16 神罰と裁定(※国王視点)
聖堂を閉ざした神殿からそぞろ神官が王宮に押し寄せる。
痩せこけた彼女らは何か言おうとするが声が出ず、紙とペンを渡しても何も書けず、神学の本の文字を指で辿って意思を伝えるように言っても、それもできなかった。
神官たちは声と言語を失った。それだけではない。もう何日も食べてない様子に、まずは物を食べさせようと胃に優しい粥を与えようとすると、その瞬間に食べ物が消えるという。
塩と水だけは許されたが、気が狂いそうな状態なのは見ればわかる。人は、断食という物に……ましてそれがいつ終わるのか分からないものに……耐えられるように出来ていない。
時を同じくして他の者もやってきた。まるで示し合わせたかのようなタイミングで。今は民の受け入れでも精一杯だというのに、聖女を輩出した侯爵家の一家と婚約していた息子の第三王子のヴィルまでが私の元に話がしたいとやってくる始末。
祈りの塔の聖女の奇跡の一件から、おかしいとは思っていた。
『神に生贄として捧げた聖女』が奇跡を起こすなどと、あり得ない。あの環境は人が生存できる環境では無いし、もう食べ物だって、水の一滴だって飲んでいない筈だ。
なのに、たしかに神官たちは神罰がくだり、聖女は奇跡を起こした。
やってきた彼らは口々に体に起こった異変を訴える。ヴィルの横暴は報告が上がっていたが、そこにいるリュークス侯爵家の娘、ヴェロニカと婚約し直したばかりのヴィルの告白は、ヴェロニカも聞くに耐えないようだった。
しかし、リュークス侯爵家に起こっている異変も聞いていれば常人の病ではない。
これら全てに関係するのは、神官たちも含め、聖女・アナスタシアに関わった人間……。つまり、塔に無理やり閉じ込めさせた私にも何らかの神罰が下る可能性が高い。
聖女を祈りの塔に送り出せば、祈りの間豊穣と平和が訪れる。——それが、歴史に、神学の書に、記されている聖女の全貌である。言い換えればそれしか記されておらず、聖女の扱いに関しては何が正しいのかわかっていない。
聖女と神の関係について、正しく記された文献は残っていない。聖女は国の豊穣と平和を祈るため、神学を学んで祈りの塔に至る、たったそれだけしか残されていないのだ。
あの塔は何代も前からずっと、あの檻のような最上階があるだけの塔で、つまりは『聖女とは神に捧げる生贄』だと思っていたが……、私は随分と神の不興を買ってしまったかもしれない。
私……王の上に位置し、人と神の狭間にいるのが聖女。そして、聖女は神の嫁である。祈りの塔に聖女が向かえば、もう人の手は離れたものだと思っていた。つまり、死ぬのだと。
確かに、聖女が『生きて祈りを捧げる』には不適格な場所だ。誰からも見上げられるような牢屋……、私はそこに聖女を押し込んだ。
聖女が逃げ出そうとしている。そう聞いて、近衛兵を遣わせたのは私だ。
しかし、なぜ聖女が逃げ出そうとしたのか。それを確かめることをしなかった。聖女も死ぬと知っていたのならもっと早くに逃げ出していただろう。しかし、そうはならなかった。アナスタシアは一月は神殿の清貧な暮らしで生きていた。おかしいと疑うべきだったのだ。
なぜアナスタシアに関わりがある者ばかりが神罰とも言える罰を受けているのか? アナスタシアに対して……私は確かに捕まえて塔に閉じ込めるよう命令したが……私以外に過去に関わった者に神罰が下るのはなぜだ?
まさかアナスタシアは、生きてあの場所にいるのか? 食料も、ベッドも、壁も屋根もないあの塔の上で、もう2週間以上が経とうとしている。人が暮らせる環境では無いが、そこに、もし、神がいるのなら……。
「神の嫁……」
私は実に都合よく、全てを湾曲して解釈していた事に青ざめる。
口元を押さえて呟くのが精一杯だ、もし神の嫁は比喩でなく、聖女が祈るのは生贄として捧げるという意味ではないのなら。
最悪だ。私にも神罰が下ってもおかしくない。私はそう言った意味では、アナスタシアを殺す気で塔に送り込んだのだから。
「リュークス侯爵、及び妻君と妹よ。アナスタシアに何か無体を働いた覚えはあるか? 正直に答えよ、言わねば人を遣わせて使用人に吐かせる」
私の言葉に、侯爵家の面々はサァと青ざめて震え出す。彼らは互いの顔を見合わせ、土下座でもするように床に手をついて頭を地面に擦り付けて全てを白状した。
その中には愚息のアナスタシアに対する裏切りも含まれている。私は第三王子というだけで、愚息のその素行の悪さを見逃してはきたが、まさかアナスタシアと婚約している最中からリュークス侯爵家と結託して妹のヴェロニカと仲を持っていたとは……。
神官のものたちは語る言葉を無くし、食事が摂れない。リュークス侯爵家及びヴィルの神罰を聞いた上で判断するならば、最低でも神官たちはアナスタシアにろくな飯を与えず、神学を学ぶ時に何かした事は理解できる。
「……私には神罰をどうすることもできない。アナスタシアは生きていると考えていいだろう。祈りの塔からの聖女の奇跡の一件から考えて、民草にまで何か災厄が降りかかるわけではなさそうだが……。私も、許されずとも今からアナスタシアに謝罪に向かう」
するとそこに、若い男の声が急に降ってきた。若い男、だと思うのに、とてもじゃないが頭を上げて姿を見ることができない、重圧のある声だ。
「来なくていいよ、邪魔しないでよ。僕の奥さんを散々傷付けて生贄扱いして、謝ってどうするの? 君らの謝罪なんて、アナスタシアが鞭を打たれて裏切られて満足に食事を与えられず逃げようとしたら捕まった、そんな恐怖と痛みと飢えの前では無意味だよ」
耳に痛い苦言に思い切って顔を上げると、そこには神像よりも美しい男が浮いていた。
誰も彼もが見入っている。目が離せない、声も出せない、この場において絶対的な存在は彼だと身体にも心にも刻み込まれている。
「僕はね、アナスタシアが何をされたか全部知ってるんだ。そこの神官どもの声は聞くに耐えないから取り上げた、心の中ですら祈られたら僕には聞こえてしまう。だから言語も取り上げた」
自然と……膝をついてこうべを垂れた。
アナスタシアに関して何かしら思う事があるもの……つまりこの場にいる全員が、同じ事をしている。
「アナスタシアが覚えていないことも全部知ってる。アナスタシアが知る事ができなかった君らの心の中も、全部知ってる。——国王、君はまだ、アナスタシアが後回しにしているだけ。どんな神罰が下るか楽しみにしているといいよ」
「………………はい」
それ以外の何と答えようがあったろうか。目の前にいるのは、神。アナスタシアを嫁にとった、神だ。
私は勘違いをしていた。
神の嫁という言葉についても、聖女についても、そして神についても。
「アナスタシアは優しい。まだこれで済んでいる。アナスタシアが願えば国も潰せる、アナスタシアが僕という神と共に新たな国の頭になる事もできる。君らが生きていられるのは、アナスタシアが優しいからだとよく覚えておくんだ。さて……、僕は優しいアナスタシアが眠っているからこうして来たけれど、もし君たちが心からアナスタシアに祈り、詫びる気があるなら……アナスタシア次第だけど、許してくれるかもしれないね。でも、ただ許されたいだけであの塔に入ってきたら……僕が許さない」
神の声に、視線をあげる。
かすかに灰色がかって毛先が黒かった髪は、この話の最中に、もう中程まで黒に染まっている。
白い肌に金の刺青が施された体が、やや色黒に染まっていく。
国王であろうと一人間である私は、神のその言葉をただただ胸に刻んだ。
神は絶対的な善ではない。聖女もそうだ。
あくまで、聖女は神に望む存在。聖女が我々を見限れば神は人を見限る。
アナスタシアに行われた非道の数々を、私はどう償えばいいのか、神罰はいつ下るのかと考えて、眠れない夜を何日もやり過ごした。
アナスタシアに許されるために何をすればいいのかを考えるあまり、国政に構っている暇は無かった。