#09 ~ 挑発
「……もうすぐですから。ユキトさん」
「あ、ああ」
舞台袖から見るパーティ会場の広さと煌びやかさに圧倒されながら、腕を軽く引かれ、俺は思わず背筋を正した。
馬車で閑静な高級住宅街に位置する城館に運ばれ、控室に通された後、イリアさんや伯爵夫妻と共に舞台袖に通された。
何でも、貴族は順番に呼ばれて、スポットライトを浴びながら入場していくらしい。
その演出いるか? と思ったが、伯爵たちは当たり前みたいな顔をしていた。
俺は、イリアさんのパートナー役としての参加となる。つまり今日の俺は彼女の先生ではなく、だからこその名前呼びだ。
最初は名前で呼ぶたびに赤くなっていたイリアさんだが、入場を目前に、いつもの凛とした表情を取り戻していた。
「……お時間です。どうぞ」
横で時計を見ながらタイミングを図っていた、グレイグさんの案内により、ごくりと唾を呑み込み、そして一歩踏み出す。
瞬間。煌びやかな光が、俺たちを照らした。
『――オーランド伯爵様と、その奥様。およびイリア・オーランド様と、そのパートナー、ユキト様のご来場です』
優雅な音楽と拍手の音が降り注ぐ中、会場を進んでいく。
一瞬、前を歩く伯爵の奥様……アリアさんが、ぱちりと俺にウィンクした。
――娘をよろしく。
言葉もなく。なぜかそう言われたことを理解した。
「ふう……」
「お疲れ様です」
小さく息を吐く俺に、シャンパングラス――どうやら中身はノンアルコール――を差し出すイリアさんに、「ああ」と答えつつそれを受け取った。
開幕から今まで、少なくない貴族の挨拶を受けて、こちらは疲労困憊だ。
当然だが、社交界の心得なんて俺にあるはずもない。
一応、グレイグさんにある程度教えてもらいはしたが……。
もっとも伯爵いわく、「普通にしていれば問題にはならないよ」とのことらしい。根回しは済んでいるとか何とか。唯一注文をつけられたのは、武人らしくということだった。
武人らしくって何だ? よくわからん。
結局、イリアさんがあれこれとサポートしてくれて、何とかこなすことは出来た。……と思う。多分。
俺なんかもう表情筋が攣りそうなのに、伯爵は少し離れた場所で、未だに笑みを崩さずに対応していて、辛そうな顔ひとつ見せない。住む世界が違うとはこういうことなのかもしれない。
「大丈夫ですよ、ユキトさん。ここにいる人は、戦技大会での活躍を知っている人ばかりですから」
「――左様ですなぁ」
不意に背後からかけられた声に、俺とイリアさんは振り向く。
そこには、顎髭を蓄え、軍服を着こんだ恰幅の良い男性が一人。
「噂には聞いておりますよ。予選の大会では大層な活躍だったと。ぜひ見てみたかったものです」
「これは、レイクロード伯」
イリアさんに倣い頭を下げる。
横で、こっそりとイリアさんが囁いた。
レイクロード辺境伯。南部において鎮護の任を預かり、未だに辺境伯領を領有している。事前に聞いていた大物の一人。
「どうですかな。よろしければ今度ぜひ、うちの領地に来られませんか。歓迎しますぞ?」
「ありがとうございます。機会がありましたら、ぜひ」
「ええ、ええ。我が領地は風光明媚が売りでしてね。夕焼けに見えるレラ湖は実に美しい。それこそ――新婚旅行になど、実に人気でしてな」
「は……?」
思わずグラスを取り落とすところだった。
何を言い出すんだこのオッサン。
「いや実に羨ましい。オーランド伯のご息女といえば、帝国一の美姫と評判でございますからな」
「いや、それは――」
誤解だ、と言おうとして。
ガシャン、と何かが割れる音が会場に木霊した。
見れば、何やら金髪の男が凄まじい目で俺を睨んでいた。
だが目の前の辺境伯はまるで気づいていないのか――いや、そんなことはまずありえないが――全く笑顔を崩さず俺の手を握る。
「ぜひとも、その際にはお声がけください。お待ちしておりますよ」
心底楽しそうに笑い、一礼して去っていく。
圧倒的スルー力。握手してから去るまで、表情をぴくりとも揺らさなかった。
それに感心していると、先ほど凄まじい目で俺を睨んでいた男が、俺の元へとツカツカと歩み寄ってくる。
かと思いきや――俺の横に立っていたイリアさんに、恭しく頭を下げた。
「お久しぶりでございます、イリア殿。先日の舞踏会では、大変お世話になりました」
「……いえ。こちらこそ」
硬い表情で頭を下げるイリアさんに直感する。
なるほど、こいつか。婚約まで申し込んできた男というのは。
いかにも貴公子という感じで、実にモテそうなイケメンだ。だがその表情は、どこか貼り付けたもののように思えた。
ていうか先日って。もう三年前だろ。
「実は後日、当家でホームパーティを予定しておりましてね。よろしければご参加されませんか?」
「は? いえ、私は――」
「まあまあ。実はあちらで若い者ばかりが集まって話をしておりまして。よろしければご一緒に」
一方的にまくしたてる男が伸ばした手に。
一歩、踏み出して、二人の間に割り入った。
「……何かな?」
「それはこちらのセリフですが」
コイツ、断りもなくイリアさんに触れようとした。
嫌がってることぐらい見れば分かるだろうに。
「はっ……護衛ごときが、何を言っている。貴族でも軍人ですらない庶民が」
俺の肩を見て、男は鼻で笑う。
見れば、彼の軍服には何かの徽章が飾られている。あれはもしかしたら貴族の証なのかもしれない。
「ブラムフェルト卿」
凍てついた声が、俺の後ろから聞こえた。
「この方は、私が望み、そして父に認められた私のパートナーです。それ以上の侮辱はおやめください」
「なっ――」
すっとイリアさんが俺の後ろから左腕を取り、そして自分の腕を絡めた。
もちろん、その動作に慌てたりはしない。
このパーティ会場での俺の役目。それは、彼女の防波堤になることだからだ。
イリアさんの仕草を見た男は――ワナワナと全身を震えさせながら、俺を睨みつける。
「こんな……こんな庶民を、伯爵が……?」
「何か問題が? 彼は今年の戦技大会、本戦出場者ですよ」
「庶民には変わりないでしょう!」
イリアさんの目は、だから何だと言わんばかりだ。
これは、夏の結婚騒動の時に聞いた話だが――貴族と庶民が結婚する例は、近年では増えているという。
それはひとえに、特権階級と平民層における貧富の差が埋められつつあるからだ。
政略結婚も多いが、そうでない貴族もいる。貴族にも自由恋愛を認め、尊重する風潮は徐々に広まりつつあった。
――まあ、俺とイリアさんは断じてそんな関係ではないが。
「戦技大会……ねぇ」
しばらく震えていた男だが、唐突に、その唇を歪ませた。
「それは素晴らしい。ああ、とても素晴らしい。であれば――どうだろう。一手、私にご教授願えないかな?」
「は……?」
この男は何を言い出すのだと、思わず首を傾げる。
イリアさんもまた、呆然と口を開けた。
「ぜひとも! この場で! その華麗な剣技を見せて欲しいと言ったのだよ。それとも、野蛮なサルには帝国語も通じないのかな?」
大仰な仕草で手を広げ、会場中に広がる声でそう告げた男は、口元に嘲笑を浮かべ、俺を見下ろした。
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