その5 ひとり。
ふと気がつくと、僕は小さな個室に居ました。個室といっても、透明なガラスで側面上面を覆われた、半ば研究用の部屋のようなものです。
……何を考えることもできません。それは、頭がぼぅっとしていたためです。
とてもゆっくりとした幾秒が経過してから、やっと自分の状況を理解しました。
「僕、帰ってきたんですね……」
段々とはっきりしていく意識は、僕にロールプレイングの世界で起きた出来事を、少しずつ、じっくりと、鮮明に蘇らせていきました。その中でも特に気がかりだったのが、ふたりの存在でした。
「……! ミュリンとフレバードがいないです……」
ふわふわとした一頭身半程度のふわりとした毛並で、長くて両耳が絡まってねじれたような可愛らしい姿の、ミュリン。そして、赤黄色の鬣に、その大きな体。クールな眼差しを持つ鳥、フレバード。ふたりの姿は室内には見られなかったのです。
「置いてきちゃったのでしょうか……」
そうだとしたら、ふたりには申し訳ないことをしてしまったのです。
……かといって、今から向こうへ行くのは、朝倉さんに機械を操作していただかないことには難しいのです。
では、朝倉さんはどこにいらっしゃるのでしょう。
そこでふと、ゲームの世界に居た際にあったことが思い返されました。
『アルト、済まない。所内でトラブルが発生したみたいだ。悪いがそちらへ向かいたい』
そうです、朝倉さんは研究所内のどこかに居るはずなのです。トラブルに巻き込まれていられるのです。直ぐに探しに行かなくては……!!
そして、リビングや研究室など、様々な場所を念入りに捜索しましたが、一向に見つかることはありません。おトイレだって、お風呂場だって、ノックしました。けれど、返事なんてありませんでした。
……一体絶対、何処へ行ってしまったのでしょうか。
その後もずっとずっと、探し続けましたが、結局見つかることはありませんでした。
とはいっても、全ての室内に入ることができた訳ではありません。一部の部屋にはパスワード認証が必要なお部屋があり、入ることもままなりませんでした。もしかしたら、そちらにいらっしゃるのかもしれません。
そこでふと、ある台詞を思い出し、「だったら……これ以上の捜索は不必要なのです」と、何とか自分に言い聞かせました。何事かといいますと、朝倉さんは施設内の紹介をしている際に、補足として次のようなことを仰っていたことがあったのです。
『私は独自に、それも誰にも知られるべきものでないような研究も行っているんだ。そんな時はロックのかかった部屋にいる。そんな時には、無理にこじ開けて入ってこないでおくれよ。まあ、そんなことはしないと思うがね。信じているよ?』
つまり、「詮索するな」と。そう仰っていたのです。
その時の表情が、あまりにも悍ましかった……。ただの怖い顔ならよいものを、それだけには収まるものではありませんでした。それはまるで、命以上に大切な何かを守るような……。そんな僕の見たことがない、朝倉さんでした。そんな形相をされていては、入るに入れませんし、ノックをして邪魔をするわけにもいかないでしょう。
「(少しの間、辛坊するのです……アルトリア)」
僕は諦めて、トボトボと、足取り重く、リビングルームへと向かいました。
中に入っても、誰がいることもなく、ただ僕と言う存在がひとつだけ、ぽつんとその空間に佇んでいるだけでした。
「ああ、そうでした。今までひとりになったこと、なかったのです」
思えば、傍らには必ず、朝倉さん、もしくはミュリンとフレバードがいらっしゃったのです。その存在は、意識していなかったとはいえ、とても大きなものだったのです。
記憶のない僕にとっては、彼らが僕の全てでした。そんな存在が、今はいないということが、無性に寂しさと悲しみを、じわじわと感じさせました。
別に永遠の別れだとか、そんなことではないはずなのに……。少し待てば会えるはずなのに……。
「僕は弱虫なのでしょうか」
……だとしたら、知りたくなかった自分の側面を知ってしまったことになります。
「…………」
お気に入りの形崩れしたソファに座るも、隙を埋めることのできない寂しさを、紛らわすことなどできませんでした。
「外身の心地よさなんて……今はいらないのです……」
とても居心地の悪い「ひとり」という空気が、僕には耐えられませんでした。
「朝倉さん……」
消え入るほどの小さな呟きでした。勿論、呟きの受け取り手なんていません。
それを信じたくない僕は、辺りを見回しました。もしかしたら、返事をしていないだけで、実はずっと隠れているのかもしれない……なんて、あり得るはずもないことを、その時だけは信じて。
当然、誰もいませんでした。
……しかし、ただ一つ、僕は気が付いたのです。
テーブルの上に、何かがあるのです。紙切れでした。朝倉さんの書置きのようです。
そう、僕は書置きの存在に、これまで気が付かなかったのです。何だか間が抜けているように思えますが、そこは仕方がないのです。ショックの方が優っていて、他のものを見るだけの心の余裕がなかったのですから。
書置きを急いで手にとると、直ぐに文面を読むことが出来ました。
『アルトへ。ロールプレイングの世界から帰ってきたんだね、お疲れ様。突然だが、私は今、ある事情で研究室に籠っている。理由を話すことはまだできない。しかし、いずれは話せるときがくるだろう。その時を待っていてほしい。さて、先ほど私は、急用で君の操作から離れたわけだが、その理由だけは説明しておこう。この研究所に、泥棒、つまり人の物を勝手に盗っていく悪い人が来たんだ。とんでもないことであるし、私はこれを許すわけにはいかない。しかし、逃げ足が速く、取り逃がしてしまった……。そこでお願いがある。私が研究に没頭している間にヤツが現れたら、あの世界へ行く前に教えた道具、「刺又」を使い、懲らしめてやってほしい。君ならできるはずだ。信じているからね。頼んだよ。』
〆にはしっかりと『朝倉』と書かれていました。
「朝倉さんは、僕を信じてくださっている……」
とても心がぽわぽわと暖かくなっていくのを感じました。これは、頼まれ事、言い換えれば、「初めてのお手伝い」なのです。僕がやりたかったことなのです。絶対に成功させるのです!
僕には先ほどまでの寂しさは少しずつ昇華していました。代わりに、「泥棒」を捕まえるんだという気持ちがたちまちに湧き出てきました。




