◆27 ~ 譲れぬ戦い
「……どういうつもりだい?」
ユキトが後ろにまわり、アイーゼはミハイルと向かい合う。
開口一番――彼は冷や汗を垂らしながら、そう口を開く。
「あなたの言う通り。これはもともと、貴方とわたしの問題」
「はっ……」
アイーゼの言葉を、ミハイルは鼻で笑う。
「対等に交渉しているつもりか? そう言えるのは、形勢が逆転したからだろう? 力で人を脅しつけ、道理を捻じ曲げる。君と私、何が違う」
「確かに。何も変わらないのかもしれない」
ユキトが来なければ――きっと抗えもせずに、すべてを失っていた。
無力だから。
そして自分自身の無力さは、何も変わってなどいない。
今この瞬間は、ただ他人によって与えられたものに過ぎない。
不満などない。それでミミが守れるのなら。
だが――父と母は?
「このまますべて、先生に任せて、それでうまくいっても……きっと、何も変わらない」
「君が何をしたとしても……あの二人は腐っている。子供を容易に売り渡す親など、もう救えはしない」
「――――」
ああ、それは。
もしかしたら……そうなのかもしれない。
もし、自分が貴族になったとしても、何も変わらないかもしれない。
もう、すべてが手遅れで……父と母は、後戻りできないほどに狂ってしまったのかもしれない。
「――怖かった」
その現実と、正面から向き合うのが。
「貴族になるため……強くなるため……故郷を出た理由は、たくさんある。でも本当は、ただ怖かった」
両親を見るたびに、認めてしまえばいいと思う自分がいる。
もう駄目なのだと。過去には戻れないと。
そうしたら、逃げられる。何もかもを忘れて。
でもそう思うたびに――。
過去が。あの日々が。その思い出が――わたしに囁くのだ。
……あの日々に戻りたいと。
「私も、覚悟を決める」
アイーゼは、槍の切っ先を、正面の男に突きつけた。
「ミハイル・フラヴァルト……あなたに改めて、決闘を申し込む。ミミの結婚を賭けて」
「なにを――」
それで一体、何がどうなると言うのか。
ミハイルの疑問を、アイーゼは首を振って制した。
「きっともう、言葉じゃ何も伝わらない。伝えられない。わたしには……これしかない」
それは不器用な少女の、最後の賭け。
だがそれを、眼前の男は笑い飛ばした。
「馬鹿な。私が受ける義理などあるはずが――」
「――ありますよ。ミハイル・フラヴァルト」
その声は……その場にはいなかったはずの第三者の声だった。
アイーゼが声をたどり、目を向け、そして大きく見開いた。
そこに立っていたのは、金糸のような髪を蒼い宵闇にたなびかせる、美しい少女。
そしてその横には……自分の親友。
「イリア……シェリー……二人とも、どうして」
「私たちも、先生と一緒に来ていたんです。すっかり置いていかれましたが」
「ごめん。でも、お陰で間に合った」
ユキトが苦笑まじりに手を挙げる。
「イリア・オーランド……」
一瞬、渋面でその名を呟いたのは、ミハイル・フラヴァルトだった。
オーランド伯爵家の介入は、彼も考えていた。だからこそ、介入されないように慎重に立ち回ったはずで――。
「……受ける必要があるとは? まさかオーランド伯爵ともあろう方が、他人の結婚に口を挟むとでも――」
「そのようなことをするつもりはありません」
イリアは凛とした表情のまま、目を閉じてかぶりを振る。
「――しかし私は、アイーゼ・リリエスから決闘の立ち会いを依頼されてここに来ました。貴方が逃げるようであれば、私は父にそのことを報告しなければなりませんが」
「っ」
イリアが、ちらりとアイーゼに目線を向ける。
アイーゼもまた、一瞬で事情を呑み込み、こくりと頷いた。
当たり前だが、アイーゼがイリアに決闘の立ち会いを依頼したなど嘘っぱちだ。そもそもイリアがここに来ることさえ、アイーゼは知らなかったのだから。
だがそれを指摘したところで無駄だ。
決闘から逃げた――それも婚姻を賭けた決闘から逃げたとなれば末代までの恥だ。市井にまでその噂は流れ、下手をすれば、フラヴァルト社の経営にさえ影響を及ぼしかねない。
「ぐ……」
もはや受けるほかにない――状況を理解して、ミハイルは臍を噛む。
「……いいでしょう。ただし、こちらとしても権利は主張させていただきます」
「権利?」
「当然、代理人を選ぶ権利です。私は戦闘など出来ませんからね」
アイーゼとイリアが目を細める。
だが確かにそれは、決闘を行う上で認められたルールだ。
そしてその代理人とは、言うまでもなく――
「雇い主。すまないが、俺は出れん」
「な……」
ゼロ、と呼ばれたスキンヘッドの男は、そう首を振った。
そしてその視線を――ユキトに向けた。
「俺が出るとなれば、そこの男が出てくるだろうからな」
「だが、それでは……」
「かといって、向こうもそれは望んでいない」
ユキトはただ黙って、アイーゼの後ろで腕を組み、目を閉じていた。
それは肯定とも否定とも取れた。
「鬼札をぶつければ負けるのはこちら。であれば、実力の伯仲した相手をぶつけるほかないでしょう。……レオ」
「俺ですかい」
スキンヘッドの男が名を呼ぶと、アイーゼたちの背後、包囲していた兵士たちの一角から、進み出る影があった。
それは、山でアイーゼと戦った男だった。
「こちらはこいつを出す。問題はないな?」
「分かった。それでいい」
こくりと頷いたのは、アイーゼ本人。
かくして、決闘が成立する。
ミミの婚姻を――そして一人の少女の、己の全てを賭けた戦いが。
◆ ◇ ◆
「アイーゼ!」
リリエス家の屋敷で、真っ先にアイーゼに飛びついたのは、彼女の幼馴染……エニャだった。
「エニャ。良かった……無事で」
「うん。アンタの先生っていう人が助けてくれたから」
いわく。
あの山にユキトが駆け付け、追っ手を退散させたのだという。
「しかも一睨みで。とんでもないわね、あんたの先生……」
「ああ。あーいうのが殺気っていうんだろうな……」
その時を思い出したのか、顔を青くする三人にアイーゼは苦笑する。
アイーゼもまた、ユキトに出会うまで『殺気』というものは、あくまで誇大表現の類だと思っていた。
だが彼の『殺気』は、まるで人の心臓を止めかねないほどの圧力がある。常人なら耐えられるものではない。その意味で、三人が感じ取ったそれはあくまでも片鱗に過ぎないのだろう。
「アンタこそ……怪我はない? 屋敷が爆発したって……」
「大丈夫。やったのはわたし」
あっけらかんと言ってのけるアイーゼに、幼馴染三人がぽかんと口を開ける。だがやがて、頭痛を抑えるように、エニャはこめかみに手を当てた。
「まあアンタなら……やってもおかしくないか」
「そう?」
「昔からやることなすこと無茶苦茶だもんね、アンタ」
確かに、と幼馴染同士が頷きあう。
アイーゼは首を傾げているが、昔から、何だかんだで一番問題児だったのがこの少女であったことを、三人はよく知っている。
「へえ。アイーゼって、昔から変わらないんだね」
そう言ってコロコロと笑うのは、茶髪の少女。シェリーだった。
「アイーゼ、この人は?」
「ん。紹介する。学院の友人で生徒会長のシェリー。こっちは後輩のイリア」
そう言って紹介された二人が、美しい所作で会釈する。
貴族らしいその所作に、三人はぽかんと口を開けた。
――特に男子二人の視線は、完全にイリアに注がれていた。
「お、お姫様だ。本物だ」
「う……うつくしい……」
しばらく口を開けていたエニャは……そんなトールの呟きに、ぐっとその耳を引っ張った。
「いてててて! 何すんだ!」
「あらごめんあそばせ。アンタが馬鹿みたいに見惚れて、間抜け面を晒してるからつい」
「うるせー! しゃあねぇだろ、こっちは普段からガサツさしかない男女しか見てねぇ――」
「だぁれが男女ですってぇ!?」
「そーいうところだっつの!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ合う二人と、それを笑いながらなだめる一人。
その姿を見ながら……シェリーは、ぽつりと言った。
「いい友達だね」
「うん」
「うらやましいですね、少し」
ぽつりとこぼすように言ったのは、イリアだった。
だがそれに、アイーゼは「どうして?」と首を傾げた。
「私には、あんなふうに喧嘩できる友達は――むにゅっ!?」
不意に。アイーゼが、イリアの頬を引っ張った。
少しだけ赤くなった頬を押さえ、混乱した顔を向けるイリアに、アイーゼはあっさりと告げた。
「いる。ここに」
「……先輩」
「アイーゼでいい。友達だから」
頬をおさえたまま……イリアは、小さく笑って、頷いた。
その光景を――ユキトは、微笑ましげな表情で見ていた。
友情は美しい、なんて陳腐な言葉が出そうな表情で。
(まあ、実際そうだから仕方がない)
特に若い女の子同士の友情はいいものだ。
おじさんか、と言われそうな感想を抱きつつ――不意に、その袖を引かれた。
その袖を引いたのは、小柄な少女だった。アイーゼの妹、ミミだ。
「あの……お姉ちゃんの先生、なんですよね?」
「ああ、うん。そうだけど」
「お姉ちゃんから聞きました。凄く強いって。あの人たちを全部敵に回しても、貴方のほうが強いんですよね?」
「そうだね」
ユキトは、あっさりと頷いた。
過剰も過小もなく、ただ現実としてそうであることを肯定するように。
「なら! ――それなら、お姉ちゃんを助けてください」
「それは……」
ユキトは、アイーゼに視線を向けた。
友人たちに囲まれ、笑いあう銀髪の少女に。
「分かってます。お姉ちゃんが、決闘だなんて言い出した理由は」
――妹を守るため。
そして同時に、父と母の目を覚ますため。
その全てを満たそうと思えば、なるほど、他にないのかもしれない。
それは決して、賢い選択などではないとしても。
「でも……だからって、お姉ちゃんが傷つく必要なんてない。だから――」
「悪いけど、それは出来ない」
ユキトは目を閉じて、かぶりを振った。
「あの子は自棄になったわけじゃない。彼女の心は、まだ折れてない」
たとえ不器用でも、立ち上がって、まだ戦っている。
己の為したい願いのために。
傷つくことを恐れて立ち止まるだけでは、届かないものがあると知っているから。
全部俺が片づけるから、もうやめろなどと言えるはずがない。
たとえそれが、どんな結果に終わるとしても。
「大丈夫」
少女の頭に、ぽん、と手をのせる。
「あの子は勝つよ。必ずね」




