#11 ~ 黒狼
「こ――こんなのは、認めない! ありえない!」
半ばで叩き折られた剣を手に、ブラムフェルトは声を荒げた。
背後に立つユキトを睨み、そして立ち上がる。
「ズルだ。そうだ、何か武器に仕掛けをしたんだろう……! この卑怯者め……!」
(それはアンタだろ)
それを口に出さなかったのは、正直、あまりに哀れだったからだ。
顔は真っ青で、全身がぶるぶる震えている。
それはそうだろう。あの剣、相当な代物だった。それを折ってしまったのだ。まあ折ったのは俺だが。
(ていうか、弁償とか言われないよな?)
今更だが、慌てて伯爵に視線を送ると、「問題ない」と彼は笑って肩を竦めた。
良かった。さすがにあのレベルの剣の弁償は無理だ。
「ほう、つまりそれは……私の裁定に問題があるということだろうか」
俺に詰め寄ろうとした男の背に、重苦しい声が響く。
「へ、辺境伯閣下……いえ、そのようなことは……」
「ふむ。であればどのような意味だろう?」
ぱくぱくと金魚のように口を震わせ、青い顔を今度は白くしていく。辺境伯と、折れた剣の間で視線をさ迷わせながら――しかしどんな言い訳も、彼の口から出ることはなかった。
状況が詰んでいることに気づいてしまったのだろう。
自分から吹っ掛けた手合わせで、相手の武器に細工をし、自分は家宝の剣――真剣を使った。しょせんは平民相手だ、勝てば揉み消せるとでも思ったのだろう。
だがそれで完膚なきまでに敗北し、剣を折られてしまった。
……もはや恥以外の何者でもない。
「いやぁ、実に良い勝負だった! パーティの余興とはとても思えない。この」
(このタヌキ、狙ってたのか……?)
呆れたものだとため息が出る。
最初から俺が勝つと読んでいた。だから認めたのだろう、あの武器を。
もし俺が負けていて、大怪我を負ったとしたら、自分の裁定に不備があったことを衆目に晒すことになる。だが勝った場合、あの男の、ひいてはその親までも弱味を握れるわけか。
「さあ、ユキト殿の素晴らしい武技に拍手を! 今年の大会、実に楽しみですなぁ」
笑う辺境伯と、鳴り響く拍手に囲まれながら、俺は頭を下げた。
思惑がどうであれ、丸く収まるに越したことはない。
弁償とか言われても困るしな。
「せんせ――ユキトさん!」
辺境伯に促され、会場へ戻っていく貴族たちの中、真っ先にイリアさんが駆け寄ってきた。
一方で、会場へ戻っていく伯爵は、パチリと俺にウィンクした。どういう意味なのかは分からないが、相変わらず気障な仕草が似合う人だ。
「ごめんなさい。こんなことに巻き込んで……」
「別にいいさ」
「でも……その、苛立っているように見えたので……」
「う……」
確かに。資格がない、なんて言っちゃったしな。
参ったな、と頬を掻きつつも、握ったままの剣を見下ろした。
剣はひび割れ、薄く張られた鉄が剥がれ落ちている。中身はやはり木のようだ。
「これは……」
「頑張ったよ、コイツは」
この剣は、あの名剣に勝ったのだ。刹那の命を燃やして。
はい、とイリアさんも頷き、優し気な目で剣を見下ろした。
良かったねと、そう言っているようだった。
「そうだ。この剣、持って帰りたいんだけど、布とかあるかな?」
「あ、はい。それじゃあメイドの方にお願いして――」
「それには及ばんさ」
不意に。誰かの声がした。
会場のほうから歩いてくる若い男が一人。
夜の闇の中、会場から漏れる光に照らされたその男の肌は、褐色。
「その剣、持って帰るんだろう? これを使えばいい」
「あ、ああ」
差し出された白い布を受け取り、剣に巻き付ける。
イリアさんはそれを受け取って「控室に預けてきますね」と一礼し、その場を去っていった。
「さっきの決闘、見させてもらった。大した腕だ、正直感動した」
「ああ。それはどうも……」
「なんだ、褒められ慣れてないのか? あれだけの強さがあって」
クク、と片手をポケットに突っ込んだまま、彼はおかしそうに笑う。
そこで改めて、彼を見た。
宵闇に溶けるようなその姿の中で、朱い瞳の色だけが爛々と輝いて見える。
その引き締まった体躯といい、まるで猟犬のような男だ。
「おっと、悪い。自己紹介がまだだった。俺は、ギレウス・マリオンという。よろしく」