2 聖女に認定されてしまいました、婚約は破棄されます
私が聖女になった。この一つの出来事だけで、私の環境は全て変わった。
まずは部屋だ。
今まで私が追いやられてきた屋根裏部屋ではなく、世間体のために与えられていた部屋が本当の私の部屋になった。
ドレスも、着回して着古したあの7着は呆気なく捨てられた。ゴミを着せられていたのか、と虚しくなる。
かわりに、袖を通したこともない最先端のデザインのドレスを着せられ、入浴から身支度までメイドの手が入る。
メイドは私の全身に走った金色の刺青に一瞬怯むが、それでも丁寧に身体を洗われたと思う。今まで一人で行ってきたから至らない所があったのか、終わった時には一皮剥けたような気分だった。
身支度も、メイドがドレスを着せて化粧もしてくれる。生地もデザインもあまりに豪奢でいつも慣れないが、今日から暫くはこれが当たり前になる。化粧は、刺青が入っているので目元と口元に色を乗せるだけだ。
粗相をして汚さなければいいのだけれど、と袖周りのレースを見て私は憂鬱にため息を吐いた。緊張の種が一つ増えてしまった。
私が屋根裏部屋に追いやられていたのには、妹可愛さの他に理由がある。
推測でしかないが、両親の妬みだ、と思う。
私の婚約が決まったのは、もうずっと幼い頃。まだ妹も生まれていなかったから、3歳だろうか。
相手は第三王子。まだ少年の第一王子と第二王子の背後で貴族が派閥を争っている中で、これ以上の混乱を防ぐために第三王子とそこそこ力のある侯爵家生まれの私との婚約が決まった。
我が家は必然、中立派となり、第三王子は早々に私という婚約者を得て、必要なら我が家の跡取りとなり、うちは王家の血が入るので公爵家に格上げ、そうでなければ第三王子のまま、王宮で治世の補佐官となる。かなり位の高い官位が約束されているはずだ。
どちらにしても私一人をどうにかすれば、我が家の価値があがる。それまでの間、私をどう扱っていようとも。
私は生まれた時から両親に嫌われている。その理由はしらないが、物心ついた頃には鞭で打たれるのは当たり前になっていた。
そんな私がいずれ王宮という場所で、実家にいるより長い時間を高待遇で暮らすかもしれない。もう充分持っている侯爵家の人間ですら、王宮という場所に憧れる。
私は、両親に妬まれてきたんだと思っている。私が決めた婚約でも無いのに、理不尽極まりないが、理不尽を挙げていては3日でも足りないので横に置いておく。
いずれ私が自分たちより高待遇で暮らすことを妬んだ両親は、私をとにかく質素に暮らさせた。
使用人部屋より悪い屋根裏部屋で、長女でありながら末席に座り、誰にも世話をされる事なく、ただ教育と躾と呼ばれる虐待に曝される。
だけど、今度は私が神殿という自分たちよりも貧相な場所で暮らし、その上私が聖女でいる限り国から年金と高い地位が保障される。
近く、私が聖女であることを調べに神官と官僚が来る。だから私は、初めて使うこの部屋に慣れなければいけない。さも今までこの部屋で暮らしていたように。
聖女となった私を虐げていたことを、婚約していた王家にも、神殿にも知られてはならない。私は必ずそれを内密にするように父親に半ば脅され、母親にも嫌味混じりに嘆願された。私は、反抗心というものも涙と一緒にとっくの昔に失くしていた。
そして2週間ほどたった、神官と官僚が来る日、白地に私の髪と同じような白に近い金の刺繍がされた服を着せられて彼らを出迎える。
身体中に走った金の刺青は人の手でどうこうできるものではない。何というか、金属の絵の具で絵を描かれたような滑らかさであり、それでいて体の動きは邪魔しない。
無事に、私は聖女として認められた。認められてしまった……明日、神殿からの迎えの馬車が来る。
婚約者として月に一度会っていたヴィル殿下もいたし、今夜は泊まっていかれるらしい。長年の付き合いだ、間違いが起こることは無いだろうが、2人でお別れを言えるのは少しだけ嬉しい。
表面上だけでも、私に優しくしてくれた人だから。
私の聖女として認定された記念の晩餐を終え、私はヴィル殿下と2人、自室でお茶にしていた。私の見た目は人間離れしていて、それでもヴィル殿下は優しかった。
「君が聖女だなんて……寂しいよ。それでも、君のような素晴らしい淑女だからきっと与えられた力なんだろうね」
「ふふ、お上手ですね。殿下……、今まで、ありがとうございました。私も、殿下のおそばでお役に立ちたかった……」
言葉にしてみると、それは本心だったと分かる。殿下は優しい。紫紺の髪に穏やかなアメジストの瞳の彼は、私の手に手を重ねて、いいんだ、と言った。
「君が祈ってくれている、この国をよくするように……私も精一杯力を尽くす」
「はい、殿下……、私は神に嫁ぎます。あなたのおそばに居られないのが、悲しいですが……豊穣と平和の為に祈ります」
「ありがとう、アナスタシア。恥ずかしくない治世をしていけるように、王家の一員として頑張るよ」
彼がお別れを終えて客間に帰る。
その夜、ふと目が覚めて私は台所に向かった。私の秘密の楽しみである、自分で淹れるお茶を最後に飲みたくなったのだ。神殿に行けば、そんな事も叶わないだろう。だが、私はそれをひどく後悔した。