21 豊穣と平和と、人間だった私
思い出せば辛いことばかりの人生だった。……なんて、そんな事はなかった。
私に悪意を向けていた人たちは、今私の人生を追体験している。確かに、悲しいことはあったけれど、私は侯爵令嬢だったからお腹いっぱい食べることができた。
着る物もあったし、部屋は……良くなかったけれど、お風呂も入れた。
中には好きなメニューもあったし、月に一度は甘い物が食べられて、見せかけだけでも優しい王子様とお茶をした。
「アナスタシア」
「やだ、頭の中まで覗かないでくださいな。私は旦那様一筋ですよ?」
「でも、あの男のことを考えるのは、嫌だ」
白くなっても旦那様の口調はそのままだったし、より、人間に近い感覚を持ち始めているように思う。
今のような嫉妬だとか。……テーブルに出してくれた、鹿肉のソテーだとか。頭の中を覗かないで欲しいと言ったのに、私の好物を出して機嫌を取ろうとしている。
小さな子供のようだが、旦那様は最初に言っていた気がする。まだ、馴染んでない、と。
私が人から聖女になったように、旦那様も神という力から人に近い形になって、近づこうとしているのかもしれない。
「旦那様は……もしかして、私と近くなろうとしていますか?」
「うーん、どうだろう。アナスタシアはもう人の時の恨みとかは薄れてきてるんだろう?」
「はい。それに、この果実もずっと甘くて美味しいです」
向かい合ってソファに座り、せっかく出してくれたのだからと鹿肉のソテーを食べ始める。もちろん旦那様も一緒だ。
「俺はアナスタシアと幸せになりたい。アナスタシアが笑ってくれるようになって嬉しい。アナスタシアを喜ばせたい。だけど、アナスタシアになろうとはしていない」
確かにそうだ。私が二人いたところで、あまり意味がない。
「何でも出来るから……、アナスタシアは人だったろう? 人が考えてること、望んでること、必要だと思うこと、それを俺は叶えてやりたい。アナスタシアは人は人の営みで、って言っていた。俺に叶えて欲しいことを考えるのがアナスタシアの……聖女の役目」
「責任重大ですね……」
聖女の祈り、聖女が人から選ばれるのは、人が求めていることを神に伝えるためらしい。
「うん、でも夫婦だから。俺も一緒に考える、その為に人の形をとって、人を知って、アナスタシアが思う人に必要な事を一緒に考える」
「それは、とても心強いです」
聖女だけではなく、神が人の形を取って聖女と結ばれるのは、神も人の方により耳を傾けようとするからか。
飢えなければ、病まなければ、争わなければ、虐げられなければいい。そう思うものの、飢えを恐れるから人は働き、病むから治そうと知恵をつけ、競争心があるから己を磨き、虐げられたく無いから力をつけようとする。
難しい話だなと思った。神が介入する程の事なんて、私に想像がつくだろうか?
「まぁ、そんなに急いで考えなくてもいいよ。例えば、君が俺に『豊穣と平和を祈る』のなら、俺もふんわりとそれを願うから、ふんわりと世界にそれが届くし」
「ふんわり……?」
「機嫌が悪い人が機嫌が少し直ったり、ご飯が食べられない人が誰かからパンを貰ったり。ちょっといい事が起こる、かんじ? 俺は良いも悪いもまだよく分からないんだけど」
それなら、私は『願う』のではなく『祈る』事にしよう。どうしても理不尽が襲う時、その時は願う事にして。
「それなら、私もできそうです。その間に、色々と考えてみます」
「うん。見たいものがあったら見せるし、後は……聖女も神も人の営みからは外れている。けれど、人の為に存在しているから、転変……えーと、変身して人の世界を旅したりできるよ」
「この刺青が消えたりする、という事ですか?」
鹿肉のソテーを食べ終わって食器を置くと、テーブルの上からその食器は消えた。いつ見ても不思議だ。
「そう、髪の色も顔の造作も変えてお忍びでね。でも俺は、アナスタシアの見た目がとても好き」
「あ……ありがとう、ございます。あの、旦那様も……白くても黒くてもとっても素敵です」
「本当? あの王子みたいな見た目がよかったりしない?」
ずい、と身を乗り出して聞いてくる旦那様に、私は口許を隠してクスクスと笑った。
「本当です。最初に見た時、なんて美しい人だろうと……それに、神の像よりずっと素敵です」
「ならよかった。でも、お忍びの時は、俺の髪は短くしないとね。男でこんな長髪は目立つ」
「あら……旦那様、組紐を一本くださいます? できれば金色の」
「いいよ、これ?」
言うが早いか、旦那様の掌の上には金色に輝く組紐が乗っていた。私はそれを受け取ると、隣に行っても? と尋ねる。
「いいよ」
笑って場所を開けてくれた旦那さまの隣に座ると、背を向けてもらった。
床に広がるさらさらとした白に近い金色の髪は、ブラシを通すまでもなくさらさらで絡んでいない。
「動かないでくださいね」
「わかった」
私は絹糸のような髪を太い三つ編みにしていった。いつまでも触っていたいような手触りだが、いくら長くても三つ編みにすればそれなりに長さも気にならなくなる。
最後に組紐を綺麗に結んで、いいですよ、と声をかけると、三つ編みになった髪を興味深そうに観察していた。
手の上に乗せてみたり、持ち上げてみたり、私に当たらないように振り回してみたり。
「すごい。纏まってるし、解けない」
「旦那様の髪はさらさらなので、あんまり弄ると解けますよ」
「えぇ、そしたらまたやってくれる?」
「勿論です。いろんな髪型をさせて欲しいですね、とても触り心地が良かったので」
笑顔で答えたら、旦那様が表情を消して顔を近づけてきた。私は反射的に照れて腰が引けてしまったが、それでも近づけてきて、私の髪を一房指に絡める。
「アナスタシアの髪も素敵だ。……俺も結い方を覚えたい。アナスタシアを、着飾らせたい」
「見てるのは旦那様だけですよ?」
「そうでなければ困る。アナスタシアを他に見せたくない。……この感情はなんだろう?」
独占欲、と言おうか迷ったが、今の旦那様にそれを教えたらなんだかまずい気がしたので、私は下手くそに笑って、さぁ、と誤魔化した。
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