君を悪女と呼ぶのなら
カレン・シェルヴィー伯爵令嬢は俺が密かに恋心を抱く相手だった。
言葉遣いが厳しい事はあれど、貴族としての立場を理解した立ち振る舞いが出来る、聡明な人物。
彼女に初めて出会ったのは幼少期のとある夜会でのことだったが、恐らく彼女は覚えていないだろう。
あの頃の俺はパッとしない、陰気で意気地なしな男であったから。
次に出会ったのは王立学園へ入学した時。
同学年で入学したものの、彼女からすれば俺は接点のない人物であっただろうし、立場も異なっていた。
また彼女には婚約者もいた。異性である俺が容易に近づいていい人物ではなかった。
だから俺は彼女と表立って関わろうとはせず、幼少から抱くこの想いを燻らせていた訳だ。
そうして一年が過ぎた頃。
「カレン・シェルヴィー! お前との婚約を破棄する!」
大勢の学生の前でそう言ったのはカレンの婚約者であるマックス・カドガン侯爵子息。
彼は隣にララという男爵家の娘を引き連れてカレンと対峙していた。
「お前は他者を平気で陥れようとする、どうしようもない悪女だ!」
彼曰く、カレンにはララに過激な虐めを行った事、そしてそんな彼女を自分が庇った事で嫉妬し、あろう事かララを殺害しようとした事による罪があるとの事だった。
ララと、更に何名かの貴族の男共がマックスの発言を擁護し、証言を繰り広げた。
俺はカレンがそんな事をするはずがないと知っていた。
だが、悪魔の証明とはよく言ったもので、彼女は何もしていないからこそそれを証明する事が困難な状況に陥っていた。
「私はただ、カレン様が罪を認めて謝罪してくださればそれで良いのです! そうしてくだされば罰を与えないよう私からも然るところへ進言します」
ララが戯言を吐く。
罰を与えようとしないのは、カレンの殺人未遂を証明できるだけの証拠がないからに他ならない。
そんな事、少し考えればわかる事のはずだった。
にも拘らず、周囲は口裏を合わせただけの主張や証言に翻弄され、当然のようにカレンを疑い、蔑んだ。
そして対称的にララを慈悲深い女性として見るのだ。
反吐が出る光景に思わず怒りが滲みそうになるが、俺は何とかそれを抑え込んだ。
カレンはただ淡々と己の無実を述べ、立ち向かっている。
しかし凛とした立ち姿の中、青い瞳が揺らいでいる事に俺は気付いていた。
彼女は強い。だがそれは傷付いていない訳ではない。
特に、彼女の強さは虚勢に近しいものだった。
腹の探り合いばかりする社交界で、自分の弱さを隠す為の彼女なりの武器が理性であり、厳しい物言いや表情であったというだけの話だ。
カレンが内心で傷付いている事は明白であった。
故に俺は己の至らなさを悔やみながらも、彼女の心の傷がこれ以上深まらないようにと口を開いた。
「ふ……っ、ハハハハッ」
我ながらあっぱれな高笑いである。
周囲の視線が一斉に俺へと集まった。
「……ミドウィンター公爵閣下?」
目を白黒させながら俺を呼んだのはマックスだ。
ユリシーズ・ミドウィンター公爵。それが俺の政界での立場。
父が病で亡くなり、急遽家を継いだ俺は学園の中でも他者とは掛け離れた地位を持っていた。
「全く何を騒いでいるのかと思えば、馬鹿馬鹿しい」
周囲からは「あのユリシーズ様が」「笑っていらっしゃる……?」等の困惑した声もちらほらと聞こえる。
学園や社交界で最低限求められる愛想笑い以外を殆どしないと、俺について囁かれている事は知っている。
彼らの驚きはそこから付随したものだろう。
「生憎ですが、閣下。これは身内間の問題であり、非常に深刻な話です。いくら閣下とはいえ馬鹿馬鹿しい等と一蹴するのはお控――」
「ああ、悪い。そうではなくてだな。どうやらこの場にいる者は誰も事の真相に気付いていないようだと嘆いていたのだ。王立の学園という、非常に優れた教育機関に通う者達の頭脳がこれでは、この国の未来を憂いてしまいそうだ……とな」
「な、何を……っ」
「愚鈍なお前達に一つ教えてやろう。……彼女は、私の指示に従ったに過ぎない」
「……はい?」
「折角公爵という絶大な権力を手に入れたのだから、多少は自由に使ってみたくもなるものだろう。そこで彼女の弱みを握り、こう命じた。『最近、男の周囲ばかりを飛び回る虫が煩わしくて敵わない。そいつを懲らしめてやれ』と」
ララが顔を真っ赤にする。
事実、彼女は大勢の異性に色仕掛けをしていたし、俺へも頻繁に言い寄って来ていた。
だが彼女は同時に困惑していた。マックスもだ。
当然である。
二人はカレンが無罪な事を知っているし、殺人未遂など存在しない事も理解している。
にも拘らず、想定外の人物から自分達の主張の裏付けとなる発言を得た訳だ。
混乱している二人が何も言えずにいる間に、俺は更に続けた。
「まぁ結果は拍子抜けだったが。カレン・シェルヴィーはこんな簡単な事ですら尻尾を残すような女だったし、虫は今も煩いまま……いや、更に騒々しくなった。故にこの騒ぎをとっとと終わらせるべく、俺はこうして自ら名乗り出てやったという訳だ」
「全く持ってつまらない遊戯ではあったが、お前達の間抜け面を拝めただけでも良しとしよう。……ああ、告げ口したい者がいるならば、好きにすればいい。ああ、勿論、相応の覚悟は持ってくれよ。これら全てを揉み消すだけの力なら我が家に充分あるからな」
要は『口外は自由だが、こちらも相応の報復をする』という事だ。
俺はそう言い残すと、カレンへ向かって「おい、いつまでそこにいるつもりだ」と声を掛け、自分の元まで来るよう促す。
そして彼女を連れて人混みからさっさと離れる事としたのだった。
***
「……何故、あのような事を」
学園の裏庭までやって来た時。
周囲に人がいないことを確認してからカレンは俺に問う。その瞳には警戒の色が滲んでいた。
俺は先程まで浮かべていた醜悪な笑みを引っ込めて、やれやれと肩を竦めた。
「今回の件に関する君の悪評は前々から学園で流れていたものだ。事実であるならば黙認してはおけないし、そうでないならば逆に、個人を攻撃する為に偽りの情報を流して学園内の風紀を乱す存在を特定する必要があった。俺は生徒会の一員だったし、この件の調査については一任されていたんだ」
そう。俺は王太子殿下が会長を務める生徒会の副会長という立場であった。
悪質とはいえ、学園内のいざこざに関する話で、流石に殿下を直々に動かすなどという事は出来ず……あとは俺の強い意志もあって、俺はこの件の解決について裏で動いていた。
「調査結果から君が無実であるという情報は掴んでいる。だから、あそこで無暗に君が心を痛める必要はないと判断した」
「だから敢えて罪を被ったと……? ご自身の家の名に傷がつく事もいとわずに?」
「傷がつく事はないさ。言っただろう。既に情報は掴んでいる。残念ながらすぐに提示できるような形にまでは纏め切れていないせいで、あの場で真実を明かすことはできなかったが……早々に手はずを整え、情報を公開する。そうすれば俺も君も余計な汚名を被る必要は無くなるという訳だ」
警戒を解いた代わりに、不安と罪悪で顔を曇らせるカレン。
彼女を安心させるように俺は不敵に笑って見せた。
「それに『誰かを守る為に身を汚す』類の美談は、万人が好むものだろう? 俺達の印象が逆に跳ね上がる事だって考えられるさ」
だから気にする事はないと俺は伝えた。
カレンは尚も困ったような表情をしていたが、彼女の不安も数日後には消えている事だろうと俺は確信していた。
***
二日後。
俺はマックスがしたように、大勢の生徒の前で大量の紙束を掲げる。
目の前にいるのは顔を蒼白とさせたマックスとララ。
そして俺の傍らにはカレンと――今回の調査の人手を貸してくださった王太子殿下が立っている。
「お前達の悪事は全て明らかとなった! ここに記されている通り、カレン・シェルヴィーは無実! お前達が悪評を流したに過ぎない!」
俺は二日前にカレンへ話した『掴んでいる情報』を淡々と並べる。
二人がどのようにカレンの悪評を流し、彼女の罪を偽装したのか。そしてそうする為に必要な打ち合わせを行う為の密会場所や実際に話した内容、その詳しい日時など。
言い逃れが出来ない程に詳細な情報を俺や殿下の遣いは調べ上げていた。
「彼の情報については私も保証しよう。……まあ、こんな言葉がなくとも、この情報量だ。疑う者などいないだろうけどね」
周囲の野次馬達は何も言わない。ただ、居心地悪そうに視線を逸らすだけだ。
当然だ。自分達は数日前、無罪の人間を信じようとはせず疑い、手を差し伸べる事もしなかったのだから。
「この王立学園は他国の賓客として尊き立場の方々が留学に訪れる事もあるような国の顔。それを汚さんとする醜いお前達の行いは到底看過できない! よって生徒会及び、学園関係者との協議の結果……マックス・カドガン、ララ・チェノウェス、そして二人に加担し嘘の供述をした生徒複数を――退学処分とする!」
「そ、そんな……っ!」
「あんまりです、閣下!」
王立学園の卒業は名誉あることであると同時に、そんな学園から追放となったものはその不名誉な肩書きを一生背負う事になる。
マックスはまともな貴族から婚約を求められる声は無くなるだろうし、両親がまともであればいくら長男ではあれども、彼に家を継がせるという選択は消えるはずだ。廃嫡――最悪は廃籍される事だろう。
ララは貴族社会では弱い立場の男爵の家の者。王立学園卒業という肩書さえあれば、上の身分の貴族から声が掛かったか――持ち前の愛嬌や色仕掛けで同年代の異性に取り込む事だってできただろうが、それは出来なくなる。
加えて今回の件は必ず社交界で囁かれるはずだ。
地位が低く、また後ろ盾もない男爵家。ララだけではなくお家丸ごと、社交界から消える未来は想像に難くなかった。
二人を擁護した貴族達も似たり寄ったりだ。
「お願いします、閣下! どうか、どうかご慈悲をぉぉおッ!!」
マックスが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、床に額を付ける。
ララは半狂乱になって髪を掻き毟りながら泣き崩れた。
それを見下ろしながら俺は鼻で笑う。
「罪なき者へ着せる罪がお前達の中にあったのだから、俺が有罪の者を見逃す道理はないな」
こうして、カレンを傷付けた者達は学園から強制的に追い出される事となった。
***
あれから一ヶ月が経った頃。
俺は『悪評が完全に消えたかどうかは判断がつかないし、まだ君を陥れようとする者がいるかもしれない』などという、適当な言い訳を押し通し、学園ではカレンと共に行動するようになっていた。
そんなある日の昼休憩。
学園にある庭園のベンチに並んで腰を掛けながら昼食をとっていた時、カレンが俺の顔を横目で盗み見ながら言った。
「あの……ユリシーズ様」
「ん?」
「何故、私を助けてくださったのですか」
「またその問いか。それならあの日に――」
「……嘘、ですよね」
俺は驚いてカレンの顔を見る。
彼女は自分の推測が正しいものであるという確信を持っていた。
「この一ヶ月、恐れ多くも共に過ごさせていただき、少しではありますがユリシーズ様の事が分かってきたと自負しております。ですから……生徒会としての義務というだけで動いていた訳ではなかったのではないかと」
彼女の言う通り、学園の体裁や生徒会の義務などというのは俺がカレンを助ける事に対して正当性を持たせるべく取ってつけた理由だ。
マックスやララなどに与えた罰も、俺の口添えとミドウィンター公爵の権力をちらつかせたからこそ強行できたこととも言える。
どこまで話そうかと悩んでから、俺は観念したように微笑んだ。
彼女に隠し事は、あまりしたくなかった。
「昔の俺は、どうしようもない弱虫で、他人と目を合わせる事すらできないような子供だったんだ」
突然始まった昔話にカレンが驚きを見せたが、彼女は静かに耳を傾けた。
「そんなある日、夜会を抜け出した自分が情けなくて泣いていた俺に、一人の女の子が駆け寄ってくれた」
俺は過去の記憶を遡る。
今でも鮮明に思い浮かぶ、あの日の光景。
「怖がることは決して悪い事ではないのだと。他者の心に敏感な人はきっと良い領主になれるのだと言った。そして、自分も淑女を名乗れるよう努力するから、一緒に胸を張れるよう頑張ろうと、俺を激励してくれたよ」
カレンは何かを悟ったのだろう。彼女の頬が僅かに赤みを持つ。
「出会ったばかりの他人にそんな声を掛けられる彼女の事をとても素晴らしい人だと思った。その日から、ずっと好きだったんだ――カレン」
過去に出会った少女の面影と、目の前の女性の姿が重なる。
「あ、その……」
「俺はあの日からずっと君の虜だ。学園で再会してからはもっと好きになった。……勿論、君がそんな事をするとは思っていなかったけれど……仮にあの無実の罪が事実だったとしても、俺は君の罪を背負っただろう。そのくらい、俺は君に惹かれている」
すっかり林檎のようになってしまった頬に優しく触れ、それから俺は告げる。
「俺と共に生きてくれないか、カレン。……好きなんだ」
カレンの美しい瞳が大きく揺れる。
「でも、私……きっと、ユリシーズ様が思うような、出来た人間ではないわ」
「俺は君が完全無欠だなんて思ってないし、不器用でいじらしい人だと思っているけれど……例え俺が知らない一面があったとしてもがっかりしたりなんてしないさ」
カレンの瞳から大粒の雫が零れ落ちた。
何かを言おうと動かす唇は震えていて上手く言葉にならないようだ。
そんな不器用で繊細な彼女が愛おしい。
「君が正しいから好きなんじゃない。君を愛しているから好きなんだ」
俺はカレンの前に跪いた。
そして手を差し出す。
カレンは小さくしゃくりあげながら言った。
「わ、わたし……異性から、こんな風に温かい言葉をもらったのが、初めてで……っ」
「奴はあまりに見る目がなかったんだろうな。誓うよ。君がそんな風に泣く事は、今日が最後になるだろう」
――これからは、今日の涙を忘れるくらいの幸せと愛を君に与えよう。
そう告げれば、カレンは顔を濡らしながらも美しい顔に華のような笑顔を咲かせた。
それから俺の手に自分の手を重ねた。
「――よろこんで」
「よろしくお願いします」という彼女に「こちらこそ」と返し、それから俺は彼女を抱き寄せた。
互いの顔が近づく。
漸く愛する人を手に入れられた実感を得た俺は、目と鼻の先にあるカレンの顔を視界に留めながらじわじわと顔が熱くなるのを感じる。
そして照れ臭くなって笑いながら、俺は彼女の唇にそっと口づけをした。
君を罵る者も、陥れようとする者も姿を消した。
けれどもし、共に生きるこの未来で再び同じ事が起きたならば。
――君を悪女と呼ぶ者が現れたのならば。
その時は共に罪を被り、君の傷を癒し、そして――再び戦おうじゃないか。
そう、誓いながら。
俺の幸せな婚約生活は幕を開けたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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