演習訓練
20分の準備時間はあっという間に過ぎ去る。
戦地へ赴くカグラとノースを見送った二人の美少女たちは、その勇姿を見届けようと訓練場の観客席へ移動していた。
ドルマド軍事学校の訓練場は非常に広大で(学生の中には、あまりの大きさに闘技場と誤認している者までいる)バトルフィールドの上階には観客席が設けられている。
四方を取り囲む観客席では、どこから聞きつけたのか、大勢のギャラリーがこれから行われる一騎討ちを首を長くして待っていた。
予想だにしない大所帯に、ホノカのメルトリアも驚きを隠せない。
「凄い人だね。あと少し来るのが遅かったら、立ち見確定だったよ」
「成績トップ2と、昇進内定の大佐による手合わせ。学生たちは講義をサボってでも観たいと思うでしょうし、先生たちも講義を中断してでも学生に見学させたいと考えるでしょう」
メルトリアの指摘は的を射ており、実際在校生のほとんど全員が訓練場に集まっていた。
「実力者同士の戦いは、観るだけで大変勉強になりますからね」
「それはその通りだと思うんだけどね。だったらあれは何なのかなーって思うわけですよ」
ホノカが不快感を露わにする先には、女学生の集団があった。
「カグラ先輩素敵ー!」、「カッコいいー!」。手作りの横断幕を掲げながら、半ば発狂気味に叫ぶ女学生たち。一部の女学生は場の雰囲気に流されて、「カグラ様愛してるー!」などと公開告白をしてしまっている。
一対一で面と向かってならいざ知らず、皆でせーので叫ぶわけだから、羞恥心なんてあっても欠片程だった。
そういったいわばファンクラブのような集団が、ノースのも含めて観客席のあちらこちらに点在している。
カグラが高い評価を受けている。それ自体ならホノカも自分のことのように嬉しく思っているが、こうも目の前で下心を丸出しにされては、歓喜の気持ちも激減してしまう。
やがてホノカの不満は上限に達し、限界を超えて。所々から発せられる黄色い歓声を、ホノカは面白くなさそうに聞くようになっていた。
「ホノカ、不機嫌が顔に出ていますよ」
「そんなことないもん!」
「もんって……言い方が既に不機嫌じゃないですか。頬だってそんなに膨らませて」
「だってだって……カグラは私だけのものなのに」
「ホノカ……」
何を思ったのか、メルトリアはいきなりホノカに抱き着く。
「えっ、メルトリア!?」
「あなたって人は、本当にもうっ、可愛いんですからっ!」
メルトリアは、カグラに焦がれている。……が、こうも一途にカグラを想うホノカ相手ならば負けるのも仕方ないだろうと思っていた。
「可愛いって……そう言ってくれるのは嬉しいけど、どうしていきなり?」
ホノカはメルトリアに問う。
カグラからの抱擁なら、大歓迎。それ以外の異性からなら、ビンタをお見舞い。そして親友からの抱擁はーー戸惑いはするが、まぁ拒絶する真似はしない。
それでも理由は気になるし、聞いておきたかった。
メルトリアは手だけをホノカの両肩に置いたまま、彼女と距離を取る。
「カグラと、そしてホノカの親友として言いますが」
ホノカを大切に思っていることと、カグラに特別な感情を抱いていないことを前置きで強調してから、メルトリアは本題に入る。
「何十人何百人からの声援よりも、たった一人愛する恋人からの声援の方が、何より嬉しいものです。安心して下さい。カグラの耳には、きっとホノカの声しか聞こえていませんよ」
「そうかな……?」
「信じられないなら、試してみてはどうです? カグラはホノカにだけ、応えてくれますよ」
メルトリアはホノカの両肩を軽く叩く。
促されたホノカは、一つ頷いた。
立ち上がり、スーッと息を吸い込む。そして吸い込んだ息とカグラへの想いを、ありったけの声援に変えて吐き出した。
「カグラ、頑張ってー!!!」
果たしてカグラの反応はというとーー
◇
「カグラ、頑張ってー!!!」
それ以外の雑音がシャットアウトされたかのように、途端に聞こえなくなり、愛しい恋人の声だけがカグラの耳に届く。
この声が聞こえるから、頑張れる。この声が聞こえるから、生きたいと思える。
カグラはホノカのいる方へ体を向けるわけだが、それは最早無意識下の反射みたいなもので。ホノカの大声援に、カグラは軽く手を上げて応える。
それまでの他の女学生たちの声だって、聞こえていた。しかし都度応えていてはキリがないので、訓練場に来てからというものカグラは一貫して無反応を徹底していた。
その徹底ぶりを、カグラは容易く破棄する。やはりホノカだけは別なのだ。特別なのだ。
隣では、愛槍を担いだノースがカグラ同様ホノカに顔を向けていた。
ただ優しく微笑むカグラと違い、ノースは相変わらずな彼女に苦笑を浮かべている。
「ホノカの声、デカすぎだろ? あれ絶対周りの奴らに対抗しているよな?」
「多分な。そんなに大声で叫ばなくても、ホノカの声なら聞こえるっていうのに」
どんなに大勢の中にいたとしても、どんなに遠く離れていたとしても、だ。
「お前の耳がホノカ専用なのはわかったからよ、だからってあっちの存在を忘れて貰っちゃ困るんだが」
「忘れていない。だから目は背けても、意識はそらしちゃいないさ」
カグラとノースは、バトルフィールドに立つもう一人の人物に目を向ける。
直線距離で、およそ30メートル先。サーベルを抜いたエンバートンが、二人をジッと見返していた。
その視線から、ヒシヒシと伝わる緊張感。それは殺気に似ていて。「準備はまだか?」と、その鋭い眼光が頻りに訴えかけている。
「大佐、俺たちのこと殺すつもりじゃないよな?」
「積極的に殺そうとは思っていないが、誤って殺してしまう分には仕方ないって考えている。あれはそんな目だ。……もしかして、怖気付いたのか?」
見るとノースの体は、微かに震えていた。
「怖気付く? まさか」
ノースは体の震えを隠す素振りもなく、それでいてカグラの指摘を一蹴した。
「逆だよ。早く戦いたくてウズウズしてるのさ」
ノースの体の震えは、武者振るいだった。
与えられた20分の準備時間は、とうに過ぎている。
最後になるかもしれない親友同士の会話に水を刺したくないエンバートンだったが、時間の都合上、これ以上開始時刻を遅らせるわけにはいかなかった。
「そろそろ始めたいんだが、構わないか?」
エンバートンはサーベルの鋒をカグラたちに向けて、問い掛ける。
抜剣することでエンバートンに応えようとしたカグラ。そんな彼の前に、ノースが出た。
「俺が先にやる」
カグラは抜きかけていた剣を鞘に納め、柄から手を離す。
「そう言うと思っていたよ。……好きにしてくれ」
カグラの返答が、ノースに届くことはなかった。カグラの了承を得る前に、ノースは飛び出していたのだ。
ノースは跳躍すると同時に、槍を振り上げる。
槍が最も攻撃力を発揮するのは、刀身で斬ったり貫いたりする時じゃない。槍の真骨頂とは、遠心力をも利用した、圧倒的打撃。
とりわけノースの槍は常人のそれよりも数倍重くなっており、受け止めるだけでひとたまりもない。
「おらあ!」
ノースは両手を惜しみなく使って、槍を振り下ろす。
槍の刀身を、サーベルの刃で受け止めるエンバートン。手を剣の峰に添えて、両脚を開いて踏ん張るわけだが、その体は僅かに地面に沈んだ。
まさかの下剋上を匂わせる一撃に、観衆たちは湧く。
「不意打ちの先制攻撃か」
「まさか卑怯だなんて言わねーよな? あんたは大佐。対して俺は、正規の軍人ですらない候補生だ。これくらいのハンデをくれたっていいだろ?」
「卑怯とは思っていない。正々堂々フェアな精神で戦うとか、そんな騎士道を掲げたところで敗北しては意味がない。名誉の死よりも狡猾な勝利を。それこそが、ドルマドの軍人だ」
エンバートンは、ノースの槍を押し返す。
「おっとっとっと」
よろめきながら数歩後退したノースだったが、すぐに体勢を立て直し、槍を構えた。
「最初の一撃で終わらせたかったが、やっぱりそう簡単にやられちゃくれねーか」
「これだけギャラリーが集まっているんだ。一撃で終わらせるのは、興醒めというものだろう。だから、安心しろ。もう少しだけ、付き合ってやる」
「付き合ってやる、ねぇ」
安い挑発だったが、単細胞のノースは簡単に乗ってしまった。
「計画変更! 本当は速攻であんたを倒してチヤホヤされようと考えていたけど、それはやめだ」
ノースは右手を槍から離し、指を三本立てる。
「30分。30分間、俺に付き合ってもらうぜ」
ノースが仕掛ける。
槍を突いては引いてを、目にも止まらぬ速さで繰り返す。実技成績学年二位は、伊達じゃない。
エンバートンは迫る槍の先端を躱すなりサーベルで弾くなりしていた為、切り傷一つついていなかった。大佐という肩書きも、伊達じゃない。
「単調な動きだな。闇雲に攻撃してきても、私には届かないぞ?」
「そうかもな」
あっさり肯定。自信家のノースらしからぬ発言だ。
「でもあんたのサーベルも、物理的に届かないだろ?」
槍とサーベルでは、間合いが違う。槍の間合いでは、サーベルの刃はノースに届かない。
それこそが、ノースの狙いで。
エンバートンが一歩前に踏み出せば、ノースの体はサーベルの射程範囲に入ってしまう。だからノースはこうして槍を突き出し続けて、間合いを詰められないようにしていた。
攻撃ではなく、時間稼ぎ。このまま30分が経過すれば、特別ルールでノースの勝ちだ。
(動きを止めるな。鈍らせるな。30分間この速度を維持し続ければ、確実に勝てる!)
ノースの集中力は、凄まじいものだった。槍を突き出すという単純な動作に、全神経を傾けている。
エンバートンはそうまでしなければ勝てない相手であり、そうまでして初めて勝てる相手でもあった。
だからノースは、途中からエンバートンが槍を躱すばかりでサーベルで受け流していないことに、気が付かなかった。
「……」
槍を躱しながら、エンバートンは持っていたサーベルをノースに向けて放り投げる。
投げたといっても、下手投げで捨てたようなもの。槍を突きながらでも、簡単に避けられる。
ノースは一瞬だけサーベルに視線を移してその軌道を確認すると、最小限の動作でサーベルを躱した。
その一瞬が、命取りだった。
ノースの視線が自身から外れると、エンバートンは彼の懐に潜り込む。
「!?」
サーベルに意識を奪われ、エンバートンを目視していなかった為、ノースの反応が遅れる。
「遅いっ!」
エンバートンは、ノースを蹴り飛ばした。
腹部に蹴りを入れられたノースは盛大に吹き飛ばされ、バトルフィールドの内壁に激突した。
エンバートンは放り投げたサーベルを拾い、ゆっくりと歩き出す。
カグラの真横に着いたところで、彼は立ち止まった。
「助けにいかないのか? 友人なのだろう?」
エンバートンの問いに、カグラは首を横に振って応える。
「負けた男を慰めに行くなんて、そんなもの友情でも何でもないでしょう。ノースのプライドを傷付けるだけです」
ノースの安否は未だ不明だというのに、カグラは彼の敗北を決め付けていた。
「若いくせに、わかってるじゃないか」
「それは軍人の矜持をよくわかっているということでしょうか? それとも状況をしっかり把握出来ているということでしょうか?」
「両方だよ」
二人がそんな会話をしていると、「おらぁ!」と瓦礫を蹴り上げながらノースは立ち上がる。
目立った外傷はない。多少吐血をしているものの、口元を制服の袖で拭えば無傷といって差し支えなかった。
「あの程度の攻撃で俺が動けなくなるとでも思ったかよ? 残念でした! まだピンピンしてますー!」
「残念なのは、お前の頭の方だ」
まだ戦えると豪語するノースを見て、カグラが呆れ気味に呟く。ノースはその言葉の意味をまるで理解していないようで、「俺?」と首を傾げた。
「足下を見ろ。何が落ちている?」
「足下……」
ノースは視線を下げる。彼の足下には……瓦礫に紛れて、翠色の宝石の欠片が散らばっていた。
「これは……」
「30分経たない内に、守るべき宝石が壊れた。お前の負けだ」
「……っ」
まだ戦えるとか、そういう精神論は関係ない。目に見える形で、雌雄は決していた。
30分宝石を守ることが出来たら勝ちという一見ノースに有利なルールのせいで、彼は敗北を喫したのだ。
「まだ戦えるのに負け判定をされるのは、納得がいかないか? 異論があるなら、一応聞いてやるが?」
「それは……いえ、何でもありません」
納得していなくとも、文句を言える筈がない。
「……ありがとうございました」
明らかに不服そうな顔をしながらも、ノースは手合わせをしてくれた上官に謝辞を述べる。その後槍を地面に突き刺し、その場で腰を下ろした。
あぐらをかき、腕を組み。不遜な態度だが、感情を素直に表すところがノースらしかった。
ノースはもう手を出さない。そう判断したカグラは、エンバートンに向き直る。
「それでは大佐。選手を交代して、演習を再開しましょうか」
「そうだな」
返答すると同時に、エンバートンはカグラに斬りかかる。
しかしカグラは慌てない。瞬時に抜剣し、エンバートンのサーベルを受け止めた。
「ほう。読んでいたか」
「さり気なく俺に近づいて来て、加えて剣を納めていない。不意打ちを警戒するのは当然です」
カグラがエンバートンのサーベルを弾く。
「これが実戦を想定しているのなら、尚更ね」
それから目にも留まらぬ速さでの激しい打ち合いが始まる。
カグラとエンバートン、それぞれの頬や二の腕に切り傷が付いていくが、それは互いの剣そのものではなく、斬撃の余波によりついたものだった。
「これが大佐の全力ですか?」
「まさか。まだまだ速くなるぞ」
それらの発言は、強がりではなく。二人の打ち合いは、更に速く、激化していった。