表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生者の丘  作者: 天然男
6/8

死人

 芳醇な香りが辺りを包み込む。鹿肉は脂が少い上に栄養価が高い。年寄りにはぴったりな食品だ。

 狩は無事に上手くいった。使った矢はたった一本。

 必要以上に矢を使うこともなく、狩場に滞在する時間も短かった。

 血抜きや解体に少し時間をかけてしまい辺りは少し暗くなってきているが概ね予定どうりだろう。

 鹿肉が放つ食欲をそそる香りに思わずお腹の虫がないた。


 村の中心に作られた大きな篝火にワラワラと村人が集まり、宴の準備をする。

 宴の主賓であるパードレは鹿肉に火がとおる様を眺めている。 自慢の息子が初めて仕留めた獲物だ。思うところがあるのだろう。

 彼の眼に浮かぶ感情は、憂い。それだけは間違いなかった......。

 いつか来る俺が村を発つ日を思い浮かべているのだろうか。


 「レブよ、こっちへ来んか」

 いつもどおり落ち着いた声色、だけどどこか違う......。そこからは焦りに近いものが感じられる。パードレがレブを手で招く。

 たどたどしい歩き方で人混みの中からレブが現れパードレの側まで近寄る。

 レブの頬に手を添え何かを耳打ちする。それを聞いたレブが大きく頷き駆け出す。

 いったい何を言ったんだ?あっちには森しかないはず、この時間は危険だ。ダメだ......嫌な予感がする。

 レブの背中を追おうとした瞬間、パードレの声が響く。

 「ウィアよ!!どこにおる!!」

 今までに聞いたことのない怒声に思わずビクリと肩が跳ねる。

 「こ、ここにいるよパードレ......。どうしたんだ......?」

 「もうすぐ鹿肉が焼ける、切り分ける準備をしておくれ」

 「あ、あぁ......。 お腹が空いたのか、すぐに切り分けるよ」

 鹿肉にナイフを入れるのを合図に先ほどまで各々の時間を過ごしていた村人達が宴の始まりに備え静かになる。

 もうすぐ宴が始まる。

 レブはここを離れたばかりだ。しばらく戻ってこないだろう。

 パードレ......。

 レブの帰りを待たないのか......?

 パードレが果実酒の注がれたグラスを持つのを確認し、ヘブルさんが篝火の側まで出てくる。

 毎年恒例、宴の前口上はヘブルさんが務める。 騎士として活躍していたヘブルさんは、人前に立つことに抵抗がなかった。

 パードレが何歳になったか知らないが、いくつになっても俺たちの父親だ、と去年も同じような事を言ってなかったっけ?

 まったくあの人は。辺りからもクスクスと笑いを堪える音が聞こえる。


 「ではみなさん、堅苦しいのは無しにして。 我らが父の誕生日を祝って!! 」


 ……。

 そこまで言い突然へブルさんが固まる。

 寸秒の間を置き、彼が瞠目する姿が確認できた。 


 刹那、轟音--獣の鳴き声のようなものが村全体を包み込んだ。

 頭を鈍器で殴られたかのように意識が遠のく。

 鳴り止まぬその音に抵抗する術はなく、耳を塞ぎ膝をつき、果実酒で出来た水溜りの上を誰かのグラスが転がる。上も下も分からぬままただ耳をつんざく痛みに耐える。

 心なしか地面が震えている。 頬を流れる紅色の液体が自分の耳から出ていることに気づき、この事態がいかに以上であるかを思い知る。

 十秒ほど続いたその音。 魔法や兵器が起こす爆発の類ではなかった。

 意思を持った生物の咆哮。 魔物の鳴き声だ。

 殺意の感情を孕んだ眼光や声は、時に人の心を支配する。魔物の殺意は、この村を完全に支配していた。

 音が止んだ今も誰も動けるものはいない。


 「全員に家に戻れ!! カギを掛けて明かりを絶やすな!!」

 ただし元騎士であるただ一人を除き。 

 その声ではっとしたように各々が帰路を駆け出す。 遠ざかかる人並みと残された嗚咽のような小さな悲鳴、その景色が体の芯を冷やす。

 最悪の事態を想像し、俺だけはまだ恐怖の支配から逃れられずにいた。

 レブはまだ……森の中にいるのだ……。




 両手で剣を握り、辺りを警戒するへブルさんのすぐ後ろを松明を握りしめついていく。

 もはや松明の明かりなしでは足元の木の幹すら確認できない。 月明かりもこの鬱蒼とした森の中では木々に阻まれてしまう。


 「いいか、もし魔物の姿を確認したらすぐに村へ帰るんだ。 俺一人じゃお前とレブ、両方を守るのは難しい」

 松明が照らし出す大きな背中は服の上からでもわかるほど汗をかいている。 焦っているのだ。

 レブがまだ森の中だ、そう告げた時へブルさんの顔が陰鬱に沈み込むのが分かった。 なぜこんな時間に森の中に!、なぜ誰も止めなかったんだ!、まだ八歳だぞ!。

 彼はこみあげてくる言葉を飲み込んだ。 スールにパードレの身を預け、すぐに剣を取り森へ向かった。

 拒むへブルさんに何度も懇願し、森へついていく許可をもらった。

 レブを止めなかった責任が胸を潰すようにのしかかり、体が勝手に動いていた。

 夜は魔物が狂暴になると言われる。 それはこの森でも同じだ。

あの咆哮はきっと凶暴化したこの森の魔物のものだ。

 レブは剣の扱いを知らない、もし魔物に襲われていれば……。

 目の前に広がる暗闇が、心に真っ黒なベールを掛ける。 思い浮かぶのは最悪の結果ばかりだ。

 行く手を阻む木々に身を隠し慎重に進む。普段から暗闇に潜む魔物にとって、夜の闇は目くらましにもならない。

 不意打ちを警戒し常に背後に気を配る必要があるため、思うように歩を進められない。 今すぐにでもレブの元へ走っていきたい。 もどかしい思いが血流を速め、次第に息遣いが荒れていく。

 鳴き声が聞こえてきた付近に近づくと、遠くでかすかに川のせせらぎが聞こえることに気づいた。

 このまま当てもなく進むのではらちが明かない、せせらぎが聞こえる方へ進路をとる。

 いったいどれほど歩いたのだろうか。 集中力が底をつき、心肺機能の限界を感じ手を膝に置き一息つこうと思い始めた時、一筋の光が見えた。 川の流れに反射した月明かりが森の中にまで伸びている。

 目に見える目的地を発見し、歩く速度が速まるのが分かる。 

緊張感でせき止められていた防波堤が、崩壊するかのように駆け出す。

 細い枝を手でかき分け一気に川の傍にまで向かう。 月明かりを遮るものがない一帯は、松明が無くても辺りがよく見えた。




 川のほとりに横たわる一人と一体。 

 栗色の髪の少年の上に、深紅の肌をした鬼人オーガが覆いかぶさるようにして倒れている。

 地は抉れ、血の海ができている。

 月の光に照らされた血だまりが、神秘的な雰囲気を醸し出す。

 思わずその美しさに見とれる。


 「レ、ブ……? レブなのか……? おい……レブ!!!」

 駆けだしたへブルさんの後を重い足取りで追う。 まるで……夢の中にいるような気分だった。

 鬼人の死体を蹴り飛ばし、レブの肩を揺するへブルさんの姿もなぜか他人事のようだ。 

 レブの体はひどい状態だった。 首より下は出血が酷く、右腕はあらぬ方向へ曲がり、臓器の半分が溢れでている。


 もう……助からない……。


 零れた臓器を両手でかき集めるへブルさんを横目に、傍に転がっている鬼人の死体に目を向ける。

 その胸には、村で狩に使われる短剣が突き立てられていた。

 鬼人の胸に深々と突きささる短剣を眺める。 

 へブルさんが何度もレブの名を叫ぶ、その声もどこか遠くに聞こえる。 

 夢を見ているようにふわふわと視界が揺れる。

 だがこれは夢などではない……。

 俺は受け入れられなかったのだ……。

 親友の死を。 最悪の結果を。






 父の背に身を預けたレブの顔は穏やかだった。 

 申し訳程度に巻かれた包帯からは今も鮮血があふれ、歩んできた道の軌跡を残している。


 村の入り口に並び立つ二つの影が見える。

 レブと同じ栗色の髪だ。 

 こちらの姿を確認し駆け寄ってくる、

 どんな顔をすればいいのか、どんな言葉を掛ければ

いいのか分からなくなり下を向く。

 後悔と名付けるほどの胸の痛みに、これ以上もう耐えきれる自信はなく目を閉じる。

 泣き叫ぶスールさんの姿を見れば、俺はもう二度と、この痛みから解放されないだろう。


 悲しみに溢れたのどを振り絞り、声が上がる。

悲痛な音色、だけど耳を塞ぐ訳にはいかなかった。 

 いっそこのまま、俺も死んでしまおうか。

 このまま俺も……。


 「レブをこちらに」

 いつもとと同じ落ち着いた声色でそう短く言い、パードレが地面に白い布を敷く。 その上にへブルさんがレブを寝かす。

 さっきまで真っ白だった布は瞬く間に紅に染まっていく。

 パードレがレブの胸に手を当て、神に祈りをささげる。 自分たちを取り巻く空気が変わりパードレのしわくちゃの手が光を放つ。 

 癒しの魔法。 熟練の魔導士ならどんな傷でも癒すことができると本で学んだ。 

 だけど死者を蘇らす魔法は存在しない。


 無駄だ……。 もうレブは……。

 次第にレブの体の傷が消えていく。 折れていた骨も、引き裂かれた臓器と腹部も、もうすぐ元どおりだ。

 まるで時間が逆行しているみたいだ。

 パードレはかなりの魔導士だったのだろう。 ここまで優れた魔法は聞いたことがない。


 そんなパードレでも……。

 パードレの手から暖かい光が消える。

 治療を終えたパードレが立ち上がり、天を仰いだ。

 彼の目に映る月は、水面のように揺れていた。


 「始まる……」

 そうつぶやくと同時に空から大粒の雨が降り注ぐ。

 雨粒がレブの体から血を洗い流し、きれいにしていく。

 この血はどこへ流れて行くのだろうか……。 どこへ消えていくのだろうか……。

 レブの命は、魂は、どこへ向かうのだろうか……。

 レブはもう、生きていたころとなんら変わりない姿だ。 いつ目を開けてもおかしくない。


 「風邪をひいてしまう、四人とも家に戻るのじゃ」

 だれもその場を動こうとはしなかった。 

 天を割るかのような光が走り、遅れて雷鳴が轟いた。

 滴り落ちる雨のせいで、涙を流せているのかもわからない。

 二度目の稲光が走ったころ、へブルさんがゆらゆらと歩き出しレブのそばに寄った。

 レブの死体をここに置いておくわけにはいかない。 

 へブルさんがレブを担ぎ上げ、帰路を歩き出した。 それに付き従うかのように三人が歩き出す。

 これからのことを考える余裕はなかった。 ただ今は、絶望に暮れていたかった……。




 「ちょっと待て……」

 前方のへブルさんがそう呟き、レブの体をもう一度地面に寝かし胸に手を当てる。

やめろよ......もう死んでる。


「動いてる……。……動いてるぞ!!! 生きてる!!!」

やめろよ......期待させるなよ......!


「本当に......生きてる.....! 生きてるわ!!」

分かってる......俺が死なせたんだ......!


「生きてるのよ!!! ウィア!!!!」

分かってるよ!!! 俺がレブを死なせたんだ!!


声にならない声が 空を切り、雨音が立ち込める空に還っていく。

息子を失い気が狂ったのか。

レブの死体を抱き抱え、嬉しそうに泣いてる夫婦に現実を教えてやる。

レブだったものに歩み寄り、その腕を強く掴む。

こんなのもうレブじゃない!!!

頭のおかしくなった夫婦から死体を取り上げようと力を込める。


その瞬間、手の中で小さな鼓動を感じた......。

死んだはずのレブに、命を躍動を感じたのだ。

そんな、さっきまで確かに。



 動いている……。 心臓が動いている……。

 生きている。 

降りしきる雨の中、お粒の涙が頬を伝うのを感じた。

 間違いなく死んでいたはずのレブが生きているのだ。

 そんなのあるはずがないと分かっていながらも間違いでないことを祈る。

 何度確認してもレブの心臓は鼓動を続けていた。


「パードレ…………生き返らせたのか…………?」

口をついて出た言葉。

 パードレは答えなかった。 

何も語ることは無いと言わんばかりに、そのまま背を向け遠ざかっていく。




 あの日俺は、鳴りやまぬ雨音と二人の泣き声にかき消されるはずだった声を聞いた。



「この世の誰も……死者を蘇らすことはできぬ……」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ