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7 祈る相手は神、そして聖女は神の嫁、つまり夫に愚痴りました

 私は夜の暗闇の中で神官服を脱ぎ捨てた。こんなものを着ている人たちと同じは嫌だからだ。


 たとえ聖女が生贄という意味だとしても、私の体に走った刺青は紛う事なき聖女の証。ならば、聖女の服を纏って祈るのが正しいだろう。


 それに、こちらの方がまだ温かい。祈りの塔の天辺は寒い風が遠慮なく吹き込んでくる。壁も屋根も無いのだから当たり前だ。


 私はこの鳥籠のような牢獄の真ん中に膝をつき、祈りの姿勢をとった。神官服は風に流されてどこかへ飛んでいった。あんなもの、無くなっていい。


 目を瞑り、今までの人生を思い返す。全部、全部。


「神様、私はあなたの名を呼ぶ事を許されていません。なのでこのような、無作法な祈りでお許しください」


 私の祈りの声は、怒りに満ちていた。


 生まれてこの方よかったことなど無い。両親からは虐待され……唯一の味方だと思った妹も、いずれ嫁ぐはずだった王子も、私を裏切って笑っていた。


 私にちゃんとした淑女教育を施さず、変に知識だけつけさせ、家庭教師には好きに鞭で叩かせた。自らも何かにつけて難癖をつけては、私の背に、腕に、脚に鞭を打った。


 心配していたフリをしていた妹はどんな気持ちでいたのだろう。惨めな姉の姿を見て、自分だけは鞭で打たなかったからと罪悪感もなく、私のことを騙していた。


 優しく笑いかけて一緒にお茶をした殿下は? あの人は本や知識、治世や経済なんかの私が叩き込まれた話なんて退屈で、ひっそりと妹とまぐわう方が好きだった? 寒気がする程気持ち悪い。


 神殿に住まう人々の心の汚さはどうだ? 聖女となったからと、清貧な暮らしを私は文句一つ言わず受け入れたというのに、逆に虐めてくる始末。


 食事は罪人に与えられるものより酷かったことだろう。あの人たちは人を虐め慣れていない。加減がわからない。私が逃げ出そうとしなければ、私はいずれ餓死していただろう。


 貧しく病める人々には優しくし、聖女ならば虐める? なんのために? 理由が分からない。私は、聖女であるというだけで恨まれなければいけないのか?


「本当に本当に最悪です。逃げることも許されない。神様まで私をいじめるつもりですか? だから、こんな全身に目立つ刺青を贈られたのですか?」


 私は泣きながら、神様にすら文句を言っていた。


 涸れたはずの涙が、どんどんと溢れてくる。私の体は水気と塩、少しの穀物で出来ているのに、こんなに泣いてしまっては本当に死ぬんじゃないだろうか。


 だけど、どの道死ぬんだ。ここにいる限り、そしてここから出る力の無い私は、日々の天候にさらされ、生き汚く雨水を啜り、生に縋ってからゆるやかに飢えて死ぬ。


 ならばもういいだろう。泣いて死んでも、大人しく飢えて死んでも同じことだ。己の中の行き場のなかった、どこにそんな感情が残っていたのかという程の怒りと悲しみを、私は神に訴えた。


 小さい頃からのあらゆる虐待を、裏切りを、いじめを、一晩では済まず、2日程祈りの姿勢のまま吐露し続ける。


 不思議と空腹感や、寒さも日光の温かさも感じず、人間の生理的な事すら何も感じず、ただただ目を閉じてずっと文句を言い続け、とうとう倒れた。


 恐々と開いた目は視界が霞んで、石畳がぐるぐると回っているように見える。気持ち悪い、久しぶりに人間らしい感覚を覚えて、私は何かを吐いた。


 黒い、紫光りする泥のようなものだった。


 咳き込みながら、……たぶんだけれど、腹の中に溜まっていた不満や鬱憤が形になった真っ黒な汚泥のようなものを……寝たままでは息が詰まりそうだったので、起き上がってどんどんと吐く。


 目一杯吐ききってしまうと、体も心も何かスッキリとしていた。かといって、私に刻み込まれた悔恨も怨みも無くなった訳ではない。飢えてもいるし、こんな汚いものの上で倒れたくはないのに力が入らない。


 やはり、私が吐き出したのは、鬱憤。溜め込んでいた不満の全てを、言葉でも形でも吐き出したようだ。


(……たしかに、人間ではないわね)


 私の鬱憤は広い鳥籠の床いっぱいに広がっていた。服も汚れているし、これを掃除する道具もない。そもそも、鬱憤とは掃除できるものなのだろうか?


「はい、水をどうぞ」


「ありがと……え?」


 唐突に差し出された綺麗なグラスに入った水を反射的に受け取って、私は素っ頓狂な声をあげた。


 ここには私しかおらず、あの唯一の出入り口も閉まったままだ。外から誰か入ってくることもできないように、また、私が飛び降りる事もできないように鉄柵は狭くなっている。


 まだ視界が霞んでいるから、誰がこれを差し出したのかを確認できない。ただ、白いゆったりとした布地のズボンに裸足の足が見えて、その周りだけ私の鬱憤が避けているように見える。


「いいから、飲んで。君には必要なものだから。大丈夫、綺麗な水だよ」


 私は言われるままその水を飲んだ。


(美味しい……)


 ほのかに甘いような、塩気のあるような水。グラスを傾けている間、どれだけでも湧いて出てくる。


 こんなに美味しいものを飲んだのは、いつ以来だろう。涙を流しながら満足するまで飲むと、頭も視界もはっきりしていた。


 その間に、このグラスを差し出してくれた人は、私の鬱憤を不思議な力でまとめて小さな、真珠ほどの石にしてしまっていた。


 ようやく顔を上げて……声からして男性だろう……彼を見上げる。


「よかった、すごく痩せていたし、とても心配だったんだ。元通りになったね、肌質もいいし、とても綺麗だ」


 背が高く、私と同じように金の刺青が顔からつま先まで刻まれた、白い髪を長く伸ばした、この世のものとは思えない美しい男性だった。

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