友の背
カンッカンッと木剣がぶつかり合う音がする。決まって朝のこの時間に響くその音は、村人たちの目覚まし時計といったところか。
昇ったばかりの太陽は力が有り余っているのだろうか、いつもより力強く辺りを照らしている。
開け放たれた木窓からは新鮮な空気が流れ込み、聞きなれた喧騒が届き始めこの村の始まりを教えてくれた。
『太陽の村 ソレユ』
大きな森に囲まれた小さな村。村人が全員で今日を生きるために田を耕し果実を採取し獲物を狩る。暖かい笑顔の溢れる僕の二つ目の故郷だ。
「起きたのレブ? おはよう顔洗って着替えておいで」
「あぁ……母さんおはよう」
「もうすぐ父さんたち戻ってくるからね。 今日は急ぐよ」
そう答えてから、のそのそと布団から這い出し顔を洗うため庭の井戸へ向かう。
「おうレブやっと起きたのか! お前も一本どうだ! そろそろお前も自分の身くらい自分で守れないとな!」
「そうだぞレブ。 久しぶりに打ち合わないか?」
先ほどまで木剣で打ち合っていた二人が手を止めこちらに問いかける。
「あっと……今日はなんだがお腹が痛い気がするから遠慮するよ……」
自分でも吹き出しそうになるほどの苦笑い。ここまで迷惑そうな顔をされれば普通なら諦めるものだが、この二人による剣の道への勧誘はこの三年間休むことはなかった。
そうか……とどこか悲しそうな父の顔もこの三年間休むことをしらない。どんなメンタルをしてるんだまったく。
父は昔剣を握り国のために戦う騎士だった。母スールとの結婚を機に騎士を辞めこの村に帰ってきた。今は農夫として過ごす傍ら我が家で子供たちに剣を教える村の師範代といったところだ。
といってもあまりの厳しさに教え子は今やたった一人。
父曰く、千年に一人の剣才を持つという少年、ウィア。銀色の短髪と瞳、端正な顔立ちは天は二物を与えちゃったというところだろうか。騎士の息子の僕より近所の子供の方が才能あるとかおっちょちょいなんてもんじゃないぞホントに。
それにしてもウィアの剣の才能は素人の目から見ても他を圧倒している。稽古を始めて三年、齢八歳の少年が30そこらの大男と打ち合っているのだ。これを才能と呼ばずに何と呼ぶ。
もちろん父も本気ではない。さすがに八歳の少年と30代の成人とでは筋力や体格の差がありすぎる。しかし父が日々手加減する余裕を失ってきているのは明白だった。ウィアの技量はもはや騎士のそれと遜色ないものになりつつあるのだろう。
僕が剣の稽古を断り続ける理由は決してウィアの才能に嫉妬しているからではない。
5歳の時に初めて父の稽古を受けた時、ウィアにぼこぼこにされたからなどではない。ついでにその後父にもボコボコにされたからでは断じてない。
ちなみに稽古がきつすぎるからでもない。
いや……これは本当か。
父の稽古はエグイ……。まさしくエグイの一言に尽きる……。
正直思い出したくないレベルだ……。命の危険が無いぎりぎりのすれすれの内容ではあるが……。
嫌なことを思い出しそうになり激しく首を振り意識を掴む。
僕が剣の稽古をしない理由は簡単だ。僕は今の生活に満足しているのだ。
あの日姿写しによって映し出された僕の正体。あれから8年の時がたったが今でもたまに思い出す。
死人《しびと》。
それが表すのは僕が転生者であるということなのか、それとも……。
あの時の母の心に浮かんだ感情は、とうてい僕には想像できないものだろう。きっと母は僕以上にあの意味を理解できていないだろう。だけど……。
腹を痛めて生んだ愛しい我が子が実は死んでましたなんてギャグにもできない。幸せな日常に突如現れた避けようのない不幸の知らせ。彼女の情動を察すれば少しでもそばに寄り添いたいと思うのが普通だろう。
だから僕は、今日も母と共に台所に立つ。母を不安にさせるようなことはしたくなかった。
父と母、そして少しの友。
無償の愛なんてものの存在を平気で信じられるこの日々を、この生活を脅かすようなことは何一つしたくなかった。
きっと母も同じ思いだ。あの日から我が家では一度たりとも姿写しの話をすることはない。父もきっと母から聞いているのだろう。僕が異質な存在であることを。
それでも彼らの接する態度は全く変わることはなかった。
僕はこの村で、平凡な人生を平凡に終える。前世では叶うことが許されなかった、人並みってやつを全うしたい。
「俺は必ず騎士になるぜ、レブ。 そしてこの村のみんなに恩返しをするんだ」
そう語るウィアの顔にはどこか憂いが見て取れる。きっとこの村にくる前のことを思い出しているのだろう。
ウィアは捨て子だ。ちょうど三年前、近くの町へ出稼ぎに出た村の一団が街道の傍で今にも野垂れ死にそうなウィアを見つけ連れ帰った。やせ細った頬とボロボロの衣服から、もう何日もまともな食事をとっていないのが分かった。
ウィアの父は近くの村に住む農夫らしい。若くして妻を亡くしてから男手一つでウィアを育てていた。しかし、ここ数年の異常気象で作物は実らず彼の畑は年を越せるだけの実りを付けられなかった。
田舎ではよくあるらしい、間引き。凶作続きで十分な食料を確保できなくなった村は、食い扶持を減らすために子供を捨てるのだ。
労働力として期待できない子供は食料を消費するだけの存在。幼い赤子から順に森の中に捨てる。年々村からは子供がいなくなっていった。
そして彼はついに我が子を捨てた。息子を育てながら生き抜く自信がなかったのだろう。
親子の絆はあっけないほど脆かった。だれしも自分の命より大事なものなどない。
帰る家も食べるものもない。5歳の少年が希望を失うには十分だった。
それでも少年は生きることを望んだ。雑草をむしり嘔吐しながらも胃に詰め込む。放棄された死体の死臭で魔物を避け夜を超す。食べられるものはすべて食べた。生き物だけでなく、死んだものも。
あてもなく彷徨い続けたウィアはついに気を失い倒れた。死を覚悟しこの世界を呪おうとした。
しかし少年の心は誰よりも優しかった。最後に思い浮かべたのは幸せそうな父の顔だったそうだ。
村に運ばれてきたばかりのウィアは直視するのがつらいほどだった。
”死”
僕がこの世界でそれを初めて見たのもその時だった。ウィアはそれほどまでに心身ともに衰弱していたのだ。
起きていても眠っているかのようで誰にも心を開かなかった。この村の長であるパードレと出会うまでは。
村長であるパードレはテンプレとも言える白髪で長いひげを蓄えたTHEおじいちゃんだ。
しかしその包容力たるや母なる海のごとし。よぼよぼの体と皺だらけ顔。物腰柔らかであふれ出る知識は経験からくるものなのか底が見えない。
パードレの家に引き取られたウィアは多大なる愛情と幸せを享受し、しばらくしないうちに回復し村のみんなと生活を共にするようになった。
その優れた容姿と剣才、死の境地に一度立った故か同じ年の子供たちの中でも大人びていた彼はすぐさま村の皆から愛された。
一度生きることに絶望したウィア、彼の心にあるのは村の皆の笑顔だけなのだろう。
自分を救ってくれた村のみなに、自分を育て上げてくれたパードレに、恩返しすることが彼の生きる意味なのだ。
「15になれば騎士になる資格を得られる。 成人の儀を終えたら……この村を出るつもりだ」
「きっとみんな悲しむよ。 みんな……ウィアのことが大好きだからね」
「あぁ……きっとみんなと離れるのは想像以上に寂しいだろうな……。 だけど、毎晩考えるんだ。 こんな俺に愛情を、生きる希望を教えてくれたみんなに……俺ができること。 本当はお前の親父さんの稽古もつらくて何度も逃げ出しそうになった。 だけどこの命は……俺だけの物じゃないんだ! 俺の命は……この村のみんなのために使うべきなんだ!」
ウィアの瞳に見えているのは、幸福な未来かそれとも……。
暮れ行く太陽は、今までの力強さを失いどこか切ない色に変わっていた。
この命が誰のものかなんて考えたことは無かった。
僕の命……。
今まで当たり前のように傍にいたウィアが、唐突に大人びて見えた。それは彼の落ち着いた性格や、僕より幾分か高い身長によるものではない。
彼の命に向き合う姿勢。僕が目を背け続けてきたその途方もない存在に立ち向かおうとする姿に、僕は心を動かされたのだろう。