第二話 インキュバス、妖艶なる淫魔の長
ルイナが、淫魔の館で仲間たちとだらだら過ごしていたら、突然、インキュバスがやってきた。
インキュバスは淫魔最高位の悪魔である。
男性体、女性体、どちらの姿にも変化させることができるが、今日は男性体だ。漆黒の髪は歩を進める度に揺れている。何千年も年齢を重ねているが、妖艶で中性的な、美しい青年の姿である。
魔界の悪魔たちは、人間の服と同じものを着用している。
人間界を行き来するので、自然とそうなる。もともと、淫魔は人間と深くかかわっているから魔族の中でも、特にそうした傾向が強い。
ルイナはミニスカートに肩が大きく露出したTシャツという、現代的でカジュアルな服装だが、インキュバスは華奢な身体に真っ赤な長襦袢を身にまとっていた。時代も地域もそれぞれが好き勝手に着用するので、館の中は仮装行列かコスプレ会場の様相を呈している。
「ルイナはいるかい?」
下級淫魔たちが大御所の登場に、あたふたしていたが、インキュバス本人は、かまわず館を大股で歩いていく。
名を呼ばれたルイナが慌ててインキュバスの前に転がり出ると嫣然と微笑まれた。
「久しぶりだね。元気そうじゃないか」
「はい。インキュバス様も、お変わりなく……」
インキュバスは、淫魔すべての者にとって、親でもあり、師匠でもあり、憧れでもある。ときに厳しく指導されて、音を上げそうなこともあるが、最後はいつも優しく諭してくれる。偉大で、淫猥で、ルイナはずっと、心から尊敬してきた。
「おいで」
手を差し伸べられて、思わず手を出した。その手首をぎゅっと掴まれる。
「え? あの、どこに行くんですか?」
「ベルゼブブの館だよ」
「え?」
「ルイナ、仕事だ」
「仕事? あたしに?」
ルイナはびっくりして、目を丸くした。淫魔の中では一番年齢が低い。まだまだ勉強中の身で、仕事の経験なんて一度もないのに、なぜ自分が?
それに、インキュバス自ら下級淫魔の館にまで出向いて迎えに来るなんて、普通じゃ考えられない。
だいたい、どうしてベルゼブブの館に行くのだろう。インキュバスに手を引かれながら、ルイナは頭の中で疑問符が飛び交っていた。
ベルゼブブの館に来たのは初めてだった。
貴族と呼ばれる身分の高い魔族は、魔界にそれぞれ領土を持ち、そこに住居を構えている。大きな館がほとんどだが、その趣は、所有する魔族によって様々だ。純和風の日本家屋の館もあれば、お化け屋敷のような恐ろしげな館もある。
ベルゼブブの館は中世ヨーロッパのお城といった建物だ。このタイプを選ぶ魔族が、一番多い。魔女狩りが盛んだったころ、悪魔の存在は、人間から最も恐れられていた。こうした館を好む魔族が多いのは、その時代の名残りだ。
インキュバスと共に通された部屋で、館の主を待った。室内は比較的シンプルな内装だ。慣れない場所に落ち着かない心地でいると、部屋の扉が開いた。
「お前がルイナか?」
「はい……」
魔界でも五本の指に入る実力者、ベルゼブブだ。長身で、黒いレザーパンツ姿だ。ブーツを履いているので、長い脚がいっそう長く見える。黒いシャツに、無造作に束ねられた金髪が綺麗に映えていた。
ベルゼブブはルイナを矯めつ眇めつ眺めて、腕を組んだ。組んだ腕も長い。節くれだった指や、袖から覗く腕に古い傷跡が見える。昔、天使との戦いで負った傷なのだろうか。
「インキュバス、大丈夫なのか?」
「若い淫魔なら、魔力も低いし、今回の任務にうってつけだって言ったのはあんただろ」
「確かに言ったが……」
どうやら今回の仕事は、若くて魔力が低い淫魔が、採用理由らしい。はっきり言って、嬉しくない。だが面と向かって文句を言える相手ではないので、押し黙るしかなかった。
「若さや魔力はともかく、淫魔にしては色気が……」
「ベルゼブブ様、ひどい」
「ああ、すまん。つい…」
さすがに不満が口からこぼれた。インキュバスが派手に吹き出した。
「インキュバス様まで……」
「悪いね。でもまあ、大丈夫だよ。淫魔も多様性が必要な時代だからね。可愛いタイプにしか欲情しない男も、たまにはいるさ。みんながみんな、巨乳じゃなきゃいけないわけじゃない」
「…………なんか、慰めてもらってる気がしません」
「そうかい? おかしいね」
インキュバスはまだ愉しそうに肩を揺らして笑っていた。