◆16 ~ 乙女たちの色々
地球でいう東洋と欧米がそうであるように、帝国にはもともと入浴という文化は存在しなかった。
しかし、紫銀航路が開かれ東洋文化が流入していく中、入浴という文化が帝国にもたらされ、そして爆発的に広まっていったのだ。
もとより、帝国には入浴ならぬ沐浴の文化――川や池などで身を清めるものだ――があったこともあって、浸透しやすかったという事情もあるだろう。
今ではどの街にも公衆浴場があるし、バスルームに浴槽が設置されている家も珍しくない。
そして最新の高級ホテル『アバンシエル』にも当然、浴場はある。
「……へえ。そんなことが」
湯気が立ち込める大浴場。
湯舟に身体を沈めながらそう呟いたのは、アイーゼ・リリエスだ。
珍しい褐色の肌を持つ彼女は、風呂場ではひどく目立つ。
しかし肌の色が違うからと、彼女の魅力は一厘も損なわれてはいなかった。腰も脚も完璧に引き締まったモデル体型で、大人の色香さえ漂わせているように思える。
それを視界の端に捉えながら、シェリーは、自分の身体を見下ろした。
女性として自信がないわけではない。実際に、胸とかは自分のほうがある。それでも時折、親友に女として敗北感を覚えるのは事実だ。
「棄権しろだなんて、一体どうして言ったのかしら」
「相手が誰であれ、関係ない。勝つのは、わたし」
アイーゼが浮かべる獰猛な笑みに、その横、風呂場の縁に腰かけた青髪の少女が、呆れたようにため息を吐いた。
「他校と揉めたなんて聞いたとき、こっちとしては冷や汗ものよ。出場停止になんてなったら、他の子になんて説明すればいいわけ?」
呆れたようにそう言ったのは、ミリー・アレンセンだ。
女性らしさという意味では、彼女ほど群を抜いた生徒もいないだろう。タオルで隠しもしない豊満な肉体、それが醸し出す色気は、十代のそれにはとても思えない。もっとも、さほど羨ましいとも思えないのは、その裏にある涙ぐましい努力を知っているからだろうか。
だが彼女自身、それを表に見せることはない。さっと優雅に髪をかき上げ――そして頭からお湯をかぶった。
「わぶっ!? ――ってフェイ! お風呂で泳ぐんじゃないわよ!!」
「あっごめーん」
まったく、とミリーはため息を吐き「ちゃんと監督しなさいよね……」と素知らぬ顔で風呂に浸かっているトーリ・スズミヤを軽く睨みつけた。
(そういえば、あの三人って結構一緒にいることが多いのよね。意外に仲は悪くないのかな?)
三人のやり取りをぼうっと見ながら、シェリーがそんなことを思っていると、ミリーの目線がシェリーに向いて、「あ」と声を上げた。
引き戸の開く音。振り向くと、金髪の少女が浴場に入ってくるところだった。イリアだ。
浴場にいた女子生徒たちの視線が一斉に彼女を向いて、そして固まった。
それも仕方のないことだと言える。
バスタオル一枚で入ってきたイリアは――あまりにも完成された美だった。
綺麗なものに対して感動することに、男も女もない。
それはまさしく至言である。息を呑む美しさとはまさにこのことだろう。
シャワーに向かおうとしていたイリアは、自分に注がれた視線に気づき、ふと首を傾げた。
「? どうしました?」
「いやぁ……なんでも……」
「わー、イリアちゃんキレー!」
同性に見惚れたなど口が裂けても言えないミリーに代わって、フェイがざぱぁっと風呂から上がり、目を輝かせた。
「肌白っ! 腰ほっそ! 何食べたらこうなるの?」
「フェ、フェイ。触るのはちょっと」
「えーそう? 減るもんじゃないしさぁ。そうだ! いっそ身体洗ってあげるよ!」
「は、はぁ!?」
「ふっふっふ……隅から隅まで、その美貌の秘訣を教え――はぐぅ!?」
両手をワナワナさせて近づこうとしたフェイが、頭上から落とされたげんこつに沈み、カエルが潰れるような声を漏らした。
げんこつを落とし、首根っこを捕まえたのは、黒髪の少女――トーリだ。
「失礼したわ。コレは回収していくから。ごゆっくり」
「え、ええ……」
じゃっ、と軽く手をあげ、フェイ片手に風呂に戻っていくトーリに、イリアはぱちくりと目を瞬かせた。
「ふぅ……」
シャワーを浴び、湯船につかったイリアは、小さく息をこぼす。
それが妙になまめかしく思えて、隣で入浴するシェリーはごくりと唾を呑んだ。
同姓なのに緊張するなんて一体……と自分の性癖に僅かな疑問を持ち始めた頃、ミリーが、イリアのほうへと身を乗り出した。
「ねえねえ。イリア、先生とはどうなのよ?」
「どうって、何が?」
「だ・か・ら。先生にパーティをエスコートしてもらったんでしょ? それって婚約とまではいかないけど、恋人宣言みたいなものじゃない」
「えっ、そうなの!?」
風呂から立ち上がり驚きの声を上げたのは、イリアではなくフェイだった。
ミリーの言葉は、あながち間違いではない。
帝国においてパーティのエスコート相手に指名されるのは、恋人か、あるいはそれに近しい相手に限られる。そういう相手が居ない場合、親兄妹などが相手となるものだ。まあ中には、見栄を張って相手を連れてくる例もなくはないが――。
だがイリアは苦笑して「違うわ」と首を振った。
「あれはただ色々と事情が噛み合っただけ。あの人は、半分は護衛役というか……もう半分もお披露目のようなものだし」
「そうじゃなくて。イリアの気持ちはどうなのかなって」
ミリーの問いに、イリアは固まった。
だが固まったのはイリアだけではなかった。その隣で風呂に浸かっていたシェリーも同じくだ。
シェリーはこっそりとアイーゼへと目線を向ける。
夏休み、アイーゼの実家に関わったあの大事件。
その解決の裏にユキトの尽力があったことは、誰しもが認めることだ。
しかも力づくでなく、アイーゼの心に寄り添い、何よりも彼女が納得する終わり方を優先してくれた。シェリー自身それに感謝しているし、アイーゼはもっとそうだろう。
あんなにも劇的に救われたのだ。異性として好きになっていたとしても、何らおかしくはない。
だが大事な後輩と親友が恋で争うのは、正直見たくない。そう思ったからこそ……だが。
「ぼ~~……」
アイーゼはただいつもの様子で、ぼーっとした表情で幸せそうにお風呂につかっていた。むしろ口に出していた。
うん、やっぱりこの娘に恋愛は早いのかもしれない。
「私にとって先生は……」
しばらく考え込んでいたイリアは、ゆっくりと口を開く。
「恩人で、恩師で、どこか放っておけない人、かしら」
「えっ?」
その答えに、風呂場にいた女子たちは「へぇ~」と興味深そうに頷いた。シェリーを除いて。
その様子は、誤魔化しているとか、嘘をついているとか、そういう風には全く見えなかった。
「え、えっと、イリアちゃん。ユキト先生のことって、見ててどう思う? 放っておけないって、どんな感じ?」
彼女は一瞬首を傾げ、その感覚を思い出すように、胸に手を当てた。
「先生を見ていると……そうですね。時々、妙に鼓動が早くなるんです。特に、笑った時とか」
「へ、へえ」
「あと、剣以外はからきしで、家事も何も出来ないので、その点は誰かが面倒を見ないといけないなと思います。料理もダメですから、栄養バランスなどを考えてきちんと食事を――」
ざぷん、と、シェリーは頭からお湯の中に沈んだ。
(それはもう恋……! どこからどう見ても恋、いやむしろ愛だよ……!)
恋愛を飛び越えて、いっそ通い妻だ。
ミリーなどは、イリアを信じられないという顔で唖然と見ていた。
「……でも、悪いところばかりではないですよ、もちろん。見ているこちらが心配になるほど、剣には真っすぐで、真摯で……そんな人が、私の剣を綺麗だと言ってくれて……」
やや頬を赤らめ、躊躇いながら語る彼女の表情は、どこからどう見ても、恋する乙女でしかない。
聞いているこちらが赤くなってしまうほどに。
(これは……色々大変かも)
シェリーの目線が、ミリーと合う。すると、彼女の口元がにやりと弧を描いた。まるで「面白そうな玩具を見つけた」とでも言うように。
「……やめなさい、ミリー」
「えー、でも面白そうじゃないですか」
「そういう風にからかわない。こじれるから」
首を傾げるイリアを横目に、シェリーはため息を吐く。
完璧ともいわれる後輩の意外な一面。時折、彼女がユキトにだけ見せる表情も、すべて無自覚なのだと知って。
「そんなの、応援するしかないじゃない」
「? 何がですか?」
色々、と、シェリーは笑った。