ロビィ番外ヴィゴレットのお話
『ごめんなさい、あなた……許して頂戴』
『お母さん!』
『来てはダメ! ドルチェ!』
倒れた母へと涙ながらに駆け寄ろうとした幼いドルチェは、当の母の大声にビクッとして立ち止まった。
『グルルル! ガル……!』
ドルチェの母カブラナの肩に噛みついたままの、ウルフ型はぐれ病魔が唸り声をあげる。
今はカブラナの神聖力がウルフをつかまえているが、それもいつまで保つものか。
『グル! グルル……ガフ!』
『ひっ……』
血走った目のウルフが、次なる獲物を睨み、さかんに食いしばった顎を動かす。
そして、その度にカブラナの肩から、真っ赤な血がピュッピュとふき出し、恐怖からドルチェはペタンと座りこんだ。
『あ……あ……』
『いい子ね、ドルチェ。よく聞いて』
『! イヤよ、お母さん!』
母の声色に何かを察したドルチェは、聞きたくないとばかりに声を張り上げた。
なぜだか、大好きな母に二度と会えなくなる……そんな気がしたのだ。
『ごめんね、ドルチェ。わがままな母さんで』
『イヤよ、イヤ! 聞きたくない!』
『でもね、お母さん……取り返しがついたって、あなたが苦しむのは許せないの』
そんなの、お母さんを失ったって同じだ。母を失うぐらいなら、ドルチェはどんな苦しみだって耐えるつもりでいる。
我が子の気持ちぐらい理解してる。それでも親は、こうせずにはいられなかった。
『さよなら、ドルチェ。最後に、もう一度アナタを抱きしめたかったわ』
『後でいくらでもしてよ! そんなの、わたし! わたし、は……!』
『いい子に育つのよ。お母さんは幸せでした』
ウルフ病魔が、ひときわ大きな声を出して吠える。
イヤよお母さん、ママ! ママぁ! ドルチェの泣き声が夕闇に溶ける。
『嫌ぁああああ……!』
「──"カブラナ"」
幼い記憶を振り切るようにして、ドルチェーロはハンドガンに神聖力の弾丸を込める。
そして、壁に押しつけた黒ずきんの少女の後頭部に銃を突きつけ、
「クソがァ! 医療協会どもめ、地獄に──」
ドン、ドン!
銃声が2発。
塵になりゆく少女病魔から手を放し、ドルチェはシャツ胸ポケットからスマホを取り出した。
『は~い。こちらメイリィさんのスマホですよっと』
「病魔黒ずきん、根絶を完了しました。今から帰ります」
『ぐあ~マジメ~。報告なんていいから、早くヴィゴーちゃん連れて帰ってくるっす~』
「そのつもりです。では」
まだ何か言おうとしていたスマホを切って、ポケットにしまう。彼女の次の言葉など決まっている。
どうせ、今夜はシチューだとか、タンドリーチキンだとか、つまらないことを言ってくるのだ。
「さあ、ヴィゴー、帰りましょう。お説教は帰ってからにします」
「──」
唖然と立ち尽くす、同じくらいの背の娘のそばを通る。
しかし、彼女は返事どころか、ドルチェのあとを追おうとする気配もない。
「……?」
いぶかったドルチェは、モスグレーのアンダーポニテを揺らして、振り返る。
砂色の髪を肩まで伸ばした愛娘は、頭を振って呟いた。
「……ろし」
「? 何です。早く帰らないと、メイリィが心配──」
「人殺し!」
同じくらいの背の娘──ヴィゴーが涙ながらに、ドルチェへ振り向く。
ドルチェは一瞬、目を見開いた。が、すぐにいつもの冷めた顔に戻り、ふたたびヴィゴーへと背を向ける。
「……帰りましょう、ヴィゴー。まだアナタには早かった、それは謝ります」
「な──」
「メイリィが心配します。それとも、手でも握ってほしいですか」
ビームでは戦えないぐらいに弱くて、だから残酷な仕打ちをするしかなくて。
そのくせ残忍な真似をしても眉ひとつ動かさず、いつも冷たい顔でいる。
そんな、今では自分より背の低い母のことが、ヴィゴレットはキライだった。
「──おら~!」
「! ぐうゥッ」
「どうした、そんなもんかァ! オラオラ、オラァ!」
夜中のキャンディバー・ロード。コンビニ前広場。
背中までの長い髪を根元以外オレンジ色に染めた、18さいパンクファッションのヴィゴレットが生意気なステゴサウルスをボコっていた。
ステゴは必死にスパイク付きの尻尾を振り回すが、ヴィゴーは素早く駆け回り、ステゴの広い胴体にパンチやキック、肘鉄を何度も何度も叩き込む。
「くそォ! チョコマカと!」
「さっすが、ヴィゴーさん!」
「そんなヤツ、やっちゃえー!」
離れたところで、カバのエスコルと、ヴェロキラプトルのヴィーレがはやし立てくる。
そのうちステゴの顔が赤く染まり、その体が怒りの紫ビームに包まれた。
「調子に乗るな! アバズレどもォ~!」
「100年早ェよ、クズトカゲ!」
ステゴの背中、何枚もの尖った板が、鋭い紫のトゲをザクザクザクといくつも生やす。
ヴィゴーはカギ爪みたいに開いた指に力を込めて、片手を一気に腰へと引いた。
「ビーム武器! 飛ばし剣山!」
「ヴィゴー様ブラスト! おら~!」
ステゴが四足を踏ん張ると同時に、ヴィゴーが突き出した片手から、ビームの竜巻が放たれる。
竜巻はステゴの全身を貫き、やがてピンクの爆炎をあげた。
「うげががががっ!? どわ~!」
「ハッ。武器まで使って、ヘボいヤローだぜ!」
「ヴィゴーさん、危ないっ!」
「──ああっ?」
爆炎の中からステゴが抜け出て、ドシンと倒れる。
すっかり勝った気で舎弟へ振り向いたヴィゴーは、ステゴの背中から放たれたトゲに気付くのが遅れた。
「ぎゃあああっ!? どわ~……」
「ヴィ、ヴィゴーさぁ~ん!」
「きゅう~……」
空高く上り、ヴィゴーへと降り注ぐトゲの雨。着弾と同時に爆発を起こし、ヴィゴーの体を彼方へと打ち上げる。
子分2人は慌てるばかり。目を回すステゴを放ったらかして、急いで飛んでいくヴィゴーを追った。
ドォオオン! もの凄い音を立てて、ヴィゴーは長く素敵な空の旅から帰還する。
砂けむりに咳き込むヴィゴーへ、慌てた顔の女の子が話しかけてきた。
「た、助けてください! 追われてるんですゥ!」
「ああ? 今、落ちてきたばかりのやつに──」
「"カブラナ"」
ドンドン、ドン。ヴィゴーが怪しむまでもなく、銃声と共に女の子の後頭部が撃ち抜かれる。
女──いや病魔は目をひん剥いて「げ! がげあ!」と吐血して、崩れ落ちて動かなくなった。
そこへドルチェが駆け寄ってきて、病魔の亡骸を踏みつける。
さらに発砲。病魔の体が少し跳ねて、破裂して塵と化していく。夢見の悪いシーンだ。
ドルチェがいつも通りの冷静な顔を、ヴィゴーへ向ける。心なしか、凪いだ目の色が、まるでイタズラを咎められた子供のような怯えを含んでいるようだった。
「──今のは病魔ですからね」
「ウザ……いちいち言わなくても分かってるし、しつこいっつうのクソババア」
「………………ヴィゴー、あなたのことは愛してるわ。でも、いくらお母さんでも、ちょっとは傷つくんですからね」
「ハッ。どうだか」
ジト目になる以外に、まるで表情の変わらない母。差しのべられた手をはたいて、ヴィゴーは自力で立ち上がる。
「帰りましょう、ヴィゴー」
「ヤなこった。あんたと一緒なんて、死んでも──」
「じゃあ死ぬ?」
グリ、と。背後からヴィゴーの腰に堅いものが押しつけられる。
ヴィゴーは少し驚いたが、すぐに背中越しで母を睨んだ。
「──シャバい脅しすんなよな。引き金に指がかかってないし、神聖力も抜いてるだろ」
「でもビームは撃つかも」
「笑わせんな、ザコ女」
ドルチェーロのビームは、人を傷つけられるほどの威力を出せない。性格の問題でなく、完全に才能がないのだ。
ゆえに病魔治療は神聖力に頼る。銃口が離れるのにヴィゴーはイラつきを抑えながら、しゃがみ込んで両手で顔を隠す母に言う。
「泣きマネやめろ。わかったよ一緒に帰ってやる」
「泣きマネじゃないもん」
「ヘタな脅しまでして、まさか寂しいって、くだらない理由なワケもねー。何かあるんだろ」
ヴィゴーは舌打ちし、母のそばを通り過ぎていく。しばらくして、泣き止んだドルチェが目もとをゴシりながら、グレた愛娘のあとを追った。
「あら、ヴィゴーちゃん! お帰り~っす! 今日は──」
「うるさい、食べてきたからいらない、ちゃん付けやめろ。で、誰だよソイツ」
朱いろのツインテールを振り回し、ヴィゴーを出迎えるエプロン姿のフランクメイリィ。彼女はドルチェの同僚にして、ヴィゴーの両親の片割れだ。
冷たくあしらったヴィゴーの目線先、玄関の曲がり角には見慣れぬ小さなピンクあたま。
どうやら、あれが母の理由……「何か」のようだ。
メイリィが肩越しに振り返る。
「あっ、見に来ちゃった? ちょっと待っててね。このお姉ちゃん、ちょっと不良だから」
「……」
「チッ。可愛くねえガキ」
「ただいま。あの……ヴィゴー、どいてくれる?」
ヴィゴーの背後から、小柄な母がぴょこぴょこする気配を感じる。
仕方なくヴィゴーがメイリィを押しのけ家に入ると、ピンク髪のガキは慌てて逃げ出した。ムカつくガキだ。
「というわけで、新しい家族の練玉焔ちゃん7さいです。はい拍手ー」
「……お盛んなこって」
「ヴィゴーちゃ~ん? 7さいって言ってるでしょーが。隠し子にも程があるっすよ」
夜食のパストラミサンドをモソりながら、ドルチェがピンクのガキ──玉焔を手のひらで指す。
昨日、久しぶりに帰った時には、こんなガキはいなかった。ドルチェの細い足にしがみつく玉焔を見てると、まるで悪者になった気分にさせられる。ふざけやがって。
「協会から預かりました。仲良くしてくださいね」
「チッ。誰がガキなんかと……」
「ぎ、玉焔だって、ふりょーとなんか、かかわりたくありません! い~っだ!」
さっとヴィゴーは身を起こし、凄い速さでガキの胸ぐらを掴み、宙吊りに持ち上げた。
「ガキィ~!」
「なによー! 渦潮ほーけんで、やっつけちゃうんだから!」
「こら。やめなさい」
「ドルちゃんドルちゃん。せめて立って注意しよ? 熱量が感じられないから。声にも姿勢にも、サンドイッチにも」
もー、やめなさい! 結局、メイリィが割って入ることで、死闘の幕を開くことなく場はおさまった。
メイリィが玉焔を寝かしつけてる間に、ドルチェはヴィゴーとお話する。
「明日から引っ越すから。バジルの渓流」
「はあ!? 山奥じゃねーか! コンビニどころか、人がいねえ!」
「協会が貸し切りでロッジを借りてるわ。あなたも来なさい」
ヴィゴーは怒って立ち上がった。同時にドルチェも銃を向ける。
「来なさい。あなたに選択権はありません」
「……馬鹿じゃないの。何で、そこまで」
「分からなくていいです。分かったら、あなたは反発するでしょうから」
だから弾、入ってないっつの。ヴィゴーは諦めて、小さなソファに腰をおろした。
翌日、たまり場の廃ボウリング場にて、可愛い舎弟2人がヴィゴーの前で目を剥いた。
「何を言ってんです、ヴィゴーさん! 急にお別れだなんて!」
「だから、引っ越しだよ。いつ帰れるかも分かんないし、丁度いいから絶交だ」
「ゼッコーって……じょ、冗談ですよね。ヴィゴーさぁん……」
カバのエスコルがメソメソする。ラプトルのヴィーレを引き剥がし、ヴィゴーは2人に背を向けた。
「テメェらもアタシを頼りすぎだ。この機会に、アタシ離れ──」
「……おい、ヴィゴー」
「チッ……ヴィゴー"さん"だ」
舎弟2人が剣呑な雰囲気を放つ。振り向いたヴィゴーは、生意気な口ぶりにバチ切れた。
「このさい言わしてもらうけど、あんた前から気にくわなかったんだ」
「ヘッ。あんだけ悪口言っといてさ、結局ママの言いなりかよ」
「テメェら……」
ヴィゴーの体が、足元から稲妻のビームをまとい始める。
2人は怯んだが、すぐに持ち直す。が、しかし。
「上等だ、テメェら! 生きて帰れると思うなよ~!」
直後にボウリング場の割れた窓ぜんぶから、稲妻ビームと舎弟たちの悲鳴が轟いた。
さて、バジルのロッジに越してきて、それから3年。
始めは反発していたヴィゴーも、玉焔やメイリィと暮らすうちに、母に見守られながら徐々に徐々にほだされていった。
時に拳法の鍛練相手になり、時に水遊びをして。
釣り上げた魚を使ったシチューから、野菜を抜き取る玉焔の皿に、入れられた野菜を返したりして。豊かな自然と、無邪気な子供との付き合いは、ヴィゴーの荒んだ心を緩やかに変えていったのだ……。
「ヴィゴーちゃん、何よんでるの?」
「ちゃん付けやめろ。別に読んでねぇよ。出しただけだ」
「ヴィゴー、その本は何?」
「お前な……まあいいや」
背後から抱きついてきた玉焔に、ヴィゴーはハードカバーの表紙を見せてやる。
オレンジの髪を長く伸ばした、シスター服の女が描かれた表紙だ。
「だあれ? シスター……ふぉるちゃ?」
「フォルツァだ。昔の人だよ、フォルツァヴィゴル。アタシの憧れだった人」
「伝説のシスターフォルツァっすか。1人で何万もの病魔を治してみせたとか」
となりにメイリィが腰をおろしてくる。ここはロッジの縁側。明るい日差しの中で、鍛練の休憩中だ。
「だった、って?」
「ヴィゴーちゃんは、厳しいシスター業が怖くなっちゃったんすよね~?」
「バカヤロー。そんなんじゃねえよ……」
ヴィゴーは長い睫毛の目を、わずかに閉じた。
憧れていた。本の中の、強くて格好いい夢物語に。優しい、皆を守れるシスターの姿に。
『助けて! オオカミさん達が、わたしを……』
『わ、わかった。落ち着いて、わたしが守ってあげる!』
唸りをあげるオオカミの群れ。負ける気なんかしなかったし、実際オオカミなんか1匹もヴィゴーの動きに追いつけるものなんていなかった。
オオカミは皆、塵と化し、疲れたヴィゴーはへたり込む。
『はぁ、はぁ……。待ってて、すぐに助けが──』
『ああ、素敵! あなた、とっても強いのね!』
ジャキン、とヴィゴーに向けられる猟銃。銃を構える黒いずきんの女の子が嫌らしく嗤う。
『ウソ……』
『ああ、本当に素敵だわ! こんなに強い、クソッタレなシスターを──ここでブチ殺せるなんて! 神の思し召しに感謝しなくちゃ』
先の掃討に体力を使ったヴィゴーは動けない。それから、すぐにドルチェが来て、病魔黒ずきんは塵と化した。
『……人殺し!』
『……!』
子供心に憧れていた夢物語。そんなものとは程遠い、残酷な景色。
気が動転したヴィゴーは、助けてくれた母を罵った。
それからヴィゴーは、シスターを目指すのをやめた。
それはシスターが、本の中みたいに格好いい存在じゃなかったから。
「……ふーん。ヴィゴーちゃん、かっこ悪いっすー」
「ちゃん付けやめろ、つったろうが。クソガキ」
「まあまあ。でも、憧れるの、分かるっすよ。あーしも、そんなに戦えるシスターじゃないっすからね」
ドルチェーロに殺傷ビームの才能がないように、フランクメイリィも殺傷格闘の才能がない。
そこで2人は手を組むことにした。メイリィがビームで武器を作り、武器を使ってドルチェが戦う。幸いドルチェは、母譲りの、鍛えれば使える神聖力の才能はあった。
破れ鍋にナンチャラだ。両親からあらゆる才能を受け継いだ天才児は言った。
「あはは。でも、ヴィゴーちゃん。確かにフォルツァは1人でも強かったっす」
「あんたらと違ってね」
「でもね、仲間と居たら、守りたいものを背後にしたら、シスターは、もっと強くなれるんすよ。1人の時より何倍も」
──それがフォルツァと、わたし達の同じところっす。
「……」
いつになく真面目なメイリィの語り口に、ヴィゴーと玉焔は黙り込む。
遠くテラス席から、ティーブレイク中のドルチェが、それを静かに見守っていた。
そんな日々が続いた、ある日。
平和は、長く続かなかった。
「ぐうっ! ……アグ!」
「メイおばさん! 放してよ、放せ!」
「永世オトビメ軍団、軍師。長い腕のガビレ。オトビメ復活のため、参上しました」
倒れ込んだボロボロのメイリィの頭を、銀色肌のムキムキ半魚人が踏みつける。
魚人はエラのような目と細かくビッシリとしたキバ、頭から長く赤い触角をたらし、体の各部にヒレを生やした姿をしていた。
魚人は片手にビラビラの鞭を持ち、反対側の腕は玉焔を抱えている。ドルチェが仕事に出てるスキを狙ったのだ。
魚人──ガビレは、玉焔を見おろし、イヤらしい笑みを浮かべる。
「ひっ……」
「おお、オトビメ様よ。何と弱く、醜いお姿に……ご安心なされ。このガビレが、すぐさま協会の呪縛から解き放ってみせますぞ。フンッ!」
「ぎゃあっ……!」
「やめて! 放してよおっ」
ガビレが足に力を込める。グリグリと頭を踏みにじられ、メイリィは頭が割れそうになる。
そこへ、飛んできたエネルギー弾。ガビレは少し、よろめいた。
「ん? 何ですかな、これは」
「やめろ、テメエ!」
ドン! と、振り向いたガビレへ、高速の飛び蹴りが命中。
よろめいたガビレは、玉焔を手放した。すかさず、着地したヴィゴーが玉焔を抱きとめる。
「おっと、オトビメ様が。おやおや、わたしとしたことが……クックック」
「何だ、テメエは。そんな図体で、ガキの散歩の時間を邪魔してんじゃねえよ」
「ヴィゴー……お姉ちゃん!」
現金なガキ。ヴィゴーはメイリィを助け起こすと、玉焔を預けて逃がそうとする。
「逃げろ、メイリィ。動けるか?」
「は、はい……何とか。しかし、」
「早くしろ。ここはアタシが何とかする。オフクロに助けを求めるんだ」
メイリィは一瞬、黙ったが、すぐに玉焔を抱いて走り出す。
戦えない自分が意地を張っても、娘の足手まといになるだけだ。この時ばかりは、自分の無力を心底うらんだ。
「!? おばさん、待って! まだ、お姉ちゃんが!」
「──じゃあ、やろうか。誰だ、テメエは。病魔だろ」
「答えるつもりはありません。ただオトビメの配下とだけ」
ガビレの返答は待たず、ヴィゴーが宙に飛び上がった。
「竜宮城は海の底で、魚の客でも、もてなしてろっ!」
「これは手厳しい。フンッ!」
ガビレが片手のビラビラ鞭を振るう。たちまち鞭のビラビラは伸び広がり、ヴィゴーの両手をたやすく縛った。
「どうです? これが長い腕ッ。名付けて、リュウグン・ウィップ!」
「ダッセエ名前。そらっ!」
「んっ? おおっ!?」
グンッ、と引っ張られて、ガビレの体が持ち上がる。空中で激突寸前、ヴィゴーは足にビームをまとわせて、魚人の体を蹴りつけた。
だが、
「──グッ。硬い!」
「これが、サカナのウロコです。病魔を相手に素手で勝てると、自惚れるのはイカがなものか? ……ハァ!」
逆に、病魔が繰り出す蹴りをモロにもらってしまった。
空中で弾かれあって、着地する両者。森の木々がざわめき、せせらぎの音がイヤに騒がしく聞こえる。
「振り回すだけのビームでは、ワタシに勝てない。武器も持たない小魚が、クジラに勝てると夢を見ぬよう」
魚人病魔の銀色のカラダ。そのウロコはビーム分解の効果を持つ。
ただのビームどころか、ヘタな結合力の武器すら弾く強力な盾だった。
ヴィゴーの額に冷や汗が流れる。まだ彼女は、ビームを武器にする技術は持ってないのだ。
「これが、オトビメが誇る双つ盾! シスターでもない人間ごときが、とうてい貫ける代物ではない!」
「ほざけ~!」
ヴィゴーはヤケクソで片手のブラストを放った。竜巻がガビレを貫くが、ロクな手応えを感じない。
爆炎の中から、平気で病魔が出てくるのを見て、ヴィゴーは自らの死を予感した。
「──ドルチェーロ!」
「メイリィ、どうしたんです!? そんなボロボロで!」
「病魔の襲撃! 玉焔を狙ってた! 今はヴィゴーが食い止めてるっす!」
「何ですって……!」
開けた原っぱにて、仕事を終えたドルチェが、ボロボロのメイリィを抱きとめる。その胸には、小さな玉焔もしがみ着いていた。
「メイは協会に連絡を! わたしはヴィゴーを助けに行きます!」
「分かった! 玉焔、」
「うん……わかった。あたし、そうする」
ぼんやりとした玉焔の言葉に、2人の動きが一瞬、止まる。
玉焔を見ると、その瞳はとろんと溶けており、心ここにあらずといった感じだった。
「……玉焔?」
「!? 離れなさい、メイ! その子、そいつは──」
ドルチェがハンドガン"カブラナ"を取り出し、ヒレを生やし始めた玉焔へと銃口を向ける。
ぼんやりとした目付きに似合わず、玉焔はイヤにハッキリとした声で言った。
「──不敬な」
一方、その頃。
森の中では何度も何度も、湿った拳や鞭の打擲音が葉っぱ枝などを揺らしていた。
「ぐァ!」
「うふふ。そんなものですか、人間」
ヴィゴーの腹を踏みつけにした、銀色の魚人がイヤらしく笑う。
その手に握られたビラビラの鞭が、伸び尖って赤く硬質化する。
「クソッ……顔、覚えたからな」
「さようなら。弱く愚かな、醜い人間」
「ガッ──」
どすん。
尖った赤い釘が突き刺さり、ヴィゴーは口から血を吐いた。
どすん。どすん。どすん。
非力な軍師は、何度も刺す。非力であるがゆえに。確実にトドメを刺すために。
やがて女の体は穴だらけの血塗れになり、半魚の軍師は満足して、踏みつけていた足をどけた。
「──お早うございます。お早うございます、ヴィゴーさん」
「ん、んん……?」
ヴィゴーは、白い空間で目を覚ました。どこにも何もない、ただ白いだけの地平線だ。
「は……? えっ、誰。あんた」
「わたくしは、名もなきシスターの神。本来、死後の世界に何かするつもりはありませんでしたが、ゆえあってこうして出てきました。はい、拍手~」
色のつかない、長い髪のシスター服を着た女は、ヴィゴーの前でクルクル踊った。
死後? ヴィゴーは痛む頭を押さえた。
「何を言って……いや、そうだ。戻らないと」
「こ~ら、戻らないの。あなた今、自分がどうやって死んだか分かってます? そのまま帰ったら、また殺されちゃいますよん」
何だと? そういえば、リポップができない。普通なら、死んだらリポップする時間や場所を選ぶパートが始まるのに。
この女が何かしてるのか? ぼんやりと働かない頭で、ヴィゴーは女を睨みつけた。
「正解! その直感力、いいシスターになれるよ。ヴィゴちゃん」
「ふざけんな……アタシを解放しろ。じゃないと、アイツが……」
フラフラと女へと殴りかかるが、死後の疲労から体がうまく動かない。
ズッテェンと、転んだヴィゴーへ、女が手のひらをかざし当てた。
「もー、焦らないの! お姉さん怒りますよ、プンプン。……フォルツァ修道術、医者"手当て"」
「なに……を……」
「この空間は、わたしの神聖空間。外とは時間の流れが違います。焦らないで話を聞きなさい」
女の手のひらから、柔らかな花びらが、ふわふわと散る。
いつの間にか生えてきた椅子をすすめられ、夢を見ていると解釈したヴィゴーは大人しく着席した。
「さて、目下の話をしましょう。ビームは撃てれど未熟なヴィゴちゃんは、武器を作れず哀れにも死んでしまいました!」
「元気に言うことじゃないだろ」
「おろろ~ん! さて、では狙われた玉焔ちゃん可愛い可愛いを守るために、見習いシスターちゃんは何をしたらいいのでしょ~か!?」
見習ってねぇ。
怒りに任せて立ち上がろうとしたヴィゴー。直後に椅子が一瞬で消える。
「はっ? ──クッ!」
ドゴォオン! 何かを察したヴィゴーが急いで横に転がると、轟音と共に剛剣マキシマム・ブレードが振りおろされた。
「答えは、戦いの中で見いだすべし! さあ、ビームを固めて武器にしなさい! でないと、何度も死んでしまうわ!」
拳を握りガッツポーズで、モノクロ女は笑顔をキラつかせる。
とんだスパルタ・シスターだ。ヴィゴーは強気な顔すら失せて、口をヒクつかせて青ざめた。
「──さて、ではオトビメ様を追うとしましょうか」
「おい……待ちやがれ、そこの半魚人」
「ん……?」
死体を放置して立ち去ろうとするガビレに、死んだ女が声をかける。
どうやらリポップしたようだ。まったく、お早い復活だ。軍師は呆れて振り返った。
「何です? 武器も扱えぬサル人間が、生意気な」
「行かせやしね~よ。オフクロが来るまでに、テメエはここで足止めする」
やれやれ、だ。勝ち目のない戦いにすがる、人間の姿は見苦しい。
この人間に更なる絶望を与えてやってもいいが、その前に改めて、病魔の恐ろしさを叩き込んでやるのも悪くない。
仁王立ちする病魔の軍師へ、ヴィゴーは突撃していった。
「行くぜ~!」
「ばかめ……見えているわ!」
ガビレは鞭をバシンと鳴らす。女の動きは先と、ちっとも変わりはない。
どうやら本当に時間稼ぎのようだ。笑わせるな。この女を今いちど殺したのちは全速力で離脱し、追ってきたところへオトビメと共に母の亡骸を見せつけ、嘲笑ってくれようぞ。
「くだらん。死ね! リュウグン・ウィップ!」
軍師は黒い嘲笑を貼りつけ、恐るべきビラビラを無数に増やし、伸ばし振るう。
ウィップの雨は女へと降り注ぎ、
「なッ!? 速──」
その瞬間に、神聖力が膨れあがった。
ヴィゴーはビームに加えて、神聖力をも身体中にみなぎらせ、猛烈な速さで魚人へと肉薄する。
ガビレが警戒しなかったのも無理もない。神聖力というのは通常、才能があろうと練習なしには扱えない。……あの謎シスターとの死闘経験が、この不意討ちを可能にしたのだ。
「もらうぞ、あんたの名前!」
むろん、不意討ちとは速いだけでは足り得ない。
必殺の威力を手にしてこそ、不意討ちは効果を発揮するのだ。
「──"フォルツァ"アア~!」
「ぐっ、ガァアアア!」
神聖力によって唸りをあげるチェーンが、銀のウロコを削り取る。
間一髪、軍師のガードは間に合ったが、あと一押しで決壊しかねない。
がんばって押し返そうというガビレを、激しさを増すチェーンソーの音が絶望させる。
ヴィゴーはチェーンソーの刀身に指を滑らせ、溢れる神聖力を注ぎ込んだ。
「神聖チャージ」
「そ、そんな……! ギャァアアア!」
「吹き飛び、やがれェ~!」
破砕音、炸裂音。銀色のウロコを飛び散らし、ガビレの巨体が宙に舞う。
ヴィゴーは振り抜いた剣型チェーンソーのグリップを強く握りしめ、ありったけの神聖力を込める。
そして、落ちてくるガビレへと、思いっきりに叩きつけた!
「病断ちブレイク!」
「ぐぎゃがががががががっ! ぎえ~……!」
遠く吹き飛び、小さな滝に叩きつけられるガビレ。
ごつごつとした岩肌にぶつかって、魚人は転がり落ちて火花をあげる。
ヴィゴーはチェーンソーを肩に担ぎ、回転ノコ刃をむき出しの肩で止めた。
「どんなもんじゃい!」
「み、見事……参りました。グフッ……」
そこでヴィゴーはいぶかる。悪賢い病魔にしては、ばかに諦めが早い。
何かある。
「……フッ。今ごろ気づいても、もう遅いッ! わたしはガビレ、長い腕のガビレ。すでに切り離したヒレは動き出し、あの娘の中のオトビメは充分に刺激されている!」
「あの娘だと……玉焔のことか。玉焔のことか!?」
「我が使命、我が願望。永世の復活が、もう目の前にある! さらばです、殿下。フ、ハハハハ……!」
投げつけたチェーンソーが突き刺さり、ガビレは爆発して塵となった。
ヴィゴーは身を翻し、逃がした2人のあとを追う。
「──チッ。"再臨"は撃てぬか。ガビレめ、中途半端な仕事をしおって」
森から抜けた、開けた場所。ピンクの髪を伸ばした女が、血まみれのドルチェの頭を踏みにじる。
そこへ追いついたヴィゴーが、ひかる長髪の女を見て、激こうした。
「玉焔!? 何やってんだ、テメエ!」
「不敬な。わえは既に、オトビメ。永世の、海の秘めなれば」
「"フォルツァ"!」
勢いのままに飛びつき、チェーンソーをオトビメへ叩きつける。しかし、神聖力がノコを回す前に、渦の壁がヴィゴーの攻撃を受け止めた。
「返すぞ」
「ぐあ!」
渦の壁にブッ飛ばされ、草っ原に転がるヴィゴー。止まったところに何か長いものがぶつかる。
それは、やけに見覚えのある、シャツの袖に包まれた、千切れて血に塗れた細い腕。
「……テメェ~!」
「吠えるな。すぐに、あとを追わせてやる。"海の降臨"」
たちまち、オトビメを中心にして、水の柱が何本も降り注ぐ。
数えるほどの数とはいえ、神聖力覚えたてのヴィゴーには強大な壁だ。
ヴィゴーは全身全霊で、チェーンソー"フォルツァ"を叩きつけた。
「──ぐ、うおおああああ……!」
「足掻くな、人間。せめて母の愚行を、繰り返すでない」
言いながらオトビメは、足もとのドルチェを蹴飛ばしてみせる。
完全に、ヴィゴーからは目をそらしていた。
「おお──うお~っ!」
「!? 何、」
「ツイン"フォルツァ"~!」
そこへ水の壁をブチ抜いて、チェーンソー二刀流のヴィゴーが躍りかかる。
反応を遅らせたオトビメは、ヴィゴーの連撃をモロに受けた。
「ぐうっ! ……不敬な!」
「ぐァ!」
だが、まぐれ当たりなど、そこまでだ。すぐにオトビメの反撃の渦を喰らい、ヴィゴーは遠くに吹っ飛ばされた。
転がったのち、うめくヴィゴーは最後の意識で、オトビメの顔を睨みつける。
「オイ……テメエ。顔……覚えた、かんな……」
「……くだらん。死人が何を覚えると?」
気絶したヴィゴーへ向けて、オトビメが背後を渦まかせる。
さし出した手の前に渦が集まり、やがて"再臨"ならずとも、巨大な渦の大砲が準備される。
「死ね。"うず迫撃──」
「死ぬのはアナタよ。オトビメ」
そっ、と。オトビメの足もとから、震える手が差し出される。
見てみれば、死に損ない。ドルチェが口をかたく結んで、無事な片手でオトビメに抱きついた。
「……何をしておる。気が違ったか?」
「ごめんね、ヴィゴー……どうか、玉焔と仲良く生きて」
「おい、離れろ。わえに死体を抱く趣味など、ない」
オトビメは焦りだした。体が動かない。指の1本、渦ひとつすら動かせない。
中途半端な復活といえど、永世オトビメの動きを完全に止めるなど、およそまともな術ではない。
「離れろと言うに! この──」
「お母さんは、もうヴィゴーには会えません。メイとも、玉焔とも。誰であっても」
「──、──!?」
オトビメの声すらも、完全に縛られた。
自身の生命、体、魂。存在すべてを鎖として、対象を縛る究極神聖術。
その支払われる代償の大きさから協会が使用を禁じた、さる一族の緊縛秘伝。
「さようなら、ヴィゴー。記憶すら失われても、わたしはあなたを愛していた」
「──、──! ──ッ!」
「──最後に、顔ぐらい見たかったな」
目を覚まさない娘を遠巻きに見つめて、ドルチェは霞む視界すら失う。
あとには意識を失った玉焔のみが倒れ、雨の降りだした草原で、2人の娘が残された。
「こっちです! 玉焔が病魔に憑かれて──」
「民間人が倒れているわ! すぐに救急を──」
それから、どのくらい時間が経ったのか。
ヴィゴーは協会附属病院の、白い個室で目を覚ました。
「う、うう……ん」
「あっ、起きたっす。いやあ復活しないから、ちゃんとヴィゴーちゃん、看病しててよかったっす。いや、よかったのかな? あはは……」
ベッドのかたわら、頭をかいて明るく言うのは包帯だらけのフランクメイリィ。
いや、無理に明るく話しているようだ。なぜかヴィゴーは、そう見えた。
「……どうなったの?」
「あっ……えっと。まず病魔っすけど、無事に治療されたっす。玉焔ちゃんも検査入院して、病魔憑きの影響は完全に見られないって」
「そっか……よかった」
どうやら、事態は無事に解決したようだ。気絶してたから分からないけど、きっと母さんが何とかしたんだろう。
「……あれから、何日になる?」
「…………1週間っす」
「そっか。じゃあ、母さんも戻ってきてるよね。死んでたって、1週間も経ってるなら」
ドルチェは人いち倍ビームが弱いが、それでも普通は死んだら1日もあればリポップする。
事実、過去に何度もあった死亡報告。その翌日には毎回、元気に挨拶していたのだ。
「…………」
なのに、変だ。
妙にメイリィの顔が暗い。何で、そんな泣きそうな顔で。
まるで、愛する妻を永遠に失ったような──
「ヴィゴーちゃん……あのね、」
病室の壁が、音を立てて揺れた。
沈んだ声のメイリィが続けた言葉、それがヴィゴーを極端にキレさせたのだ。
「見つからないって……? そんなハズあるか、よく探せ!」
「聞きなさいよ! 探したのよ、充分に探したの!」
ヴィゴーに胸ぐらを掴まれたメイリィが、長いツインテールを振って、泣き叫んだ。
彼女が、こんなにとり乱してる姿は初めて見た。否定したい事実が込み上げてくるのを感じて、ヴィゴーは背中がゾワつき震える。
「……でも、いないのよ! どこにも! 探したし、待ったし、帰ってこないから探したの! なのに、どこにも居ないのよ! ドルチェは、もうどこにも居ないのよ!」
あらん限りに泣き出して、ヴィゴーへすがりつくメイリィ。
帰ってこないの、会えないのよと何度も繰り返し叫ぶ親の姿に、しばし放心するヴィゴー。
しかし、すぐにメイリィを押しのけ、ヴィゴーは病室から飛び出した。
「待って、どこへ!? 行かないでよ、あなたまで!」
「うるせェ! そんなハズが……そんなワケ、ねえだろォ!」
ヴィゴーは走った。無我夢中で走った。
雨の中、知らない景色の中を走り、飛び立ち、ずぶ濡れになって母を探した。
「母さん、母さん! 返事をしろ!」
森の中へ入った。開けた原っぱを探した。
「返事しろってば! こんな冗談、面白くねえよクソババア!」
ロッジを探した。もぬけの空だ。
いや、茶葉の袋があった。ダメじゃないの、母さん。ロッジから引き上げたのに、忘れ物なんかしちゃって。
「返事してよ、母さん……! 冗談だって言ってよ! 怒ったりしないから、わたし……わたし!」
冗談に決まってる。ウソに決まってる。きっと今は仕事で忙しいんだ。
人の気も知らないで、いつもの冷たい顔で、仕事して、平気な顔で帰ってきて……だから、だから!
二度と母さんに会えないなんて、そんなバカなことあるワケない!
冷たい顔で、澄ました顔で、いっつも口うるさくて。
夜遅く帰ったぐらいで、うるさくて。肌を出しすぎ、喧嘩はするな、いつもいつも、うるっさくて!
「ごめんなさい……ごめんなさい……謝ります。いい子になります。これから、ちゃんと言うこと聞きます──」
いつの間にか、家まで戻ってきていたヴィゴーは、涙と疲れで、部屋の中で倒れこんだ。
お母さんの匂い。お母さんの記憶。
お母さんの声が、ヴィゴーの脳から離れていく。
お母さんが、いなくなる。
「だから、だから……置いてかないでよ。お母さん……」
夜の、明かりのない暗い部屋。
ヴィゴーの消えいるような、か細い声を、空しい暗がりが飲み込んだ。
7年後。
夜のバウム区域辺境、カロニアンの片田舎。
木造建築の人里から離れた草っ原。いくつもの珊瑚を体から生やした巨漢、殿のダマザゴンが、チェーンソーの刃を握り止めた。
「くっ……!」
「無駄だ、無駄! オトビメ双盾、ダマザゴン! 刃物が通るような、やわな体などしておらん!」
髪が伸びて、ほとんど砂色になった片メカクレの、大人ヴィゴーがうめく。
彼女とダマザゴンの膠着状態、その背後からピンク髪の少女がハイジャンプで跳ね上がった。
「なら、拳はどうっすか~!? 渦潮崩拳、"高波急降"!」
「グッ。むうっ!」
ミニスカワンピ17さい玉焔のとび蹴りを受けて、鉄壁のダマザゴンが流石によろめく。
その隙にヴィゴーも前蹴りを入れ、ダマザゴンから距離をとった。
「大丈夫っすか!? パイ先!」
「ありがとう、玉焔……でも、」
呼吸を荒げるヴィゴーが、里の上空へ目を向ける。
上空には、炎を噴き上げる超巨大隕石が浮かんでいた。珊瑚の固まりのようで、見ての通り落下の速度は遅いが、充分に里を壊滅させる特大サイズ。
遥か高くにあるが、砕くなら今の距離がギリギリ被害を出さない限界。
これ以上、ダマザゴンに付き合ってる暇はない。ムキムキ珊瑚バケモノが、高らかに笑った。
「はははは! もう、間に合うまい。この規模、オトビメ様ほどの力もないと止められはしないだろう!」
「……あなた、最初からそれが目的で!」
「さあ、選べいシスター共! 自分の、仲間の命か! 里の命か! オレの珊瑚をモロに受けた人体は、珊瑚と化して二度と戻らん!」
こんなやり方で御主人様を呼び出せば、ダマザゴンとて無事では済まない。彼は完全に狂っていた。
狂笑を前にチェーンソーを握る手を緩めたヴィゴーは、かたわらの後輩の声に動きを止める。
「その必要はないっす、パイ先。隕石は、あっしが何とかしてみせます」
「……! やめなさい、玉焔!」
「大丈夫っす。死にに行くわけじゃない……」
玉焔が何をするつもりか、察したヴィゴーは声を張り上げる。
彼女の制止むなしく、玉焔は宙高く滑り飛んでいった。
「必ず戻ってきます! 行ってきますっす~!」
「無ゥ駄、無駄無駄! うわははは……!」
「……玉焔」
天に燃えたつ、丸い蓋。飛び近づきながら、玉焔は自分の胸に手を当てた。
「正直、オマエのことはキライっす……ドルチェさんを奪って、何度もパイ先を痛めつけて……。オマエだって、きっと思い通りにならない、あっしがキライだろうけど」
玉焔の後ろ髪が長く伸びだし、頭頂部に2つのリングが形成される。
胸や腰からヒレのような羽衣がとびだし、肩や太ももに巻きついて、たなびく。
玉焔の閉じて開いた目の端に、紅が差し込む。玉焔の髪に、バツ字にかんざしが突き刺さり、ウロコ鎖が彗星尾のようにひかる。
今の彼女の姿、その姿こそ完全体。天玉焔のオトビメ。
さりとて、その意識は、
「でも、今のあっしは! シスターっす! 力を貸せぇ、オトビメ~!」
絶叫するオトビメ玉焔の背後、巨大な渦がわき立ち、眼のように広がってゆく。
さながら曼陀羅図のように伸びた、それは"降臨"ならず、"再臨"とばし、
「渦潮崩拳! "永い海の終わり"! ……つらぬけ~!」
天の波濤が、堕ちの珊瑚を飲み込んだ。
「──なぜだ、なぜだ! なぜだァアアアアッ!?」
外れの原。ダマザゴンが身をよじり、絶叫した。
空にはワニ型の海が暴れ狂い、巨大な隕石をさらに巨大なアゴで滅茶苦茶に食い散らしている。
あれは何だ? オトビメの技か? ありえない。
ありえない、ありえない、ありえない。永世オトビメが人助けなど、ありえていいはずがないィ!
「"フランク"。そして、"エスコヴィレ"」
「はっ──」
「神聖出力100パーセント。治療規模、最大。ファイナル医療、エンドオブ病」
衣装ケースのハッチが開き、ショットガンとマシンガンの銃口が珊瑚マンをとらえる。
「こ、これで終わったと思うなよ! まだ空亀ブラザーズに、軍団長タイグン! アサシンのカレヒラメに、それに恐ろしいガビレのヤツまでいるんだ! 永世オトビメ不滅なり!」
「……そいつらは、もう殺しましたよ」
「えっ、いま何て言──」
轟音。
──元の姿に戻った玉焔が降りてくる頃には、里にはすっかり日が差し込んでいた。
スマホを開きながら、後輩がヴィゴーに声をかける。
「パイ先、パイ先。依頼人の方が、会ってお礼を言いたいって」
「疲れたから断っておいてください。わたしは家に帰って──」
「あ、あの……」
遅かったか。仕方なくヴィゴーは声のした方を振り向いて、そして声が出せなくなった。
そばの玉焔も、同じように口をあんぐり開けている。
「ご、ごめんなさい。迷惑でしたか……。でも、里を救ってくれたのだから、お礼を言いたくて……」
とても申し訳なさそうな無表情のまま、"依頼人"が何か述べる。
しかし、どんな礼儀の言葉も、ヴィゴーの耳には入らなかった。ただ、ひとつ言えたのは。
「あの、わたし……シスターに憧れてるんです! ビームは、そんなに強くないけど……皆を守る姿に憧れて、それで」
「あ、あなた……な、名前は何と……?」
「名前? あ、名乗ってませんでした。すみません!」
モスグレーのアンダーポニテ。背の低い、記憶のままの、まったく同じ、そっくり姿。
「ドルチェーロです。ある日、リポップした時、記憶がなくって……でも、いくつかの名前だけは覚えていたんです!」
「あ……あ、」
「あてもなくさまよってたら、仕事中のシスターさんに出くわして……それで──ど、どうしましたシスターさん!?」
ヴィゴレットは泣き崩れた。となりの玉焔も、同様に。
先の件でオトビメが復活した際に、鎖も一緒に解放されたのだ。
無理に破った封印のため、記憶に影響は出たのだが……。
ともあれ、彼女は生きている。
立てなくなった2人に、ドルチェは眉ひとつ動かさずに、まごついた。
「た、たいへん! 何か失礼をしてしまったかしら……す、すみませんシスターさん!」
「……ヴィゴ、レット」
「ヴィゴ……?」
「ヴィゴレット……母が名付けてくれた、大切な、わたしの名前です」
ようやく、それだけヴィゴーは言った。
ドルチェは、ほっとしたように笑い、
「そうですか! 素敵な名前ですね、きっと──」
なぜか、涙をひとつ流した。
「いい、お母様……あ、あれ。やだっ。何で、わたしも……」
一度、泣き出したら止まらない。
3人で泣き合うなか、ドルチェは思い出す。ヴィゴレット。自分の名前以外に覚えていた、誰だか知らない人の名前。
白い朝焼けが、3人にかかる。
言葉など交わせなくとも、不思議な縁が彼女たちを抱き合わせた。
そこに言葉は、いらなかった。