第十七回 国鉄下河原線
313 「皆さんこんにちは。今回は府中市にあったとある路線のお話です。」
「1910年。国分寺駅と府中市下河原を結ぶ東京砂利鉄道が開通します。」
「その名の通り多摩川の砂利を運ぶための鉄道で府中市初の鉄道です。」
「ちなみにこの砂利は神田~上野間の高架に使われました。」
「廃止直線の駅数は4駅。北から国分寺、北府中、下河原、東京競馬場前だ。なお北府中から先は下河原方面と東京競馬場前方面に分岐している。」
「1920年鉄道省によって買収。そして翌年、営業廃止となら国分寺駅の構内扱いとなる。」
「こうして僅か10年で廃線になった。」
「しかし1934年。前年に東京競馬場が完成したため競馬開催日にのみ営業する、東京競馬場前仮停車場を作り下河原線は国分寺~東京競馬場前駅として復活した。」
「この東京競馬場前駅は国鉄で一番名前の長い駅として一時的に有名となりました。」
「また、下河原駅までも貨物線として復活してこれで勝てると思ったら…。」
「1944年、東京競馬場前駅。営業休止。」
「贅沢は敵の波には勝てなかった…」
「こうして戦時に休止された駅は復活できないことが多い。もうだめだと思ったら。」
「なんと終戦からたった2年で1947復活してしまったではないか。」
「勢いにのり1949年には通年営業となる。」
「1952年には貨物支線として国分寺~下河原間が復活。」
「しかし1959年、水質汚濁などが原因で多摩川での砂利の採掘が禁止となった。」
「そして1973年。下河原線は武蔵野線に役割をバトンタッチする形で廃止となった。」
「武蔵野線の支線となった北府中~下河原間も1976に廃止となり完全に幕を下ろした。」
「現在ではこうした砂利の運搬用鉄道は姿を変えて残っている。」
「しかし下河原線も神田~上野間の高架や武蔵野線として残っているのかもしれない。」
こういうことをここに書くのもあれですがもし読んでくれた方がいるのなら評価をお願いします。