#22 ~ 焔の少女
今日の授業は1コマで終わりである。
手持無沙汰になった俺は、ぶらぶらと学院を散歩していた。
いや一応教官として、学院の中に何があるかぐらいは確認しておこうと思って。
案内しましょうかとダニエル先生が言ってくれたのだが、忙しそうなので――彼は剣術のほかにもいろんな科目を教えているのだ――断った。が、早くも後悔しつつある。
(広すぎる‥…)
本校舎だけじゃなくて、外に講堂やカフェ、寮まであったりする。構内地図を見つけるまで、ほんとに迷子になった気分だった。
ともかく、どうにか地図を見つけた俺が向かった先は、訓練場だった。
今でも毎日訓練は欠かしていない。が、実は訓練場所にはいろいろと悩みがある。
伯爵邸を貸してもらったり、郊外を使ったりするが、どれも遠すぎるんだよなぁ。街中で剣を振りまわすわけにもいかないし。
もしいい場所だったら使えないか学長に相談してみよう。
「……ん?」
扉を開けようとしたら、何やら音が聞こえてきた。
ああそりゃ学院の施設だもの、生徒が使ってるか。
俺も端っこでいいから使わせてくれないかなーとそっと覗き込む。
(ほう)
そこでは、一人の少女が舞っていた。
小麦色の肌をした、スレンダーな美少女だ。火花を纏い、手に持った槍で次々と技を繰り出す。
長い銀色の髪がふわりと舞い、烈火が宙を舞う。
魔法だ。炎の魔法を使いながら槍を振っているのだ。
その表情は真剣で、鬼気迫っているという表現が正しいだろうか。
(悪くない、でも)
俺が訓練室の扉を閉めて中に入ると、ふと、少女の槍が止まった。
「……誰?」
ずいぶんとささくれだった、棘のある声だった。
俺は両腕を挙げて、広い体育館のような訓練室を少女の元へと近づいていく。
「今日から剣術の講師を務めているユキトだ。ごめん、邪魔するつもりはなかったんだけど」
「そう。でも邪魔。出て行って」
彼女はピクリとも表情を動かさずに告げる。
オウ……。
炎の魔法や、槍の豪快さとは裏腹に、なんというか感情の起伏が薄い子だ。淡々と言葉を紡ぐ。
「総合の部に出場する選手が使っているときは、他の人は遠慮するのがマナー」
「総合の部?」
「……夏に開催される戦技大会。総合の部に出場するのは二名だけ。私はその一人」
代表選手ってことか。なるほど。
「でも、その訓練じゃ強くはなれない」
「……どういう意味?」
少女の目に剣呑さが宿った。
「剣の教官と聞いたけど。槍も?」
「いやさっぱり」
「……からかってる?」
まさか、である。
就任して一日目でしかないけれど、きっちり勤め上げよう、なるべく生徒を強くしようという気持ちに一切曇りはないつもりだ。
「槍のことは分からないけど、今の訓練じゃ駄目だということは分かるよ」
その言葉にきっと俺を睨みつけた彼女は、静かに息を吐き、そして「ん」と俺へと槍を向けた。
「そんなに言うのなら、私と戦って。大言壮語を口に出すだけの実力があるか、証明して」
「そりゃ、別に構わないけど」
言葉では分からないことがある。特に武の世界では。
だからじいさんも、何も言わずに俺に背中を見せ続けた。……いやあれは単に超ド級の口下手なだけか。
「いつでもどうぞ」
広い訓練場の中央まで進み出て、俺は彼女を促す――この床、さっきの炎でも燃えてなかったけど何の素材だろうなどと思いながら。
「抜かないの?」
「必要ないからね」
トントンと靴のつま先で地面を叩きつつそう言うと、「そう」と彼女が言った。槍の穂先が、静かに炎を纏う。
静かな彼女の、奥底に宿る激情を顕すかのように。
「その余裕、後悔させる――!」
彼女が、激発したように地面を蹴った。
炎の残滓を引き連れて、風のようにその影が疾る。わずか一瞬で彼我の距離を食いつぶし、炎を纏った槍を真っすぐに突き放った。
「ほいっと」
が、さらりと横に避け、さらに一歩踏み込んで、俺は彼女の槍の柄を掴む。
穂先は炎を纏っているが、術者本人が手に掴んでいる柄のほうはそうでもない。自分自身が火傷しかねないので当然だ。
そして、そのままぶん投げた。
「――っ!?」
「まず焦りすぎだ。相手を観察できていない。彼我の力量差を見極められないのに、すぐに突っ込む」
咄嗟に受け身を取って転倒を防いだのはいいことだ。
だがもちろん、自分の得物を相手に掴まれた時点で圧倒的不利。今のは見逃したに過ぎないことは、彼女も分かるだろう。
「――槍!」
彼女の頭上に渦巻いた炎は、四つの炎の槍を形成した。
おお、魔法だ。イリアさんが使っているのを見たこともあるが、やはり魔法は俺にとって未知に近い。
習ってみたいと思っているのだが、伯爵いわく、下手な人間に教わるのはよくないらしく、きちんとした術師の元で習ったほうがいいのだそうだ。
四本の炎の槍は、真っすぐ俺へと突っ込んできた。カッコイイ。
まあ当たらないが。
すいすいと避けて、彼女が気がついた時にはもう、俺は彼女の眼前にいた。
「判断が遅い」
俺の蹴りが彼女の腹へと突き刺さる。
ごはっ、と悶絶した声が聞こえ、たたらを踏んだ。
「牽制に威力を求めるな。それじゃぶっ放してるだけで何の戦術にもなっていない」
例えばもっと小さい威力で数を量産するとか、周囲を燃やして動きを制限するとか、やれることは山ほどある。
「視野が狭い。頭が回ってない。戦術もない。それじゃ子供が武器を持って振り回してるのと何も変わらない」
「っ――あああああぁぁ!」
突き、突き、突き。
今度はがむしゃらに、俺に向かって突きを放ってくる。
確かに速い。速いけど、それだけだ。子供の癇癪と変わらない。
業を煮やした横薙ぎの一閃を、鞘に収まったままの刀で受け、そのまま刃を滑らせるように跳ね上げた。
カンッ、と勢いよく跳ね上がった槍。
そのまま静かに振り下ろされた一閃が、彼女の小手を打った。
「っ……」
小手を殴打された彼女の手が、槍をとりこぼす。
カラン、ともの悲しささえ感じる音を立てて、槍が床に転がった。
その時にはもう、俺の刀は彼女の首筋に添えられている。
鞘にしまったままだから、刀を引いても殺せはしない。だがこれが彼女の敗北であることは、誰より彼女自身が分かるだろう。
「腕は悪くないと思う。だけど焦りすぎで余裕がないし、力が入りすぎて鋭さがまったくない。だから相手の行動に対応できない。焦ったら負けって言うのは、どんな武器でも同じだよ」
我武者羅にただ武器を振るうことを修練とは言わない。
先の生徒たちもそうだが、戦いには常に意味が求められる。意味のない一歩は死への一歩だ。
……圧倒的な力量差があるなら、話は別だが。
「俺から言えるのは、これぐらいかな」
腰のベルトに刀を戻しながら、一歩下がる。
――だが、目の前の少女は顔を伏せたまま、微動だにしない。
(強く叩きすぎたか?)
いや実戦に身を置いて修行してるんだからそんなわけが、と彼女の顔を覗き見ると、ぽたぽたと、大粒の涙が頬を伝っていた。
「うぇ!?」
「――私だって」
大丈夫かと手を伸ばそうとしたら、ぽつり、と少女が言葉をこぼす。
「私が弱いのは、自分だって分かってる……」
「い、いやそんな卑下することは」
「だったら、どうしたらいい!」
それまで静かだった少女の叫び声が、修練場の空気を裂いた。
「どんなに槍を振ったって、勝てるイメージなんてまるで湧かない! それでも、それでもここで諦めたら、私は――っ!」
悲痛な叫びに、俺は思わず声を失った。
……ああ、これは。
この空気は知っている。この臭いは。
「――なんで? どうして、私はこんなに……弱いの」
これは、絶望の臭いだ。




