ウマレル
当時のコメントは「なんか出てきたから書いた」です。
わたしの記憶が確かなら、電車に乗っているときに出てきてしまったので、帰宅してから書きました。
「生まれる前のことって、覚えてるか」
不意に訊かれても、答えようがない問いというのがある。
多少は突拍子もない内容であっても、それまでの話の流れで思考がそちらに向いていれば、まだ対応のしようがあるのだ。だが、直前まで彼は、昨晩の夕飯について語っていたはずだった。つづけて、今夜はなにを食べるだとか、好きなメニューはなにかとか、そういう話になるならいい。
なんでこれ。
急に訊かれてもわからないよ、というのが最大限に誠実な回答である。
「俺は覚えてるんだよね」
どうせ、こちらの回答など、どうでもいいのだ。質問は、自分の話のための枕だろう。どんな風だったと尋ねるまでもなく、勝手に語りだす。
「すごく寒かった。風が唸ってて、孤独で、見捨てられた感じだった」
「そういうパターンは、はじめて聞くな」
「そりゃ俺だもの」
「ふつう、あったかくて、お母さんの心音が聞こえてとか、そういうんじゃないの」
「ふつうなんか、興味ないね」
そう来ると思ったよ。
「で、ふつうじゃない生前の情景はどんなだったんだ? いや、生前って生きてるあいだだから表現として変か……」
「おまえは、こまかいんだよ。とにかく、生まれる前は寒かった。生まれたらやっぱり寒かった」
「変わらないのか」
「そう。やっぱり寒いし、やっぱり孤独だし、やっぱり見捨てられた気分だった」
「親御さんが泣くぞ」
彼のご両親の名誉のためにいっておくと、衣食住、きちんと面倒をみておられたと思う。性格の方は、こんなだから、まぁどうしようもない。
「親は親だよ。俺は俺だ」
「話が繋がってない」
「こまかいよ」
「全然こまかくないよ」
「まぁとにかく、今でも寒いし、孤独だし、見捨てられた気分にもなるけど、ずっとそうってことはないんだよね。つまり、たまにはあったかいし、孤独じゃないこともあるし、見捨てられてない気分にもなれるってこと」
「そりゃよかったね」
「うん、よかったよ」
彼は笑って、それからまた、訊いてきた。
「で、死んだらどうなるか、知ってるか?」
「知らんがな」
「また寒くて孤独で見捨てられたようになるんじゃないかと、俺は思ってる。ずっと、ひとりぼっちになるんだ。風だけが、ごうごう鳴ってて、今にも吹き飛ばされそうで、だけど俺しかいなくて、誰も助けてくれないどころか、助けを求めることさえ無意味なんだ。生まれる前の、あの世界に戻るんだ」
「そういう宗教立ち上げても、絶対、儲からないよなぁ。ああいうのってだいたい、死後救われるとか、そういうので信者を引っ張るんだもんな」
「誰が他人と共有するかよ。これは俺だけの宇宙だ。だから絶対的に孤独なんだ。生まれる前も、死んでからも、あそこにいるのは俺ひとりだ。他の誰かが存在する余地なんかない。だから、他のやつが生まれる前にどんなかも、死んでからどうなるのかも、俺は知らん。俺にわかってるのは、俺のことだけだ」
「そりゃまたすごい孤独だな」
考えてみるまでもなく、彼はひとりでいることが多い。生まれてからも孤独を愛してるのかな、とぼんやり考えていたところに、いわれた。
「だから、生まれるってのも悪くないよね。今は、ひとりじゃないときもあるんだから」
「……おまえ、長生きしないといかんね」
「おうよ」
「自信持ってるなぁ」
そりゃあね、と笑って彼は立ち上がり、こちらを見下ろしていった。
「おまえも長生きしろよ」
お読みくださり、ありがとうございました。