◆28 ~ 赤い華
一週間後。
男爵邸裏の広場で、決闘が行われることになった。
一週間という月日を要したのは、正規の手続きを踏む必要があったからだ。
決闘と言うのは、帝国法上において認められた貴族の権利。だが行うためには、政府へと届け出を行い認可を得る必要がある。
一週間という時間は、むしろ早いほうだ。それよりもよほど、リリエス男爵夫妻に対する説得の方が手こずった。
彼らは決闘に異議を唱えたが、最終的に、イリアの「当事者はアイーゼたちであり貴方がたではない」という言葉によって納得せざるを得なかった。
――いや、納得はしていないのだろう。
広場を睨む男爵などは、いかにもな不満顔だ。
そうして、彼らが見守る広場の中心。
「クソ面倒くせぇことになったもんだ、まったく……」
決闘の場で、アイーゼと向かいあった男は、そう吐き捨てた。
その装備は、あの山の時と変わっていない。
ナイフを手元に弄びながら、飄々としている。
「オイ見ろよ、あの旦那の顔」
くい、と男は首の動きでミハイル・フラヴァルトを指し示す。
観客席にいる彼の顔は、苦悩に彩られているように見えた。
「計画は完全にご破算。俺が勝とうがどうしようが、今更元の計画に戻るのは無理だ。なのにまだ諦めてねぇときた。往生際が悪いねぇ、まったく」
「……わたしには関係ない」
「ごもっとも」
クク、と男は笑う。
「んじゃ、面倒くさい仕事はさっさと片づけるとしますか」
「――神聖なる皇帝陛下の名の下に、これより、アイーゼ・リリエス、そしてミハイル・フラヴァルト両名による決闘裁判を開始します」
イリアの言葉が空気を裂く。
二人の間に漂う緊張感が、殺気と闘気が、空気を震わせているかのように。
「それでは――はじめ!」
瞬間。おもむろに、眼前の男が発砲した。
軽く弾丸を避け、槍の間合いに踏み込もうとしたアイーゼの目の前で……唐突に、男が消えた。
「!?」
ほとんど直感だった。
頭の横に掲げたガードの上から、ガンッ、という強烈な衝撃が走る。
蹴り飛ばされたのだと気づいたのは、空中を舞う一瞬。
「……っ」
空中を舞うアイーゼを、さらに銃撃の雨が襲う。
一瞬で発砲された六つの弾丸。そのすべてが急所。空中で姿勢を取り戻し、槍の柄で叩き落とすが――。
(疾い――!)
あまりに疾い。あまりに精確。
まさか……山で戦ったあの時は手加減していたというのか?
着地するアイーゼの眼前に、比喩でなく風のような速度で男のナイフが突き出される。
紙一重、皮一枚で避けたナイフが、頬を擦り鮮血が舞った。
だが、それだけでは終わらない。
(ナイフの軌道が、読めない――!)
まるで蛇のように、それも群れをなして襲い来るナイフの連撃。
さらにその合間に、急所を狙った銃撃が差し込まれるのだ。
男の貌は、まるで違っていた。
感情がない。ただ淡々と、黙々と、アイーゼを死に至らしめる一撃を繰り出している。
(強い……!)
自分よりも、はるかに。
◆ ◇ ◆
「先生……!」
焦った顔で俺を見るイリアさんに、頷く。
あの男……やはり強い。アイーゼさんよりも数段上。
「今更、決闘を止めようなどと言い出さないでしょうね?」
そう言ったのは、ミハイル・フラヴァルト。
ユキトたちの目線を受け、彼は粘ついた笑みで笑っていた。
「お姉ちゃん……」
その隣で、ミミが祈るように両手をぎゅっと握りしめている。
俺は彼女に言った。アイーゼさんは勝つと。
だが、もちろん知っていた。あの男が、アイーゼさんよりも強いだろうということを。
「ま、まさか殺さないだろうね?」
不満顔で決闘を見守っていた男爵は、急に慌てた顔でそう言った。
だがそれに、ミハイルがかぶりを振る。
「もちろん、なるべく殺さないように言っていますよ。が、戦闘において絶対などありませんからね――」
(……嘘だな)
あれは、確実に殺せと命令されている者の動きだ。実際にほんのわずか、一歩でも踏み間違えればアイーゼさんはもう死んでいる。
「そ、そんな……」
「リリエス男爵。そして夫人」
その声に、慌てた様子の男爵と、呆然としている夫人が目を向ける。
俺は決闘に目を向けたまま、静かに口を開いた。
「よく見ていてください。あそこで戦っている彼女を。なぜ彼女が、命を賭して戦っているのかを」
「な、なぜって……」
「ただ結婚を妨害したいだけなら、あんなに命を張る必要などない」
それこそ選択肢など幾らでもあったはずだ。
それでも今、彼女はあそこで戦っている。
「どうして……」
「そんなの、決まってるじゃない!!」
その叫び声に、はっと男爵は目を向ける。己の娘……ミミに。
彼女はその両目に涙をためて、父に詰め寄った。
「お姉ちゃんは言ってた! 貴族らしさなんていい。贅沢なんていらない! ただ昔みたいに……四人で笑って……過ごせたらそれでいいって……」
「そ、それは……」
「お姉ちゃんは、たったそれだけのためにあそこで戦ってるんだ! パパとママの目を覚まさせるために……!」
それはきっと今まで、何度も何度も、同じように訴えてきた叫びなのだろう。
そしてきっと今まで、それは何の意味もなさなかった。
だが二人の目は、アイーゼへと向いた。
今この瞬間も――命を懸けて戦っている少女に。
「――アイーゼ!!」
不意に、シェリーの叫び声が響き、ユキトがすっと目を細める。
彼らが見たもの。
それは、銃撃によってアイーゼの足が撃ち抜かれている光景だった。
◆ ◇ ◆
(……大丈夫)
アイーゼは足の痛みを無視し、そして眼前の男に再び槍を向けた。
弾丸は貫通している。まだ戦える。
「わからねぇな。理解不能だ」
不意に、男が口を開いた。温度を感じさせない声で。
その銃口が、かちりとアイーゼの眉間に合う。
「なぜ戦う? それに何の意味がある? あそこの剣士サマに全部任せればいいじゃねぇか。このままじゃ確実に死ぬぞ、お前」
「……意外に、優しい」
「あ?」
ふっとアイーゼは笑みをこぼす。
そんなことを言う必要などないのだ。殺せばいい。今この瞬間、その引き金を引いて。
「悪いけど、降参するつもりはない」
アイーゼは槍を構える。死を眼前にしてもなお。
「この馬鹿が――」
会話はそれで終わりだった。
――疾風のように襲い来るナイフと銃撃の連続。
足を撃たれ、機動力を失ったアイーゼに、抗う術などない。
かろうじて致命傷を避け続けるも、その五体に、ナイフや銃撃による傷が徐々に増えていく。
だがその状況の中で、なおアイーゼは冷静だった。
(先生……)
――死中に活を見いだせ。
この一週間。徹底的に、アイーゼは『死』を経験した。
死ぬと思える状況を何度となく、ユキトによって経験させられ続けた。
それがかろうじて、彼女の命を繋ぎ止め続けていた。
死は、怖い。
誰だってそうだ。先生でさえも。
だが彼は言った。
極限において――活路は、勝機はその一瞬にしかないことを。
「終わりだ」
全身から血を流し、槍に寄りかかって崩れおちたアイーゼの頭に、ぴたりと銃口が突きつけられる。
実力差は圧倒的だった。抗いようのない力の差。救いようのない現実。
(ミミ……父さん、母さん……)
遠くに、声が聞こえる。自分を呼ぶ声が。
イリアが、シェリーが、そしてミミが叫んでいる。
(現実は、いつも、残酷で――救いようがない)
なのに。
どれほど残酷で、辛くて、厳しくても。
それでも、幸せだったあの日の記憶が、忘れられない。
父にも、母にも、どんな言葉も届かなかった。
何度となく思い知らされてきた。
アルニの花のように、幸せとは散ってゆくものなのだと。
押し花のように――永遠には続かない。
それでも。
それでも――それでも!
奇跡でいい。千分の一、万分の一、砂漠の中に眠る一粒の宝石のような、ほんの一握りの奇跡。
もしそれがあるのならと、手を伸ばさずにはいられなかった。かき分けてでも探さずにいられなかった。
だから――。
きっと、私のこれまでの人生の全ては、この瞬間のためにあったのだ。
(……相手が、もっとも油断するのは)
血に濡れた手が、そっと地面を這う。
(勝利を、確信した、瞬間……!)
――『発火』する。
瞬間。
天を衝くほどの炎が、まるで赤い華のように、天を焦がした。
紅炎天華。
愛する花の名を冠したその炎。
その魔術は、徹底的に隠蔽され、そして蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
無論、決闘の事前に仕掛けたものではない。戦いながら、ずっと、ずっと張り巡らせていたのだ。この一瞬のために。
直撃すれば。
どんな人間でも、決して耐えられない。
「ぐ、がああぁぁあああ――!」
その炎に包まれた男の絶叫が木霊する。
炎が、天高く、渦を巻くように消え去って。
ぷすぷすと全身から煙をあげながら、倒れ伏す男の姿が見えた。




