エンバートン大佐
始業のベルが鳴ると同時に、一人の軍人が教室の中に入ってくる。
ベルが鳴り始めるのと同時の入室は、まるで図っていたかのようなタイミングで、このことからもドルマド王国の軍人が如何に時間管理を重要視しているのかが見て取れた。
演習日であるこの日、教壇に立っているのは担任ではない。勿論ノースに言われたい放題だった例の少尉でもない。
教壇の目の前に座っている学生が、驚きながらその軍人の名を口にした。
「え!? エンバートン大佐!?」
その名に反応した学生たちは、一斉に立ち上がり敬礼をする。エンバートンは20年以上も軍に所属している優秀な将校だった。
敬礼した状態で、ノースはすぐ後ろのカグラに囁きかける。
「少佐クラスが演習如きに時間を割くわけないって? 少佐どころか大佐が来たぞ?」
「……」
予想が見事にはずれたカグラは、何も言い返せなかった。
予期せぬ大物の登場に動揺を隠せないのは、カグラとノースだけじゃない。二人のように、教室内では多くの学生が近くの生徒とヒソヒソ話を始めていた。
「エンバートン大佐……本物だよな?」
「あの胸の勲章……あれはエンバートン大佐が若い頃、身を挺して国王を守った功績として賜った、この世に二つとないものだ。間違いねぇ」
「ここに大佐がいるってことは……今日の講師は大佐ってことだよな? え? 俺たち、大佐と戦わないといけねーの?」
「いやいや、いくら何でもそれは。だってエンバートン大佐って、次の人事で二階級昇進が内定しているんでしょ? つまり実力はもう大佐を凌駕してるってこと。私たちが束になっても勝てっこないわよ」
エンバートンが口を開く前から、学生間で様々な憶測が飛び交う。
彼らのヒソヒソ話は、次第にざわつきへと変わっていき。そしてそれが教室の至る所で起こっているわけだから、半ば騒音のようになっていた。
一向に静かにならない学生たちに、エンバートンは遂に痺れを切らす。
「私語を慎め!」
流石は数多の戦場で陣頭指揮を取っただけのことはある。たった一喝で、学生たちは即座に口を閉じた。
しーんと、無音と静寂が教室内を包む。
その光景に、エンバートンは満足そうに一度頷いてから、
「私はエンバートン大佐である! 校長からの依頼により、本日の演習授業で講師を務めることになった!」
先程までのざわつきを上回る声量。その迫力に、学生の誰かが息を呑んだ。
「敬礼はもう結構。座ってくれて構わないぞ」
エンバートンの許可を得た学生たちは、着席する。
「私がやって来て驚いたか? まあ、その気持ちもわからなくない。今までの講師は大尉や少尉ばかりで、大佐階級の軍人が呼ばれるなんてあり得なかったからな」
「今まで」というのはこの学級の学生が入学してからではなく、ドルマド軍事学校で演習授業システムが参入されてからを指していた。
演習授業が取り入れられて、およそ150年(200年前、設立当初はまだなかった)。この日の演習は、その中で最も実戦に近いものとなるだろう。
「上層部にも、色々思惑があるのだろう。一介の大佐に過ぎない私には、知るよしもないが。……さて。早速演習に入りたいところなのだが、その前に。学生諸君は、この世界とドルマド王国の現状を、どのくらい把握している? 誰か説明出来る者はいないか?」
「はい」
真っ先に名乗りを上げたのは、メルトリアだった。
指先から背筋を通ってつま先まで、ピンと伸びている様は、周囲からも一際目立つものがある。
「そこの女学生」
指名されたメルトリアは、一人立ち上がって口を開く。
「10年前に発生した大天災、その被害は甚大なものであり、現在この世界は終焉へと向かっています。ドルマド王国も例外ではなく、多くの土地や命が失われ、今はまだ安寧を保っているこの王都も、いつ大天災に見舞われるかわかりません」
一見すると、非のつけようも補足のしようもない。百点満点とまではいかなくとも、限りなくそれに近しい説明のように思えた。
「おぉ」という簡単の声が、あちらこちらから起こる。しかし、
「60点だ」
エンバートンの採点は、かなり辛いものだった。
ドルマド軍事学校では60点を下回ると補習の対象となる。メルトリアの回答は、合格点ギリギリだ。
「60点……ですか」
それなりに自信があったのだろう。メルトリアの呟きには、不満が見え隠れしていた。
「現状の把握はしっかり出来ている。しかしドルマドの軍人たるもの、一歩先の考察を述べなければならない。私が「現状を説明せよ」と言ったら、単に説明するだけでなく、現状の課題や問題点を改善する為の意見も併せて出すべきなのだよ」
「……以後気を付けます」
「あぁ、そうしてくれ」
「ありがとうございました」と指導に対するお礼を言ってから、メルトリアは席に着いた。
エンバートンはメルトリアにのみ向けていた視線を、学生全員に戻す。
「かつて我らがドルマド王国は、他国を侵略することでその領土を広げ、発展と繁栄を続けてきた。勿論そのような暴挙を、近隣諸国が快く思う筈もない。各国からは非難もあったが、我々にはそれを黙らせるだけの軍事力があった。しかし10年前、突如として発生した大天災により、領土の大部分は消失した。これは由々しき事態だ。今我ら軍人に求められるのは、敵を屈服させる力ではなくこの国を天災から守る力」
「そうは思わないか?」。エンバートンは、最前席に座っている学生に同意を求める。問われた学生は、力強く頷いた。
「はい、思います」
「結構」
学生の答えは、エンバートンの欲するものだった。
「ドルマド王国の軍人は、強い。日々鍛錬を欠かさず常に愛国心を持ち続ける我々なら、たとえ大天災が相手だろうと遅れをとることはないだろう。もう一度言う。我らドルマドの軍人たちは、天災になんぞ負けないのだ」
『……』
大地を破壊し、そこで生きる全ての生命を奪い去る大天災は、人智を超えている。大天災を神の怒りだと信じてやまない人間だって存在する。
大天災に負けないというエンバートンのセリフは、神に負けないと言っているに等しくて。学生たちは、あまりにスケールの大きな話に唖然とするしかなかった。
「先程の女学生よ」
エンバートンは、再度メルトリアに声を掛けた。
「私が君に求めていた、現状を改善する為の意見。もう答えられるな?」
「はい。私たち学生が一刻も早く強き軍人になること。ですよね?」
「100点だ」
エンバートンは笑みを浮かべる。
「女学生、君の名前は何という?」
「はい!」
メルトリアは立ち上がり、敬礼する。
「軍人候補生、メルトリア・アーバインと申します!」
「メルトリアか……覚えておこう」
軍人候補生たる学生たちにとって、名前を覚えられるというのは将校の眼鏡にかなったということだ。それは誇るべきことである。だから、
「光栄であります!」
メルトリアは、心の底からそう答えた。
軍人の心構えという簡単な座学がひと段落したところで、講義はいよいよ実践演習に移る。
「それでは演習内容を説明しよう。本日の演習では、これを使う」
そう言ってエンバートンが軍服のポケットから取り出したのは、翠色に輝く宝石だった。
「綺麗な宝石ですね。この国で採掘されたんですか?」
「そうだ。10年前の大天災以降、領土の減ったドルマド王国では、この宝石が貴重な財源となっている。なんでもこいつには精霊が宿っていて、持ち主を悪しきものから守ってくれる言われている。大天災に対する一種の厄除けとして、国内外問わず人気があるんだ。そして宝石に宿る精霊の正体というのがーー」
熱弁を続けるエンバートンだったが、学生たちが置いてけぼりをくらっていることに気が付く。
「……と、そんなことはどうでも良かったな。話を戻そう」
愛国心の強いエンバートンには、ドルマド王国のことを語り出すと止まらなくなってしまうという悪癖がある。興奮が最高潮に達しないうちに、彼は咳払いをして心を落ち着けた。
「精霊が宿っている云々を除いても、これはただの宝石ではない。この宝石は、国だ。民だ。我々軍人にとって、何があっても守らなければならないものだ」
勿論実際に宝石の中に国や人が封印されているわけではなく、そう見立てるという意味だ。
「お前たちにはこれから、攻守固定の一騎打ちに挑んで貰う。攻めは私、守りがお前たちだ。演習時間は30分。30分間私の猛攻を抑え、宝石を守り切ることが出来たのなら、お前たちの勝ち。逆に宝石が破壊されたり戦闘不能に陥ったりした場合、お前たちの負けだ。あぁ、念の為に言っておくがーー」
エンバートンは、宝石を教卓の上に置く。そして自身を指差しながら、
「私を戦闘不能にしても、君たちの勝ちだ」
「やれるものならそうしてみろ」。そういう意味を込めて、「念の為」だった。
エンバートンから演習概要を聞いて、学生たちは前回の演習を思い出していた。
この前は、少尉相手で手も足も出なかった。少尉より遥かに階級が上の大佐と一騎討ちして、勝負になんてなるわけがない。
30分も宝石を守り切るなんて夢のまた夢。5分と持てば善戦したと言えるだろう。
当然そのことは、エンバートンもわかっている。
「とはいえ私と貴様らでは、あまりに実力差がありすぎる。如何に手加減するとはいえ、うっかり殺してしまうなんてことも起きかねない」
「またまた大佐〜、そんなご冗談を〜」
学生の一人が、笑いながら言う。
彼はエンバートンの発言を、この緊張感溢れる場を和ませるものだと思ったのだろう。いや、思いたかったのだろう。
しかしそんな学生の希望は、無情にも打ち砕かれる。エンバートンはクスリとも笑っておらず、真顔だった。
「私が冗談を言うような男に見えるのか?」
あまりの威圧感に、学生の表情から笑みが消える。彼は「いえ……」と蚊の鳴くような声で呟くことしか出来なかった。
「演習で未来ある学生を殺してしまうなど、私とて本意ではない」
学生の実力を軍人レベルまで底上げするのが演習の目的なのに、その学生が死んでしまっては本末転倒だ。
「私は軍人。殺戮者ではない。そこで!」
エンバートンは、一際声を張り上げて、
「今回の演習は、特例として希望者のみの参加とする! 命の惜しい者は、辞退して貰って構わない! 退くのもまた勇気である!」
「ただしーー」。エンバートンは続ける。
「向かってくる者には容赦しない! 死ぬ気で挑んでくるが良い!」
「希望者は挙手せよ!」。エンバートンは、教室内を見渡す。
エンバートン程の実力者が講師として演習を担当するのは、初めてのこと。今回を逃したら、次いつこのような機会が設けられるかわからない。
「次」は二度と来ないかもしれない。
だけど負けて死ぬかもしれないと脅されたら、手を挙げられないのが人間というものである。
辺りの顔色を窺うだけで、一向に手を上げる気配のない学生たち。
「誰かが手を挙げるだろう」。「皆がやるなら自分もやろう」。右へ左へ踊る彼らの視線が、消極性を物語る。
その様子を、エンバートンは落胆しながら眺めていた。
(……どうやら、この中に本物の軍人はいないようだな)
「もう良い」と、エンバートンが言おうとしたその時だった。
空気を読まず周囲に合わせず、挙手をする学生が二人。カグラとノースだった。
「何だ、ノース? お前もか?」
「当たり前だろ? つーか、俺の方が早く手を挙げたし」
カグラとノースは寧ろ、早くエンバートンと戦いたくてうずうずしていた。
「どっちが先に手を挙げたかなんて、どうでも良いだろ。子供か」
「どうでも良くない。カグラの後じゃ、全力の大佐と戦えないじゃねーか」
勝つこと前提で会話をするカグラとノース。それも30分宝石を守り抜いての勝利ではなく、エンバートンを倒しての完全勝利。そんな自信を匂わせている。
それもエンバートンに聞こえる声量で。
大佐たる自分をナメている二人の学生は、誰なのか? エンバートンは、手元の資料から二人のデータを探した。
「……首席のカグラと次席のノース・バルパスか。聞いたことのある名前だ」
「俺たちのことをご存知なんですね」
「お前たちは軍事学校のトップ2。特にカグラ、お前は学校創設以来の天才だからな」
「そう言われているだけですよ」
カグラは謙虚に、エンバートンの発言を訂正した。
しかしエンバートンに勝つと豪語している以上、その謙虚さは今更というか、後の祭りである。
つくづく生意気なクソガキ共だ。不愉快に感じる一方で、エンバートンはどこかカグラたちと剣を交えることを楽しみにしていた。
「20分後、訓練場に来ると良い。それまでに準備を済ませておくんだな」
「準備というと、武器の手入れや精神統一のことですか?」
「そうだ。あとは……別れの挨拶とかな」
『……』
講師からのアドバイスとはいえ、カグラもノースもこの時ばかりは返事をしなかった。
予想通りの二人の無反応に、エンバートンはフッと笑う。
ここで「わかりました」と答えて決心の鈍りを見せるようなら、罰として準備時間を半分まで減らすつもりだった。
準備があるのは、カグラたちだけじゃない。エンバートンは、「また訓練場でな」と言い残して教室を去っていく。
エンバートンの準備に別れの挨拶が含まれていないことは、言うまでもなかった。
◇
エンバートンが去った後、ノースは隣席のメルトリアに尋ねた。
「手を挙げなくて良かったのか?」
「勘弁して下さい。私の実力じゃ、どう足掻いたってエンバートン大佐には敵いません。そこまで自惚れていませんよ」
「あなたと違ってね」。メルトリアは最後に心の中で、そう付け足した。
「そうか? メルトリアも、十分渡り合えると思うのになぁ」
相手は大佐という格上の中の更に格上に位置する軍人だというのに、一体どこからその推測はくるのだろうか? メルトリアは、甚だ疑問だった。
「高く評価してくれているのには、素直にお礼を言いましょう。でもだとしたら、私よりも手を挙げるべきだった人間がいますよね?」
メルトリアは振り返る。彼女の後ろにいるのは、カグラの腕にしがみついて離れないホノカだ。
「今からでも頼み込めば、参加させてくれるかもしれませんよ」
カグラ好き好き大好き愛してるー! の一見ポンコツじみているホノカだが、その実力は折り紙付きで。
座学が散々なので総合順位はなんとか一桁台といったところなのだが、実技に限っていえば、ホノカはカグラとノースに次ぐ好成績者。他の学生から言わせれば、ホノカも十分異次元だ。
だけどホノカに、この演習を受ける気は微塵もなかった。
「絶対嫌! だってカグラがかっこよく勝つところ見たいもん! 私も参加したら、見逃しちゃうかもしれないじゃん!」
エンバートンが耳にしたら、顔を真っ赤にして激怒しそうな理由だ。だけどそれ以上に、大佐が相手でもホノカはカグラの勝利を1ミリたりとも疑っていない。そのことに引っかかり憤慨するだろう。
ホノカの相変わらずのぞっこんっぷりに、ノースは「ヒュ〜ッ」と口笛を吹く。
「負けられなくなったな、色男」
「何を言っているんだ?」
カグラはノースに聞き返す。
「初めから負けて良い理由なんてない。負ける理由も、な」