25 聖女の力の一端
旦那様が目を閉じて、2日経つ。私は動くこともせず、何も食わず飲まず、眠らずに、旦那様の頭を撫でていた。
ずっと撫でていたい髪だとは思ったけれど、心配で仕方なかった。
私はおそばを離れる気がなく、私の体は人の枠を超えたからか、そうしている事ができた。なんの苦痛もなく。
そして、神経が研ぎ澄まされていく。旦那様が常に聞いて力を貸している神官の声が聞こえ、旦那様から力の細い、金色の糸が四方八方に散って行っているのが見えた。
無意識に力を貸しているらしい。この程度なら造作もないのかもしれないが、旦那様は自分の形を無理に捻じ曲げた。自然現象を……人にとって災害だからと、私が願ったからと、消してくれた。
「旦那様……」
私は目を伏せて手を組んだ。
旦那様は人にあるまじき超常を使い、人の願いを叶えてくれた。命を助けて、試練と呼ぶには大きすぎるものから守ってくれた。
私の力だけでは弱い。私は、聖女。神に祈る者。
だけど、ただ神に祈る者なら神官でもよかったはずだ。
旦那様の意識を生み出し、体を作らせた、神の嫁。
神に祈るだけが力ではないと、こうしているとわかる。
(人よ……人の子よ、私は聖女アナスタシア……、神は今、我らを大きすぎる試練から守り疲弊しています。神に、祈りを捧げてください。神を助けて、神に力を分けてください……)
心の中で何度も唱えた。
少しずつだが、誰かの祈りが届くのを感じた。私を通じて旦那様に流れていく。
少しずつ、少しずつ、祈ってくれる人の力が旦那様に集まってくる。
旦那様が本気を出した時、私に願っていてと言った。神は、願われること、祈られることで、存在を確立している。
信じないものはきっと祈らない。私の声も届かない。
だけど、神官や、神を信じている人、神の奇跡に助けられたことのある人は、声が届く限りの……それは、遠い異国でもあったり、真下の城下町であったり……場所から、力が集まってくる。
人の神への祈りは、白かった。金色に輝く奇跡ではなく、届けられるのは純粋な、神への感謝の気持ち。
私から送られる祈りの力。人の願いが溢れて旦那様を満たしていく。
白く発光した旦那様がふわりと宙に浮く。
そして、薄らと目を覚ました。
「おはようございます、旦那様」
「アナスタシア……、俺も、君を愛している」
「あら……ふふ。旦那様が皆様を守ってくれたので、皆様から元気をいただきましたよ。旦那様を思って祈ってくれました」
そこで、やっと旦那様は寝ていたことに気付いたらしい。
ポカンとした顔で、私を通して送られてくる祈りの力を受け取っている。慌てて床に降りて、立ち上がり、長椅子の私の隣に座った。
「……こんな事ができるんだ」
「そのようです。聖女は神に祈りを捧げる。願う、強請るばかりが祈りではありません。……皆、あなたに元気になって欲しいと祈っています」
「……そっかぁ。嬉しいなぁ、アナスタシア。俺は嬉しい、皆、感謝してくれている。そんな事を求めた事は無いのに、実際されると……嬉しいものだね」
私の肩に怠そうに寄り掛かりながら、人の祈りという神の奇跡に比べれば小さな粒子を全身に浴びて、旦那様は少しずつ顔色がよくなっていった。
人は祈るが、そう長くは祈らない。人生は短く、奇跡の恩恵に預かっても、ずっとは祈っていられない。自分の人生を生きなければならないからだ。
すべての祈りを受け取り終わった旦那様は、灌木の実を摘んでは口に運んだ。
「すっぱく、ないのですか?」
「うん、一度空っぽというか、限界まで人から離れたからかな? 甘くてさっぱりして、美味しい」
ほら、と旦那様に果実を分けてもらった。私も食べると、溜まっていた疲れが霧散するような、甘くて美味しい味で満たされる。
旦那様と同じものを美味しく食べる……たった2日ぶりだけれど、それでも、久しぶりに感じる。
旦那様を両手で抱きしめて、私はまた、そして、ようやくちゃんと伝えた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま、アナスタシア」
私の背に回された腕は、まだ弱々しくも暖かかった。
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