
私はいつからこうなってしまったのだろうかと、記憶を辿る。
一目見たときはまだ、純粋だった気がする。ここまでではなかった。
「貴女には……情けないところを見せてしまったこともあるし……ハハ」
殿下は独り言みたいに自嘲する。
「え?」
そんな、ご褒美みたいな瞬間があっただろうか。正直、殿下が傍にいることは私にとって夢のようであり、基本的な記憶すべて、現実に起きた出来事と妄想の出来事の区別がつかない。
最近だって殿下と共に隣国のパーティーに参加した時、そういう儀礼だったので彼が私の手に自分の手を重ねたけど、『あれ……今のこの状況の許可はどうなっていた?』と怖くなったし、殿下が直近で『手に触れても構わないか?』と言っていた気もするけど、妄想の可能性があるので記憶から消した。
素敵なことがあっても、全部妄想だと考え直す。この繰り返しだ。私の三年間は。
「ほら、雷の一件があっただろう」
殿下は不安そうに眉を寄せた。
雷の一件。
婚約してすぐの頃だ。
庭園で殿下とお茶会をしようとしていたら、雲行きが怪しくなり屋内で仕切り直しになった。気を遣う殿下に「そんなことありません」と飛び掛かりたくなる衝動を抑えていると、城の傍に雷が落ちたのだ。
あれは確実に神の叱責だろう。私は気を改めようとしたが──駄目だった。
雷を恐れ、殿下が縮こまっていたのだ。ダンゴムシみたいだった。ダンゴムシなんて可愛いと思ったことは無いし、そもそも何かに可愛いと思ったことが無い。
だけど雷に怯え縮こまる殿下は余りにも弱々しく──可哀そうで可愛かった。抱きしめたかった。
あれから私は決定的におかしくなってしまったのかもしれない。
「その、繰り返しになるが……白い結婚であったことについては、君には何の落ち度も無いんだ。ただ、こんな十歳も異なる人間と、寝室を共にすることも君にとっては恐ろしいものであっただろうし、寝室が別だったとしていたほうが、君の再婚に有利だと思って……ただそれだけなんだ。君に責任は一切ない」
殿下は視線を落とす。他の女性なら、自分は女として見られないのかと悩んでいたのかもしれない。私はこれ幸いと殿下の足を凝視する。
布越しなので当然素足は見れない。
どうなってるんだろうなと、思う。寝室が一緒だったら分かっていたけど、別だったので分からない。
分からないが、剃りたい。
毛を。
毛に興味なんて無いし回収も一切考えてないが、殿下に一回「足の毛を剃らせてほしいです」とお願いして、驚かれたい。
混乱する殿下の顔を楽しんでから一回だけ足を剃らせてほしいのだ。
毛が無いほうがいいといった問題ではない。本当に私は、身体に興味が無い。
殿下の足を剃る思い出が欲しいのだ。
いわば殿下の体験に興味がある。
最後の思い出に海やお花畑に行きたいなんて贅沢は言わないので一回剃らせてほしい。
そうすれば私も少しはまともな人間に戻れるかもしれない。
それがダメならもう、不敬罪で捕らえてほしい。鉄格子のなかにでも入れてくれないと私は絶対に殿下に何かする。私は私が怖い。
「こう、その、未来についての話はしたが……欲しいものがあれば……予算の問題にならない程度には……好きに物を買ってほしい。本来なら贈り物をすべきとは思っていたんだが、私なんかに贈られても、嬉しくないだろうと思い……色々、侍女に、君が好きなものを買えるようにとしていたつもりだったんだが……あんまり、買ってないみたいだな……?」
殿下は探り探り問いかけてくる。
確かに殿下から、欲しいものがあれば、問題にならない程度に好きに買っていいといった話があった。私が結婚してからというもの、ドレスコードとして新作が求められていない限りドレスは新調せず、基本的にあるものを使用し、個人意向で消費しなかったからだ。
他人からは質素倹約に努めているように誤解されていたが普通に殿下がいれば何もいらないのと、仕事が趣味や精神の安定に繋がっているのと、殿下への欲が強すぎて他の欲が無いのだ。私は。というか元々あらゆる欲求が薄かった。殿下が現れて狂った。
「欲しいものは、無いのか?」
殿下はおそるおそる問いかけてくる。
殿下の女装と即答したくなるのを堪えた。
殿下が渋々女性用の衣服を着用するところに私は快を感じるので、正直一度着てみたかった場合は、頼まない。
普通に自由に着てほしいが、もし抵抗があるのなら私の前で着てもらいたい。
そこまで考えて、裁いてほしいと願う。私を。
私を野放しにする法律はどうなってるんだろう。つくづく思う。この国はどうかしている。いやこの世界がおかしいのだ。思想の自由が保証されているなんておかしい。私が無罪なんておかしいのだ。私はいつか殿下に触れる。その前に裁いてほしい。裁いてくれ。私を。冤罪がこの世界にあるのならすべて私が背負うから殿下に触れる前に私を裁け。
「なんでもいい。言ってほしい」
殿下は私を見据える。
女装でと答えるほど、私は身勝手な女じゃない。
ただ願わくば、殿下のほっぺたに触りたい。「私の頬に触れて……え?」と本気で戸惑うであろう殿下を見たい。そのまま射殺されたい。
速く殺してほしい。はやく発砲許可を。私に。こんな人間は殿下に不釣り合いだ。はやく処分すべきだった。しかし殿下の護衛が私を撃つことは、今の今までない。謀反を働こうとするものがここにいるのに撃たない。野放しにしてはいけないのに。こんな人間。
「君の願いを、叶えたいんだ。私はこの三年間すごく幸せだった」
殿下は泣きそうに言う。
「君との時間は、私にとって、大切だった。すごく、いい時間をもらったんだ」
何で、殿下は泣きそうなんだろう。別れるのが辛いのかと犯罪者の発想をしそうになって、私は自らの極刑を望む。このままだと駄目だ。殿下と一緒にいられる未来があるのではと期待する。そうなったらあらゆることを、なあなあで流したい。流され殿下。ほだされ殿下に次ぐ世界で一番美しい言葉。そのままの許可は嫌なのだ。「え」って一度顔をしかめられたい。その後、長考の果てに仕方ないな……とあらゆることを許されたい。一度だけなら……と言って許されたい。というか許さなくてもいいので呆れられたり怖がられたり嫌がった上で傍にいてもらいたい。
「殿下が欲しいです。私が望むとしたらそれしかない」
「……っ」
「私で、いいのか」
殿下は子供のように目を丸くする。無垢の目だ。子供の無垢の目は守りたいと思うけど殿下の無垢の目は邪悪な感情が浮かぶ。いけるな、ただそれだけ。
「はい」
私は手短に済ませた。長く話せば話すほど気持ちがあふれてしまうから。
殿下は感極まった様子で涙を流す。
「ありがとう……幸せにする……」
「私は貴方がそばにいてくださるだけで幸せですよ、殿下」
だから私がおかしくなる前に、殿下は早く私を切り捨ててください。
◇◇◇
離縁の計画が白紙になり、寝室が一緒になった。
寝室が一緒になったのでお風呂も一緒だという前提で話をしたら殿下は驚愕したので、お風呂は一緒じゃない。「ゆくゆくは……まぁまぁまぁまぁ」と殿下が言ったので、書面に残した。そして殿下の希望により、お花畑でお散歩することになった。
「実は、前からこうして夫婦らしいことがしてみたかったんだ……でも、貴女の気持ちを知るまでは、自分の希望を言うのは……いけないと思って……」
殿下は恥ずかしそうに言う。殿下と私は今手を繋いでいる。「この手つなぎ、殿下の合意あった……?」と記憶を辿るが、殿下から手を繋いでもいいか聞いて今に至ることを思い出し安堵する。これは合法だ。
「君は、何か、私としたいことはないか?」
「なんでも?」
聞き返すと殿下は「え」と怯えた。
最近分かったことがある。殿下を意図的に陥れて怖がらせたり、脅迫して怖がらせることは、心が痛むし何より不愉快だ。
でも殿下が自ら恐怖に飛び込み怯える姿は、自業自得だし可哀そうじゃない。本当に可愛い。純粋に殿下の可愛さに集中できる。
「な、なんでも、叶えたいとは思っている……」
殿下はぎこちなく頷いた。私はしばし考え込み、言った。
「殿下が、元気に私の隣にいて下されば、それだけで幸せです」




