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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
370/374

Preparation for the Autumn of realization to come.

 メルサラは十分、手加減していました。

 傷をつけ、燃やし、殴り、それでも絶対に壊しませんでした。


 元は優秀な戦闘者です。

 おそらく四バカや冒険者たちをいじめ倒していたおかげで『殺し切らない絶妙な力加減』を覚えたのでしょう。

 ついでに初級術式しか使えなかったのと動きに制限があったせいでマッフル君の怪我や火傷は一日休めば十分、動き回れるくらいに留まっていました。


 ですからメルサラを責めるつもりはありません。

 今だって貴賓館の酒を勝手に飲んで寝こけていても無視して帰ってきました。


 日常と過酷な特訓。


 この二つによってマッフル君は精神的に追い詰められています。

 事戦いにおいて飢狼と飼いならされた狼、どちらがアグレッシヴに攻めるかなんて火を見るよりも明らかです。


 精神状態はベストコンディションと言ってもいいでしょう。


「……なんでかなぁ?」


 と呟いたのは頭から暗雲を被ったマッフル君でした。

 社宅に連れて帰ってきてからずっとソファーで項垂れ続けていました。


 今日は特訓最終日なので軽く流す程度で終わり、後は少なめの食事を与え、疲労回復薬と傷薬で体を癒す、いわば体は絶好調、精神は高揚という状態に持っていくはずでした。


 はずだったんですよ。


「トゥアリムはできていました」

「そうなのです、真っ赤っ赤だったのです……」


 両隣のエリエス君とセロ君のフォローが空しく部屋に吸い込まれていきました。


「ん~、ドゥドゥフェドゥも何か言うであります」

『飢えた者にしかわからぬ味もある』


 その名言っぽいの、届いていませんよ?

 それにモフモフの醒めた眼はアレですか? リリーナ君に巻きつかれているストレスを忘れようと悟りの境地に在りますか?


 机の下でお疲れ気味のモフモフのために早いところ、話を進めてやらないといけませんね。


「困りましたね」


 何はともあれ自分が想定していたベストコンディションとは程遠いものでした。


 結局、明日の決闘までにマッフル君はトゥアリムを制御しきれませんでした。


 隣でセロ君がオロオロしながら何も声を出せず、釣られて項垂れていました。

 エリエス君も隣で珍しく眉を顰めていますが別の理由です。

 リリーナ君はモフモフと一緒に寝そべって眠る態勢に入っているように見えますが耳が忙しなく動いているところを見ると様子を伺っているみたいですね。あといい加減、机の下から出てきなさい。


 そして、いつもと様子が違うのはむっつりと黙って、玄関に立ったままのクリスティーナ君です。


「先生さ、本当にトゥアリムができないと勝てないわけ?」

「そうですね。少しだけグランハザードの新しい力を見せてもらいましたが、想像を越えていましたよ。この中にいる誰が挑んでも負けるでしょうね」


 自分は正直な感想を言いました。

 トゥアリムなしで勝つのは不可能です。

 トゥアリムがあっても勝てるかどうかわからないんですよ。


「わっかんない」


 何かしら弱音を言いたかったんでしょうね。

 しかし、マッフル君は一言で口を閉じて、黙りました。


 仲間がいるから吐けない弱音もあります。

 仲間に打ち明けたいけれど言えない本音だってあります。

 それを言葉にしてはいけないと阻む理性がありました。


 踏みとどまれる理性があることが逆にトゥアリムの制御を妨げているというのですから、皮肉なものです。


 どうするべきか。

 どうなるのか。


 わかっています。

 ここで自分が答えを言っても意味がありません。


 最初から最後までこの問題はマッフル君の問題です。

 だから答えを導きだせるのもマッフル君しかいません。


 敗北が夢の終わりなら、その重荷を背負うのもマッフル君です。

 ここにいる誰もがその重さを背負うことはできません。


 生徒たちだって、自分だってそうです。

 安易な言葉はただマッフル君の重さを軽くなんてしてやれないんですよ。


 だからこそ誰一人、答えを出せずに黙っていました。


「何を……っ! 何を先ほどから吐き出していますの!」


 空気を読まないクルクルクリスティーナ君以外は。


「トゥアリムが出来なかったからなんだと言いますの! そんなものがなくとも勝って見せると言ってごらんなさい、この負け愚民!」

「………」

「いつのも威勢はどうしたというの!? 何とか言いなさいバカ!」


 クリスティーナ君は掴みかかりそうな剣幕のままマッフル君を見ていました。

 対してマッフル君は項垂れたまま動きません。


 その様がやはり勘に障ったんでしょうね。

 クリスティーナ君が拳をふりあげ――そこはせめて手のひらじゃありませんか?


「ダメであります! クリクリ!」


 机の下から四つん這いで繰り出した低空タックルは見事、クリスティーナ君の足を刈り取りました。


 ぶっこけたクリスティーナ君の側頭が壁に当たり、もんどり打って倒れていました。

 ついでに一緒になって壁にぶつかったリリーナ君でしたがこっちはもっとひどいですね。クリスティーナ君の膝が顎に当たって気絶していました。ピクピクしています。


 慌てたセロ君がクリスティーナ君とリリーナ君の側で両膝をついて、どっちから看ようか迷っていました。

 とりあえず先生ならリリーナ君は放置一択です。自業自得ですからね。


 わずか数秒で大惨事になるのですから驚きです。

 この半年でわかっていても、わからないものってあるんですね。


「――ッ! そんな負け犬! キャンキャン泣いて負けてしまえばいいのですわ!」


 泣いているのはどちらかというとクリスティーナ君ですよね。


 流石に目の前の惨劇には頭を上げざるを得なかったのか、マッフル君はクリスティーナ君の涙目を見ていました。


 倒れた状態でマッフル君を睨み、パンツ丸出しで文句を言い、這うように玄関の外へと出ていきました。


 誰一人、追いかけられませんでした。

 だってシュールすぎて、どこから突っ込んでいいかわからないんですから。


「……先生」

「はい、エリエス君」


 こんな時でも通常営業のエリエス君は手を上げました。


「クリスティーナのスカートを元に戻してきます」


 そう言ってエリエス君は立ち上がり、クリスティーナ君を追いかけていきました。徒歩で。


「ちょうどいいのでセロ君もリリーナ君も行ってください。そろそろ門限ですからね」

「あのぁの……、マッフルちゃんは」

「寮母さんには遅れると言っておいてください」


 素直なセロ君は気絶したリリーナ君の両手を持って担ごうとして、ダメでした。


「物理結界に包んで浮かせて持っていくといいですよ。この時、床を巻きこまないように。下手をすると床ごと持ちあがる……、ほどの出力はありませんが床が痛みます」

「はぃ、なのです」


 言われた通り、物理結界を担架代わりにしてセロ君も出ていきました。


 しかし、言ってすぐに術式をアレンジしてやれるとは思いませんでした。

 いえ、クラスメイトが負傷した時、どうするべきかを想定してあらかじめアレンジを組んでいたと考えるべきですね。


 マッフル君を除いて生徒たちが出ていったリビング。

 ようやく解放されたモフモフが赤ん坊のいるベッドへとのそのそと歩く音だけが聞こえました。


 あの赤ん坊、あれほど騒がしかったのに爆睡してますね。

 モフモフも赤ん坊の側が安寧の地なのか、身体全体で赤ん坊を包み、鼻をスピスピ鳴らしました。


 さて、珍しく意気消沈しているマッフル君にようやく色々と聞けそうです。


「そういえば聞いていませんでしたね。君のなりたいものは知っています。マッフル君がどうしたいかも知っています。でも、『どうしてそう思ったのか』を聞いていませんでしたね」


 もう弱音を聞かせたくない相手はいません。

 十分、弱音を吐いているように見えますがこのマッフル君、二重底式なのは学園三ヶ月目でよく知っています。


「先生に教えてくれますか」


 本当は先生に言うのもイヤなんでしょう?

 でもクラスメイトに言うのももっとイヤなんでしょう?

 己の事情に多くの人が関わっているのがイヤなんでしょう?


 でも切羽詰まって、どうしようもなくて、追い詰まって、ドン詰まって、それでもなんとかするしかないとわかっているなら、わかりますね?


「なんかヤだから」


 口を開くのは遅く、出た言葉は軽すぎました。

 あんまり深刻になって欲しくないという気遣いが見え見えです。


「だって、あたし何にもしてないじゃん」


 その言葉は何を指しているのか自分からはわかりません。

 ただ、擦りむいた肘と膝を抱えて、何も見ずに呟き続けました。


「親父のいうことくらいわかってるよ。商会継ぐのが正しいってあたしだって思うし、わかる。そのために頑張ってきたってのも知ってる」


 親の背中を見てきたからこそ出る、マッフル君だけの言葉でした。

 でもそこに込められた言葉はなんでしょうね。


 少しばかり認めたくないという口調でもありました。


「知ってるけどそれじゃ何にも変わってないじゃん」


 その瞬間だけマッフル君の瞳を上げました。

 ただ見えた瞳はどこか暗い色が見えました。


 自分が知るくらさとは違う種類の暗さです。


 言葉の少なさ、瞳の暗さ、小さな動きから性格、そこから予想するに『何時のマッフル君から変わっていないのか?』という問いを作り、考えてみます。


 答えは常に過去にあります。


 マッフル君は常に上を見ています。

 成長するために地固めするところ、目的に対して現実的に地続きな手段を用いるところ、必ず目的を達成するために動いています。

 知識や経験こそ乏しいものの出来うる範囲で現実を見据え、利用する強かさもあります。


 その全て、学園で学ぶ前から培っていたように見えます。

 学園で覚えたことと言えばマッフル君の機能を拡張する程度でしかありませんでした。

 新しく出来たことや覚えたこと、新しい視点などは身に着いたでしょうが地金の部分は変わっていないんですよね。

 そういう意味では地金が変わっていくクリスティーナ君とは真逆です。


 そこから踏まえ、『何時のマッフル君から変わっていないのか?』に対して答えを代入していきました。


 学園に来た時から?

 遺跡で気を失ってしまった時から?


 違います。

 そもそも拡張する前、もっと前の頃だとするのなら知っている情報で代入できるものは一つしかありませんでした。


「誘拐された頃からですか」

「……先生のそういう見透かしたところ、なんか嫌い」


 言葉に強さがないので、まぁ、照れ隠しですね。

 わかりますが思春期特有の謎つっぱりは微妙に腹が立ちますね。

 まぁ、悪気がないのでオシオキはなしです。


「あたしが誘拐された時って別にあたしが悪かったわけじゃないし、親父が悪かった……、かどうかも知らない。とゆーかなんでかなんて何となくわかるし。たぶん、誰かにとって親父が邪魔だったからでしょ」


 結構、饒舌になってきましたね。

 それがマッフル君の心に淀んでいたものでしょうか?


 自覚があったのか、出てくる言葉は前もって用意していたように思えます。


「子供だったし、どうしようもなかった。わかってる。ほとんど覚えてないしさ。でも勝手に始まって勝手に誰かに助けられて、感謝だってしてるけど何にもしてないのにお膳立てだけされたって嬉しくないし、納得できない!」


 喋り続けて勢いが出てきたのか抱えていた膝を離して、両手はいつの間にか拳を握っていました。


 なるほど、大体わかってきました。

 マッフル君の反抗、思考の根本になったものが。

 自立心を支えていたものが。


 言うならば『置いて行かれたことを憤る女の子』です。

 それが何であれ、勝手に進むことを良しとしないマッフル君の強欲です。


 だからクリスティーナ君とはソリが合わないわけですか。

 何せ勝手に物事を進めたがりますからね、クリスティーナ君は。


「負けたら継ぐよ。納得は、できないし、変わったって思えないけど」


 マッフル君がマッフル君であるためにも勝たなければならないわけです。

 勝ち負けの現実的なメリットデメリット以上に、マッフル君が突き進むための勝ちが欲しいのでしょう。


 だから頑張れたんです。

 だからメルサラ相手に突っぱねられたんです。


 そして、そんな理由でも親にだって歯向かえるのです。


「でも勝てたら、あたしはもう子供じゃない。何にもできなかった子供じゃなくて、勝ちにいけるって。戦えるんだって、守らなくていいんだって、今度誘拐されるようなことがあっても逆にぶん殴ってやれるって、言えるじゃん」

「そうですか」


 親へ『大丈夫』と言うための決闘騒ぎに思うところがないわけでもありません。

 いえ、今はもうマッフル君だけの決闘ではありませんね。


 いつの間にか色んな人が関わってしまっていることにマッフル君は気づいていません。


 さて、今度は自分が考える番ですね。

 この強欲なワガママ少女に自分は何をしてやれるでしょう。


 手伝いはできません。

 学園長に禁止されていますしね。


 ならやることは一つです。


「では特訓の続きをしましょうか」

「え、なんでそうなるわけ?」

「ようするに全力でぶん殴りたいわけですよね、父親を。安心させるために」

「そうじゃなくってさ! そういう、あぁ! もう! 違うから! 親父には前から殴りたいって思ってただけだし、ちょうどよかったからだし!」


 なんてことはありません。

 ただ大人になりたいための子供じみたワガママです。


 そのワガママを叶える理由が自分にはあるでしょうか?

 グランハザードにぼかしたような言葉ではなく、生徒に届く言葉としてです。


「忘れたかもしれませんのでもう一度言いましょう」


 そんなものはあるに決まっているじゃないですか。


「先生、君たちが死んでも覚えさせますからね。できないなんて言わせません。言うのは死んだ後です。そして、君たちは自分が死なせませんので『出来るようになる』以外の選択肢はありません」


 学園長に禁止されたからと言って約束を破る理由にはなりません。

 ちなみに学園長のアレは命令であって約束ではないのでノーカンです。以上言い訳終わり。


「大丈夫です、ちょっとエドを叩き起こして結界を張ってもらい、今度は自分が直接、鍛え上げます。先月、三日くらい寝てたせいでちょうど先生も鈍っていたところです」


 確かに赤の属性に関してはメルサラが一番、理解しているのでしょう。

 実際、メルサラの教育はそう間違いではありませんでした。


 しかし、アレは肉体言語による教育しかできないアホです。

 ちゃんと理屈も体に叩き込まないと意味がありません。


 本能部分は鍛え上げたのですから同時に頭も鍛えないといけません。

 問題はトゥアリムの発動ではなく制御ですから。


「モフモフ。ちょっと出てきます。赤ん坊の世話に困った場合、頑張ってヘグマント夫人へ助けを呼んでくださいね。主におしめ関係です」

『さもありなん』


 心得たようにモフモフがしっぽを一つ振って、また鼻を赤ん坊に添えました。

 赤ん坊もモフモフと一緒が心地いいのかご機嫌なまま寝ています。


 後陣の憂いもなく、先陣は万端です。

 ならば後は迅速に行動あるのみです。


 マッフル君の襟首を引っ捕まえて玄関を出ました。


「え? 本気なわけ? 明日決闘なんだけど!?」

「文句は後で聞きましょう。今日はともかく明日までにはできるようになります」

「徹夜!? マジでこの状態で徹夜なの!? 助けて! 本気で助けて!」


 リアルな声が聞こえた気がしますが無視です。

 大体、そうは言いますが先生だって徹夜はしんどいんですよ?


 喚くマッフル君を無視して、そのまま【貴賓館】に向かいました。


 後日の話ですが無断外泊に近い形だったため寮母さんに怒られてしまいました。

 アレを怒ると呼ぶのか定かではありませんが、少なくとも何よりも痛い怒られ方でした。


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