5
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相手は魔物たちのボスである大型の魔物で、その姿形はとても大きいだろう。
ならば、足音や足跡だって図らずとも大きいし、気配もまた然りだ。
ようするに、二人がボスの魔物を見つけるまで、そう時間はかからなかった。
「アレだな……」
木の陰に隠れながら呟いたリオトに神影も頷く。姿はハッキリと見えないが、気配が同じということは間違いなく昨夜見たのと同じ魔物だ。
地響きの辛うじて一歩手前の大きな足音をたてて縄張りを悠然と歩くとてつもなく大きなソレ。
「神影、気配を消して背後から不意打ちの先制攻撃を頼めるか?」
すると、神影は一瞬肩を揺らして怯むような素振りを見せたが、すぐになにかを覚悟したように拳を握りしめる。
「が、がんばるでゴザル!」
「そしたらたぶんボスは振り返るから、その背後を今度はオレが攻撃する。一箇所に固まらないで挟み撃ちにするんだ」
「御意!」
音もなく姿を消した神影はわずかな残像の影を残しながら木の陰や茂みへと瞬く間に飛び移りながらボスに近づいていく。
徐々に見えてきた、体高約三メートル、全長約四メートル半ほどの巨体は全身黒い毛に覆われ、ゆらゆらと尻尾が揺れている。典型的な出張った鼻の横には鋭く硬そうな角が二重に捻った形で左右対称に生えている猪型の大型の魔物。
時には少し様子を伺いつつ、四つの長く尖った鉤爪がついた熊手のような武器、手甲鉤を両手に装着しながら、息を殺し、気配を消し、気づかれぬようゆっくりと背後に忍び寄る。内心怖くてたまらないが、震える体を無理矢理叱りつけ、ついに腹をくくった神影は十分に距離を詰め、木の陰から飛び出した。
大きく無防備な背中を鉤爪が抉る。もろに攻撃を受けたボスの魔物は、不意打ちをくらった驚きか、それとも痛みからか、重い叫び声をあげなから背後を振り返る。
戦闘開始だ。
魔物の赤い目がいきなり現れた神影を敵と認識し、体その巨体を反転させる。狙い通りだ。今度はリオトは木の陰から飛び出し、愛刀を抜刀すると同時に強めの衝撃波を放つ。
魔物は再び声をあげ、背後を振り返る。狙いがそれたその隙に神影は魔物の脇へ移動し、リオトは神影とは反対側の脇へ。
二対一だと悟った魔物は先にどちらを狙うか考えているかのように首を左右へ交互に振る。
構わずリオトと神影は魔物に攻撃を繰り出し続ける。このまま早々に倒せればいいのだが、と二人が考えていた矢先、魔物はようやく最初の標的をリオトに決めたらしく、攻撃を受けながらも体の向きを変え、突進を繰り出す。
無論リオトは攻撃の手を止め、右へ飛んで避ければ魔物はそのままリオトを横目に通り過ぎていく。
「氷結───」
背後に魔物がいる形になり、リオトは振り返りざま左手でリヴォルバーを引き抜き、引き金を引く。銃口から放たれた鋭く尖った氷の形をした弾丸が、自らブレーキをかけ、地を抉りながらようやく止まった魔物の体に撃ち込まれた。
神影が上からクナイを放ち追撃するも、巨体であるゆえかあまり効いていないようで、魔物は平気そうに体をフルフルと振る。
「チッ……!」
舌打ちをしたリオトはリヴォルバーをしまい、愛刀をかまえ駆け出す。一気に間合いをつめ、斬りつければ、魔物は角で青龍の刃を受け止めた。刃と角が擦れ合い、ギリリと音がする。
万が一力の差で折れては困るので、早々に弾いて一歩下がり、脇に回り込んで斬り込む。
「グォォォォ!!」
雄叫びをあげながら、魔物はリオトの方を向こうと体を動かす。が、それを影が阻んだ。
神影が正面から刀で斬撃を浴びせたのだ。
彼が魔物を引きつけているうちにリオトは愛刀を振りかざすが、魔物が神影に向かって突進してしまい、なかなか強力なダメージをあたえられない。的がデカいので攻撃は外れにくいが、巨体の割に意外と動きまわる点は厄介だ。
「さて、どうするか……」
猪だけあって一度突進すると急な方向転換ができず、魔物はそのまま木にぶつかり、三本目にまっすぐぶつかったところでようやく止まった。最初と二番目の木には体が少しぶつかった程度だったのだが、力が凄かったらしくバキバキだのメキメキだのと凄まじい音を立てて折れ、裂け、地に倒れる。
一方で魔物は多少痛がってはいるようだが、変わらずブルルと鼻を鳴らして意識をはっきりさせるように首を振っている。なにか動きを止める方法はないか頭を巡らせるリオトの隣に魔物の突進をかわした神影が降り立った。
「拙者があやつの動きを止めるでゴザル。リオト殿はその隙に」
今のところ、それ以外にいい方法が見つからないからだろう。一歩、また一歩と前に出る神影は半ば有無をいわせない強引な口調で告げる。
「頼む」
「承知」
またリオトを標的に定めた魔物は体を反転させて右足で地を擦る。突進の構えだ。
神影はその背後の木の、太い枝の上に立つと、長く重い鉄鎖を取り出す。右腕に先を巻き付けて、反対の先を魔物に向かって投げれば、それは見事に魔物の体に巻き付いた。しっかり巻き付いたのを確認した神影は立っている枝を軸にして一回転した後、下に降りた。枝に鉄鎖を巻きつけなければ、あんな巨体を神影一人で引っ張るのはさすがに少々無理がある。
急に動きにくくなったことで体に何かが巻き付いたことに気がついた魔物が暴れだし、神影は精一杯鉄鎖を引く。
「くっ…、この…! リオト殿!」
神影の声を合図に、リオトは勢いよく地を蹴った。
「煌煉舞っ!!」
間合いを詰め、左下から右上に、右下から左上にバツを描くように下から二度斬りあげ、次いで右へ一閃。そのままくるりと舞うように回転し、最後に上から下へ縦斬り。計四連撃が魔物の巨体に刻まれる。もろにダメージを受けた魔物が長く悲痛な悲鳴をあげた。
「やったでゴザル!」
勝利を確信した神影が鉄鎖を少し波立たせ、ぐん、と引けば鉄鎖は魔物から綺麗に外れ、吸い込まれるように回収される。
魔物はよろよろと左右によろめきながらも、倒れぬように震える足で踏ん張ろうとする。
まだ戦う力が残っているのか、すでに限界だがただがんばって踏ん張っているだけなのか、いつでも動けるようリオトは刀を手に再び構える。
魔物はよろけながらもバランスをとろうと足を動かしているうちに、次第に神影の方へ体の向きが変わる。
そこからは予想外だった。
魔物が突如、神影に向かって突進したのだ。気でも狂ったか、死が間近に近づいて我を失ったか、最後の抵抗に神影だけでも道連れにする気か。
驚いた神影は目を見開いたまま動かない。リオトもとっさに声が出なかったが、無意識に体は動いていた。
神影を横に突き飛ばして庇う。体当たりをまともにくらい、おまけに角を使って投げ飛ばされたリオトの全身を凄まじい痛みが襲い、背中から木に衝突したため間髪入れず背中にもかなり強い衝撃と痛み。そして地に倒れたことで今度は体に軽い衝撃。
「う、…うぅ……」
すぐに神影は体を起こし、周囲を見回す。はじめに目に付いたのは少し離れた場所で木の下敷きになって横たわっている魔物。見境なしに木にぶつかり、折れたために下敷きになったのだろう。ピクリとも動かないところを見ると、ようやく力尽きたようだ。
確か、魔物が自分に突進してきたところで誰かに庇われて……。
「あ、リオト殿……? リオト殿!」
自分を突き飛ばしたのはきっとリオトだ。リオトはどうなった?
必死に周囲を見回すと、四メートルほど離れた所にある木の根本に誰かが倒れている。
「リオト殿!!」
駆け寄ってみればやはりリオトだった。抱き起こして呼びかける。
「リオト殿! しっかりしてリオト殿! 起きて!」
揺さぶっても反応がない。すでに意識はないようだ。体全体に重軽傷共に無数の傷ができており、特に木にぶつけた頭部と背中、角が当たったのか脇腹からの出血がひどい。なんとか冷静になりながら脈を測り、口元に手をあててみる。なんとか脈はあり、息もしているがか細い。早く駐屯地へ戻らなければ危ない。
リオトを背中に背負い、神影は来た道を全速力で戻った。
*
空気と共に漂う医薬品等の独特な匂いと、体を包む布の感触。それを布団だと認知したことで、自分が目覚めたことを知った。
「うっ……! あだだ……」
途端に全身を襲いくる激痛。抵抗する術などなく、リオトは痛みに顔を歪めながら上体を起こした。
「生きてたんだ……、オレ……」
自身の体を見てみれば、着ていたワイシャツは脱がされ上半身は胸部を覆うインナーのみとなっており、頬や腹部、腕にガーゼやら包帯やらが巻かれていた。髪も解かれていて、毛先が首周りをくすぐる。
あの巨体の渾身の体当たりと角突きをまともにくらったのだから三日ほど生死の境をさ迷ってもおかしくないのだが、我ながら自身の体の頑丈さに脱帽である。
「ここは……、駐屯地の医療班のテント……?」
リオトが寝ているベッドは端にあるようで、左と背後は壁、というかテントの布地で、前方と右には二つの大きな衝立が立っており、空間を隔てている。よってその衝立の向こうがどうなっているのかは確認できないが、おそらく間違いないだろう。
「正解だよ」
聞き覚えのある穏やかな声と共に衝立の向こうから人が入ってきた。
「ユリウス……」
「昨日は魔物の群れとそのボス討伐、御苦労様でした」
「神影は? 無事だよな?」
そこで布団の上にぽふっと何がか放られる。リオトのコートだった。
「外にいるよ。君に怪我させちゃったって落ち込んでた。明日の朝帝都へ帰るから、それまでゆっくりしていなさい」
ワイシャツはどうしたと聞けば、腹部の傷が酷かったので、従ってワイシャツはボロボロになり捨てたらしい。代えの服は無いとキッパリ言われたので、リオトはインナーの上からコートだけ肩に羽織って外に出る。
外は明るく、森の見回りやら駐屯地の片付けやらで兵たちがパタパタと動き回っていた。
辺りを見回すが神影らしき人影は見当たらない。
───っつーことは……。
コートを翻し、リオトはこの拓けた駐屯地を離れ、裏手に回る。
「確かこっちだったはず……」
一度しか行ってない場所のため、うろ覚えの記憶を頼りに進む。迷いやしないかとヒヤヒヤしつつも歩けば、ほかの木よりも成長した大木を見つけ、その根元に座り込んでいる人物の背中が見えた。明るい榛色の頭に黒装束。間違いない、神影だ。
そこでちょっとしたいたずら心が芽生えたリオトは、気配を消してその背中に迫る。一方神影はリオトに気がついていないようで、微睡んでいるのかぼーっとしているのか、膝に顔を埋めたまま動かない。真後ろまできたところで、一気に顔を出した。
「わっ!!」
「ふわぁっ?!!」
予想どおり、神影は素っ頓狂な声で驚いて、こちらを振り返った。それはいい。ただ一つだけ予想外だったのは、リオトを捉えたアメジストの瞳から、光るなにかが流れていたことだった。思わずかたまって凝視すると、それは涙だった。
「リオト殿……! か、体は大丈夫なの……?!」
「へーきへーき。それよりなんで泣いてんの?」
「だ、だって……。僕のせいで……」
隣に腰かければ、チラチラと視線をよこされる。どうやらガーゼや包帯を見ているようだ。
「まぁ、最後のあの突進はオレも予想外だったしな。冷静に、安全に攻撃して動きを止めるっていう考えが浮かばなかった」
生きてるからべつにいいけどね~と暢気にケラケラ笑うリオトを一瞥し、神影はまた膝に顔を埋めた。
「あのとき……、あのとき僕は、驚いて動けなかったんじゃない……。怖くて、足がすくんで、体が震えて動けなかったんだよ……。そんな僕を、どうして庇ったの……?僕なんて庇わなきゃ、そんな大怪我しなかったのに……」
「庇うよ。お前はオレの友達で、仲間なんだから。例えお前が嫌がってもオレは庇い続ける。オレが守ってやるよ」
顔を上げた神影に、なっ!と少年のような笑みをうかべて笑いかけてやれば、神影はくしゃりと顔を歪めて再び泣き始めた。引力に従ってポロポロと涙が落ちていく。
「う……、ふえぇ…………」
「……だから、なぜ泣く……」
神影が泣いている理由がわからないリオトはしばし呆気にとられていたが、泣き止まない神影を見かねて正面に回り込み、頭を撫でた。
「よしよし」
「り……っく、……どの……」
言葉を嗚咽に邪魔されながら、神影は立ったままのリオトを仰ぐ。
「今このタイミングで泣く理由はわからんが、ガマンするこたぁない。泣きたいなら泣けよ。そうすりゃすぐに心の天気も、なにもかも晴れるから」
頭を撫でる手が優しくて、あたたかくて、涙が止まらなくて、神影は涙が止まるまで泣いていた。