せんせい、だいきらい
病後のリハビリ代わりに書いてみました。
こんにちは、こんばんは。
こちら、我流でチマチマ小説書きなんぞをやっております、かわかみれいと申します。
今回、ちょっとした思い出話的なものを綴らせていただきます。
なに、大した話ではありません。
いわゆる思い出話・昔話・雑談。
肩の力を抜き、お茶を飲みながらポテチでもつまみつつ、お付き合いいただければ幸甚でございます。
さてさて。
昔どこかで『作者は読者のなれの果て』的な言葉を目にした時、これって私のことぢゃん、とドキッとした程度には、私は読書(と言っても童話や児童文学中心。十代以降はジュニア小説――いにしえの香りただよう言の葉ですこと。要するにラノベみたいなもんです――を含む、小説一般)に勤しんできた者であります。
そのお蔭なのか、小学校時代から国語の成績だけはソコソコ良かったといいますか、教科としての国語であまり苦労はしませんでした。
まあ、一年365日病気で寝込みでもしない限り、たとえ15分ほどの細切れの時間であっても、必ず何かしら読んでいた少女でしたから。
いやでも読解力は人並以上になるでしょうし、同年代の子供に比べれば、自然と語彙力等も身についていたでしょうからね。
だから、
《以下の問題文を読み、この時の主人公の気持ちはどれが当てはまるか、①~④の選択肢から選びなさい。》
的な問題、『フッ、簡単すぎる。児戯に等しいぜ』みたいな気分で解いておりましたねえ(笑)。
正直、問題文の中にきちんと(答えが)書かれているのに、読み取れない人が何故いるのかわからん、と思っていた節もありました。
ぶっちゃけ、英語とか数学とか他の教科の方が、きちんと勉強しなきゃ解けない分大変だろう、国語なんて日本で暮らして日々日本語で書かれた文章に接してたら勝手に出来るようになるよなア、とも思ってました。
まったくもって、嫌なガキでありました(笑)。
そんなこんなで、国語に対してナメくさった態度で接しながらも、趣味で培った読解力・語彙力で『俺tueee』気分を満喫していた(といっても通っていた学校内という小さな器の中ですがw)小中高校時代の私。
国語(特に現国)は取り立てて勉強しなくても、授業だけ聞いてりゃソコソコ点が取れるよね、テスト前は他の教科の勉強だけしてりゃいいやと思い、実際そうしていました。
大抵はそれでイケたんですけど(だから高校を卒業するまで、基本国語をナメていた)、それでは通用しない、先生がひとりいたんです。
高校1~2年で現国を教えて下さっていた、S先生(仮名)です。
S先生は当時、三十歳手前。
かわかみれいのエッセイで一番バズッた「物理の先生に教わった『美味しい焼きそばの作り方』」(https://ncode.syosetu.com/n7263fp/)に出てきた、K先生と同年代の、小柄でちょっと癖のある性格をした、学生時代はバンド活動に勤しんでいたという部分を内心誇りにしているっぽい、やや気難しいタイプ(※個人の感想)の先生でした。
……ただ。
私は個人的に、なんだか気難しい性格してそうな先生だなという印象を持っていましたが、本当のところどうなのか、彼の為人を詳しくは知りません。
そもそも担任でさえなく、高校時代に国語を教わったというだけの付き合いしかありませんし。
S先生はS先生でおそらく、大昔に教えた一生徒である私のことなど、覚えていらっしゃらないでしょう。
さて。
彼の授業といいますか国語の先生としての力量といいますか、私は、特別すごくもなければダメダメでもない、フツーの先生(おおう、上から目線だのう)という印象を持っていました。
授業自体も、特にわかりやすくて楽しい訳でもない代わり、わかり難い訳でもなく。
時々嫌味っぽく(※個人の感想)自分の自慢話をはさんでくるのにげんなりする以外、なんということもなく素直に授業を受けていました。
1年生の頃はそんな感じで、特に問題なかったのです(私の中で)。
正直に言うと親しみにくい、あまり相性のいい先生じゃないなとは薄っすら思っていましたが、そもそも『自分と相性のいい、授業がわかりやすくて面白い、まさに恩師と呼べる素敵な先生』なんて、(小中高大と色々な先生に教わってきましたが)ほとんどいません。
大好きでもなければ大嫌いでもない、個人としての人柄はよさそうだけど授業はイマイチ、授業はわかりやすいけど人としては付き合いたくない、先生なんてそんな人が大半ですから。
(先生sideだって、生徒なんてそんなもんでしょうし)
S先生は私の中で、ナシよりのアリとでもいう、フツーの先生でした(笑)。
でも。
2年生も引き続き、彼が私のクラスの現国を受け持つことになり……そろそろと私の中で『……この人嫌だな』と思うようになり始めました。
彼の授業は、『わかりやすくはあるけど、楽しくはない』タイプの授業(※個人の感想)でした。
ひと通り教材を生徒に音読させ、キーワード的な言葉を中心に段落ごとに読み解き、テーマだの登場人物の心の動きだのを簡潔にまとめる。
それを口頭で説明しながら板書し、生徒へ
「ここ、テストに出すからな」
と言う……みたいな流れの授業でした。
システマティックといいますか、まあそうだよね、うんまあ確かにわかりやすいよね、だって回答が決まってるしね、としか言えない(※個人の感想)授業。
何ていうのか……楽しくない、のですヨ。
教材が小説なのに、色々な読み方を楽しむとか行間を読んで味わうとか、さすがにまったく無くはないのだけれど。
そこすらも基本、『彼が示す読み取り方』以外は認めない、雰囲気でした。
(※あくまで個人の感想です)
うまく説明しにくいのですが、ちょっと例を出してみましょう。
他人様の作品だと問題あるでしょうから、自作を例に出してみます。
(あ、未読でも大丈夫ですヨ)
《問》 かわかみれい作『さいはてエレジー』の雄一は何故、最後に律子から拒まれたのか答えよ。
《解答例》 雄一が最後の最後で、生前の律子に感じていた『薄気味悪さ』(これがS先生が授業で示したキーワードと仮定)をはっきり思い出し、要は律子にとり殺されるのではと、土壇場で恐れて『躊躇した』(これもS先生が示したキーワードのひとつと仮定)ことに、律子が『絶望した』(…キーワード)から。
……だとします。
この場合、『薄気味悪さ』と『躊躇した』と『絶望した』は、必ず書かないと、定期テストでの正解になりません。
同じような意味の違う言葉では、ダメなのです。
たとえば、『薄気味悪さ』を『気味悪く感じていた』、『躊躇した』を『ためらってしまった』、『絶望した』を『失望した』等と書くと、✕にはならないものの△になります。
例ですから極端に表現していますけど、まあ大筋、これで外れていません。
これって……理不尽だと思いませんか?
私は思いました。
そりゃ確かに、授業で教わった通り忠実に答えれば定期テストで正解になります。
国語という鵺のような教科を、一定水準で教える為のテク、なのかもしれないと、大人になってから思いました。
でも……そりゃないぜティーチャー、としか私には思えませんでした。
この採点基準を明確に知ったのは、おそらく2年生の半ばに差し掛かる頃。
手ごたえ的に85点くらいかなと思っていたテストが70点代の前半だったのに驚き、よくよく見直して上記のような基準で採点されていると知り……、そんなんアリかよと唇を噛みしめました。
1年生の時にその採点基準に気付かなかったのは、おそらくですが、キーワードを含んだ選択肢が用意されていて、そこから正解を選ぶ問題だったからではないかと愚考します。
……結局。
高校入学以来、国語だけは5段階評価で5だった私。
70点程度しか定期テストで点が取れなかったその学期末、評価は4へ下がりましたっけ。
内容的には問題ないのに、(理不尽に)減点したS先生を恨みました(笑)。
ちなみに。
『舞姫』と『こころ』が3年生の教材で、彼ではない先生に教わったのは僥倖だったと、正直今でも私は思います。
彼に教わっていたら『舞姫』も『こころ』も私の中で、トラウマ級につまらない作品として残っていたような気がしますので(笑)。
話を戻しましょう。
2年生の半ばから『S先生、マジで嫌い』と、心ひそかに思うようになっていたとはいえ。
優等生的な性格でありつつ気の小さいガキだった私、基本、誰にもそのことを言わず心の中だけで嫌っていました。
S先生は、特に人気のある先生ではありませんがメッチャ嫌われている訳でもない、そこそこ生徒から親しまれている先生。
そんな先生の悪口を自分ひとり、(真顔でマジで)言って友人の中で『浮く』のも、嫌です。
むしろ、彼のシステマティックな教え方のお蔭で国語のテストで点が取れるようになった生徒にとっては、『わかりやすくていい先生』だったろうとも思うのです。
単に私とは猛烈に相性が悪かった、ホントそれだけのことだったと、アラフィフからアラ還へ移行しつつある最近、ようやく思えるようになりました。
お元気でしょうか、S先生。
あなたはきっと、私という生徒を覚えていらっしゃらないでしょうけど、私は覚えています。
あなたの授業は二度と受けたくありませんが(笑)、時にはそれを含め、懐かしく思い出すこともありますよ。