アン夫人は語らない
仄暗い薄灯りの下、エグバートは広々とした応接間に足を踏み入れる。まるで鳩小屋か爆弾工廠に突入するかのような雰囲気を漂わせているが、どちらにしても万全を期さなければならぬことに変わりはない。今、問題なのはアン夫人の虫の居所の方なのだ。
昼食の時、食卓越しに起こったほんの些細な夫婦喧嘩は終ぞ決着を見ることはなかった。しかし、彼女が今も新たに敵愾心を燃やしているのか、それとも矛を収めてくれているのかは分からない。今、アン夫人は茶卓の側にある肘掛け椅子に腰を降ろしている。その姿は言わば梃子でも動かぬように見えたが、十二月の昼下がりの薄暗がりの中ではエグバートの鼻眼鏡も全く役に立たず、彼女の顔色を伺い知ることはできなかった。
彼女の表情に張りついている氷のようなものを打ち砕くために、エグバートは「信仰の朧気な光」という詩の一節をひとり呟いてみた。晩秋や冬の夕暮れ時になると四時半から六時の間は、ミルトンが詠んだこの詩を口ずさむのが二人の日課だった。これはもう夫婦生活の一部になっていたが、呟きに対する返答に特に決まり事はなく、今日のアン夫人は何も応えてくれなかった。
飼い猫のドン・タルクィーニオがペルシア絨毯の上で大の字に寝そべっている。アン夫人の機嫌が悪いのかもしれないが、そんなこと知ったことではないと言わんばかりに、堂々と暖炉の火にあたっていた。血統で言えばドン・タルクィーニオは絨毯と同じく純血のペルシア生まれで、二度目の冬を迎えて首回りの毛も美しくなってきている。ドン・タルクィーニオという名は、ルネッサンス趣味の給仕係の少年が命名したもので、エグバートとアン夫人に任せていたら間違いなく、見たままに「綿毛玉」と名付けていただろうが、二人ともその名に特に拘りがあるわけでもなかった。
エグバートはお茶を淹れはじめる。沈黙が続くものの、アン夫人の優勢が崩れる気配はない。今一度気を引き締めて、シベリア遠征を遂げたイェルマーク探検隊のように奮闘してみることにした。
「昼食の時に言ったのは、あくまでも純粋に理論上の話であって」とエグバートは語りかける。
「僕が言ったことを、お前は個人的な意味だと思って無駄に履き違えているようだな」
それでも、アン夫人は沈黙という鉄壁の守りを崩さない。間を持たせるように、鷽が間延びした鳴き声で歌い始めた。歌劇の「トゥリドのイフィジェニー」の一節だと、エグバートはすぐに気づいた。というのも、この家の鷽が囀ずれるのはこの一節だけだったからだ。そもそも、この歌を歌えるという評判があったからこそ、夫婦はこの鳥を家に招き入れたのだ。本音を言えばエグバートもアン夫人も、二人が好きなオペラ「王護の衛兵」の方が良かったのだろう。
芸術の好みに関しては、二人の趣味はよく似ていた。彫刻にしても絵画にしても、二人は率直で分かりやすいものに心を寄せていた。例えば、一目で何を描いているのか分かるものや、画題だけで十分に理解させてくれるものを好んでいる。どこから見ても寸襤褸の馬具を身に付けた軍馬が一頭、騎手の姿は無く、軍馬がよろめきながら中庭に足を踏み入れると、そこには青ざめた顔で卒倒する女達で溢れかえっている。そして端の方に「凶報」と書いてあれば、この夫婦の頭には、大敗を喫した軍隊か何かだろう、という明確な解答が浮かぶのである。それに、伝えようとしている題材が目で見て分かるので、頭の鈍い友人にも説明しやすいというわけだ。
沈黙はまだ続く。いつもこうだ。アン夫人は機嫌を損ねると、はじめの四分間は何も喋らない。その後、はっきりとした声で驚くほど流暢に話し出すのだ。
エグバートはミルク瓶を掴んで、ドン・タルクィーニオの皿にいくらか注いだ。皿は既に縁までミルクで一杯だったので、体裁悪くミルクが皿から溢れ出してしまった。ドン・タルクィーニオはびっくりしながらも面白そうにそれを眺めている。だが、「こぼれたミルクを飲みに来てくれ」とエグバートが言うと、途端に興味を失って素知らぬ顔をしはじめた。ドン・タルクィーニオは生きていく中で大抵の役はこなしてみせる心積もりだったが、絨毯専用の吸引式掃除機の役を演じる気はなかった。
「僕ら、馬鹿げてると思わないか?」とエグバートが明るい調子で言ってみる。
アン夫人も同じ気持ちだったのかも知れないが、何も言わなかった。
「言わせてもらうが、確かに僕も少しは悪かったかもしれない」と続けるエドワードだったが、楽しげな様子は次第に消えていった。
「結局、僕もただの人だ。なあそうだろう。お前、僕がただの人間ってことを忘れてるみたいだな」
ただの人間、その点をことさらに強調する。まるで自分が牧羊神の末裔で人間の皮を脱ぎ捨てれば山羊の姿になる、という濡れ衣を着せられているような口振りだ。
鷽が「トゥリドのイフィジェニー」の一節をまた勧めてくる。エグバートはうんざりしはじめた。アン夫人はお茶に口をつけてもいない。おそらく気分が優れないのだろう。だが、気分が優れないといっても、それについて黙っていられるアン夫人ではないはずだ。「胃もたれで苦しい思いをしてるのに、誰も分かってくださらないのね」というのが彼女の得意の文句だった。だが、分かってやれないのは、単に耳が遠いせいである。消化不良に使えそうな知識なら、それこそ論文に出来るくらいたくさん聞かされてきた。
見たところ、アン夫人は気分が悪いわけではなさそうだ。
次第にエグバートは自分が道義に外れた取引をしてるように思えてきて、自然と折れはじめた。
「言わせてもらうが」
暖炉前の絨毯の中程に歩み寄りながらエグバートが語りはじめると、ドン・タルクィーニオはしぶしぶ納得してその場所をエグバートに譲った。
「僕も悪かったかもしれない。だが、元通りの幸せな関係に戻れるのなら、喜んで非難を受けよう。より良い生活を送れるようにすると約束しよう」
その口約束がどこまで可能なのかは、エグバート自身、漠然としていて定かではなかった。中年に差し掛かり、さして強くもない、束の間の誘惑が彼を襲うようになってきた。まるで十二月にクリスマスプレゼントを貰えなかったという事実の他に確たる勝算は無いのに、二月になってプレゼントをねだる浅はかな肉屋の小僧のようである。
それでもエグバートはそんな誘惑に屈するつもりは無かった。世のご婦人方は一年のうち十二ヶ月も、新聞の広告欄に乗せられて魚料理用のナイフや毛皮の襟巻を箪笥の肥やしにしたがるものだが、そういったものを買ってやるつもりも無かった。
それでも、可能性にすぎないのに自分の潜在的な罪を認め、頼まれてもいないのに自ら引き下がるというのは何やら感動的なものがある。
しかし、アン夫人に感動した素振りは無かった。
気味が悪いものでも見るように、エグバートは眼鏡越しに彼女を見つめていた。彼女との口論が散々な結果に終わるのは、なにも初めてのことではない。だが、自分が一方的に話しただけで負けるというのは、屈辱的なほど珍しいことだった。
「僕はもう行くよ。そろそろ夕食だから着替えてくる」とエグバートは告げた。その声には、少しばかり厳格さを忍ばせたつもりだった。
扉の所まで来ると最後の弱々しい一歩に駆り立てられたのか、エグバートはまるで哀願じみた一言を残していった。
「僕ら、あまりに馬鹿げてると思わないかい?」
エグバートは部屋を後にした。
「そりゃ馬鹿げてるさ」
扉が閉まると、ドン・タルクィーニオが心の中でそう呟いた。そして、天鵞絨のような艶やかな前足を中空に突き出して、軽々と本棚の上に跳び乗る。本棚のすぐ上の鷽の籠が目に映ると、まるでその存在に今初めて気づいたような素振りを見せた。それでも手慣れた様子で慎重かつ正確に、長年思い描いていた計画を実行に移したのだった。
鷽は自分を暴君か何かと勘違いしていた。だが、突然、いつもの三分の一も息を吐き出せなくなり、絶望の中、弱々しく羽をばたつかせ、甲高い声で鳴きながら落ちていく。籠代を除いて二十七シリングもした小鳥だというのに、アン夫人は口出しをする素振りすら見せない。
なにしろ、夫人は二時間も前に死んでいたのだ。
原著:「Reginald in Russia」(1910) 所収「The Reticence of Lady Anne」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「Reginald in Russia」(1910) 所収「The Reticence of Lady Anne」
初訳公開:2020年3月28日
【訳註もといメモ】
1. 『信仰の朧気な光』(a dim religious light)
17世紀英国の詩人ジョン・ミルトン(John Milton, 1608-1674)の詩「沈思の人(Il Penseroso)」の一節。同じくミルトンの「快活の人(L'Allegro)」と対を成す詩で、「快活の人」が享楽の歓喜を詩っているのに対し、「沈思の人」では喜悦を否定し悲劇や隠者の楽しみを詩っている。
2. 『ドン・タルクィーニオ』(Don Tarquinio)
おそらく名前の由来となったのは17世紀イタリアの作曲家タルクィーニオ・メルラ(Tarquinio Merula, 1594/1595-1665)。バロック時代の先進的な音楽家の一人。
3. 『イェルマーク』(Yermak)
16世紀のコサックの頭領イェルマーク・チモフェイェヴィチ(Yermak Timofeyevich, 1532/1542-1585)。モスクワ大公国の援助を受け、西シベリアのシビル・ハン国への遠征を成功させた。ロシア民謡では英雄として歌われる。
4. 『トゥリドのイフィジェニー』(Iphigénie en Tauride)
神聖ローマ帝国出身のクリストフ・ヴィリバルト・グルック(Christoph Willibald Gluck, 1714-1787)が作曲したオペラで、ギリシア悲劇「タウリケのイピゲネイア」を題材とする。初演は1779年、フランスはパリのオペラ座で好評を博し、1796年には英国はロンドンの国王劇場でも公演される。
5. 『王護の衛兵』(The Yeomen of the Guard)
英国の戯作コンビ「ギルバート&サリヴァン」が手掛けたオペラで、アーサー・サリヴァン(Arthur Sullivan, 1842-1900)が作曲し、ウィリアム・S・ギルバート(William Schwenck Gilbert, 1836-1911)が台本を書いた。16世紀のロンドン塔を舞台とした喜歌劇。初演は1888年、英国はシティ・オブ・ウェストミンスターのサヴォイ劇場。
6. 『牧羊神』(Satyr)
サテュロスはギリシア神話の精霊で、上半身が人間で下半身が山羊の半人半獣。豊穣の化身であり、性欲の権化ともされるので、作中のエグバートの台詞には「私のことを助平爺と思っているんじゃないか」という下劣な含みがあるのかもしれない。
7. 『二十七シリング』(twenty-seven shillings)
シリング(shilling)は1970年代まで使われていた英国の補助通貨。1シリングは12ペンスである。当時と現代では物の価値がまるで違うので、27シリングが現在の日本円でどうこうと論じるのは無意味なことだとは思うが、参考までに言えば、サキの短編「On Approval」で、絵画一枚に10シリングで、高めの定食に1シリング6ペンス、オムレツとパンとチーズに7ペンスの値が付けられているので、1シリングはだいたい千~二千円くらいの感覚だろうか。これを踏まえると、27シリングはおよそ4、5万円ほど。1900年代のレコードの価格が3シリングという話もあるので、短い歌しか歌えない小鳥に27シリングとはずいぶん高い買い物だと思われる。