そんな私のシンデレラストーリー
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マリア・フューネルトは、とてつもない腹痛に襲われていた。
月のものではない。単純に食べ過ぎによる腹痛である。
今日のおやつが領地名産のサツマイモのタルトケーキだったのが、そもそもの敗因だ。
ホールで出されたそのケーキを、半分以上一人で食べきったのだ。
直径30cmのホールケーキだった。
細い体のどこにそんなに入るのか、と家族は皆呆れていた。
お腹が満たされたのが、15時頃。
そして、本日開かれる王族主催の夜会に出席するために、ドレスを着始めたのが16時。
どうして、夜会に出席するご令嬢が、そんなにおやつを食べているのか。
普通は食事を少量に留めるか、取らないはずである。
けれど、マリアは本当にサツマイモのタルトケーキに目がなかった。家族に出されたおやつを見て、私も食べるわ!と半ば強引に食べ始めたのだ。
自業自得の不幸に見舞われるとも知らずに……。
そうして、用意したドレスが、食べ過ぎて膨らんだお腹に引っかかり入らないと気が付いたのが16時半。
細身な体なのに、お腹だけは異様に膨らんでいる。
しかし、ゆとりのあるドレスも持ち合わせているので、それを着れば解決するだろう。
けれど、マリアはどうしても用意したドレスを着たかった。
何故なら、今回の夜会のために用意したこのドレスは、憧れの王太子殿下ウィリアムの瞳と同じ色を模しているからだ。
南の海を思わせる、透明感のある美しい青色。
王族主催の夜会が決まってから半年。
家の手伝いも、領民の手助けも率先して行い、わがままも言わずに過ごしてきた。
そのご褒美として買って貰った、思い入れのある逸品だ。
叶わぬ恋だとは知っているけれど、少しだけでもこの気持ちを伝えられたら。
そんな乙女らしいいじらしさで、ウィリアムの瞳と同じ色のドレスを選んだのだ。
……それがお腹につっかえて入らないなんて。
悲しみに打ちひしがれるマリア。
それを見て、マリアの侍女たちは互いに顔を見合わせて、頷き合った。
私達にお任せください!
マリアの気持ちを知っている侍女たちは、気合いを入れた。
そうして、侍女総出でマリアをコルセットでぎゅうぎゅうに締めあげて、何とかお腹を押し込むことに成功したのが、17時半。
そこから大慌てでドレスに着替え、準備を終えたのが18時。
夜会の開始は19時からなので、もう出発しなければならない。
エスコート役は、サツマイモのタルトケーキを食べず、夜会の準備を終えていた兄ダニエルだ。マリアとダニエルは、共に馬車へと乗り込んで、王宮へと出発した。
しかし出発して間もなく、マリアに異変が起きた。
ぐるぐると嫌な音を立てるお腹。
馬車の揺れで、お腹の中が程よく刺激されている気がする。
それに、締めあげられたコルセットのせいで、お腹が……。
ぐるるる……、ぐる。きゅー……。
馬車の中に響く音に、ダニエルは不安そうな面持ちでマリアを見つめた。
「おい、大丈夫か?」
「……」
既にしゃべることすら億劫なほど、お腹が痛くなってきている。
だから食べ過ぎるなって言っただろう!と呆れるダニエルに、言い返すことすら出来やしない。
王宮に着いたら速攻でトイレに駆けこもう。
マリアはそう決意して必死に耐えた。
けれど、待てど暮らせど馬車は王宮に到着しない。
なぜなら、今日は多くの貴族たちが王宮へ集まる日なので、馬車による渋滞が起きていたのだ。
のろのろと動く馬車。
ぐるぐると鳴るお腹。
馬車の中は、とても緊迫した空気が流れていた。
ダニエルも他人事ながら、腹痛に耐える苦しみは経験上理解しているので、妹を痛まし気な表情で見つめている。
こうなったら、どこか人目のつかない草むらでするか?とダニエルは提案したが、そんなはしたないことは貴族令嬢として許されない。と強い意思でマリアは拒否をした。
それなら強い意志でサツマイモケーキを諦めれば良かったのに……と元も子もないことを言われ、つい舌打ちをしてしまったが。
そんなこんなで、長時間馬車の中で腹痛に耐え続けたマリアは、19時少し前に王宮へ到着した。
ダニエルにエスコートされながら、会場までの道のりを、異様な速さで突き進む。
会場に入ったら、そのままお花を摘みに参ります……!
ぜひそうしてくれ。それまで頑張れ!踏ん張れ!……いや、踏ん張ったらだめだ。
などと、小声で話していたら、ようやく会場へ着いた。
早速、お花を摘みに……と動き出した瞬間。
豪華な音楽が鳴り響き、国王陛下、並びに王族の面々が会場に現れた。
夜会の開始時間になってしまったのだ。
こうなってしまったら、しばらく退出は出来ない。
国王陛下の挨拶が終わるまで、マリアは耐えることになった。
ダニエルも、なんてタイミングだと頭を抱えている。
長い長い陛下の話が続く。
マリアは、その間、祈るような気持ちで耐え続けた。
普段は神を信じていないマリアだが、この時ばかりは神へ祈りを捧げた。
今度からサツマイモのタルトケーキは自重します。
人助けも進んでします。誰かが困っていたら、必ず手を差し伸べますから!
だから、どうかどうか、トイレに行かせてください……。
胸の前で両手を組み祈りを捧げ始めたマリアを、ダニエルは不憫そうに見つめた。そうして、同じように心の中で祈る。
どうか、妹が粗相をしませんように……
マリアが祈りを捧げる姿は、周りから少々浮いていた。
けれど、トイレに想いを馳せているマリアは、浮いていることに気がつかなかった。
そんなマリアを、この国の王太子であるウィリアムは、興味深そうに見ていた。
今回、夜会が始まる前に陛下が長々と挨拶をしているのには訳があった。
最近、近年稀にみる大雨で、国の各所で土砂や水害の被害が相次いでいる。
幸い人命に関わる被害は無かったが、この災害により、一時的に一部の地域が食糧不足に陥っているのだ。
そこで、夜会に参加している貴族たちに助力を求めようと、国王陛下はこの場を借りて話をすることにした。
しかし、夜会に参加している貴族たちは、自分の領地でないためか、殆どの者が右から左へと聞き流しているようだ。
嘆かわしい。
自分さえ良ければそれでいいのか。
ウィリアムは、貴族たちの態度に憤っていた。
そんな思いを抱えつつ、ウィリアムが会場を見渡していた時だった。
ウィリアムは、一人の令嬢に目を留めた。
真摯な表情で神に祈りを捧げる、青いドレスを身に纏ったご令嬢。
殆どの貴族がぼんやりと国王陛下の話を聞き流す中、祈りを捧げるその令嬢は、会場の中で浮いていた。
何を祈っているのだろう。
ウィリアムはその令嬢に興味を持った。
しばらく観察していると、今まで目をつぶり祈りを捧げていたその令嬢が、陛下の言葉にピクリと反応する。
「奇跡的に人命に関わる被害は無かったが、この災害により、食料が大量に不足しているのだ。よければ主食となる麦やサツマイモを中心に、食料不足に陥った民へ、他の領地から食料を援助したい」
その言葉に令嬢はぱちりと目を開けて、何とも悲痛な面持ちになる。
悲し気で、苦しそうな。
まるで、痛みに耐えるようなその様子……
ウィリアムはハッとした。
もしやあのご令嬢は、被災した民を思い、神に祈りを捧げていたのか……。
食糧難で苦しむ民に思いを馳せて、自分のことのように痛みを感じている。
我関せずの貴族が多い中、なんと心の優しい。
ウィリアムは、温かい気持ちに包まれた。
一方、マリアは国王陛下の発した『サツマイモ』の言葉に、ピクリと反応していた。
このお腹の痛みの原因であるサツマイモ。
その言葉を聞くだけで、痛みが増した気がする。
なんなら意識も朦朧としてきた。
もう、だめかもしれない。
そんな弱気な心がマリアを襲う。
その時だった。
「少しでもいい。食糧不足に陥った民の為に、誰か援助を申し出てくれないだろうか?」
より一層大きくなった陛下の声に、会場がしんと静まり返った。
我関せずの貴族たちは、誰1人として手を上げない。
援助の気持ちのある貴族もいたが、同じように自分の領地が大雨の影響を受けており、援助をするまでの余裕はないようだ。
意識が朦朧とする中、マリアはぼんやりと考えた。
もしやこれは、神が与え給うた試練ではないかと。
『人助けも進んでします。誰かが困っていたら、必ず手を差し伸べます。
だから、どうかどうか、トイレに行かせてください……』
私がそう祈ったから、神は試しておられるのだ。
確かに、困っている人がいるならば、手を差し伸べなければならない。
民が助かるのなら……。
トイレに行くことができるのなら……!
マリアの意識は覚醒した。
「お兄様、確か我が領地のサツマイモは、今年は豊作でしたわね?」
マリアは、隣にいる兄へ話しかけた。
兄は、マリアが粗相をするのでは?と気が気でなかったので、国王陛下の話を聞いていなかった。突然マリアがサツマイモの話を始めたので、首を傾げつつ返事をする。
「え?ああ、そうだが。それが一体……」
その言葉にマリアは頷き、声を上げた。
「陛下!我がフューネルト家が、微力ながら援助いたします!是非、領地名産のサツマイモをお使いください」
「おお!誠か!?」
マリアの言葉に、国王陛下は喜色を浮かべた。
自己利益を求める貴族が多い中、率先して手を挙げた若い令嬢に痛く感激する。
ダニエルは突然声を上げたマリアにびくりと肩を震わせたが、会話の内容とここ最近の災害情報を即座に結びつけ、大まかな会話の流れを理解した。
「ああ、そういうことか。確かに、今年は我が領地のサツマイモは豊作だった。少しくらい援助しても、そこまで問題ないだろう」
ダニエルは顎に手を当て、うんうんと頷いている。
そして、漏らすか漏らさないかの瀬戸際で陛下の話をちゃんと聞いていたなんて、なかなかやるじゃないか!と別のところでマリアを見直した。
そんなダニエルはさておき、早く話を纏めたいマリアは陛下を真っ直ぐ見返した。
「名産のサツマイモが、食糧不足で困っている民たちの役に立つのなら、これほど嬉しいことは御座いません」
そうして、マリアはにっこりと微笑んだ。
お腹の痛みを我慢しているので、とてもぎこちない微笑みだった。冷や汗も凄かった。
けれど、それは近くにいたダニエルにしか分からなかった。
「なんと、清廉な令嬢じゃ」
マリアの微笑みに、国王陛下は感慨深そうに目を細めた。
そしてそのまま夜会に参加している他の貴族たちを見渡した。
「この夜会に参加している皆は、様々な事情があり援助が出来ないのであろう。それがどういう事情かは、深く考えないでおく。けれど、それでもこうして声を上げてくれる者がいた。私はそんなフューネルト家に、深く感謝したい。そもそも我が国は建国以来様々な災害に見舞われてきた。その度に乗り越えてこれたのは、フューネルト家のような者がいたからだ。これからも我が国の貴族には、領民のため、そして国民のため、民を慈しむ者であって欲しいと私は思う」
切々とした声が会場に響く。
陛下の言葉に、私利私欲を優先した貴族は羞恥を覚えて俯いた。
事情があり援助が出来ない貴族は、他の領地が困っていたら、次こそは手を差し伸べられるようにと、改めて心に誓った。
まだ夜会は始まってすらいないのに、会場には終いの空気が漂っている。
マリアはこの機会を逃すまいと、ぎこちない笑顔のまま国王陛下へ声をかけた。
「陛下。有り難いお言葉有難うございます。私も領民のため、国民のためこれからも精進して参ります。早速ですが、サツマイモの援助について父に話を通そうと思いますので、私と兄はここで失礼致します」
最後の力を振り絞ったマリアは、国王陛下へ一礼すると、まだ始まってもいない夜会を兄と共に後にした。
しばらくして、遠くの方で「やっとトイレに行けるわ!私、試練を乗り越えたのね!神よ、トイレに行ける喜びをありがとうございます!!!」と妙なテンションで神に感謝する声が聞こえたが、夜会会場は防音がしっかりしていたので、参加者の耳にその声は届かなかった。
マリア達が立ち去った後に始まった夜会では、話題は専らマリアたちの話で持ちきりだった。
若いのに素晴らしいご令嬢だった。
我々も、見習わなければ。
あんなしっかりしたご令嬢が、息子の結婚相手になってくれれば……。
マリアについて様々な話が飛び交う中、一連の流れを静観していたウィリアムも同じ様にマリアのことを考えていた。
民を想う優しさや、若いご令嬢にしては珍しい国王陛下にも物怖じしないその芯の強さ。
「面白いご令嬢だったな……」
そう呟いたウィリアムの表情は、無意識のうちに綻んでいた。
「……折角、ウィリアム殿下に会えたのに」
その頃、マリアは馬車の中で頭を抱えていた。
半年前からこの日の為に準備をしてきたというのに、終始トイレのことで頭が一杯だった。
結局夜会にも参加していないし、一体何のためにウィリアム殿下の瞳と同じ色のドレスを着て行ったのか……。
マリアはげっそりとした表情で、ため息を吐く。
しかし、結局はそれもサツマイモのタルトケーキを我慢できなかったマリア自身の自業自得である。
「まあ、漏らさなかっただけ良かったじゃないか。国王陛下も喜んでおられたし、援助を申し出たのも立派だよ」
気落ちするマリアを慰めながら、ダニエルは何事も無く帰路につけたことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「そうね。困っている方に手を差し伸べられたんだし、ウィリアム殿下を見れただけでも……良かったと思うことにする」
トイレのことで頭がいっぱいで、殆ど殿下の記憶が無いけどね……。
自嘲気味な笑いがこみ上げてきて、マリアは再びため息を吐いた。
————数日後、援助のお礼がしたいと国王陛下に呼ばれ、同席していたウィリアムに好意的な態度で話しかけられるのは、また別のお話。
その時に、あまりにもウィリアムが夜会の時のことを素晴らしいと褒めるので、まるで騙しているような気持ちになったマリアが、耐えきれず正直にあの日の出来事を白状し、ウィリアムを爆笑させるという今日以上に羞恥に悶える場面が待っているのだが……マリアはまだ知るよしもなかった。
けれど結局はそれが切っ掛けで、マリアはウィリアムの瞳と同じ色のドレスを着て、ウィリアムと共に仲睦まじく夜会に参加するような関係になるので……人生とは分からないものである。
「当分、サツマイモのタルトケーキは見たくないわ……」
そんなこととはつゆ知らず。
投げやりなマリアの呟きは、馬車の音と共に、夜の空へと消えていった。
宜しければ、評価をぽちりとよろしくお願い致します。