相棒は要介護親父
介護の話。以前に投稿していた介護エッセイに少しフィクションブレンドしました。
RD相棒は要介護親父(投稿第1回)
☆東北からの電話☆
一九九一年、母が他界してから一年間、私は父と暮らしたが、同居のストレスで私は鬱寸前となった。
それで、母の一周忌で帰ってきた兄を近くの神社に呼び出して頼み込んだ。
「ひとりで親父の面倒、よう見ん。そっちは嫁さんもおるし食いもん商売やから親父の分の飯もついでに出来るから、長男として父の面倒を見てくれ」
「……分かった」兄は不承不承それを請けた。
その年の暮れ、父は兄夫婦のもとへと旅立った。父は七年向こうにいた。
その間、兄嫁にストレスが溜まり続け、そして爆発した。
父が向こうに行って七年目の七月のある日、兄嫁から電話が掛かってきた。
●001
「アンタの親父の面倒なんか見たくない、そっちに返す、ぎゃああああああ!」
電話口から、いきなり兄嫁の絶叫が聞こえてきた。
その後ろで、戸惑う兄の気配があった。私は兄嫁が遂にキレたのを悟った。
四六時中、他人の父親がいるのだ、私も経験していたから当然だ。
それから暫くして、今度は兄から電話があった。
「百万貸してくれ。明日までに問屋に支払わないと今後仕入れできなくなる。なに、すぐ返すから」
バブル崩壊で、兄の商売が傾き始めたのだ。父を預かっている手前、私は金を貸した。
ひと月ほどして、今度は兄嫁から電話があった。
「百五十万、至急送金してけれ。明日までに入金しないと銀行から差し押さえをくらうのよ」
●002●
仕方がないので、また貸した。暫くして父から電話があった。
「まこと、そっちに帰ってもええやろか?」
「ああ、帰ってきてええで」済まなさそうに問いかける父に、私はそう返事した。
何も兄嫁の事をおもんばかっての返事ではない。父に対する愛情や恋しさからでもない。
私の笑顔の即答は、父を人質にして、兄夫婦らに百万単位で金を要求されるのなら、父を引き取った方がましと判断したからだ。
電話を切ったあと、テレビをつけると、介護疲れで親を殺してしまった息子のニュースが流れていた。
そのニュースが私の将来を暗示しているようで凹んだ。
次の日から、凹んだ気分のまま父を迎える準備を始めた。
●003
相棒は要介護親父(投稿第2回)
☆父との再会☆
八月の下旬、いよいよ父との再会の時がきた。
終着駅のせいなのか電車は改札口に向かって進入してくる。電車が止まり、ダラダラと人が降りてきた。その人達は駅のホームと改札口の段差を繋ぐスロープを下ってくる。その中に父がいるはずだ。
一度は追い出した父を、一体どんな顔をして出迎えればいいのだろう。
本心を隠して、作り笑顔で出迎える演技力はない。多分、会った途端しかめっ面になってしまうと私は思
った。私は視線を左右に揺らしながら、父を探した。
乗客全員が改札口を通り過ぎた。
プラットホームにはもう誰もいない。
●004
ひと電車乗り遅れたのだろうか……それともまだ電車の中?
私は背伸びして電車の中を覗いた。その時、足下で私を呼ぶ声がした。
「まこと、ここや」
驚いて見下ろすと背中が直角に折れ曲がった父が、そこにいた。右手の杖で倒れ込みそうな身体を支えている。これでは人の影に隠れてしまう。父に気がつかなかったのは、このせいだったのだ。
吉本新喜劇で、背の低い芸人が他の芸人の目の前に立って呼びかけるのだが、その芸人は視線を落とさずに、辺りを見渡して『あれ、声がするけど姿が見えない』と言って気がつかないというギャグがある。
本来なら直角に腰が折れ曲がった父を見たら悲しくなるはずなのに、その吉本新喜劇のギャグが重なり、私は思わず笑ってしまった。
●005
そんな私を、父は笑顔で見上げていた。一度、父を追い出してしまった私が、再び笑顔で迎え入れてくれた事を素直に喜んでいた。父は、打算の結果、迎え入れたことは知らないでいた。
刹那の笑顔が、吉本新喜劇のギャグを思いだしたからだとは父は思いもしなかったのだろう。
「帰ろうか」
「ああ、帰ろう」
私は父の左手を引いて歩き出した。父の手は温かく、まだ力強かった。
それが逆に不安を呼び起こした。これから先、私は自分の生活を犠牲にして、一体いつまで父の介護をしなければならないのだろうかと……。
●006
相棒は要介護親父(投稿第3回)☆父の年金と固定資産税の滞納☆
腰が曲っている父は、畳の上で寝起き出来ず、それで私は背の低い簡易ベッドを買った。そのベッドに腰掛けて、父は「十月の年金でベッド代払うわな」と言った。
「年金って毎月振込みと違うの?」
「二ヶ月に一回、偶数月にまとめて入るんや。あいつらは八月の入金と同時に、九月分まで自分らのもんにしてしまいよったから、今、手元に金あらへん。それだけやない。わしの生命保険まで、ワシが入院している間に勝手に実印使って解約してしまいよったんや」父は憎々しげに言った。
「その実印は持って帰ってきたんか?」
●007
「あいつら、『見つからん』と言って返しよらんかった。この家の土地、ワシの名義のままやから、その実印使って、勝手に売ってしまいよるかもしれんで。はよ実印の登録し直しとかなあかんで」
私は慌てて父の実印の変更手続きをしに市役所に出掛けた。
その市役所でついでに父が払っているはずの固定資産資産税について担当の課で調べてもらった。驚いたことに四年間、滞納していた。私は慌ててその分を支払った。
同時に、四年前から兄の店が火の車だったのだなと知った。
☆父の寝姿☆
父は簡易ベッドで寝起きするようになったのだが、背中がくの字に曲っているものだから、横向きにならないと寝られない状態だった。
●008
が、それでは寝にくいらしく、最後は肩甲骨の下あたり、曲った背中とベッドとの間に生じた隙間に枕を押し込んで、仰向けになって寝るようになった。
そんな所に枕をあてるから、顔は完全に真っ逆さま。歯の抜けた口がポッカリ開いて、まるでムンクの叫びを逆さまにしたようになった。
☆父のトイレ☆
父は始めのうち、家の中でも杖をついて歩いた。
夜中にトイレに行かれると、カツン、カツンと廊下に杖をつく音が妙に響いて、何度も目が覚めた。
時折杖をつき損ねてバタンと倒れる音がした。
●009
そんな時は二階から降りていって、父を抱き起こして、トイレまで支えて行った。この作業は結構急を要した。父はトイレにたどり着くまで時間がかかったからだ。
尿意を催してからベッドから身体を起こし、上半身で反動をつけて立ち上がるまで、特に時間がかかるので、その間に父の膀胱は満杯、漏れる寸前になっている。
だから途中で転んだときは急いで助け起こさないと、その場で漏らしてしまう結果となる。
何度かこけて、廊下に小便を漏らした後、父は名案を出した。
●010
相棒は要介護親父(投稿第4回)
☆家では尺取り虫歩行☆
腰かけ用に買っていた、籐の丸椅子を利用することにしたのだ。
父はベッドから起き上がると、まずベッドから足を下ろしてベッドに座る。
それからベッド横に置いてある籐の丸椅子を両手で掴む。
次に籐の丸椅子を掴んだ両手で体重を支えるようにして、ベッドから尻を上げ、籐の丸椅子を使った四つん這い状態を作る。そのあと、まず体重を籐の椅子に乗せて、足を一歩進める。
次は足の方に重心を移して、両手で籐の丸椅子を一歩分前に押し出すのだ。
それを繰り返して前進していくのだ。まるで尺取り虫のようである。
●011
無様ではあるが、両手で身体を支えることが出来るために安定感抜群で、その後、部屋の中を移動する際は、軽い籐の丸椅子を杖代わりにした。
その内、父はパンツをいちいち脱ぐのが邪魔くさくなって、家にいる間は真冬でも、ずっと下半身スッポンポンのまま生活するようになった。
父は自力で動ける間はそうやってトイレに行った。けれども、一年もするとトイレにたどり着くまでに、小便を漏らしてしまうようになった。本人は全く気づかずにである。私は一度、夜中、階段を下りて廊下に足を着けたとき、父の漏らした小便で滑って尻餅をついたことがあった。
☆外ではシルバーカー☆
外では尺取り虫歩きは無理だった。だから外出用にシルバーカーを買った。
●012
シルバーカーは、両手でつかむ所にブレーキレバーが付いている。
ブレーキをつけていないと、何かの拍子に前進した場合、シルバーカーで体重を支えている老人は、前のめりになって倒れてしまうからだ。
父と市役所に出掛けたことがあるが、入り口前のわずかな段差にシルバーカーの前輪が引っ掛かってしまった。父はシルバーカーを前後させて段差をクリアしようとしたが出来ず、最後に前輪を浮き上がらせて段差を越える手段に出た。しかしブレーキのタイミングが遅れて、シルバーカーをウイリーさせたまま父は前のめりになって倒れ掛けた。
私が押さえて事無きを得たのだが、シルバーカーの操作は結構難しいようである。
●013
相棒は要介護親父(投稿第5回)父との生活3
☆父の原付き用証明写真☆
シルバーカーに慣れ、よく外に出るようになった父は、ある日、写真屋に行って証明写真を撮ってきた。
「そんなもん、何に使うの?」と聞くと、
「シルバーカーじゃ、遠いところには行けん。また原付きのバイクに乗ろうと思うんや」と父は言った。
その写真を見ると、父は真正面を向き、普段はしない入れ歯を入れ、昔の面長だった顔に戻って、精一杯の男前を演出していた。けれども背中が曲っているせいで肩の位置が変で、少し滑稽だった。
それからは父が原付きバイクの事を口にすることはなかった。
その後、顔写真を撮る機会がないまま父は逝ってしまったので、その証明写真が父の遺影になっている。
父は、あの日、自分で葬式用の写真を撮ったのかもしれない。だから精一杯格好良く写ろうとしていたのだろう。
●014
☆父の食事の世話☆
父は帰ってきた当初、「ワシは朝晩、パンで構わん」と言った。
それでは余りにも可哀想なので、夜、父親の分もついでに作るようになった。
一人も二人も、作る手間は同じだったから、最初は苦にならなかった。
しかし、会社から家に帰るのは七時過ぎ、残業すると十時、十一時になった。
父はそんな時でも、私が食事を作るのを、待っていた。ほぼ毎日である。
私はそれが、次第に苦痛になり始めた。
残業で疲れ果てて帰ってきてから父の食事を作りながら私は呟いた。
「介護疲れで親殺しする息子の気持ち分かるわ」
●015
相棒は要介護親父(投稿第6回)☆父と神戸に行く☆
「生きているうちに神戸のタミちゃんの所に行きたい」
四月の中旬、暖かくなった頃、父が不意に言った。
父は神戸で生まれた。ちゃんと聞いたことはないが、金持ちのお坊ちゃんだったらしい。
父は子供の頃、夏休みの間、東隣の親戚の峰口家に避暑に来ていたとか、何とか言っていた。母達三姉妹とも、その頃に出会っていたようである。父の葬式の時、小学生の頃の父を知っている峰口家の爺さんが、「ワシら、まだ草履しか履いてなかったのに、革靴履いて、夏休みに遊びに来よったからな」とポツリと言ったので、確かにお坊ちゃんだったようだ。
●016
だが、父が戦争で満州に行っている間に、両親や親戚が神戸大空襲でやられ、両親の土地も戦後のどさくさで失ってしまっていて、身寄りのなくなった父は、満州から帰国後、仕方なく溝口家を頼って姫路に流れてきたのだ。唯一、父の従姉妹のタミちゃんが一人、神戸で暮らしているだけだった。だから父は会いたくなったのだろう。
「じゃ、今度の五月の連休に行こうか」
私は父を乗せ、タミちゃんの所に連れていった。
タミちゃんと再会した父は、自分の身体の事も忘れて、嬉しそうに昔話に花を咲かせた。
●017
☆冬支度をする☆
父はトイレに行くたびにパンツやズボンを脱ぐのが面倒になって、一日中下半身、素っ裸のままで寝起きするようになっていた。
夏はいいが、冬が寒くて大変である。だから秋口から父の部屋の改造を始めた。
私は電気コタツの脚を長いものに替え、ベッドの横に置き、父がベッドに座ったままコタツに足を入れられるようにした。これなら、下半身むき出しでも寒くはない。
「どうや、足長電気ゴタツの座り心地?」
●018
「うん。これなら座ったままテレビも見れるし、小物も置ける」
父は歯が一本しかない口を開いて笑顔を見せた。
「できたら、石油ストーブが欲しいんやけど」
「それは駄目。足元やわいから、石油ストーブ倒したりしたら火事になる。エアコンの暖房で我慢し」
「そうやな……でもエアコンの暖房、空気が乾燥して咳が出るからなあ」
父は咳き込む仕草を見せた。私はその対策として加湿器を買った。
●019
相棒は要介護親父(投稿第7回)
☆在宅酸素☆
父は東北の病院で、肺の機能が弱っているとか、喘息の症状があるとか診断され、家でも高濃度酸素が吸えるように、在宅酸素の機械を使うよう指示を受けていた。だから、こちらに帰ってきてからも、業者から在宅酸素の機械を入れてもらった。しかし、父の喘息というのは、どうもストレスから発症するらしくて、気分次第で使ったり使わなかったりだった。
☆老人ホームを探す☆
「まことちゃん、お父さん世話するの大変でしょ。老人ホームのパンフレット持ってきてあげたわよ」
●020
茂子姉さんがやってきた。母の姉、野々村玉江オバサンの次女である。結婚して近所に暮しているので、私の事をいつも気にかけてくれていた。
「この辺では、一番安い老人ホームよ」と、パンフを広げたが、入所金が八百万円だった。そんな金はないから遠慮した。すると今度は短期入所ケアホームのパンプを持ってきた。家からも近く、入所金不要。月々の料金も三万円前後だった。
私は父を連れて、そのケアホームを訪ねた。
そこは町立病院が運営していて、そこの医師とケアホームの責任者が応対してくれた。
簡単な入所審査が行われた。健康状態、家族構成などを答えていくうちに、父が在宅酸素を使っているという話になった。
「ウチでは在宅酸素使用者は受け入れてないんです」責任者が残念そうに言った。
●021
☆夜道を歩く☆
雨がしとしと降っていたある日、私は会社から電車で帰宅中、途中下車してしまった。
急に父の行動すべてが急に嫌になり、父の待つ家にはもう帰りたくないと思ったからだ。
発作的に降りたものの、帰るところは家しかない。私はトボトボと夜道を歩き始めた。
雨による湿気が身体にまとわりつく。このままでは精神的に参ってしまい、ニュースネタを提供してしまう。何とかしなければと思いつつ私は夢前川の橋を渡った。
昔、母が入院していた病院が見えてきた。
●022
相棒は要介護親父(投稿第8回)☆母の病気☆
その病院の前に来た。私は立ち止まって、母が入院していた病棟を見上げた。
私が東京から帰ってきてすぐ、母は骨粗鬆症を患って、急に背中が曲がり始め、背中の激痛で動けず一時は寝たきり状態になった。骨が曲りきって、それなりに安定するまで十年近くかかった。その後、母は胃が痛いと言い始めた。母は背中が曲ったせいだと思っていたのだが、胃ガンだった。手遅れだった。
開腹手術をしたものの、ガンが広がりすぎていて外科医は完全切除できずに閉じてしまった。
「親父と一緒に暮すの嫌やねん。はよ元気になって帰ってきてな」
手術後、見舞いに行ったときに私は、そう母に言った。
●023
「私が愛してる人をそんなに嫌わないで」母は力なく笑った。
「どこが好きで結婚したねん?」
「若いとき、目がとても奇麗だったから」母は遠くを見るようにして言った。
あれから、もう十年近くの時が流れていた。私は再び歩き始めた。
☆完全介護生活になったら何をする?☆
一度夜道を歩いた程度では、今後の自分の身の振り方を見つけることはできなかった。
だから会社までの通勤の一時間、電車の中で居眠りをしながら考え続けた。
今のところ、父は自力で動けるが、いずれ介護が必要になってくるのが目に見えていた。
●024
兄は「何、老人ホームに預ければ済む」と気楽に言っていたが、実際は老人ホームもケアホームもダメだった。兄夫婦は東北、遠すぎて介護のフォローを期待できない。
となると、いつかは会社を辞めて父の介護専従生活となる。
金銭面については、幸いにも父は厚生年金を貰っていたので、父が生きている間、始末をすれば二人分の生活費は出る。問題は、介護のために生じる精神的ストレスだ。介護オンリーでは確実に精神的にいかれてしまう。ストレスを発散する手段を何とかみつけなければならない。
私は悩みながら、ふと車内吊りに目をやった。
文芸春秋の広告に『芥川賞受賞作掲載』と書かれているのが目に止まった。
その瞬間、介護の間、芥川賞狙って小説を書いてやろう! なんて大それた妄想を抱いた。
根拠なんかまったくない。無謀な挑戦とは分かっている。しかし、芥川賞作家になることを夢見て、小説を書いている間は、ストレスから逃れられると思ったからだ。私はその日から小説を書き始めた。
●025
相棒は要介護親父(投稿第9回)
☆緊急入院☆
「まこと、息が出来ひん、助けてくれ!」
真夜中、私は父のかすれたような叫び声で目を覚ました。
父は這いずって階段のしたまで出てきて、咽を掻きむしるようにして、息も絶え絶えに叫んでいた。
「大丈夫か!」私は階段を駆け降りた。
父は全身を硬直させて、痙攣を始めた。私は救急車を呼んだ。
救急車がやってきた。
全身痙攣させている父をみた救急隊員の顔には緊張が走っていた。 救急隊員は脈拍を取り、父の人さし指にクリップを取り付けた。
●026
「血中酸素92から95」一人が数値を読み上げた。
すると途端に救急隊員は緊張を解いた。父はまだ激しく痙攣しているのに。
「脳にダメージはないようです」救急隊員は安堵の表情で私を見た。
大きな病院への受け入れを、何度か断られた後、父は個人経営の小さな救急病院に運ばれた。
「お爺さん、聞こえますか? お名前は?」
ストレチャーからベッドに移された父は依然、全身を痙攣させていた。
その父に、黒縁メガネの看護師が声掛けをした。
父は何とか返事をしようとするが、口から出てくるのはアウアウという言葉にならぬ声ばかり。
●027
そこの病院の院長が父の足の静脈瘤を見て言った。
「言葉がまともに出ないようですし、ひょっしたら足の血管にできた血栓が脳に飛んで、脳の血管に詰まって脳梗塞になってるかもしれませんね」
「寝た切りですか?」
「最悪はね」
いきなり重度の介護生活に突入かよ……私は青くなった。
「ずっとここに入院させることは出来ますか?」
「できません。今はどこの病院でも三週間が限度なんです。最終的には息子さんが家で介護するしかないでしょうね」
この時はまだ介護制度がなかったので、寝たきりになった父の世話は、すべて私がやらねばならない。恐れていたことが急に現実となりつつあるのだ。
介護疲れで親殺し……、私もその場で倒れてしまいそうになった。胃が急に痛み始めた。
●028
相棒は要介護親父(投稿第10回)☆迫真の仮病☆
「取りあえず、病室に運びましょう」
黒縁メガネの看護師がストレッチャーを押して父を病室に運び込んだ。
父の緊急入院を聞きつけた、東隣の親戚、峰口八重子さんに連れられて、玉江伯母夫婦がやってきた。
「お父さんの容体は?」八重子さんが心配そうに聞いてきた。
「寝たきりになるかもしれん」私はしかめっ面で答えた。
「このままの状態では小便もできませんので、尿道にバルーンを突っ込んでおきましょう」
と、言って院長が父のペニスに管を差しこもうとした、その瞬間、唖然とすることが起きた。
●029
「それ、痛いから止めて……」と言って父がベッドから上半身を起したのである。
その場にいた全員の目が点になった。
ほんの一瞬前まで、ろれつも回らず、全身をブルブルと痙攣させて、身動き出来なかったはずの父は、尿道に管を突っ込まれると分かった途端に、ベッドから上半身を起こし、はっきりとした口調で、そう言ったのだ。
院長はバルーンの管を手にしたまま、身体をフリーズさせていた。黒メガネの看護師も、東隣の八重子さんや野々村の老夫婦も、全員が凍りついたように身動きひとつ出来ずに、目を点にして、寝たきり状態からあっさりと復活を遂げた父を凝視していた。
私だけがそれを見抜いていた。父は、<大袈裟に病気のフリをこいていた>のだ。その迫真の演技力は現職の医者と看護師をも騙す、ある意味、見事なものだった。
●030
阪神淡路大震災で会社を自宅待機していたときに一度父を訪ねにいったことがある。
その時に兄嫁が「あなたのお父さん、誰も見ていないときはシャンシャン歩いているのに、私が見てると知った瞬間、ヨロヨロ今にも倒れそうな雰囲気で歩きはじめるのよ。
人にかまって貰いたくて病気の振りをするんでしょうね」と私に耳打ちしたのである。
私はこれがそうなんだと思った。救急隊員が酸素濃度が正常と分かった途端、父が激しく痙攣しているのにも関わらず緊張を解いたのをみて私は腹を立てたが、救急隊員の見立ての方が正しかったのである。
年末になった。
会社帰りに、震災の年から年中行事となった神戸ルミナリエを見に行った。
規模が縮小されていた。来年も会社帰りにルミナリエを見ることができるのだろうかと、ふと思った。
●031
相棒は要介護親父(投稿第11回)☆認知症発症?☆
ある日、会社から帰ってくると父が火のついたガスコンロの前で立ち尽くしていた。
「何で、勝手に火つけてるんや!」
「便秘のせんじ薬を作ろうと思って、ガスに火をつけたんだけど消し方が分からんのや」
「火事になったらどうするんや!」私はガスコンロのスイッチを切った。
「すんません、すんません!」
父は台所のシンクに向かって頭を何度も下げ始めた。
●032
私にはこれが父の、例の構って欲しい演技なのか、本当の認知症の始まりなのか判断出来なかった。しかしどちらにしろ、こんなトラブルが増えていくのは目に見えていた。
専従介護になる時は思ったより早く来るのかもしれない。
☆始まっていた介護制度☆
スーパーから買物をしての帰り、親戚の佳子さんと出会った。佳子さんはお母さんを乗せた車イスを押していた。
「お母さん、まこと君よ。分かる?」
佳子さんは車イスのお母さんに声かけしたが、お母さんは無邪気な笑顔を見せたままだった。
「認知症なのよ。やっぱり誰だか分からないみたい。でも私だけはまだ判別できるみたいで、それだけが救いね」佳子さんは笑って母親の肩を擦った。
●033
近所には、認知症の旦那の親を看ている中村さんという女性もいた。中村さんともスーパーでよく出会ったが、「大変なのよ……」と、いつも疲れ切った顔をしていた。
同じ認知症の親を世話する身になっても、笑顔の佳子さんと、やつれた中村さんとを比べると、義父の世話をする立場の方がストレスが大きいようだ。多分、兄嫁もそうだったのだろう。
暫くして、また中村さんに出会った。その時は、見違えるほど元気になっていた。理由を聞いた。
「新しくできた介護施設に長期ステイで入所できたから、義父の世話をしなくてよくなったのよ」
と嬉しそうに笑った。
私の知らないうちに、介護制度が始まっていたのだ。私は介護制度を利用することにした。
●034~●035(字数調整)
相棒は要介護親父(投稿第12回)☆携帯小説の未来☆
長編小説を書いてあちこちに応募したが一次すら通過しない。
しかも、最近、巷ではではケータイ小説が大流行。このケータイ小説がさらに進化したら出版業界はどうなっていくんだろう。私は大画面携帯が主流になり、携帯で小説を読むことが当たり前になった将来の弱小出版社の短編を書いてみることにした。
●038
相棒は要介護親父(投稿第13回)
☆短編小説応募作☆【文庫本の半分、つまり半文庫でとある出版社は起死回生を目指す】
とある出版社では、ネット小説の隆盛に押されて文庫本返本率八割九割が当たり前となって、先行きが真っ暗になっていた。その打開策を解決すべく、今週も会議が行われた。
「諸君、このままでは年内に我が社は倒産するだろう」
社長はわずかに残った四人の編集者に向かって暗い顔で、ある意味、自社の死亡宣告をした。
去年まで社員は八人、すでに半分の四人が去ってしまっている。その四人はある程度有能だったから転職も出来たわけで、つまり今残っているのは無能社員ばかりである。
●039
あと一年で六十五歳になり、年金生活に突入できるから、我が社の将来なんてどうでもいい林次郎太。
主婦兼業の半分趣味で来ている松本香住美。
名は体を表すの言葉通り、長髪のボサボサ頭で芥川賞を目指している芥河省一。
これでもまだいい。最悪なのは須磨本男である。
こいつも名は体を表す系で、仕事中、片時も大画面携帯を手放さない。
ゲームとかメールならまだ赦せるが、須磨が見ているのは我が社傾城の最大の原因、無料小説投稿サイトの小説を仕事中に読んでやがるのだ。
だから月曜恒例の会議で社長が必死で危機感を煽っても何の反応もなし。
そんな社員を見渡して、社長は本当に倒産しちまうんだぞと小声で呟いた。
そしていつものごとく、会議を終わらせようとした矢先、大画面携帯を見ていた須磨が手を上げた。
●041
「社長、大画面携帯いじくってて思うんですが……」
こいつ、堂々と言いやがる!
「大画面携帯の画面ってのは文庫本の半分サイズなんですよね」
「そりゃそうさ。どんなに大型化しても、片手で持てるというリミットがあるから物理的に文庫本の半分を少し上回る程度にしかできない。それがどうした!」
社長、会議の席で不倶戴天の敵を持ち出してきた須磨に対して怒りを覚えた。
「今の時代、みんなこの文庫本の半分の大画面サイズに慣れてしまってます」
お前もな! 社長は無言で突っ込みを入れた。
●042
「だったら、我が社が出す文庫本も半分にして大画面サイズにしたらどうですか?
そうしたら物理的なサイズも大画面携帯並になってコンパクトになり、ポケットにも女性のハンドバックにも入るし、今より売れるんじゃないですか?」
社長、はっとした。今の今まで須磨をバカにしていたがこいつ賢いのではないかと思った。
しかし問題があった。
「なるほど。しかし、仮にお前のいう大画面携帯サイズの半文庫が売れるとしてもだ、文庫本を半分にするとなると、今の印刷工程や物流システムを大幅に変更しなきゃならん。今の出版業界に印刷業界や物流に対して、そのような新たなシステムを導入するよう圧力をかける力はないし、資金力もない。投資家に泣きついても彼らは金を出さんだろうな」
「社長、頭悪すぎ!」
何を! このクソがきが!
●043
「全然、今のシステムのまんまでOKっすよ。文庫本一べーに同じ内容を並べて入れて・・・つまり二丁刷りにして製本してから、裁断機で文庫本をばっさり二つに半分こ・・・つまり半文庫にしてしまえばいいんです。追加の手間は裁断作業だけ。
二冊をセットにすれば文庫本サイズなんですから、書店流通に使う段ボール箱その他、諸々の物流システムに何の変更も加える必要はないですし、逆に今のシステムのまま一気に倍の冊数を送れるのですから物流コストは半分になるわけで。
半文庫企画、案外いけるかも……今まで真っ暗だった社長の心に一筋の光明が差した。
「オレ、ズッと前から、この半文庫の発想をしていて、それでオレ、んな浪士小説サイトでオレの企画に合う作品探していたんですけど、これは!っての数点すでに見つけてるんですけど。んな浪士小説サイトに問い合わせてみますか?」
了
●044~●050(45から50、字数調整でカット)
これはごく近い未来の話である。だからSFマンガンジンの月間短編賞に出してみたら入選した。
私は将来の芥川賞取りにほんの少しだが、自信となった。
けれど、この入選によって離職の時期が一気に早まってしまったことに私は気がつかないでいた。
●051
相棒は要介護親父(投稿13回)
☆入選リストラ☆
「杉ちゃん、おめでとう。SFマンガンジンの短編に入選してたってね」
朝、某保険会社のビルの四階にテナントとして入っている神戸支社に行くために一階エレベーター前にいると、背後から営業の山田さんが声をかけてきた。
「え、どうしてそれを……」
「本社人事の小松さんってのがさ、SFファンでさ。SFマンガンジンを定期購読しているんだよ。で、人事だろ。だから杉浦まことの実名で、気がついたんだってさ」
●052
エレベーターの扉が開いた。二人同時に乗り込む。
まさか入選するとは思っていなかったので、本名で出してしまったのだが、よりによって本社の人事にバレてしまうとは。でも入賞賞金五千円だし、何の問題もないだろうと私は高を括っていた。
「ま、月例の短編だし、賞金も微々たるものだったし、大したことじゃないですけどね」
「でもチャンスはチャンス。ウチの業界だってネットのせいで売り上げ激減、近々支社でも一人リストラって噂もあるし、先は明るくないからな。頑張りや」
エレベーターが四階で止まり扉が開いた。
●053
神戸支社はエレベーターの真ん前にある。そのガラスドアを開けるとワンフロアの神戸支社全体に響き渡る槙野局長のダミ声が聞こえてきた。
「上ちゃんさあ。それで神戸支社から一人選ばないといけなくなったんや」
「朝っぱらから槙野局長のおでましとは……。バッドな一日になりそうだ」
山田さんは私に軽くウインクして自席に向かった。
私も急いでパーテーションで仕切られたデザインブースに逃げ込んだ。
ガサツで下品で同郷の元神戸支社長の槙野局長が大嫌いだったからだ。
「杉浦来てるか?」と槙野局長。
「あ、はい……」
「そっち行くから待ってろ」
●054~
いつもは呼びつけるのに、こっちに出向く? 私は嫌な予感がした。槙野局長が上田支社長を従えてやってきた。
その手には何と謹呈本として送られてきたSFマンガンジンがあった。
「杉浦よ。SFマンガンジンの短編に入選したんやてな。おめでとう」槙野局長は入選作の表紙が掲載されたページを開いて見せた。
そして名前の所を指した。
「人事の小松が見つけたんやけど、この杉浦まことってお前本人やったんやてな」
「はい」
「お前、社則でアルバイト禁止されているってこと知ってるよな」
●055~●058(字数調整)
「あ、はい。でもたった五千円の賞金ですし、偶然なんで」
「震災以後、神戸支社の売り上げが思わしくなくてな、社長がワイに誰か神戸支社の誰か一人、リストラせよって命令されて今日、ここに来てるワケなんやが、明確な社則違反でリストラされるべき人間がいて助かったわ」
「局長、幾ら何でも五千円でリストラなんて酷すぎませんか?」
「理由はそれだけやないんや。お前、親父さんの介護であんまり残業せんようになったろ。正直、エエ加減、迷惑してるんや」
「しかし……今リストラさせられたら厚生年金が……」
「ま、見つけてくれたのが人事の小松なんで、お前の厚生年金の支払い期間、先に調べてくれていた。来月で二十五年と六カ月ということになる」
槙野局長は用意周到に準備してきていた。
「今日辞表を出すなら、依願退職扱いにしてやるし、有給休暇の消費も認めてやる。逆らうんであれば即、懲戒免職扱いにする。懲戒免職だと退職金出んからな。どうする?」
槙野局長は追いつめたネズミをいたぶる猫のような目をしていた。
辞表を出すしかないようである。
「分かりました」
十月末、私のサラリーマン生活最後の日がやってきた。
五時半。定時に会社を去った。
満員電車で帰宅するのも、この日が最後である。
明日から新しい一日が始まるのだ。
●059
相棒は要介護親父(投稿第14回)
☆介護専従生活を始める☆
「そうか、会社辞めたんか……」
父は足長コタツに足を突っ込み、両腕を組んでコタツの天板に体重を預けてテレビを見ていたが、さらに何か言いたげに私を見た。
「厚生年金も二十五年クリアしたし、新しいことにチャレンジしようと思ってな」
「新しいこと?」
「これから本気になって芥川賞を目指すんだよ」
「そうか……頑張りや。応援するわな」父は哀しげな笑顔を見せた。
次の日、私は社会保険事務所に出掛けた。二十五年と三ヶ月、厚生年金を掛けていた。
次は失業保険の手続きだ。私は会社側から渡された書類を持って近くの職業安定所に行き、手続きを済ませた。
●060
それから、同級生の原がやっている喫茶店に立ち寄った。
原はカウンターに座り、JRの時刻表を見ていた。
「おや、杉浦、平日の真っ昼間に来店とは、どうしたん?」
JRの時刻表から目を上げ老眼鏡を外して私を見た。
「会社辞めた」
「お前、会社辞めてどうすんねん。いくら貯金があっても収入がなくなったらいつかは底をつくぞ」
「厚生年金もらえる二十五年は勤めたから六十五になったら年金が入る。
ま、それまでくらいの間、始末すれば何とか食いつなげる貯金はある」
「そうか、それならいいや。でも、暇だぜ。何するつもりや?」
「前にも言ったけど、芥川賞を本気で目差す」
「ま、それもいいかもしれんな」
私は原の返事に拍子抜けした。
●061
「お前、前に言ったとき、アホなことするな、地道に働けと散々馬鹿にしたのに、何で心変わりしてんだよ」
「これのせいや」
原は開いたままのJRの時刻表を軽く叩いた。
「お前、中学の時の同級生だった小林、覚えているか? そう、大学時代、花クソの応援団って漫画のアシスタントしてた奴や。
その小林、今、新潟で中学校の教頭をやってるんやが、大腸ガンで余命数カ月何だってよ。昨日、奥さんから電話があったんで、明日、小林の見舞いに新潟まで行こうと思って時刻表見てたんや。
ワシラもそろそろ棺桶に片足突っ込んでる年齢になっちまったみたいや。
好きなことやってもいいんじゃないかな。ワシラにはそれほど時間は残されてないかもよ」
原のズンとくる話に、私は辞めたことが少なくとも完全な選択ミスではなかったという確信を得た。
●062
相棒は要介護親父(投稿第15回)
☆ヘルパーのえっちゃん☆
「こんにちは~!」二階で小説を書いていると、突然威勢の良い声がした。
ヘルパーのえっちゃんだった。私は、階段の上から彼女に挨拶をした。彼女は、私に会釈してから父のところへ入っていった。
「えっちゃんか。ありがとな」
えっちゃんが来るようになって、父は少し元気になった。
「今日はお風呂入りましょうか」
「ああ。入る」
えっちゃんが湯を沸かしに行く。父は反動をつけてベッドから半身を起こし、籐の丸椅子に手をかけて尺取り虫歩行で風呂場に向かう。介護制度のおかげで、意外と楽な介護生活を送りつつ、私は芥川賞ゲットという無茶な夢を追っていた。
●063
☆私も救急車で運ばれる☆
私が会社に行っている間に父が勝手に救急車を呼んで何度も病院に入院しはじめるようになっていた。
その度に病院から会社に電話があり、「大した病気でもないのに救急車を使わないでください、でないと入院を拒否しますからね」、と繰り返し警告を受けていた。
私が会社を辞めたのも、家にずっといることで父にそれをさせないためでもあった。
専従介護を始めて数ヶ月後だったか、スーパーで買物した帰り、スーパー前の並木道に生えている、頭の高さの辺りまで葉葉と枝が伸びている街路樹の下をくぐり抜けている最中、頭の天辺でゴリっという音がした。誰かが折った枝の尖った部分が頭に当ったのだ。
●064
血が幾筋か額から流れ落ちてきた。スーパー前の街路樹である。私は頭から血を垂らしながらスーパーに戻り、店長に文句を言った。
すると店長は救急車を呼んだ。
救急車に乗せられて病院に運ばれていく途中、無線が入った。
「どこそこで男性一人が心臓発作を起したとの連絡あり。至急、そちらに向かうように」
「了解。今の患者を病院に連れていってからそちらに向かう」
隊員のその返事を聞いて、私は慌てた。
「血はもう止まってます。私を下ろしてそっちに向かって下さい」
「いえ、あなたを病院に送り届けてるのが先です」
父が救急車を呼びつけて病院に搬送される途中、何度もこんな事があったのかもしれないと私は思った。やっぱり辞めて正解だったのだ。
●065
相棒は要介護親父(投稿第16回)
☆父を荷台に乗せて運ぶ☆
「足が痛いんや、救急車を呼んでくれ!」
朝、父がそう叫んで、足長コタツから両足を出した。
父の両足はパンパンに腫れていた。足の指先も全部、膨らむだけ膨らんでいる。
「痛いんや、早く救急車を呼んでくれ!」
「こんなことで救急車を呼べるか。僕がいつもの病院に連れていく」あの時の経験が、私にそう言わしめた。
「でも、お前一人じゃ、無理やろう。わし、痛くて歩かれへん。救急車!」父は泣き顔になった。
「救急車は呼ばん。えっちゃんが来るまで待て!」
昼、えっちゃんが来た。
●066
「えっちゃん。今日は昼飯の用意はいいから、父を病院に運ぶのを手伝ってほしい」
えっちゃんも父の様子に、すぐに気がついた。
「分かりました。でも、どうやって運びます?」
彼女は、四ドアのパジェロに乗っていた。パジェロなら楽々父を運べる。
私の視線の方向に気がついたえっちゃんが慌てて言った。
「介護されている人を車に乗せるのは禁止されているんです」
「じゃ、仕方がない、僕の車の荷台を使おう。乗り降りの手伝いだけしてよ」
「了解」
私はハッチバックを開け、後部座席を畳んで父を寝かせるスペースを作り、そこに布団を敷いてから、えっちゃんと二人がかりで父をその布団の上に乗せた。
●067
私は病院へ車を走らせた。その後を大型パジェロに乗ったえっちゃんがついてくる。
「悪いな。でも救急車をあまり使いたくないんや」
車で運んでいる最中、謝ったが父は何も返事を返してくれなかった。
病院の玄関前で、えっちゃんと二人がかりで父を下ろした。
その時には、もうえっちゃんの訪問介護の時間は終わっていた。
「ごめん。時間オーバーしてるわ」
「大丈夫、次の介護先の時間にはまだ間に合うわ」
えっちゃんは大型パジェロを発進させた。
●068
父の担当医の田村先生がパンパンに腫れた父の足を見て言った。
「腎機能が衰えてうまく排尿できなくなると下半身に水が溜まるんですよ。このままでは身体に老廃物が蓄積して容体が悪化します。だから利尿剤を処方しましょう。尿が出れば、足の腫れは引きますから」
「先生、悪い病気なんですか?」
迫り来る死が怖いのか、父は不安げに質問した。
「歳がいくと、誰でも腎機能が落ちて、下半身に水が溜まりやすくなるんですよ。急を要する病気ではありませんから、安心してください。とりあえず、足の腫れが引くまで入院ということで……」
田村先生の言葉を聞くなり、父の顔がパッと明るくなった。救急車で運ばれてきてもその度に当日に押し返されていた父である。久しぶりに入院出来ると知って笑顔になったようである。
●069
相棒は要介護親父(投稿第17回)
☆利尿剤の代償☆
一週間程の入院で父の足はすっかり元に戻っていた。
田村先生に毎朝利尿剤を飲むように言われ、父はその通りにした。
利尿剤を飲むと頻繁にトイレに行くことになる。けれど、父はトイレに行くまで時間がかかる。なので、行くまでに小便を漏らすようになった。ベッドから起き上がる前という時もあった。
それで私はポータブルトイレを買い、ベッドの横に置いた。それで尿漏れはなくなったが、頻尿で度々ベッドから起き上がるのが面倒になった父は、利尿剤の効果が切れるまで、ポータブルトイレに座りっぱなしで居るようになった。
●070~●072(字数調整)
☆介護業者の淘汰が始まる☆
介護制度が始まると、国から補助が出るということもあって、新規業者以外にも、個人業者、不景気にあえぐ他業種からの参入などがあり、あっという間に介護業者が乱立、過当競争になり、弱小業者が淘汰され始めた。そして、えっちゃんの勤めていた介護センターが廃業することになってしまった。
「えっちゃんが来るのも今日で最後なんやな」
いつものように威勢よくやってきた、えっちゃんだったが、父の問いに珍しくシュンとなって返事した。
「えっちゃんはどうするのや?」父が心配そうに聞いた。
「私? 私は暫くプータローするわ」
えっちゃんに笑顔が戻った。
半年後、私はスーパーでえっちゃんに出会った。
「今のところは文房具屋に勤めているの」
いつもの威勢のいい調子で彼女は笑った。
●073
相棒は要介護親父(投稿第18回)
☆裏の家のビーグル犬☆
無職になって最初の正月が来た。今年は一階で寝ている父と、二階で小説を書いている私の二人きりである。誰も来ない。当然、兄からも、兄嫁からも新年の電話や年賀状は来ない。
寒々として侘びしい正月である。
斜め裏の家で飼っている年老いたビーグル犬の、人を求めて、夜、鳴く声がさらに切なさを増す。
可哀想なビーグル犬だった。
犬小屋が裏庭にあったものだから、通りから隔離されていて、家族が裏庭に回ってこないかぎり、独りぼっちだった。
●074
で、その家族だが、急に転勤が決ったので、家とビーグル犬をセットにして他人に貸して、さっさと全員出ていってしまった。ビーグル犬は家族に見捨てられたのだ。
その間借り人は、犬がそれ程好きではなく、義務で夜中に一度餌をやるだけで、散歩にさえ連れていかなかった。それでもビーグル犬は、間借り人が帰ってくると甘えるように吠えた。
間借り人が夜中に出ていこうものなら、寂しいよと何時間も吠え続けた。
普段はうるさくて仕方がないビーグル犬の鳴き声が、この正月は私の心に妙に滲み込んできた。
不意に母を思いだした。母が生きていたときはまだ子犬だった。
そんな事を思い出しながら、私はうつらうつらしていた。
真夜中、突然、クラクションが鳴った。訪問介護の間、えっちゃんはパジェロを家の前の狭い道に止めていた。それを早く退けろ! と、また誰かの車がクラクションを鳴らしてるのかな。
●076
私は目を覚ました。いや、パジェロの話は何ヶ月も前の事だ。
えっちゃんはとっくの昔にヘルパーを辞めている。ビーグル犬の鳴き声を聞き間違えたのかな……いや、確かにクラクションの音だった。こんな真夜中誰がクラクションを鳴らしたんだろう。
私は二階の窓からこっそり下の道を覗いてみた。
車なんか一台も止まっていない。
私は耳をそばだてた。ビーグル犬の鳴き声もなく、シーンと静まり返っているだけだ。
車の発する音にしては軽い感じの音色だった。車のクラクションではなかったのか?
いや、居眠りの中での幻聴だったのだろう……。私がそう考えて机に戻ろうとした瞬間、クラクションが二度、三度激しく鳴った。反射的に辺りを見渡して音源を探した。音源は外からではなかった。一階からだった。
●077
相棒は要介護親父(投稿第19回)
☆真夜中のクラクション☆
父か! 私は慌てて一階に下りた。
ポータブルトイレに顔を突っ込んでいる父がいた。片手で手動クラクションのゴム球を押し続けていた。父が昔原付きバイクに取り付けていたクラクションだった。私を呼ぶために予め用意していたのだろう。
父はチョコレート色の吐出物を垂れ流していた。普段目にする嘔吐物とはまるでちがっていた。
私は救急車を呼んだ。
父はいつもとは違う救急病院に搬入された。
私は当直医に吐瀉物について質問した。
●078
「チョコレート色の反吐は何ですか?」
「多分、胃潰瘍の出血です。チョコレート色なのは血液が胃酸で酸化したからなのでしょう。大したことはないと思います。明日には退院です。入院同意書と保険証を持ってきて下さい」
ストレスで胃潰瘍になると聞く。父もまた強いストレスを受けていたのだ。
☆ショートステイ☆
父親が退院すると、早速《銀の海》のケアマネージャーがヘルパーさんを引き連れてやってきた。
「今月、お父さんは何回も入退院されたので、デイサービスや訪問介護がキャンセルになって、介護の点数が余っているんです。この点数だと四日間、《銀の海》でショートステイ出来るんですが、どうしますか?」
●079
ケアマネージャーがスケジュール表を私に見せた。
「在宅酸素の使用者はダメなんじゃないんですか? 昔、他所のケアハウスでそう言われて断わられたんですけど。
「ウチには在宅酸素の機械があるので大丈夫です」
「でも、入所待ちなんでしょ」
「いえ。今、丁度ベッドが数日間、空いたんですよ」
正直、デイサービスはあまり便利とは思えなくなっていた。送りだす前に、洗い立ての下着やオムツなどを揃えなければならないし、帰ってきたら、着替えの洗濯をしなければならない。それに迎えに来る時間、帰宅の時間には必ず待っていなければならないというのが、案外プレッシャーになるのだ。
四日間も父を預かって貰えるのなら、丸々三日は時間制限なしに羽を伸ばせるのだ。万々歳である。
●080
☆束の間の自由☆
「じゃあ、頼みます」私は父に意見など求めず、即答した。
金曜日の朝、父と四日分の下着やオムツなどを車に積んで、潮の香りがする海岸沿いに建っている《銀の海》に出掛けた。ショートステイの場合、介護送迎車で迎えに来てくれないないからだ。
父を預けた瞬間から、私は久々の独身生活を取り戻した。
私は次の日、姫路に出て、映画を観、時間を気にすることなく、好物の塩ラーメンと明石焼を食べてた。 入院して父がいないのと、元気なままいないのでは解放感がまるで違う。
ついでに喫茶店の原の所にも寄った。
●081~●082(字数調整)
相棒は要介護親父(投稿第20回)
☆看護師の美枝さん☆
「お父さん、元気?」
カウンターの端に座っていた黒縁メガネの女性が声を掛けてきた。
その黒縁メガネ、どこかで見たことのある女性だった。父を知っている?
「あ、あの時の看護師さん……」
「なんや、美枝さんを知ってんのか?」と原。
「ああ、一番最初に親父が世話になった看護師さんや。で、親父の名演技にはビックリしたでしょ」
「ええ。まさか、あんな状態から急に、『先生、それ痛いから止めて』って起き上がってくるとは思わなかったわ」美枝さんはニヒルに笑った。
●083
「でも、こんな真っ昼間にお茶。仕事は?」
「あの病院、辞めたの。今はプータロー」
「でも、今辞めたら、仕事探し大変でしょ」
「看護師の仕事なんて、幾らでもあるから平気。暫くプータローを楽しむわ」
美枝さんはまたニヒルに笑った。
「それより、あなた、偉くお気楽そうだけど、仕事してるの?」
私は無職というのが嫌だったから一捻りして答えた。
「二十四時間介護の仕事をしてる。但し無給だけど」
「重労働ね。あんな変人爺さん相手にストレス溜めずによくやってるわね。私だったらとっくの昔に切れてしまってるわ」
「こいつには芥川賞を取るって大それた妄想があって、小説を書くことでストレス発散してるんや」
●084
相棒は要介護親父(投稿第21回)
☆塵芥川賞☆
「へええ、芥川賞ね……」
美枝さんはしばらく考えてから「迫真の演技力を見せたあの親父の血を引いているのなら可能性はあるかもね。小説家の善し悪しなんて、書いている最中に如何に登場人物に成り切れるかどうかでしょうからね」
「おや、辛口の美枝さんが珍しく褒めた」原が茶化した。
「ま、でもあなたの才能は精々スターダスト程度。いくら頑張って塵を積もらせて山としても塵は塵。だからあなたが賞を取れるとしたら精々、塵芥川賞止まりじゃないかしら」
「塵芥に引っかけて塵芥川賞。座布団十枚! それでこそ美枝節」
原がカウンターを叩いて笑った。
●085
私は顔では笑っていたが、カチンとなっていた。
いくら応募しても一次すら通らず、介護の間に芥川賞を取るというモチベーションはいまではすっかり失われ、私は惰性ですら小説を書かなくなってしまっていた。
しかし美枝さんに馬鹿にされたお蔭でモチベーションが復活。家に帰るなり、途中で投げ出していた小説の続きを書き始めた。が、所詮、才能は美枝さんのいう塵芥レベルなんだろう。テンションを上げて書いた作品も結局は一次すら通らないままだった。
●086
私はこの際、どんなレベルの賞、それこそ塵芥の賞でもいいから、父が生きている間に受賞したくなっていた。私にもプライドがある。受賞して本を出し、父に「ほら、介護のために辞めたんじゃないんだよ」とその本を父に突き付けて大見得を切りたかったのだ。
そのチャンスは近所の食堂の本棚に置かれていた。
私は父をデイサービスに送り出したあと、近所の食堂に早い昼飯を食べに行った。ランチセットが来るまでの間、暇潰しで本棚から古い週刊誌を引っ張り出してパラパラ読みしていた。
その中に本のコンテスト募集という広告があったのだ。
私はランチセットを食べながら改めてその募集告知広告を読んだ。
●087
相棒は要介護親父(投稿第22回)
☆本のコンテストに応募☆
《本になるなら、どんなスタイルの本でもOK。大賞は賞金百万円とエニイブック社から出版。優秀賞は、賞金十万円と、製作費は作者、本屋さんへの流通と宣伝はエニイブック社という共同出版で、全国書店に流通させます》と、募集要項に書いてあった。
初耳の出版社だったが、大賞を取れば万々歳、仮に優秀賞でも、半額で本屋に流通させてくれるというのだから、それでもラッキーである。とにかくリアル本という果実を手にしたかった私は、今まで書いてきた作品を集めて、一冊の短編集として応募することにした。
早速、今までの短編のテキストデータをまとめ始めたのだが、すべて一次すら通過出来なかった短編である。そんな短編を単に集めても賞なんか取れるはずがないことに気がついた。
●088~●093(字数調整)
一次落ちの短編群で賞を取るためにはバラバラのネタを上手く繋げてひとつの物語にしてしまうしかないと思った。
【短編その1 サラリーマンの話】
【短編その2 新任教諭の話】
【短編その3 カメラマンの話】
【短編その4 大学教授の話】
【短編その5 住宅会社の社員の話】
【ジェット戦闘機パイロットの話】、
【核ミサイル基地の整備員の話】、
【石油王の話】、
【核戦争で地上は全滅。地下で生き残った人達の話】など、全く共通点のない短編をどうやってひとつの話に繋げるか……いくら考えてもさっぱりいい案が浮かんでこない。
私は気分転換に原の喫茶店に出掛けた。
「お前、まだ本気で芥川賞を狙っているのか?」と原。
「いや、さすがに本家は諦めた。でも、塵芥の短編を上手くくっつけて一つの話に出来れば、どこかの出版社主催の塵芥川賞くらいは行けるんじゃないかなと思って、どうやって短編を繋ぐか必死で思案している最中やねん」
●094
「お前、親父さん、そろそろやろ。親父さんが生きている間は親父さんの厚生年金で何とかやってけるだろうけど、親父さんが死んじまったら年金が貰える六十五まで完全無収入やで。エエ加減、夢を追っかけるのは諦めて、仕事を探し始めた方がいいんじゃないか?なんで、そこまで本を出すことに拘るねん?」
原はコーヒーを淹れながら私の行く末を案じていた。
「親父が死んで介護が終わったら後は何にも無し。離職してまで介護をしていた時間が全くの無為に終わる。だから介護の期間が無為じゃなかったという具体的な証しが欲しいんだ。それは親父に対しても言える。介護させたことが無為に終わらなかったと思ってあの世に逝って欲しいんだ。だから親父の生きているうちに塵芥川賞でもいいから賞を取って本を出したいんや」
●095
「ま、そこまで言うなら、無理にとはいわん。けど、気分転換のつもりでハローワークに行って、色んな仕事を物色してみなよ。案外、お前が、この仕事やりてええって思うのが見つかるかもしれんで」
この原の言葉が短編を繋げるヒントになった。
「それや! この短編に共通するタグは職業、仕事や。ハローワークに来た求職者がこの短編の仕事をチェックしていくって話にすれば、バラバラの内容でも話が繋がる! サンキュウ! 帰るわ!」
何が何だか分からなかったに違いない原に礼を述べて、私は家に帰り、ハローワークに絡めて短編を繋ぎ、タイトルを「仮想職安」として編集し直してからエニイブック社に、短編集ではなく一冊分の長編として原稿を送った。
●096。
応募して一週間で一次通過の報せ、二週間で、二次通過の報せ、三週間目で優秀賞に入選の報せがきた。その報せと共に、『賞金十万円。出版費用百二十万で流通出版を請負います。どうしますか?』と言ったようなことを書いてある申込書が添付されていた。
通常の心理状態なら、余りにも早い結果連絡や、普通自動車が買える金額の自腹を切ることに躊躇を覚えるものだが、百二十万という金額が失業保険の総額とほぼ同じだったことと、父が生きている間に、小説家として本を出したという見栄と焦りが私の中にあった。
「賞と本を手に入れられるなら百二十万は惜しくない。よし、行っちゃえ!」
私は申込書にサインして送り返した。
●097
三月、エニイブック社から「受賞コメントを公募紹介ブックに掲載するので、送ってきて下さい」という電話があった。
公募紹介ブックはどこの本屋にも置いてある結構メジャーな月刊誌である。
してみると私が知らないだけで、エニイブック社って新興出版社の中では結構メジャーなのかもしれないと私は思った。
四月、公募紹介ブックに掲載された私の写真と入賞コメントを父に見せた。
「よかったな。次は芥川賞やな」と父は歯のない笑顔を見せた。
父はその公募紹介ブックを、尿で汚れ、ボロボロになっても、ずっと枕元に置き続けた。
●098
相棒は要介護親父(投稿第23回)
☆真夜中の訪問者☆
「ひええええええ!」
真夜中、父の悲鳴で飛び起きた私は、慌てて父の部屋に飛び込んだ。
ベッドから逃れるように這いずり出した父はベッドの足元、テレビの置いてある部屋の隅の天井を指して叫んだ。
「ひええええ、あそこに誰かが立ってる。恐い! 恐い!」
父はパンパンに腫れ上がった足を必死に動かして、その何者かから必死で逃れようとしていた。
漏れ出た小便がなめくじのあとのように絨毯で光っている。
「誰もおらん!」
私は在宅酸素のマスクを拾い上げ、父の口に当てた。
父はヒイヒイ言いながら酸素を吸い始めた。
●099
目に落ち着きが戻ってきた。
「ヘルパーさんが来たら病院に連れていくからな」
父は荒い息をしながら頷いた。
「幻覚は尿毒の影響かもしれません。入院させましょう」
パンパンに腫れた足を手で押しながら田村先生が言った。
☆一人だけの正月☆
正月をまた一人で過ごした。病院側は患者の状態が安定していれば、正月の間は家族と一緒にどうぞと、
一時退院を勧める。けれども家には私しかいない。その点を気づかってくれて、田村先生は正月の間も父を病院で預かってくれたのだ。
人恋しさで鳴く、裏のビーグル犬の遠吠えがやけに胸にしみ込んできた。
●100
今回、父の入院期間は長かった。三月になってやっと退院許可が出た。
入院期間限度一杯まで入院させてくれたのは、あの幻覚を見たせいなのか、父は前みたいに家に帰りたい帰りたいと駄々を捏ねなくなったようで、病院側も父の扱いが楽になったからなのかもしれない。
とまれ帰ってきた父の足はミイラのようにしなびて皴だらけになっていた。
私は《銀の海》にデイサービスの再開を要請した。
☆日光浴☆
次の日、朝からポカポカ陽気だったので、私は日光浴しようと言って、デイサービスの送迎車が来る前に父を車椅子に乗せ、外に連れ出した。
私は別に何をしゃべるでもなく、車椅子の取っ手を握ったまま青空を眺めた。
父も黙ったまま、背中を丸め、両手をヘソのあたりで組んで道の向こうを眺め続けている。
平穏である。こんな状態でなら、もっと続いてもいいのかな、と私は思った。
●101
相棒は要介護親父(投稿第24回)
☆さよならの始まり☆
平穏は四カ月ほどしか続かなかった。
八月末の朝、クラクションが鳴った。急いで下りてみると、父がまたウンコを漏らしていた。父を風呂場に連れて行った。
「洗うから尻を出せ」と言うと、父は素直に尻を突き出した。
父の尻は象の尻のようだった。皴だらけで黒ずんでいる。吸水紙代わりにベッドに敷いてある新聞の切れ端がへばりつき、文字までもが尻に転写されていた。
奇麗好きだった父が、また、哀れに思えてきた。
数日後、またクラクションが鳴った。父が腹が痛いと泣いた。父を病院へ連れていった。
「便秘ですね」レントゲンを見た医師がいった。
●102
真夜中、クラクションが鳴った。一階に降りた。ポータブルトイレに座った父が顔を真っ赤にして下腹部を指し、叫んでいた。
「出ん、出んのや! 痛い、痛い、救急車を呼んでくれ!」
「どうせ、また便秘なんやろ。救急車は呼ばん、朝まで我慢しろ!」
「違う、違う、ポータブルトイレの中見てくれ!」
ポータブルトイレの中のバケツは普段、尿で一杯になっている。ところが一滴も尿がないのである。
「小便が出んのや、痛い、痛い、はよ、救急車を呼べ! ワシを殺す気か!」
父は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
ただ事ではないと分かった私は救急車を呼んだ。
その夜の当直医は運良く田村先生だった。
寝起きでボサボサの頭を掻きながら先生が措置室にやって来た。
●103
そして開口一番、「よりによって私の当直の時に……これはもう腐れ縁というしかないですね」
と苦笑いしながら父の下腹部を押さえた。
「膀胱がパンパンですね。尿道が詰ってしまっているようです。バルンを通して、排尿するしかありませんね」
父は今回、『先生、それ、痛いから止めて』と言って起き上がらなかった。
突っ込まれた管から、赤黒く、ドロリとした尿がゆっくりと排泄されてきた。
排泄されるにしたがって父の顔が和らいでいく。田村先生は汚れた尿をじっと見ていた。
「前立腺肥大になって尿道が塞がってしまったのかもしれませんね。例によって、今すぐどうこうって症状じゃないですから、二三日入院するだけで大丈夫だと思います。息子さんは帰ってくださって結構ですよ」
●104
真夜中の三時。私は病院の夜間緊急出入り口から外に出た。
救急車に同乗してきたから、帰りは歩きである。
国道までの一本道を私は歩き始めた。
周りにはまだ田んぼが広がっていて、ほとんど全天が見渡せる。月はとっくに沈み、満天の星空。父が帰ってきてすぐ、獅子座流星群見物で、真夜中の二時頃に、丁度この場所で流星待ちをしていたことを思いだす。あれからもう六年……。
私は立ち止まって夜空を見上げた。
●105
相棒は要介護親父(投稿第25回)
☆最後のクラクション☆
十月。また母を思い出さずにいられない秋祭りの季節が巡ってきた。退院してきて一階で寝ている父も母を思い出しているのだろうか……。
クラクションが鳴った。
尋常ではない鳴り方だった。私は慌てて一階に駆け降りた。
父はベッドの上で仰向けに倒れ、右手で必死でクラクションを鳴らし続けていた。
うつろで哀しげな目で私を見た。
「息ができひん……」
それだけ言うと父はのけ反って、痙攣を始めた。
私は救急車を呼んだ。お馴染になってしまった救急隊員は、父を一目見るなり、手早く措置を始めた。
●106
救急隊員は父の手からクラクションを取った。その父の手が、何かを求めてベッドの上を彷徨い始めた。
「息子さん、お父さんの手を握ってあげて下さい!」
私は彷徨う父の手を握った。
父が私の手を力いっぱい握り返してきた。死の淵でぶら下がっている人間が、落ちまいと、必死で救いの手にしがみつくかのようだった。
病院の当直医は田村先生ではなく、外科医だった。
外科医は父の咽に管を入れた。
その管から、喉に詰った痰が吸い出されてきた。
外科医は広げた口の中に盛んに薬をスプレーした。
看護師が点滴を入れようとするが、何度も失敗して、腕の周りが血だらけになる。
●107
「自力呼吸が出来そうにないですね。人工呼吸器を取り付けますか? ただし、一度人工呼吸器を取り付けると、都合で取り外すことは、二度とできなくなりますが、どうしますか?」
人工呼吸器を取り付けるということは、こちらの判断で取り外せないのだから、父の介護生活が延々と続くことを意味する。
私は、父の介護にもう耐えられそうにない。それにじわじわと精神も肉体も壊れていく父を見ていくのが辛い。けれども今ここで、それを否定することができるのだろうか。
「寿命のままでお願いします」
私は出て来ようとしない言葉を無理やり押し出した。
「分かりました。出来るだけ努力はしてみます」
父の生死の決断を私に委ねた外科医の顔が和んだような気がした。
●108
医療訴訟の多い今、医師の判断でそれを下すわけには行かないのだろう。
医師の顔つきからは同意の意思がみてとれた。
「今夜が峠でしょう。外で待っていて下さい」
私は待合室に追い出された。
措置室のドアがバタンと閉められた。
中で何が行われているのか分からない。
私は暗い待合室のソファに座ったり、立ったりしながら時が過ぎるのを待った。
葬式の手配はどうしたらいいのだろう。
あの小便だらけの部屋では葬式は出来ない。葬儀会館を借りるしかないのか。
独りでできるのだろうか。私は思案した。
措置室の扉が開き、外科医が出てきた。
●109
「自力呼吸が出来るようになりました。峠は越えました」
安堵の顔を見せて私に語る外科医の後ろをストレッチャーに乗せられた父が運ばれて行く。
「お父さんは三階の個室に運びます。付き添いお願いします。それと今夜はそこしか空いて居ないので、
明日、宿泊費1万円、別途で支払いをお願いします。明後日からは相部屋に移しますから無料になりますが……」外科医は済まなさそうな顔をした。
私はその三階の個室で父と二人きりになった。
父は生死の境を彷徨っている最中、私と外科医のやりとりを聞いていたのだろうか?
人は心臓が止まっても聴覚は残っているという話を聞いたことがある。聞いていたとしたら、私の事を父はどう思っているのだろう。
●110
ベッドで私に背を向けて寝ている父を見つめながら、私は後悔していた。
「ホントにすまんなあ」父がか細い声で言った。
「仕方がないやろ」私は答えた。
それから黙ったままの時間が過ぎた。
看護師が何度か様子を見に入ってきた。
私は看護師に父の容体を訊いた。
「大丈夫でしょう」
「じゃあ、帰るわ。家、片づけなあかんし」
「ああ、分かった」
私は個室を出る前にもう一度父を振り返ったが、父は私に背を向けたままだった。
やはり聞こえていたのだろうと思った。
私はまた夜中の三時に病院を出た。
冬の星座、オリオン座が、南天から没しようとしていた。
●111
相棒は要介護親父(投稿第26回)
☆裏庭生まれの野良猫☆
再び、一日置きに着替えやおやつ紙おむつ等を持って病院に行き、汚れ物を持って帰り洗濯、それを裏庭に干すという、父が入院時の生活ローテーションが始まった。
冬なので病院には朝に行くことが多くなった。そうしないと、帰ってきてから汚れ物を洗って干す時間がなくなるのである。
洗濯物を干そうと裏庭に出た。
裏庭に差し込んでいる冬の日差しを腹に浴びて、無防備に仰向けで寝ころんでいる野良猫がいた。毛色からすると裏庭で生まれた野良猫である。私と目線があった。
私が動くと野良猫はびっくりしたように跳ね起きて、隣家との路地に逃げ込んだ。
「野良猫よ、お前も生まれ故郷が恋しいのかい?」
私はあの駅の改札口、嬉しそうな顔をして帰ってきた父の姿を思い出した。
身体はくの字だったが、まだまだ元気だった。●113
☆ガン告知☆
洗濯した下着やオムツを持って病室に行くと、父は笑顔になった。
「今度、煎餅でも持ってきてな」
「分かった。明後日来るわ」
私は汚れ物の詰ったビニール袋を持ち、病室を出た。
「杉浦さんちょっと……」
田村先生が私を呼び止めた。
「前の当直の時の病状が気になって、腫瘍マーカーで調べてみたんですが、お父さん、前立腺ガンのようですね」
「手術ですか?」
「いや、薬でいけるでしょう」
「入院は長くなりそうですか?」
「前みたいに、帰りたい、帰りたいと言わないし、投薬の結果が出るまで居てもらって結構ですよ」
●114
棒は要介護親父(投稿第27回)
☆後片づけを始める☆
十二月になった。父の容体は徐々に悪くなっていった。
オヤツ類をよく注文してきたが、微熱が続きだしてからはそれも次第に言わなくなった。
つけっぱなしにしていたラジオの電池が切れても、電池が欲しいといわなくなった。
うつらうつらして、どんよりした目で私を見るだけの時が多くなってきた。
同一病院での入院は三ヶ月がリミット。それが過ぎれば、この病院を出なければならない。今の父の状態で、三ヶ月後、それが可能なのだろうか?
病院に着替えを持っていった時、田村先生に、そのことを質問した。
●115
「今、動かすと、容体が急変するのが目に見えていますので、最期まで面倒をみることになるでしょう。一応、ケアマネージャーにそのことを伝えておいて下さい」
「よろしくお願いします」私は内心ホッとしながら頭を下げた。
「なに、あなたのお父さんとは腐れ縁ですからね。そうそう、お宅にある在宅酸素、もう使うことはないでしょうから業者に引き上げてもらって結構ですよ」
私は家に帰って、父の部屋に入った。尿で汚れた簡易ベッド、尿がカチカチに乾燥したバケツが入ったままのポータブルベッド。
足長コタツ。
父がこけて破いた障子。
酸素チューブがついたままの在宅酸素の機械。
父はもうこの部屋に生きて帰ってくることはないのだ。私は部屋の後片づけを始めた。
●116
簡易ベッドを畳んで倉庫に入れ、下に敷いていた青いビニールを剥いだ。
尿が漏れでたらしく、下の畳が茶色く変色して凹んでいた。 私はそれ以上片づけを続ける気にはなれず、二階へ上がった。
私は兄を葬式に呼ぶかどうか迷っていた。父が帰ってきてからほとんど連絡していない。介護を押し付けられたから当然である。
ここ数年、一度もだ。しかし父の死に目に会わせないというのも気が引けた。
だから私は兄の店に電話した。
「もしもし、どちらさまで?」
東北訛りの聞いたことがない男の声が聞こえてきた。
「あ、杉寿司じゃなかったのですか?」
「杉寿司ですが……」
「え? 声が杉浦さんと違うんですが……」
●117
☆送られてきた督促状☆
「あ、事情をご存じない方なんですね。私は志村と申します」
志村と名乗った男は改めて丁寧な言葉遣いで語り始めた。
「杉寿司さんは三年前、夜逃げしてしまいましたよ。で、冷蔵庫から包丁から、電話、屋号まで何もかも銀行に差し押さえされてたこの店を居抜きで買い取って今は私が寿司屋をやってるんです」
「杉浦の居所ご存知ありませんか?」
「夜逃げするぐらいですからね。闇金にでも追い込み掛けられているんですかね。お宅どなたか知りませんが、下手に探すと、そっちにも取立て業者が行くかもしれませんよ。向こうから連絡があるまで放っておきなさいよ」
取立て屋がまさかと来るはずがないと思ったが、電話をしてから二日後、新宿にある債券業者から督促状が送られてきた。
●118
中には一三千五百万の請求書と、お兄さんがそちらにいるようなら、この請求書をお渡し下さいと書かれた手紙が入っていた。
そのことを原のところで話すと、看護師の美枝さんが「葬式に兄さんを呼んじゃ駄目よ。私、借金で逃げまくっていた男が、親の葬式に顔を出した途端、近くに止めてあった大型バンから飛び出してきた黒服の男衆に連れていかれるのを見たことがあるの。
葬式に兄さん呼んだら兄さんの身柄は勿論、香典から何から全部持ってかれて葬式は目茶苦茶、下手すると兄さんが受け取るべき財産、それにこれじゃ、返済額不足やからと難癖をつけて弟のあなたからも有金全部巻き上げに来るかもしれないから」
私は悲しかったけれど、実際にそれを見たという美枝さんの意見を受け入れ、兄を呼ばないことにした。
●119
相棒は要介護親父(投稿第28回)
☆父との別れ☆
六月最後の週の月曜日早朝、病院から電話が入った。
「すぐに来て下さい」
「はい……」
遂に、その日が来てしまった。私が病室に駆け込むと、それまで心臓マッサージをしていた医師がその手を止めた。
「手を握ってあげて下さい」
私は看護師の指示に従って父の手を握った。
父の心電図の波形が弱まり、そして止まった。
「ご臨終です」医師と看護師が手を合わせた。
覚悟はしていたが、やはり目が潤んできた。
●120
その朝は蒸し暑くて、クビにタオルを巻いていた。そのタオルで汗と一緒に涙も拭く。
私は父に背を向けて、病室の窓から外を眺めた。病院の屋上越しに、小さな山の連なりが見える。青い空に朝日を受けて白く輝く雲がゆっくりと流れていく。
私は窓に向いたまま携帯電話を出し、母の姉である野々村の老夫婦に電話を入れようとした。
「院内は携帯禁止ですよ」
看護師に言われ、私は慌てて外に出てた。病院玄関口で携帯電話を掛け直した。
何度も何度も、この玄関で、父をクルマから下ろしたり乗せたりしたものだ。
●121
☆別れのクラクション☆
次に隣の八重子さんに電話を入れた。八重子さんが野々村夫婦を乗せてきてくれることになった。
病室に戻ると、看護師さん達が父に死に支度を施していた。
「葬儀屋を決めていらっしゃるのなら、至急、専用車の手配をしてください」
看護師がぼう然としている私を急かした。
葬儀屋から来た霊柩車で父を家まで運ぶ。
布団に寝かされた父。何も言わぬ父。近所の人や親戚が弔問にやって来た。
夜中、一人だけじゃ寂しいだろうと野々村家の従兄らが付きあってくれた。
そして告別式。一連の儀式が終わり、棺に納められた父への献花も済んだ。
父を送りに来た人達は、旅立つ父への私の言葉を待っていた。私は受賞本「仮想職安」を掲げて別れのスピーチを始めた。
●122
「父の介護に腹を立てることが多かったけれど、父の介護で会社を辞めてしまったけれど、例え塵芥川賞と言われようと、この本を世に出せたのは、父が介護を通して、本を出したいという私のモチベーションを維持させてくれたからです。
だからこの本を出すことに関しては父はよき相棒でした。私は献花する代わりにこの本を父に献本します」私は父の耳元に受賞本を置いた。
棺に蓋がされ、何人かで父の棺をを運び出し、霊柩車に乗せた。
私は見送りに出て来ている人達に一礼して父の遺影とともに霊柩車の助手席に乗った。
霊柩車は一度、クラクションを長く鳴らしてから火葬場へと出発した。
出発してすぐ、父の別れの挨拶なのか、棺の中からも一度かすかなクラクションの音が聞こえてきた。
運転手が怪訝な顔をして私を見たので、半笑いして頷いた。
●123
了
介護の間に芥川賞を取るという夢を追ったのは事実です。そして結果、「仮想職安」という漫画作品で、いわゆる塵芥川賞をとったのも事実です。この「仮想職安」ですが、9月の大阪の文学フリマで売りますのでよろしく。※これを世に出してくれた出版社は残念ながら倒産してしまいましたが。