おとなな少女と子供な男
「受け入れること、そして求めないこと。それさえ守れば幸せになれるわ」
母親がどんな顔をしてそう言っていたのか、もう覚えていない。
アルマーニァ国男爵位イリアスト家令嬢、ウルア・レイス・イリアスト。
ウルアは母姓で、イリアストは父姓。少女を現す名前はレイスである。
年齢は12を数え、レディと呼ばれるようになったばかりのまだ小さな少女。
だが、その容姿は花が開くことを約束されているようなものだった。
小さな身長だが、腰まである艶やかな黒髪。
春の芽吹きを連想させる鮮やかな緑の目はまるで人形に嵌められる宝石のようである。レイスは端正な顔立ちといって遜色がない。
ただその目は常に表情を映すことはなく、口だけが弧を描き笑みを象っている。そのせいかレイスを見ていると一枚の絵が動いているような不自然さすら覚えてしまう。
年齢に相応でない落ち着きを持つレイスは大人びて見えるはずが、皮肉にもレイスのその見た目は年齢よりもひどく幼い。
12を数えたはずが、容姿だけなら時折10にも満たない年齢に見られるレイス。そんな落ち着いた印象とは反対の幼さを備えており、それがまた少女の持つ雰囲気を不自然なものにしていた。
結局大人びているのか、幼いのか。曖昧なレイスを、周りの大人は最終的に年相応であると判断した。
「本当に、良いんだな?」
レイスにそう聞いた男は、レイスの父親だった。レイスに良く似た色の目は不機嫌そうに細められている。
父親は眉間に皺を寄せた顔をして不快そうにしているが、それでも人の親という歳には見えなかった。だが端正な顔立ちは二人を血縁であるということを強く示している。
「はい。侯爵位ルアーシ家御令息様とのお見合いをお受けさせて頂きます」
不機嫌そうな父親の表情をものともせず、口だけの笑みを崩ないレイスはこども特有の高さが残る声に落ち着きを添えて言う。
そんな娘の意思を聞いた父親は、何が気にくわないのかもう一段と声を低くした。
「正式な見合いをすることは、暗黙の了解で立場が下の者には決定権がない。それをわかっているのか」
迫力をつけている声とは別に、言っていることは少し自虐的であった。そんな声と言葉を聞いてもレイスの調子は変わらない。
「わかっております」
微笑みを浮かべ続けるレイスに、父親は苛立たしげに自分の頭を右手でかいた。
父親は見合い相手の情報が書いている書類に目をやる。既に何度も目を通した書類だ。
ルアーシ家からの釣り書きはもちろん届いていたが、見合いの釣り書きなど当てにならないというのは周知の事実。レイスの父親が見ているのは、下の者に調べさせた見合い相手の調査書である。
デューグ・クァンツ・ルアーシ。侯爵位ルアーシ家長男次期当主予定。
男爵家としては当然のように繋がりのほしい高貴な侯爵家の地位をもった令息との見合い。本来ならばあり得ないほどの幸運で、諸手を上げて喜ぶような見合い話。
だがレイスの父親が渋面をするのは、その話が「本来ならばあり得ない」からだ。
イリアスト家とルアーシ家は交流もなければ接点もない。付け加えるならばレイスの母姓であるウルアも父姓と同じく男爵家であり、レイスはまごうことなき男爵令嬢だった。
男爵位と侯爵位、その階級の差は広く深い。そんな遥か上の階級である侯爵位からの見合いの申し入れ。
当然そこには甘い夢物語などあるわけもなく、見え隠れするのはなにかしらの事情だ。
侯爵家が男爵家とでもいいから婚姻を結ばせたがった理由――明確な思惑は解らないが、一つの理由だけは解っている。
それは父親の持つ情報にも、送られてきた釣り書きにも間違いなく記されていた。名前の直ぐ下にある、数字。
デューグ・クァンツ・ルアーシ
年齢28
『若き果実は15歳、熟れた果実は23、それより上は熟れすぎて、落ちて潰れて採れはせぬ』
アルマーニァ国で古くから伝わる言葉の一つだ。発言主は13代程前の賢者らしい。
婚姻年齢のことを現しており、暗に23歳より上は婚姻遅れだということを現している。
そしてまた、23歳よりも上で婚姻していなければどこかしらその人物に欠点があるのだという比喩も含まれていた。
侯爵令息は28。その年齢で独身というだけで十分に『欠陥品』であると思われる理由となっている。
いくら侯爵家との繋がりが欲しいといっても、そんな『欠陥品』に娘を見合させることに父親は明るい顔をしない。
ちなみにアルマーニァ国で婚姻できる年齢は12歳からだが、成人は15歳となっている。
うまくいくとも思わないが、もしも、という場合もありえる。父親から贔屓なく見ても(無意識の贔屓を除く)自分の娘は将来有望で、他に見ないほどの美しい造りの顔をしている。
ただ男爵家というなら別に12歳のレイスを選ぶ理由にはならない。運が悪ければ相手が偏愛嗜好をしているという可能性もありえる。
それでも、侯爵家ほどの地位の相手とこれから先、縁が持てるはずもない。どちらを選ぶ方が娘の幸せになるのか。だから父親はレイスにその選択をさせた。
「相手の情報を本当に見たのか」
予め父親はレイスに情報を包み隠さず見せている。年齢だけでない侯爵令息の欠点を書いている資料。それを見て彼の『欠点』の理解が出来ないほど愚かな娘を彼は育てたつもりはない。
「もう諳じることもできます。御名前はデューグ・クァンツ・ルアーシ様。御歳28歳、侯爵位ルアーシ家御長男、ご趣味は――――
性格、尊大で自分勝手」
何も見ずにすらすらと父親の手の中にある資料と相違ないことをレイスは最後まで述べた。その内容に改めて父親は頭を痛める。
「……わかっているなら良い」
父親は顔を背けた。父親には、年頃の娘への接し方がわからなかった。だが、不器用な愛情は持っており、まだ母親が生きていたならばなどとどうにもなら無い事を嘆く。
そしてレイスも、父親の自分への不器用さにも、心の中で父親が自分の身を案じてくれていたことも感じ取っていた。だが――
それだけであるということにも。本当ならレイスの耳に入れず断ることも出来たはず。 それをしないと言うことは、どこかでそう望まれてるのだ。
今回縁談が無かった事になる可能性は高いが、それ以降侯爵位との繋がりが持てるかもしれない。それは貴族であるならば当然そうするべき考え方だ・
父親すら自覚していない気持ちを、レイスは考える。だがそれだけでなく、今回ほどの縁談を男爵家である父には用意できない後ろめたさも含まれているのだろう。だからこそ、父親は選択をレイスにさせた。そうして愛も算段も、レイスは受け入れる。
今回の縁談がどちらの方向に向かおうと、レイスは受け入れるつもりであった。早くに没してしまった母親。その言葉に答えることはレイスにとって、もはや当たり前のことになのである。
ただ。願わくは――
お見合い相手が幼女趣味か衆道でなければいいな、とレイスは思うばかりである。
万が一結婚をするとしても、相手を愛せれば良いという理想は持っているレイス。だが既に相手に対して微妙な(失礼な)偏見が生まれつつある。
ちなみに父親も相手を偏愛嗜好かも知れんと思っていたし、まさに、この親にしてこの娘ありだった。
―――――
デューグ・クァンツ・ルアーシはどうにか屋敷からの逃亡を図っていた。が、ものの数分間であえなく捕縛された。
御年28になり、未だに結婚をしていない彼は、意外にも年齢相応で美しい顔をしていた。
攻撃的な赤色の目。それは血の赤よりも薄黒く、さらに印象的なほど鋭すぎる目つきのせいで常に誰かを睨んでいるように見え、近寄りがたい雰囲気をだしている。
だが今の彼は縛られた縄を睨みつけ、抜けだそうと体を捩っていた。まるでそんな彼は捕らえられた野性動物のようだ。近寄りがたいことに違いはないが。
お見合いなどもうたくさんだ。縄が外れずクァンツは舌打ちしながらそう思う。
彼は自分本意な人間だが、それは貴族にありがちであり、ひどく人間性に問題があるわけでもなければ偏愛嗜好があるわけでもない。ただ侯爵位、美しい顔、女運の悪さなど条件が揃いすぎていた。
彼に好意を向ける女性は皆、美しく自信に満ち溢れていた。だが、彼は自分本意なその性格のため束縛を嫌がり、自信溢れる女とは合わなかった。まあ、若気の至りで関係をもったことがないこともないのだが。
彼好みで恋愛をした女性の多くは皆、控え目で、それ故他の女たちに潰されていった。それに加え女運の悪さがたたり、彼は悉く婚期を逃していったのだ。
そのため彼の周囲も同情的ではあったのだが、月日が経つと体面の悪さが勝ちお見合いを薦められるようになった。のだが、それがまた彼にとって苦痛となる。
婚期を既に逃してしまった男に対しての目は厳しかった。それがまた侯爵位であるからして、余計に相当な『欠陥』を持っているのだろうという誤解が生じた。
まず八割は断られ、残り二割はクァンツの美しさをもってしても余計『欠陥品』というレッテルの疑いで見てくる。プライドの高いクァンツには耐えかねた。
その上年若い女性は一様に彼に恐怖を覚えるらしい。年毎に彼の眼力は力強さを増し
、美しい顔は冷酷そうにすら見えるらしく、見合い相手に恐怖のあまり卒倒されたことがあるのは苦い思い出である。
いつになっても彼の女運の悪さは顕在である。
そんな相手に結婚を請えるわけもなければ、愛を囁けるわけもない。
そして気が付けば過去に自分に執着していた女性はいつのまにか皆結婚どころか子どもを一人と言わず数人もうけている。これで女性不信にならなかったのがせめてもの幸いであったとすらクァンツは思う。
ただ、もう自分は結婚しないと。そう思うことは多々あれど、決心したのは先月姪が結婚したときである。恋愛結婚であった。
自分は恋愛なんてもので結婚を見ていなかったことに気がついてしまった。幸せそうな姪を見て、自分には無理だとクァンツは感じ取った。
クァンツの高いプライドでは自分には無理だなどと認めることはなかったが、結婚は必要ないと率直に考えた。
その意思をクァンツは父にすぐに伝えた。が、許されるはずもなく。
クァンツの意思など関係なく、見つけてくるのも一苦労だろうに相手の条件を吊り下げに吊り下げてお見合いを取り付けてきた。
どうせこちらから断るのにも関わず苦痛を受けるために見合いをする。それがわかっていて大人しく見合いをするなんてありえない。
そうして最近逃亡することにしているのだが、見事に連敗記録ばかりが出来ている。
それもそのはずで、クァンツが生まれるよりも前から館で仕え続けている上、クァンツの考える事など読めないはずがない精鋭(乳母、執事、侍女)がクァンツの捕獲に全力を回したのだから当たり前と言えば当たり前だ。
そのようにして今回もデューク・クァンツ・ルアーシはお見合いの席に縛り付けられた。
「さあ、もう観念なさいませ。これというのも、何度も機会があってなお、御結婚なさらないクーン様の自業自得ですからね」
クァンツの乳母が腰に手を当て言う。クーンとはクァンツの愛称だ。仲の良い気心知れた人間はクァンツをそう呼ぶ。
クァンツはこの乳母には頭が上がらない。思春期どころか生まれた時から側にいる人間なんてのは、自分が知られたくない大きな弱味なんてほぼ握っているに決まっていた。
「そう言われるとそうだが、お前も事の顛末は知っているだろう?」
弱腰にだが反論をする。止めておけばいいのに、何も言わず引き下がることはクァンツの性格の上では無理であった。
「知っております。だからこそ申し上げているのです。貴方と縁あった女性を助けなかったのは貴方ですわ。楽な恋愛ばかりを楽しんだ罰だとでも思いなさいませ」
さすが身の内を知っている乳母の言葉の切れ味は鋭い。クァンツも心当たりが無いこともないからこそ(というか多くあった)、そこまで言われるとまともな二の句がつげない。
「……断る、断らないは俺が決めるからな!」
そんな子どものようなことしか言うことができず、こうしてクァンツはお見合いを渋々ながら承諾した。
相手の釣り書きを、見ることなく。