テイク6 宝玉の番犬(2)
……むにむに。
ああ。これはリリオの胸が顔に当たる感触だ。……って、そんなモン覚えちまってる自分が怖い。
「ココはドコだ? リリオ」
むっくりと顔を挙げるオレ。
「月の海や、ルルナ」
しゃがんだまま、平然と答えるムーンテイカー。
「あーそーか。今日も地球がキレイだな……って、ええええええええぇぇぇぇぇッ!?」
虚空に浮かぶ、青い星。
無数に煌めく、大小の星々。灰色に広がる、静かな地表。
しばし、言葉を失う。
映画やゲームで観るのとは比較にならない、あまりに壮大で荘厳な世界。
「……ちょ、ちょっと待て! ジャンプ先が月面って……、そんなのアリなのか!?」
「アリやで。そもそもウチも、未来の月から来たんやし」
「…………」
そーいやそーだ。しかしまさか、親友の家の敷地から、月まで跳ばされちまうとは……。まあ、氷河期のほうもたいがいだったが。
あ。今オレの頭の中で、名曲『Fry me to the moon』がループし出した。
「ちなみに、ココは千年ぐらい前の『静かの海』みたいやな」
脳内で検索でもしたのか、両手を耳のあたりに当ててサインコードを切ったリリオ。
「ああ、たしか月の海って、地球から見て黒い平らな部分のコトで、水はねーんだろ? ソレで『静かの海』は、アポロ11号で人類が初めて着陸した……って、おい!」
「ぐはあッ!?」
リリオの喉もとに炸裂する、オレのツッコミ手刀。
「ソレより先に月面に到達しちまったらマズいだろッ!? 人類の偉大な歴史に対する冒涜じゃねーのかッ!?」
ごめんなさい! アームストロング船長!
「げほげほッ! し、知らんがな! ウチのせいやないで! く、苦しい……」
「苦しい? はッ!? そーいや空気は? さ、酸素ッ! いやソレ以前に、血が沸騰したり……ッ!」
「……落ち着けやルルナ。その『ムーンクロス』は、宇宙空間でも活動できるゆーたやろ? 空気の膜に包まれとるから平気やで」
「なんだそーか……、ん? 雨?」
——ぽたり、ぽたり。
ゆっくりと、オレとリリオの頭上に落下して来る、生暖かい雫。
「? おっかしーなぁ、この時代に、月面に雨を降らせるテクノロジーは……んん?」
——グ ガ アアアアアァァァァッッッ!!!
頭上での咆哮が、空気の膜を震動させて伝わってくる。
慌てて見上げたオレとリリオの視界に映ったのは——体高六、七メートルほどの、大口から涎をあふれさせた——
「あ、頭がみっつの怪物!? ケ、『 ケルベロス』ッ!?」
——バグンッ!
「うわッ!」
上からの噛みつきを、すんでのところで跳び退いてかわすオレたち。
「よーかわしたでルルナ! 『ムーンクロス』のデフォルトでの重力設定は地球と同じやで、違和感ないやろ!」
「おい! 何でゲームとかに出てくるギリシア神話の『地獄の番犬』がこんなトコに! っつーか、実在すんのかよッ?」
「——《時空召還》や」
「じ、《時空召還》!? わッ!」
——バグンッ! バグンッ! バグンッ!
ケルベロスのみっつの大口が、連続してオレたちを襲う。側転、バック宙など、様々な姿勢でソレらをかわしながら、会話を続ける。
「ま、まさか、神話の時代から、ダレかが召還したってのか!?」
「逆や! ウチの時代には、闇で生物兵器を産み出す裏バイオラボが暗躍しとんのや! せやから、この子を使役しとるダレかさんが、ウチの時代から《マキナ》の力を使って呼び寄せたんや!」
「……マジ、か?」
だったらもしかして、神話に出てくる怪物とかも、ソイツらがもとになってんじゃあ……?
いや、そんなコトより今は、
「だったらコイツが、『お宝の番犬』——ラスボスなんだな!」
「…………」
バック転でケルベロスの牙を避けながら、なぜか少しの間をおくムーンテイカー。
「半分当たりや! おそらくな」
「はあ? どーゆー意味だ!?」
「説明はあとや! そろそろ反撃のお時間やで! ——《半月◯刀》!」
素早くサインコードを切った左手に現れる、半月型の巨大な刀。
「そうりゃあああぁぁッ!!」
——ド ガンッ!
見事な月面宙返りでひとつの頭の攻撃をかわしながら、次の頭の攻撃にカウンター気味に刀を振り上げた『ザ・ムーンテイカー』。
悲鳴と砂ぼこりを上げながら、後方へ吹っ飛ぶケルベロス。そのさまと、先ほどまでの動きから、コイツの重力設定も地球上と同じのようだ。
「おいリリオ! オマエ生き物に攻撃できないんじゃなかったのか?」
「生物兵器は別モンやで! 切れないように手加減はしたったけどな。……おい怪物! 月はこの『ザ・ムーンテイカー』さまの庭や! 襲おうなんて千年早いで! 清麗なる月の女神に代わって、タコ殴りにして知り合いの裏ペットショップへ送ってやるから、覚悟しーや!」
灰色の地表に両足を着いたリリオは、空いた右手でびしっと指差し、キメゼリフを吐く。
その内容は微妙だが、頼もしいコトこの上ない! だったら——
「——じゃあ、『犬』ベースの怪物でもカンケーねーんだな?」
「………………………………………………………………?」
ちょっとの思考のあと。
強気の表情から一転。涙目になってひざをがくがくと振るわせ始める『ザ・ムーンテイカー』さま。しゅんしゅんと、その手の巨大な刀も消滅していく。
「ル、ルルナ〜! どないしょ〜! わんわんメッチャ怖いやん、わんわん〜!」
「しまったあッ! ヤブヘビ!? コラ、しがみつくな! 子供かオマエは……って、どわあッ!?」
ヤブからヘビ……ではなく、砂ぼこりの中から突如現れた巨大なヘビの頭を、リリオを抱いて横っ跳びでかわすオレ。
月の引力は、確か地球の六分の一くらい。だからなのか、ふわふわと舞い上がった細かい粒子の砂ぼこりはなかなか収まらず、視界は極めて悪い。
「ヘビ!? そーか、ケルベロスの尻尾か! くッ!」
続けてふたつの犬の頭が、大口を開けて連続して襲いかかってくる。先ほどやられた頭は気絶中らしいが、リリオをお姫さまだっこした状態のオレは、かわすのが精いっぱい。




