◆24 ~ 学徒戦、本戦②
控室。眼前に差し出された携帯食料に、ベイリーは顔を上げた。
「食っておけ。俺たちの試合は昼からだ」
「ああ……ありがとう。ゴドル」
朝早くから行われる学徒戦は、午前中に剣、槍、体術の三部門、午後に集団戦と総合戦が行われる。決勝までノンストップだ。
今頃、シグルドたちは決勝を戦っている頃だろう。
彼らは、とてつもなく強くなった。その勝利を、ベイリーは確信している。何とも頼もしく、誇らしい後輩たちだ。
だが翻って――自分はどうだろうか。
「不安か」
隣に腰を下ろしたゴドルの言葉に、思わず苦笑を返す。いつだって直截なのだ、この同級生は。
「ロイは、強いよ。王者なんて呼ばれてるのは伊達じゃない」
去年。俺は思い知った。自分と幼馴染との距離を。
もう無邪気に、いつか本戦で戦おうなんて笑いあえた関係ではない。
それこそ散々に思い知ってきた。自分は天才などではないと。
「才という意味では、俺の方が劣っている」
「いや、ゴドル、お前は――」
その言葉に顔を上げる。
ゴドル・ヴォルド。長い付き合いになるこの男は、恵まれた体躯、そしてセンス、そのすべてを兼ね備えている。
だがそれでもなお、彼は四回生の第三席――つまり第二席であるベイリーの下に留まり続けている男だ。この男は、やる気になればもっとやれる、それをベイリーは誰よりも知っている。
だが彼は、その顔を横に振った。
「肉体の話じゃない。心の話だ。正直言って……先生の訓練を受けて、改めて思い知った」
ゴドルは、己の拳を見下ろした。
「武器とは、人を殺すためのもの。俺が磨いているのは、人を殺す技だ。……それを簡単に受け止められるほど、俺は強くないらしい」
「ゴドル……」
優しすぎるのだ、この男は。
貴族ではなく庶民出身。もともと士官学院に入学した目的も、奨学金が理由――十人もの弟と妹を食わせるためだ。
「ベイリー。俺は、卒業したら警察に行く。お前と共に戦えるのは、これが最期だ」
「ゴドル……」
「俺もお前も、一人ずつは弱く、脆い、ただの人間だ。一人ずつでは、ロイ・ベルムスの完成された強さに敵うはずもない」
だが、と、ゴドルは告げ、控室に視線を向けた。
思い思いにリフレッシュしている仲間たちに。
「ならば俺たちは、四人で一つの強さを完成させればいい。そしてその絵が描けるのは、他の誰でもないお前だけのはずだ、ベイ」
ゴドルの言葉に、ベイリーはただ目を瞬かせ。
瞬間、沸き立つような歓声がモニターから響いた。
控室に備え付けられたモニターに目線を向ける。そこに映っていたのは、リングに立つ一人の男。シグルド・ユグノールが本戦優勝を決めた瞬間だった。
(そうか……そうだな)
ふ、と、口の端に笑みを浮かべる。
――俺は、天才なんかじゃない。だけど……。
ベイリーは手渡された携帯食料のビニールを破りとって大口で齧り、水で呑み干した。
口の端を親指で拭い、そして立ち上がる。
じきに槍術、そして体術の決勝も決まるだろう。
「――行くか」
「おう」「ええ」「はいっ」
ベイリー・グレンデマン。
ゴドル・ヴォルド。
ミリー・アレンセン。
アルネラ・ディルモント。
四人は、それぞれに武器を構えて歩き出す。
彼らの戦場へと。
◆ ◇ ◆
時は、少し遡る。
「リムロ! リムロ・ヴァンヘウス! どこだ!?」
帝都大学練兵科の学生寮に、男の声が木霊する。
寮の中はほぼ無人だ。それも当然で、戦技大会学徒戦、本戦がもう始まっている。出場しない生徒も含めて、全員が出払っている、そのはずだった。
だがその一室。
名を呼ばれた男は、のそりと身体を持ち上げる。
それは獅子のような男だった。
齢は十八。だが到底、誰も信じはしないだろう。彼もかもしだす野性味と獰猛さは、少年少女の中にはあまりに不釣り合い。
「リムロ――! やっぱりここにいたか!」
扉を開け放った学生服の男性は、肩をいからせながら部屋に踏み入った。
だが――
「きゃっ」
ベッドの中に全裸で横たわっていた女性が、咄嗟に身体をシーツで隠す。その光景に、彼はさっと顔を赤らめた。
女性のみでなくリムロも全裸であり、よく見れば、部屋の中には脱いだ服や下着が散乱している。昨夜、ここでどんな情事が行われていたかなど一目瞭然のことだった。
だが当のリムロは、さして気にした風もなく、全裸のままベッドから降りてカーテンを開け放った。
「リ、リムロ……おい、もう試合始まってるぞ! スタン先輩が負けて……なのにお前は何を――!」
「スタンの野郎が負けたぁ?」
全裸で陽光を浴びながら、カカ、と男は嗤った。
「いい気味だぜ。あの野郎、先輩だからってギャアギャアうるせぇからな。俺に手も足も出ずに負けた分際のくせによぉ」
「…………。総合の試合は、じきに始まるぞ。さっさと来い」
「わぁってるよぉ」
コキコキと首を鳴らし、ベッドの中の女性にキスを落とし、服を掴みとった。
「なあオイ。イリア・オーランドが出ねぇってのはマジかよ」
「……ああ」
「かッ! あの女、ボコボコにしてひん剥いてやりたかったのによぉ」
その言葉に、男子生徒は咄嗟に顔をしかめた。
――リムロ・ヴァンヘウス。
スタン・ログウェルドを問題児とするならば……この男は、まさしく『失格』と言える男だ。一人の生徒としても、人間としてもだ。
実際に、昨年度は予選選抜で優勝を果たしながら、本戦には出場できなかった。帝大の側から登録を抹消されたからだ。
品性も理性もない、ただの獣。いくら帝国が、力こそを是とする国柄といっても、彼はあまりに異端に過ぎる。
だがそれでもなお、強い。
三年でありながら、あのロイ・ベルムスよりも、はるかに。
「まぁいい。代わりの奴も女なんだろ? なら決まりだなァ」
「決まり?」
「圧倒的な力の差ってやつを思い知らせてやる。そしたら、その女も俺のモンだろ?」
「……わけがわからん」
◆ ◇ ◆
「…………」
戦技大会、総合の部、控室。
槍を抱くようにして、ベンチに座る少女がいた。
アイーゼ・リリエス。
ただ目を閉じ、彼女はじっと待つ。
夢にまで見た舞台を前にして。
かつて彼女が、この場所を志した理由。それはもう形を変えている。
彼女を苦しめ続けた問題はすでにない。優勝しなければならない、その理由は消失した。
――だとして。
それが優勝しない理由には、ならない。
かつて、アイーゼは思い知ったのだ。
力なき弱者には、何一つ救えないということを。
ならば力が欲しい。守りたいものを守れる強さを。もう二度と、何人たりとも己の想いを踏みにじらせない、そんな強さを。
(私は、勝つ)
彼女の内側に渦巻く焔。今にも己自身を焼き尽くしそうなほどの灼炎を、静謐な表情の裏に隠して。
その炎が。
解き放たれる時は、もう近い。