通学路
「~♪」
ホノカの美しいハミングが、登校路に響き渡る。
その音色は美しく、ホノカの容姿も相まって、道ゆく多くの人々が足を止めて聞き入ってしまう程だ。
かつては何人もの歌姫たちが、各地の舞台の上で美声を披露していた。しかし10年前の大天災以降、世界から娯楽と名の付くものは激減している。音楽もまた然り。
ホノカの鼻歌をいつも特等席で聴くことの出来るカグラは、なんと果報者であることか。
カグラとホノカは手を繋ぎ、並んで街中を歩く。
指と指を絡めて。手のひらと手のひらを合わせて。そう、恋人繋ぎだ。
二人は恋人同士。恋人繋ぎをしていたところで、何もおかしくない。
しかしホノカはそうは思わなかったようで。疑問や違和感というより、不満を抱いていた。
一晩もカグラと離れ離れになっていたというのに、手を繋ぐだけなんて物足りない。
「……ねぇ、良いかな?」
媚びるような視線で尋ねるホノカ。
可愛い。超絶可愛い。カグラがポーカーフェイスを貼り付けたまま考えていることだ。
「何が」良いのかをホノカが明言しなかったのは、カグラなら言わずともわかってくれると信じているから。
愛の力というべきか。現にホノカの真意は、カグラに通じていた。
「……構わない」
照れ臭さを悟られないよう、カグラはぶっきらぼうに答えた。
言い方なんてどうでも良い。愛想が顔に出にくいのはいつものことだし、ホノカとしては許可して欲しかっただけなのだから。
ホノカは満面の笑顔でカグラの腕にしがみついた。
頬を腕に寄せては、スリスリスリスリ……。今にでも、撫で声を出しそうな雰囲気だ。
柔らかく、温かい。
着衣越しでホノカを感じながら、カグラは一人幸せに浸る。
こうして彼女が隣にいてくれる限り、カグラはこの先も未来永劫幸せであり続けるだろう。
たとえこの世界が、終わりを迎えたとしても。
(ホノカが生きてくれさえいれば、どんな大天災に見舞われようと世界は終わらない。だけどホノカが死んでしまったら、いくら平穏だとしても俺の世界は終わってしまう。……なんとしても、ホノカを守らないと)
カグラにとって世界とはホノカで、ホノカとは世界で。
(まったく。以前の自分が聞いたら、鼻で笑って一蹴されそうだな)
ホノカと出会う以前の自分を思い出しながら、現在のカグラもまた鼻笑いをした。
◇
三ヶ月前までのカグラは、今とは全く異なる軍人だった。
最善の一手を本能的に選択し、即座に行動に移せる類い稀なる戦闘センス。速さと重さを兼ね揃え、指導員すら圧倒する見事な剣術。そしてそれらを可能とする、人間とは思えないレベルの身体能力。
他の学生とは、あまりに次元が違う。羨望する気も嫉妬する気さえ起きない。
軍事学校創設以来の天才と謳われるに相応しい才能を、カグラは持っていた。
しかし当時のカグラの真骨頂は、戦闘センスでも剣術でも身体能力でもなく。
カグラが誰よりも強くあり続けた要因は、戦いに挑む際の姿勢と覚悟。
戦場で死にたいーー。
未来も希望もないこの終わりゆく世界で、果たして生に執着する理由があるだろうか?
もがき苦しみながら生きるくらいなら、意味のある死を遂げてみたい。他の学生が「生きたい」「守りたい」と思う一方で、カグラは死に場所を求めて軍人を志していた。
そんなカグラを変えたのが、他ならぬホノカだ。
三ヶ月前、カグラの在籍する学級に突如編入してきたホノカという少女。
今になっても、どうしてかはわからない。しかしカグラはホノカを一目見て、運命を感じた。
顔が火照る。胸の鼓動が高鳴る。眼前の少女が、愛おしくて愛おしくて堪らなくなる。
訓練の最中でも、こんなに体が熱くなることはなかった。額に銃口を向けられた時でも、こんなに動悸が激しくなることはなかった。何かが欲しいと強く思ったのは、これが始めての経験だった。
そしてカグラは悟った。自分は彼女に、恋をしたのだと。
日は沈めばまた昇る。今日が終われば明日が来る。そんなのは10年も昔の常識で。
明日が来るのかなんてわからない。たとえ世界に明日が来たとしても、そこに自分がいるのかなんてわからない。
この世界で生きる人々には「次」もなければ「いつか」も約束されていない。約束されているのは「今」だけ。
後悔だけはしたくない。
カグラはホノカと出会ったその日に、彼女に告白した。
カグラがホノカについて知っていることなんて、名前くらいだ。それも自己紹介の時に名乗っていたからであり、彼女と会話をして聞いたわけじゃない。
こんなにも好きなのに、ホノカという少女のことを何も知らないのだ。
だからこの恋が成就するとは思っていなかった。己の気持ちを伝え、ケジメをつけたいという自己満足だった。しかしーー
「うん。私もあなたが好きだよ」
ホノカはカグラの愛を受け入れた。
続けてホノカは語る。「自分もあなたを一目見て、運命を感じた」、と。
「だからさ、世界が終わるその時まで一緒にいようね! ……カグラ!」
ホノカと恋人になり、カグラは大きく変わった。
彼は死に場所を求めなくなった。ホノカと共に生き続けたいと、そう思うようになった。
でもそれは、戦いへの覚悟が薄れたのとは違う。
死を忌み嫌い、遠ざけ、生に固執するからこそ、一層の覚悟を胸に戦いに挑むようになったのだ。
同様のことが、ホノカにも言える。
ホノカもまた、かつては死を望み、愛を知った今は生を切望している。
それは至極当然の話だろう。カグラとホノカは、運命の恋人たちなのだから。