23 嵐が来る
「アナスタシア、言った方がいいかどうか迷ってることがあるんだけど、聞いてくれる?」
旦那様が、今日も私に遊ばれた髪の毛先をいじりながら突然そう言ってきた。
大体はハッキリした物言いで、大体は言いたいことを言って会話をするのだが、こんなに歯切れが悪いのは珍しい。
これはちゃんと聞いた方がいいかもしれない、と向かいのソファにきちんと座ってから答えた。
「はい、なんですか?」
「嵐が来る。嵐の後に、人が。どうしたい? アナスタシア」
「嵐、ですか……?」
「うん。天災だね、これはもう自然に発生しているものだから災害なんだけど、メカニズムがあって。まぁ、すごく強い風と、竜巻と、雨なんだけど……この国も危ないけど、通り道に2、3別の国がある。家も何もひっくり返るし、お屋敷や城もある程度瓦解する。死人も出る、その場じゃなくて、瓦礫の下に埋められて救助も出来なくてとか、そういう死人も」
これは、大変な事ではないだろうか。今は外と中の時間は同じ。いつ来るのか、そして、人が来るとはどういう事なのか。
「人が来る、とは?」
「うん。この国はアナスタシアがいるからね、俺が守る。だから被害がない。けど、他の国は難民が溢れる。家も何も吹き飛ぶから、真水も食べ物も勿論ない。この国に詰め寄せてくる」
「……困りましたね」
「うん、たぶん、今国庫は疲弊している。大聖堂を閉じていた間の人々が頼ったからね。ちょっとそこには、俺も責任を感じてる。——しなくてよかったとは思ってないけど」
「まぁ。ううん、その嵐は、いつ人里に?」
「明日。今からだと、本当にちょうど24時間後」
割とすぐのことだった。よく相談してくれたと安心すると共に、この危機は人の営みでやり過ごすことができる事なのかを考えなければいけない。
避難を呼びかける? しかし、24時間以内に持ち出せるものを持って住んでいた国を出る、なんて、平民も押し寄せるだろうし、王侯貴族は従わなさそうだ。
そもそも私の力は他国にまで及ぶのだろうか? 旦那様はこの国は守ると言っていたけれど、その後にくる難民ばかりはどうしようもない。
私が聖女になって初めて直面する問題だ。
私が、では嵐そのものを消してください、と言った時、旦那様はそれを願いとして叶えてくれるだろう。
人が死んだり、飢えたり、怪我をしたり、国が荒れたりするのも……嫌だ。私は、それが嫌だと思っている。
でも、人はそれに対応して強くなっていく。
人という個人を見るのか、人という種族を見るのか、問われている気がする。
……でも。
私の中には黒い私と白い私がいる。私は聖女にはなったけれど、心は人間のままだ。
ワガママになっていいだろうか。救えるものを救いたいと、願ってしまっていいだろうか。救わなかった事で、私は誰かを見捨てた事になる。
旦那様に、えらそうに人は人の営みで、なんて言っておいて、それを覆していいのか……。
「アナスタシア」
「はい」
旦那様の声に顔をあげる。いつのまにか強く手を握りしめて俯いていたらしい。
「君は優しい。そんなに悩まなくていいんだよ。聖女がいない時なら仕方がないけれど、聖女がせっかくいるんだから、ぱーっと景気良く願っちゃいなよ」
「……いいのでしょうか?」
「いいよぉ。だって、君はこの災害で人が死んだり怪我したり飢えたりするの、嫌なんでしょ?」
「はい……、嫌です。見捨てた自分が、嫌いになりそうで」
「なら、聖女の役目を果たして」
旦那様の目は優しい。私という、人、が何を選ぶかを受け入れてくれる。
私は何を偉くなった気になっていたんだろう。
寿命が無くなっても、傷つくことがなくなっても、痛いものは痛かった。飢えは、辛かった。
私の虐げられてきた事が、私に辛さを理解させてくれる。
ここは最初何もなく、私はただ飢えと寒さで死ぬだけだった女。
神様が奇跡をもたらしてくれているだけで、私は今とても幸せだ。
この贅沢を全ての人にお与えくださいと願うわけじゃない。
私は笑っていた。力強く。私は聖女、人だった者。痛みを知っている人間だった存在で、旦那様の嫁だ。
「旦那様、どうか嵐を消してください。私が聖女でいる限り、人の手の及ばない災害から守ってください」
「すべての人を?」
「それが、この国を救う事にもなりますから」
私の答えに旦那様はにんまりと笑った。どこか満足気ですらある。
「いいよぉ、それが、アナスタシアの幸せなら」
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