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◆11 ~ わたしのせいで?

 父に連れられ、案内されたホテルに、アイーゼは思わず目を剥いた。

 アイーゼでも知っている、古都でも有名な高級ホテル。急速な発展と高層化が進む都心部でも、三十階を超える建物はここだけだ。


「こんなホテルに泊まるお金、どうやって――」


「まあまあ、いいじゃないか。ここのレストランに予約を取っている。さあ行こう」


 ニコニコと笑う父に、アイーゼは悪寒を加速させた。

 リリエス家はいわゆる貧乏貴族だ。こんなホテルに泊まる金などありはしない。だが父の表情は、どこか余裕を感じさせた。


「アイーゼ、ようやく来たのね」


 神経質そうな女性の声。聞きなれた声だ。

 フェニア・リリエス。わたしの母だ。肌を白く染める濃いめの化粧に、高級そうなアクセサリーをいくつも身に着けている。


「……お母さん」


「母様とお呼びなさいと言ったでしょう? まったく……学院は何を教えているのかしら」


 思わず、表情が歪む。


「貴族の間でも高名な学院というから通わせたのに……聞けば随分と、他とは違う学院だとか。最初から知っていれば……」


「学費は自分で稼いでいる。文句を言われる筋合いはない」


「だから何だというの? 貴族の娘として――」


「まあまあ、いいではないか。久々の再会なのだから、今は久闊を叙そうじゃないか」


 父の言葉に、母は「あなたが言うなら」と矛を納め、背を向けた。

 その背に――やはり、浮かぶのは怒りなどではなかった。ただ悲しみに胸が締め付けられて、その痛みに泣きたくなる。


 案内されるがまま、ホテルのレストランで席に案内される。

 父が「それでは」と手に持ったワイングラスを掲げた。


「久々の再会と、アイーゼの大会優勝を祝って」


 乾杯、という父の言葉に、わたしはうつむいた。

 目の前には、やはり高級そうな料理が並んでいる。


「どうしたアイーゼ、食べないのか? せっかくの料理だ、味わうといい」


「……その前に聞いておきたい。ここのお金はどうやって?」


 そんな金があるはずがない。

 貴族なんて、名前だけだ。


 人は言うのだ。貴族なのだから金持ちなのだろうと。いい暮らしをしてきたのだろうと。

 幼い頃、自分と妹の食事が、粗末なパンとスープばかりだったと言えば、彼らはどんな顔をするだろうか。


 リリエス家の収入源は、小さな領地ひとつ。微々たるものでしかない小さな土地に、未だにしがみつき続けている。

 その上、見栄を維持するために借金を重ねるので、家計は火の車だ。

 それを知っているから、アイーゼは問わざるをえない。


「こんなホテルに泊まる金も、こんな食事をする金も、うちにはないはず。まさかまた借金を――」


「ははは、そんな心配は無用だよ」


 父は笑って、ワイングラスを傾けた。

 いつも余裕のない母も微笑し、料理を口に運ぶ。


 ……おかしい。この余裕は何だろう。いつもなら激高してきてもおかしくないのに。


 思い浮かんだのは、元婚約者の男だった。

 いや、だが、それはありえない。

 イリアからは、正式に処理が終わったと聞いたし、婚約が解消されたことは伯爵にも告げられた。

 まさか二人が聞いていないということはないだろう。父はそのことで謝罪をしたはず。

 では一体……。


「貴女がワガママを言って、婚約を勝手に解消したことには肝が冷えたわ」


「……わたしから婚約の解消を申し出たわけじゃない」


 たとえそうしていても、誰も耳を貸さなかっただろう。貴族の婚約とはそういうものだ。

 あの男は、自分から婚約を解消したのだ。

 ……イリアや伯爵さまには、どれほど感謝しても足りない。


「でもそのお陰で、伯爵との繋がりが出来た。そのことは、良くやったと思っています」


「……イリアを利用するつもりなら、絶対に許さない」


 カッと頭が白くなって、語気も荒く言い返す。

 返さなければならない恩が山ほどある。一生かかっても返せないぐらいの恩が。それだけじゃない。イリアは、わたしにとって大切な後輩で、友達だ。そんなことを許せるはずがない。


「安心なさい。そんなつもりはありません。オーランド家とは派閥も違いますからね」


「ああ、派閥といっても気にすることはない。お前はお前の友人を大切にしていいんだよ、アイーゼ」


 そう言って、父は口元をナプキンで拭き、わたしに笑いかけた。


「アイーゼよ。私たちはもう、お前に結婚を強いるつもりはない。だがお前は長女じゃないか」


「何を言われても、わたしの結論は変わらない」


「リリエスの家名を穢すつもりか?」


「……家名なんて、とっくに穢れている」


「違う!」


 突然、ダンッ、と父が机をたたく。テーブルに乗せられた食器が音を立てたが、かろうじてか、床に落ちたものはなかった。


「父が故国を捨てたのは、あろうことか、愚かな連中が王家に反逆したからだ! その上に国を滅ぼした! 我が家は賢明な選択をしたのだ!」


「…………」


 何度となく聞いたセリフ。

 この話題になれば、父は必ず激怒する。分かっていながら触れてしまった自分の失敗だった。


 周囲の注目を察してか、母が咳ばらいをすると、父は気まずそうな顔でテーブルを叩いた手を下ろす。


「ともかく。私としては、もうお前に結婚を強いるつもりはない。だが家には帰ってきてほしい。ミミもお前を待っている」


「ミミ……」


 ミミ・リリエス。

 わたしの妹。


 不意に告げられたその名が、口からこぼれ出た。

 絶対に守ると誓った、たった一人の妹。


「……ミミは、どうしてる?」


「元気に過ごしているとも。あの子も、お前の祝福を待っているはずだ」


「……?」


 何の話か分からずに首を傾げると、父は「ああ」と思い出したかのように呟いた。


「そういえば言ってなかったな。あの子の結婚が決まったのだよ」


「――は?」


「このホテルも食事も、その婚約者が持ってくれている。いやあ立派な青年だよ、彼は」


 ――何を言っているんだ、この人は。

 呆然と口を開くわたしに、母が、囁くように告げた。


「あなたの結婚が流れたでしょう? どうしたものか困っていたのだけれど……何事も臨機応変にいかなくてはね」


 つまりそれは。


(……わたしの、せいで?)


 ガツン、と、頭を殴られたような気がした。

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