第一話 婚約破棄と断罪
その夜会は、セレナティア王国の社交界で最も華やかな場所であったにもかかわらず、レティシア・ローゼンブルクにとっては、まるで断頭台の上のショーだった。
第一王子アルベール・オーギュストは、光が降り注ぐ階段の中央で、優しく従順な子爵令嬢アリア・フェリクスの手を引きながら、レティシアに向かって冷たく言い放った。
「レティシア・ローゼンブルク公爵令嬢。私は今日この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
会場のざわめきが、まるで遠い波の音のようにレティシアの耳に届いた。アルベールは、アリアがレティシアの高慢な振る舞いによってどれほど傷つけられてきたかを、詩的な言葉で朗々と語った。彼は、レティシアがアリアの純粋さと聖女としての資質を妬み、いじめを繰り返した悪役令嬢であると断罪した。
レティシアは、動じることなく、その完璧な悪役の仮面を最後まで保ち続けた。彼女は、口元に高慢な笑みを浮かべ、アルベールとアリアを一瞥した。
「面白い余興でしたわ、アルベール殿下。そして、アリア嬢。貴女の無垢な演技には感服いたしました」
そう言い放ち、レティシアは深い一礼をすると、華やかな会場を後にした。彼女の背中は、まるで散り際まで美しい一輪の黒薔薇のようだった。彼女が本当に悪役令嬢であったのか、それとも悲劇のヒロインであったのか、誰も判断できなかった。
しかし、夜会の喧騒を離れ、公爵家の馬車に揺られながら、レティシアの口元に浮かんだ笑みは、安堵と、かすかな歓喜の色を帯びていた。
(やっと、この薔薇の鎖から解放されたわ)
王妃の座は、レティシアにとって足枷でしかなかった。彼女の真の目的は、王国の政治改革であり、公爵家を継ぎ、その強大な権力を王国の未来のために使うことだった。優柔不断なアルベールとの婚約は、その邪魔でしかなかったのだ。
だが、彼女の心の中には、もう一つの秘めたる想いがあった。
(ノア……)
レティシアが心の中で本当に愛していたのは、幼馴染であり、王国の宰相補佐を務める有能な青年、ノア・クリフォードだった。ノアは、アルベールに忠誠を誓う優秀な臣下であり、レティシアの婚約者の臣下という立場上、二人の恋は永遠に叶わないとレティシアは諦めていた。だからこそ、彼女は婚約を破棄することで、ノアへの諦めと自由を手に入れようとしたのだ。
レティシアの屋敷へ戻ったノアは、婚約破棄の報告に訪れた。彼の冷徹な顔には、微かな動揺が見て取れた。
「レティシア様、今回の殿下のご決断は、誠に遺憾です」
ノアは、形式的な言葉を口にした。
「ノア。貴方は、心にもないことを言う必要はないわ。貴方も、この婚約が国政にとって何の益もなかったことを知っていたはずよ」
ノアは言葉を詰まらせた。彼は、レティシアの聡明さと、その高すぎる誇りを誰よりも深く理解していた。レティシアの冷徹な仮面の下に、真の改革の炎が燻っていることも。ノアの心は、王子の忠誠と、レティシアへの理解との間で、既に複雑な四角関係の渦に巻き込まれていた。




