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我ら自転車帰宅部

作者: 木山 夕

某漫画に感化されて書いた作品。五分の一くらいは実体験。

「あー、かったりぃ……」


ギシギシ鳴る自転車を漕ぎながら、少年は憂鬱気に呟いた。


二年C組、出席番号7番、片山哲郎。


所属、帰宅部。


非常にどこにでも居そうな、凡人だと自負している。


そんな彼は、現在学校に向けて登校中である。


「学校休みてぇ……」


全くもって世間一般普通も普通な現役高校生が毎日呟いてそうな台詞である。


しかし、それは大体はソフトな声色だ。現役アイドルの「好きです(はぁと)」と同じくらい軽い気持ちで呟いていることだろう、普段なら。


けれど、今回の哲郎の言葉は沈痛だ。


何故か。考えられる理由なんぞ両手で収まりきらないほど湧いて出てくるだろうが、今回はその中の一つである。


「遅刻決定とか、ほんと行く気なくすよなぁ、畜生」


現在時刻八時半過ぎ。一限目の開始時刻は五十五分だ。ちなみに、学校は哲郎の家から三十分以上かかる位置にある。


今頃朝のHRが始まっている頃だ。そして、それが終わればすぐに宿題を集める教科の先生がさっさと掻き集めて、提出出来なかった奴はその授業ずっと当てられ続ける拷問をうけることになるだろう。遅刻とて同罪だ。やってこようがこまいが、関係ない。


そんな状況下で、どう元気を出せというのか。


どうせなら、曲がり角で食パン口に咥えた女子高生でも用意しやがれと理不尽な注文を神様に叩き付けたい衝動に駆られるが、哲郎はただ溜息を吐く。


疲れることはしない。そんな自己理念で今まで過ごしてきたのだ。


しかし。だからこそ、腹が立つ。


「折角夜中まで宿題なんかやったっつーのに、結果がこれじゃやってらんねーっつの」


無駄なことになった。気の迷いでやる気になったというのに、遅刻で何もかもパアだ。


まあ、宿題を夜中までやって寝坊する、なんて本末転倒なことを仕出かしたのも、結局は自業自得なのだが。こんなところまで、凡人さが滲み出ている。


しかし家を出てしまった以上、学校には行かねばなるまい。一限が終わるところを見計らって、超低速運転で行こう、と哲郎は決心した。


そんなときだった。



シャ―――



哲郎の横を、自転車で誰かが通り過ぎて行った。


よく見れば、それは自分と同じ制服の高校生が乗っていた。


こいつも遅刻か、と軽い気持ちで哲郎はそいつを見送った。どうやら急いでいるようだが、なんとも勤勉なことだ。としか感想は湧かなかった。


………次の瞬間までは。


そいつは、哲郎を追い抜くと、ぐいと上半身を捻って哲郎を見やった。


そして―――にやりと笑った。


哲郎は、それを見て、しばらくフリーズしていた。


よく知らない奴に笑われたこともあって、反応にこまっていたのもあるだろう。


けれど。数秒後。




哲郎は、ギアを最大にした。




カチンときた。テメエもどうせ遅刻だろうが、とか。なにドヤ顔してんだよキメェ、とか。色々な罵詈雑言が浮かんできたが、それは全て、


足の筋肉に送った。


冷静に考えれば、普段の彼ならば。軽く無視してそのままダラダラと自転車を漕いでいただろう。


でも、なんだかそれは許せなかった。そして、自分の視界に奴が映っていることが許せなかった。


―――抜いてやる。


立ち漕ぎする必要もない。いつもより重いペダルを踏み、ぐんぐんと追いついていく。抜き返すのに、三分もかからなかった。


徐々に差がついていくのを感じながら、哲郎は振り向かずに、ただ前を向きながら笑った。


少し、スカッとした。このスピードなら易々と追いつかれることもないだろう。


そう思っていた。しかし、それは間違いだった。


スッ、と車輪が視界の端に飛び込んでくる。


間違いなく、さっきの奴だった。


負けず嫌いかこの野郎、と悪態を吐きながら、追い抜かされないようにさらにスピードを上げる。


しかし、離れない。むしろ、徐々に近づいてきている。


横目でチラッと奴を見やると、奴もギアを上げたのか、座り漕ぎでいかにも余裕ですよ、みたいな顔で足をしゃかしゃかしていた。


イラッとした。


まだ余裕はある。全力で座り漕ぎして奴との差をはっきりさせてやる。


哲郎は再び前を向き、奴以上にペダルを漕いでスピードを上げた。


一瞬、差が開いた。しかし、それはほんの刹那だった。


奴もまた、スピードを上げてきたのだ。今度は、なんか少し必死そうである。


おいおい、こんなことにマジなんかなるなよ。


とか思いつつ、哲郎も割りと真剣な顔でペダルを漕いでいた。足が少し辛い。


フラットな土手道。曲がりも少ない川沿いを、二つの自転車が割りと速い速度で走っていた。


坂も曲がりもない、ただスピードだけが物を言う平地。


互いに譲らないまま、どちらも座り漕ぎの状態で、その状況は保たれていた。


しかし、それも長くは続かないだろう。


平地は、もうすぐ終わる。


そしてもちろん、曲がりも坂も、現れる。


(……仕掛けるなら、この辺りか?)


ほぼ並走している状態で、哲郎は考えた。


学校は、このまま坂を上り、そして下った所にある。つまるところ、どちらか先に登った方が勝つと考えてもいいだろう。下りで抜こうとするのは、いささか危険すぎる。一番スピードが出る分、曲がりの操作もブレーキの利かせ方も、荷物をのせて重量のあるこの自転車では難しすぎるのだ。


だからこそ、上りで差をつける。


哲郎が考えた策は二つだ。


一つは、奴の後ろにぴったりとついて、疲れをみせたり速度が激減した際に一気に抜き去ること。


もう一つは、何も考えずただ自分の出来得る限りの速さで上ること。


前者は、冷静かつ己の力をバランスよく考えながら上らなければ成り立たず、その分少し間違えば差が開く可能性もあるだろう。後者は、何も考えない分、楽ではあるが奴が何かしら策を練っていたら、それに対応できない可能性が大きくなる。


どちらにすべきか。哲郎は、橋を渡る間に結論を出した。


速度を、落とした。


(前者の方が確実だろう。おそらく、奴は何も考えず登るだろうし。登って疲れが足にきた時が、最期だ)


怪訝そうな顔を見せる奴をほくそ笑みながら、ぴたりと後ろにつける。あとは、チャンスを見失わず上手く突けば勝ちだ。


橋を抜けた。すぐに坂道だ。


斜度が変わる前に二人は座り漕ぎから立ち漕ぎへとシフトさせた。ほぼ同時だ。


勢いに任せたまま、二人の自転車は坂をものともせず突き抜けていく。足にかかる重圧がだんだんと強くなっていくのを感じながら、それでも速度は落とさない。


しかし、それも曲がり道に入ってしまえばそれまでだった。劇的に速度が変わっていく。あんなに軽かったペダルが回るのを拒むように固くなる。


哲郎はギアを一段軽くした。半拍遅れて奴のギアも下がる。そのせいか、一瞬抜けそうな位置まで差を縮めることができた。


奴はそれを敏感に察知して、前に体重をかけぐんとスピードをあげた。それの対処に遅れた哲郎はまた同じ距離まで離されてしまった。


けれど、後ろから観察して分かった。


奴は、本当に何も考えていない。今のギア変だってこちらが変えたから変えただけだ。ペースなんか考えてもいない。


これからまた斜度が変わる。一度水平となって、また急に角度がつく。


ここで勝負を決める。水平となったところで勢いをつけ、絶妙なタイミングでギアを変化する。勢いと斜線にそった力が完全につりあった瞬間にギアを下げるのだ。上手くいけば、奴は力負けして上手く最後の坂を上ることが出来なくなるかもしれない。


毎日この坂を通っているのだ。哲郎はそのタイミングを見計らうことだって可能だった。


それは奴も同じことで、さっきの一瞬以外はなかなか抜けるような隙を見せない。


だからこそ、最後の坂、水平と斜面が組み合わさったあのステージが決め手となる。そこで奴を出し抜けば、頂上に先にたどり着くことが出来る。


勝てる。哲郎は自分の作戦に確信を持ち、勝利を揺るぎないものと認識した。


水平の道へと差し掛かる。今度は二人同時にギアをあげた。酷使した足は始めのようには上手く回ってくれなかったが、それでもスピードは上がっていく。


息は切れていた。バクバクと心臓が肉体の悲鳴を訴えてきてはいるが、哲郎は笑みを崩さない。


次で抜ける。その爽快な未来を描きながら、哲郎はまた足にかかる負荷を感じた。最後の坂だ。


若干差が離れたが、哲郎は構わなかった。彼が今考えているのは、タイミングだけだ。


一番効率のよい力のかけ方。それだけを考え、失っていく勢いをただ感じていた。


まだだ、あと少し、……そう、今だ!


ガチャリとギアが変わったのを全身で感じた。ペダルの重さはほぼ変わっていない。おそらく成功だ。


どうだ、みたか。これがお前と俺の差だ。


哲郎はそんなことを思い浮かべながら、下を向いていた顔を上げる。







そこには、さっきよりも距離を離された奴の自転車が目に映った。







「……、…ぇ?」


口からこぼれ出たのは疑問符だった。


何が起きたのかわからない。自分は完全に策略を成功させた。力加減はばっちりだったはずだ。


哲郎はそんな思考を巡らせながら、一つの解に行き着いた。


――――奴は、ギアを変えていなかった。


おそらく、奴の出した作戦は、こうだ。


水平時につけた勢いのまま、重ギアを踏んで坂を乗り切る。


単純とも呼べるそれは、無謀極まりなく、しかし上手くいけば一番速い方法だった。


重ギアのまま斜度の急激な変化についていくなんてことは、負担がでかすぎるのだ。そんなものすぐにペダルが踏み辛くなる。


でも、逆に踏めると、ペダルを回せると仮定するとそれは重ギアな分、下げたギアよりも進むことが可能だ。


そんな理想論。しかし、それを奴はやって見せたとでもいうのか。


ペースが落ちない。少しずつ差は埋まってきているが、間に合わない。


坂は、終わる。


とうとう、抜くことが出来ず下り坂に入った。


足の限界がきたのか、下りに入った瞬間奴の足は止まった。かかる力に任せて下っていく。


それを見ながら、哲郎も坂を上りきった。


けれど、哲郎の頭に占めているのは、たった一つの単語だけだった。


負けた。


簡潔なその一言が、なんだか重くのしかかる。


哲郎の足も言うことが聞かなくなり、ただ脱力し身を任せた。


下りというステージでは、差がかなり大きく見える。実際のところ数秒の違いでも、十数メートル以上の差が目に見えて分かるのだ。


ちょっとだけ、頭が冷めてきた。


なにやってるんだか。子供みたいに意地張って馬鹿らしい。そもそもこの競争自体意味不明。


そんな考えがポコポコと湧いてくる。



依然として奴との差は大きい。それどころかまただんだん離されている気がする。



元々知り合いですらない奴だ。そんな奴とどうしてこんなことやっているのだ。


元のめんどくさがり屋な性根がそうささやく。確かにそうだ。こんな無意味なことやるべきではなかった。


アホだ、と思った。たかが最初に抜かれて笑われたことから始まり、そのまま二人ともガチで競争し始めたのだ。


どう考えても一般高校生がやるようなことじゃない。ガキの行動理念と何が違う。


そうだ。こんなのはガキのやることで、大人な奴がやるものじゃない。ここは自分が冷静になって、大人な対応、即ち全てを水に流して何もなかったことにするべきじゃないのか。


哲郎は、だれに言うわけでもなくただそんな言い訳をつらつらと思い浮かべていた。



背中が遠い。もう学校に着くまでは追いつけないだろう。



ここでムキになっても虚しいだけだ。分かっている結果に向けて無駄なことをするのは疲れるだけ。

むしろ、つきあってやった分だけ感謝してもらってもいいぐらいだ。得るものなんてなにも無いのだから。



離れていく。奴の背中が、どんどん遠くなる。



足もこんなに疲れてしまった。たかが登校で運動部以上のハードワークをこなしてしまった。



それでも、奴には追いつけなかったのか。



もうすぐ曲がり道。奴の背中はそのまま見えなくなってしまう。


すい、と吸い込まれるように奴が曲がり角で消えてしまうのをみて、




一段、ギアをあげた。




ガクガクとする足を叱咤するようにして、ペダルを踏む。十分に出ている速度のせいか、先ほどの坂のせいか。軽すぎて危うく踏み外すところだった。


ちょっとでもいい。あいつに追いつく速度が欲しい。


悔しかった。どうしてこんなに悔しいのか分からないくらい、悔しかった。


何が自分をここまで駆り立たせるのか自分でも良く分からない。


ただ、奴が目の前にいるのが、目の前から消えてしまうのが、どうしても許せなかった。


憎くなるほど腹立たしかったのではない。


負ける自分が惨めに思えるからではない。


奴が先にいるのが許せない。


奴が離れるのが許せない。


奴が後ろにいないのが許せない。


奴が遠くなるのが許せない。



奴を抜きたい。


奴に勝ちたい。



ペダルを回す。軽すぎて回す意味があるのかと思うほど速度はあがらない。


回せ。もっと回せ。軽すぎるなら好都合。足に踏み応えが出るまで回せばいい。


じくりと足に熱が帯びる。しかしそんなものに構っていられない。


ただ前へ。奴より先へ。


一切のブレーキもかけず、ジェットコースターもかくやと思うほどの速度で曲がる。


視界に飛び込んできたのは、曲がった先の景色と、明らかに先ほどよりも近い奴の背中だった。


おそらく、曲がりで少しブレーキをかけたのだろう。坂道において、僅かなブレーキでもそれは大きな相対速度変化を引き起こす。


でも、そんなこと、哲郎は考えてもいなかった。


近くなった背中をみて、一言。



抜ける。



ただそれだけだった。


ペダルの回転数をあげる。チリチリと鳴るチェーンの音に気付いたのか、奴は一瞬後ろを、哲郎を見る。

哲郎は奴の目を見なかった。見ているのは先、最後の曲がり道だ。


足の感覚はもう無い。まるでしなる蔓を足の根元で操作しているのような感覚を覚えながらも、哲郎はただペダルを回す。


奴は慌ててペダルを回し始めるが、もう遅かった。


抜いた。こんどこそ、完全に。


そこに達成感や爽快感は存在しなかった。


まだ、終わってない。


ゴールは、ここじゃない。


回す。回す。ただ回す。


引き千切れるのではないかと思うくらい、足は悲鳴を上げている。


ここで転倒したら怪我じゃ済まないくらい、速度はあがっている。


それでも。



ここで、止めるなんてことは、絶対ない。



「―――――ッ!!」


声無き咆哮をあげながら、哲郎はトップスピードを保ったまま曲がる。


事故を起こす可能性があった。車が通る懸念もあった。


でも、――――そんなこと、知ったことではない。


勝つのだ。奴よりも早く、校門を抜けてみせる。


そのためには、速度を落とすなんて出来るはずがない。


奴は追いかけてきている。音が、空気が、気配がそれを明確に教えてくれる。


徐々に追いつかれ始めている。差が詰まりつつある。


校門までもう少し。真っ直ぐに突っ切るだけ。もうゴールは見えている。


逃げ切れるか。このまま勝てるのか。


……いや、違う。


逃げ切る。


勝つ。


それだけでいい。



それ以外は考えなくていい――――ッ!



「「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」」



二人の叫び声は、ただ校門へと向かい。


一つの影が、僅かに先に通り抜けた。











空は、曇りのような、晴れのような。太陽は覗いていないけれど、青空が見えるくらいはいい天気だった。


足はもう動かない。息も喘ぐ様にして酸素を貪る。心臓は破裂寸前だし、腕もプルプルして言うことを聞かない。


それでも、気分は最高だった。









どれくらいの時間が経っただろうか。


どちらからともなく、二人は立ち上がった。


その様子は、まるで生まれたての子鹿を連想させるようなほどがくがくとしたもので、格好のついたものではない。それを二人は指をさしあって笑った。


一頻り笑うと、自転車を杖代わりにして駐輪所へと向かう。


「お前、名前なんてんだ?」


ふと、そんなことを奴は聞いてきた。


まともに会話するのは初めてだ。


「片岡哲郎。お前は?」


「森田一人」


それだけいうと、会話は止まった。会話をするだけでも少ししんどい。


でも、なんだか悪くなかった。


空いている箇所に自転車を置き、鍵をかけると、今度は昇降口へと向かう。杖代わりとなるものがなくなった分、さらにキツイ。でも、大分楽にはなってきた。


苦労して上履きに履き替える。そして、先に履き終えた哲郎は一人を待った。


意識的にではない。そうするのが普通だと思った。


一人も、同じ気持ちだったのかもしれない。


一度、お互いの目を見合い、そして、



「次は負けない」


「次も負けない」



そう、言い合った。




自転車帰宅部は、思っているよりもハードな練習になりそうだ。












「すみませーん、遅刻しました」


「またお前か片岡。廊下たっとれ」







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