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#29 ~ 死の鋼鉄

「――そこまで! 勝者、アイーゼ・リリエス!」


 イリアの声が木霊した瞬間。観客席に、弛緩した空気が漂った。


 ミミが崩れ落ち、今まで必死に我慢していた涙を床に落とした。

 そして唖然と、そしてほっとしたように、男爵は椅子に体を落とす。


 シェリーとイリアが、アイーゼの元へと一目散に駆け出した。きっと治療に向かったのだろう。そして相手の男も――息はあるようだが重傷だ。


「わたしは……」


「リリエス男爵」


 呼びかけられ、男爵の目線がユキトを向く。

 そうしてようやく――ユキトと男爵の目線が交わる。そういえば、この人と目を合わせるのは初めてだと、ユキトは思った。


「俺に、両親はいません。……育ての親と言える人はいますが」


 それは――きっとこの世界の誰にも分からない言葉でもあった。


 親は、いない。……前世も含めて。

 五歳のとき、交通事故――あれを事故などと今でも言いたくはないが――によって両親は死んだ。

 もう断片的な記憶しかない。あるいは美化されているのかもしれない。

 だが両親と暮らしたあの日々は今も、俺の深いところで根を張っている。


「両親を失ったとき、途方に暮れました。何度も死を考えた。ただ両親に会いたくて」


 そんな俺を戻してくれたのは、孤児院の先生だった。結局、何一つ恩返しはできなかったが。


「それぐらい、子供にとって親とは全てなんです」


 その言葉と同時に。夫人の目が、俺を見た。


「きっとお二人にも事情があるのでしょう。そうならざるを得なかった事情が。――ですが、見てください」


 二人の目を、広場へと誘う。

 助け起こされたアイーゼさんに、号泣するミミが抱き着き、そして抱き合う光景を。


「お二人は、決して、あれから目を逸らしてはならない」


 命を懸けて、なお願い続けた少女の祈りを。

 そこから目を背けることだけは、決して。


「……馬鹿な……」


 不意に、声が聞こえた。

 それは、目の前のふたりからではなく――背後、ミハイル・フラヴァルトから。両手を強く握りしめ、唇を震わせている。


「こんな馬鹿な……! どういうことだゼロ! 確実に勝てるのではなかったのか!」


「……は」


「もういい! ゼロ! お前が代わりに出ろ! 今すぐあの女を殺してこい!」


「そんなこと、認められるはずがないでしょう」


 氷のような声で、そう答えたのは――シェリーと共に傷だらけのアイーゼに肩を貸したイリアさんだった。


「結果は既に決しました。決闘における取り決めは履行され、婚姻関係は解消されます。これでは既に決定事項です」


「ふ……くく……」


 それはもはや怒りが許容範囲を超えたかのように。

 彼は震えながら笑う。その笑みに狂気すらも孕ませて。


「なるほど……伯爵家とあろうものが、決闘の一方に肩入れし、不合理な裁定を行った……護衛を依頼した企業も買収してまで……私はハメられたわけだ……」


「何を――」


「こうなっては、もはや仕方がない!」


 彼は、懐から何かを取り出した。

 それは――無線機に見えた。


「やれ!」


 瞬間――ドン、という衝撃が、館を揺るがした。


(あれは――)


 屋敷から丘の向こう。

 そこから、何かが少しずつ姿を現していく。


 黒い鉄の塊。

 人を殺すため、最適化されたフォルム。

 木々を薙ぎ倒し、草木を踏み荒らし、鉄を軋ませる音を立てながら姿を現す。


 ――戦車。

 それも、二台の。


 そして、再びの砲声。

 長い砲身から放たれた二発目の砲弾が、決闘場を吹き飛ばした。


 土砂が巻き上がり、音を立てて降り注ぐ。

 幸いにして、被弾者はいなかった。決闘場で倒れていた男も、いつの間にか仲間に回収されていたようだ。


 ミミ嬢をかばったアイーゼ、その二人をかばったシェリー。

 そしてイリアは、唖然とした目をミハイルに向けた。

 あんなものを誰が持ち出したのか。言うまでもなかった。


「あなたは、何を考えて――!」


「言うまでもない!! こんな……こんなこと表沙汰になれば、私は終わりだ。であれば……全員死んでもらうしかない!」


「雇い主……いや、ミハイル。貴様は……」


「動くなよゼロ。手下もろとも吹き飛ばされたくなければな! この場を全員を皆殺しにし、私は外国にでも高跳びさせてもらう――」


「――もういい」


 あまりにも冷えた声が、その場に響いた。


 それはユキトの口から漏れ出たものだった。

 自分でも――自分ですら、驚くほどに冷たい声。


「イリアさん。もう決闘は終わりだ。それでいいな?」


「え、あ、はい……」


「ミハイル・フラヴァルト」


 狂的な笑みを浮かべていたその男は、ユキトの視線に、ぴたりと凍り付いた。


「一歩でも動けば殺す。その懐の拳銃を抜いても殺す」


「なっ……何を馬鹿な! 戦車だぞ! 戦車相手に、人間が勝てるはずがない!」


 刀を手に、一歩踏み出す。


「先生……」


 心配したような声を出すアイーゼさんに小さく微笑み、その頭をぽんと叩いてから、俺は言った。


「後は、俺が片づける」

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