◆23 ~ ドブネズミ(アイーゼ・リリエス)
私の名はアイーゼ・リリエス。
――リリエス男爵家は、ドブネズミと呼ばれている。
リリエス家は、戦乱の中で、真っ先に帝国に恭順して祖国を裏切った。
それゆえに私の家は、帝国から男爵の位を授かった。
だけどだからといって、私たちが帝国貴族たちから同じ貴族と認められることはなかった。
肌が黒いというだけで、帝国においては迫害の対象だ。
それが貴族ともなれば、そして故国を裏切った家ともなれば尚更に。
黒でも白でもない灰色。
餌を見ればすぐに食らいつき、貪る、品も知性もない家。
だから、ドブネズミ。
その言葉を聞いて、私は笑ってしまった。
ああ確かにその通りだと――私の家族たちはその通りの人間だと、私自身が思ってしまったから。
「我が家は貴族だ。肌が黒いだけのあの連中とは違う」
「私たちの家は故国と帝国を繋ぐ架け橋なの。私たちが認められることで、本当の意味でユーグは解放されるの」
そう言って、結局何の行動も起こさず、ただ見栄と贅沢に走るだけの父と母。
貴族であることに固執し、他の帝国貴族の靴を舐めることも辞さない。
その結果、膨れ上がる借金。
私と妹たちに与えられる食事は、残りカスのようなパンと何の味もしないスープだけ。
――そして。
「アイーゼ、喜べ! お前の結婚が決まったぞ!」
そう言って紹介されたのは、私より三十は上の男。
帝国貴族の中でも、変態と呼ばれているらしい。
平民や移民を何の躊躇もなく妾とし――そして彼女たち全員、壊されるまで嬲り者にされたという噂の。
帝国の抱える悪徳を詰め込んだような、吐き気を催す男だった。
手を叩いて喜ぶ父と母の姿に、私は理解した。
彼らにとって、私は道具でしかなかったのだ。
きっと、私の妹たちも。
それが、私が十歳の時。
私に抵抗する術など、存在しなかった。
――本当ならば。
「ギレウス・マリオンは知っている?」
私の言葉に、目の前の青年は首を振った。
「私たちと同じユグライアの民でありながら、戦技大会で準優勝し、貴族となった男。私たちにとっては生ける伝説」
彼の存在が、私に希望を与えてくれた。
ギレウス・マリオンは私の家と違い、皇帝に認められ、今では軍の一角を担う立派な貴族だ。
同じように戦技大会で活躍すれば、私もまた貴族になれるかもしれない。
「父と母も、私が戦技大会で活躍すれば結婚は考え直すと約束した」
いや、正確には約束させたのだ。そうしなければ父と母を殺し私も死ぬと言って。
貴族として独立し、リリエスの名を捨て、妹たちを引き取る。
それが私にとって唯一の希望。
「――だから私は、勝たなければいけない。どうしても」
でも、私の前には立ちはだかる壁があった。
イリア・オーランド。
私より年下でありながら、天才と呼ばれる少女。
何度も戦い、何度も敗北を味わった。
「彼女に勝って予選を突破しなければ、帝都で行われる本選に出場さえできない」
特に新学期になって彼女は信じられないほど強くなっていた。
日に日に突き放されていく感覚。
霧の中で、もがけばもがくほどに、重くなっていく。
分かっている。彼女は悪くない。
彼女もまた必死に、譲れないものを賭けて戦っている。
それでも勝たなければならないのだ。勝たなければ、私の希望は断たれてしまう。
「……イリアさんが」
「私にとって今年が最後のチャンス。だから……」
「分かった」
ユキト、と名乗った彼は静かにうなずいた。
信じられないほどに強い人。
ただの一撃も入れられず、ただの一瞬も勝てるイメージが湧かなかった。
これほどの強さが私にあればと、羨み、憎んでしまえるほどに。
「三日後、またここに来い」
彼はそう言って、背中を向けた。
その背中は、なぜか大きく見えた。




