入れ替わり
惨劇の夜から数日、村はいつもどおりの日々を装っていた。
ぬるま湯の中にいるようなどこか息苦しい空気が、この日常がよく出来た模倣品、贋作でしかないことを物語っている。
決してだれもあの夜の事を語らず、まるであの日そのものの存在が無かったかのように過す。
「レブ、もう元気なんだから今日こそは朝ごはん手伝ってよね」
母はいつもと同じ笑顔で話しかける。
あの日から変わらなかったのは両親とウィアだけだ。
あの夜の記憶がない事を伝えると、父は短く答えた。
「森で魔物に襲われて気を失ったんだ。 大きな怪我もない。 心配するな。」
そっと頭を撫でる母の手が冷たかったのを覚えている。
なぜ森の中にいたのか、襲ってきた魔物の正体は、どうして怪我をしていないのか、全てはあの夜の闇の中。
記憶に蓋をされたような感覚が、どうもむず痒い。
大きな怪我はないが、大事をとって二、三日の寝たきりを余儀なくされた。
朝食と夕食に一切肉が出てこなかったことから、森への立ち入りが禁止されていることが分かった。
誰も彼も口には出さない事から、かえってあの夜の出来事の異常さが際立って見えた。
誰もこの平穏な日々を壊したくはないのだ。
あの夜空に轟いた咆哮を、雨上がりの水溜りが血の色に染まっていた事実を、口に出す事でこの平穏な日々が終わってしまうのではと恐れているのだ。
しかし、知ってしまった。
ハリボテの平穏はいつか終わる。
与えられた猶予を食いつぶせば、そこにあるのは何も無い終焉。
前世でこの身をもってそれを知った。
このまま枯れていくつもりはない。
こんな居心地の悪い日々で二度目の生を満たしたくなかった。
何かしなければならないと思った。この日々を、空気を、ハリボテを壊すために。
「母さん聞いてほしいことがある」
台所に立つ母の背に声をかける。
「レブ、まずは顔を洗ってらっしゃい。 寝ぼけたままじゃ指を切っちゃうわ」
「母さん、今日からは一緒に台所に立てない」
突然のことに驚いた母がこちらを振り向かずに、え?と首をかしげる。
「今日から僕.......いや......俺も剣の稽古をするよ」
木剣と言えどその威力は馬鹿にできない。前世では木刀で頭蓋をカチ割ったなんてニュースを聞いたことがあったが、おそらく木剣でも骨の一本や二本なら可能だろう。
相対するウィアはいつでもこいと言わんばかりの余裕な顔。
三年ぶりだろうか。
ひんやりとした柄が心地よい。
勝てる訳がないと分かっていても、無策に突っ込んで行けるほど思い切りのいい性格ではなかった。
攻めあぐねる、とはまさにこのことかと妙に納得する。
見かねたウィアが構えを解きこちらに向かって掛けてくる。
胸に残った僅かな酸素を吐き出し、新たな空気を深く吸い込む。
こい!
頭上から鋭く振り下ろされる一撃。
剣を倒し受け止める。
火花が散ったかと錯覚するほどに鋭い。
一撃は防いだぞ天才!
その慢心につけ込むような次撃のボディブロー。
「あ゛っ--」的確に鳩尾に刺さり耐えきれず空気を吐き出す。
あのクソ親父! なんて教育してるんだっ!
お腹を抑えながら前のめりになると同時に相手の脛を狙い剣を振る。
不発。
ウィアの足裏が既に俺の右腕を押さえつけていた。
間髪入れずウィアが振り抜いた木剣が側頭部に直撃する。
暗転。
俺の視界に幕が降りた。