1 私は聖女になりました、両親は喜んでいます
「うっ……!」
カチャン、と音を立ててカトラリーを手から取り落としてしまった。
胸の奥が、まるで火を押し付けられているように燃えるように熱く痛い。思わず手で押さえた。
私の無作法に、父と母が顔を顰める。だからこの子は、と言わんばかりの視線を感じるが、今は構っていられない。
死を感じる。自分ではどうにもできない、体の内側から焼かれているような感覚に、私は背を丸めて耐えた。椅子が、ギ、と音を立てて後ろに下がる。
「なんだ、はしたない。朝食の席でそんな声を出すんじゃない」
「まったくだわ。ヴェロニカはこうなってはいけませんよ」
どこか膜がはったような遠い声で、嗜められているのを聞く。
どんな時でも平然と過ごす事が私の義務であり、何が起きても私は声すらあげてはいけないのかと、変な笑いが溢れそうになった。熱くて、熱くて、それどころではなかったけれど。
向かい側に座っているヴェロニカだけが、私の様子が本当に尋常では無い事を悟る。慌てて駆け寄ってきた。
「お、お姉様、どこか痛いの? 胸? 苦しいの?」
私がカトラリーを取り落として胸を押さえて苦しんでいるのに、両親はこれ。そして、ヴェロニカだけが心配してくれている。
大丈夫よ、心配ないわと笑いかけたいのに、私の胸はどんどん、焼けるように熱くなっていき、その熱が最高に高まったとき、胸元から金色の模様が肌を這うように伸びてきた。
胸元から首、腕、顔、お腹、脚、背中と全身に刺青のように金色の模様が刻まれる。この金の刺青が熱の元だったのか、肌を這う熱に火傷しそうだと思うも、同時に心地よさが襲ってくる。
体全体に金の模様が走り終わったとき、鞭打たれた肌が癒えたのが分かった。常に鞭打ちでついた傷に肌がじんじんと痛む感覚が、熱がおさまると同時に消える。
「これは……?」
私は驚いて自分の腕や手首、手の甲にまで伸びる美しい模様を不安げに見ていた。
ヴェロニカが異物を見るような目で私から離れる。
私も、自分の身体に起こったことができずに混乱している。身体中を装飾されたような形。そして、内側から暖かいものを感じる。何かに呼ばれているような……、その声が落ち着くような。
呆然と立ってまじまじと手を眺めていたら、父が音を立てて立ち上がった。それは、はしたない行為だったのでは?
「でかしたぞアナスタシア! お前は聖女になった!」
聖女、と聞いて私は目を丸くした。私は敬虔な信者でもなければ、その日一日を無事やり過ごす事で精一杯の人間だ。
国教のヴァルツ教によれば、確か聖女は神の嫁として一生を祈りの塔という場所で過ごさなければならなかったはず。
そして、国の豊穣と平和を祈り続ける。
私にとってそれは朗報でもなんでもない。一生出られない塔で残りの人生を過ごす……家から出られたとしても、鞭で打たれることがなくなっても、そんな孤独にどうやったら耐えられるのだろう?
「あぁ、我が家から聖女が出るなんて……! 神様、ありがとうございます!」
父親と母親の喜びよう。妹の驚愕に見開かれた瞳。
私は、聖女になった。……なってしまった。
聖女を輩出した家には、国から多額の年金と、絶対的な地位を約束される。侯爵家である我が家はもう充分持っているはずなのに。
父と母にしてみれば、飼ってやっていた娘が……しかも、要らない方だ……聖女になって、家から出て行き、代わりに地位と金が舞い込んでくる。
それは喜ぶだろう。だが、私は目の前が真っ暗になっていくのを感じる。暖かい声は、少し遠くなった。
私はヴィル殿下に嫁ぐための、全ての教育と躾……虐待と呼んでしまおうか。それが無駄になった事を知った。
耐えてきたことの全て、私が一人抱えてきたことの全てが、一瞬で無駄になった。この金色の模様が刻まれた体は、その証。
聖女は人の枠から外れる。人とは共に暮らせない。
そして、聖女は純潔のまま神に嫁入りする。
私はこれまでの18年間の全てを犠牲に、神の嫁として神殿に行くことが決まった。神殿で祈り方……神学を学び、永遠に神に仕える。
さすがに声を上げて泣きたくなったが、私の涙は涸れている。
床にどさりと座り込んでしまった。体の力が抜けて、立ち上がれない。
神様、なぜ、私をお選びになったのですか?
もし、神の嫁が本当の事なら、必ず聞こうと思う。だって、私は全く納得していないのだから。