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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
363/374

Love in moderation moderately.

 沈黙。


 家鳴りすらしない静かな空間と赤ん坊の指を吸う音。

 音がしながらも静寂という矛盾はギチリギチリと引き絞る弓と同じでした。


 しかし、放たれたのはシャルティア先生の吐息でした。


「リィティカに赤ん坊を抱いてみろと言われて、最初は戸惑ったな」


 いつもの冷たい瞳ではなく、どこか柔らかいままです。


 空気を壊すこの一言にどこか安心感があったのは何故でしょうね。


「何年振りかよく覚えていなかったからな」


 それは自分も同じです。

 赤ん坊だった妹を腕に抱いた時はまだ幼く、重さと落としてしまったらどうしようという怖さを覚えたものです。


 今は長い時間、抱いていると腰にキますね。

 なんだかんだでデスクワークの多い職業なので、肩腰への影響はハンパありません。


「シャルティア先生のところは弟さんですか?」


 自分はシャルティア先生とは対面の席にゆっくり座りました。


 シャルティロット家には長男と次男がいたはずです。

 そして、確か次男は【大寒波】中に病気で亡くなっていたとベルベールズファイルに記載されていました。


 家族構成なんてとっくの昔に記憶済みです。


「弟だとよくわかったな」

「貴族なら高い確率で男子がいますからね」

「それもそうか。あの時はまだ……、いや、晩飯はどうした?」


 何かを言いかけて、そのまま話を逸らしましたね。


 言葉の続きは想像に容易かったですよ。


 どうやら家族に何かあったようですね。

 そこまでは大体、わかりますが……、はて。リィティカ先生といい、アレフレットといい、教師陣は家族関係の地雷が多いですね。

 こんな時代ですから家庭内に傷の一つや二つ、おかしくはないのですがちょっと引っ掛かります。


 もしもヘグマントやピットラット先生も同じだったら作為と見て間違いありません。

 もっともベルベールさんの選定である以上、悪い意味ではないのでしょう。


 そうなるとまた別の問題も浮かんでくるのですが、それはまた別の話です。


「色々ありまして、まだですね」

「その色々を先に聞いておこうか。どうせ面倒な話になったのだろう」

「面倒というか、お願いならあります」


 シャルティア先生は立ち上がり、赤ん坊を自分に預けて台所に立ちました。

 慣れた手つきで火かき棒で暖炉の薪を動かし、平坦に均してから暖炉内のひっかけ部に鉄板を滑りこませました。

 その鉄板に鍋を置くとシャルティア先生は火をじっと眺めました。


「生徒たちは成長期です。食生活の改善などもあって急な成長をする子もいて、そろそろ制服が合わなくなってきています。残り半年ですが、身長に合わない服を調整してやりたいと思っています。ちょうどグランハザード商会に制服を作ったマグル族が居たので、どうでしょう?」


 暖炉を用いた料理は晩秋から冬にかけての風物詩です。

 少し早い気もしますが越冬のための薪を節約できるのでお得ですね。


 これで作る麺類の美味いこと、美味いこと。

 特に煮込み系の料理は外気の差もあって、一際おいしく感じます。


 もっとも今は秋口で少し早い気もしますが問題ありません。

 ちょっと肌寒い日こその贅沢です。


 しかし、この匂い、普通のアイントプフではありませんね。

 コンソメと玉ねぎ、牛乳の濃い甘い匂いは一つしか思い浮かびません。


「ヤグー乳のアイントプフですか」


 要はシチューです。


「鶏とヤグー乳が手に入ったからな」


 火掻き棒が暖炉の薪をカサリとかき乱しました。


 【宿泊施設】で鶏の解体があったようですね。

 となると自分の社宅にも鶏肉が置いてあるはずです。


 帰ったら凍らせて明日の夜にでも頂かせてもらいましょう。


「制服の直しの件だが悪くない案だ。前回の試練では想定外の戦闘があっただろう。今回も回避できない戦闘案件が起きた場合、つっぱる衣服は邪魔だしな」

「では生徒たちの武器防具も調整するんですか?」

「……予算自体はある。制服と武器防具、両方ともな。だが、何が起こるかわからないのがこの計画だ。現に始まって二ヶ月で底を突きかけたことは忘れていないよな」

「アレは邪悪な陰謀です」

「悪だくみを防げなかったマヌケが良く言う言葉だぞ」


 グゥの音も出ません。


「制服の直しだけは許そう。だが、防具は生徒たち自身に工面させる。本当に職人による直しでいいのか、それとも微調整だけでも十分かどうかを本人が考え、判断力を養わせる」

「防具ですよ?」


 命を守るものを生徒たちに考えさせるつもりですか。


「だから真剣になれる。違うか?」


 防具の簡単な調整はすでにヘグマントが教えています。

 何でもかんでも教師が手を出す時期はとっくに終わっている、と言いたいのでしょうか。


 それは教師たちが頑張った結果です。

 なのに喉が詰まりそうになり、しかし、どこかで納得するものもありました。


 自分たちが目指した結果で、生徒たちが出した結果だからでしょうか。

 いずれにしろ複雑な気持ちです。


「納得したな。予算の話になるが潤沢……、というよりも生徒会活動の結果が出始めてきている。学園内経済が活発化し、余剰が生まれ、必需品、嗜好品、共に余裕が出ている。最近、配給される食材が良いのは季節だけが原因ではなく、施設全体の経済がうまく回っているため外貨――つまりは商隊から買う商品が増え始めている証拠だろうな」


 足元は冷えるのに、吸う空気は温かく、そんな良くわからない状態を一度、頭を小さく振って思考を切り替えました。


 生徒会活動は自分が考え、皆で競い合い、そして、生徒たちを成長させると同時に学園経済を活性化させるための手段でした。

 複数の目的が噛み合った一つの策だったので時間がかかると思っていたのですが、ようやく芽から葉が出て、目に見える形で成果が表れたようですね。

 最初は問題続きだった生徒会活動もこうして穏やかな形で成果が生まれるとホッとします。


「では将来、学園事業に生徒会活動が?」

「高い確率で許可が下りるだろうな。近場の冒険者組合との軋轢をどのようにすり合わせるか、悪質な冒険者の害意や生徒への危険性などをどうやって対処して、改善していくのか。いくつか不幸な事故が起きるだろうが、そのうち収まっていくだろう。領主も黙って学園事業を認める、それだけの効果があると立証されたようなものだ」

「失業者対策ですか。住み分けできるのが一番なんですけどね」

「最初はぶつかるさ。だが時間が解決する」


 シャルティア先生の予測通り、学園事業が成功し、実際に地方に学園ができた場合、生徒会活動が起こす経済効果は無視できないものでしょうね。

 一方で生徒会活動によって冒険者の仕事が奪われる可能性もあります。


「以前、鉄鉱石を採りに行った時のように教師の補佐として冒険者を雇うようにすれば少しは軋轢も緩和できるかもしれませんね」

「一案として補遺扱いにはできるかもしれないな。もちろん問題が完全になくなるわけじゃないが」

「完全に無くすのは不可能ですよ」


 リスクアセスメントですね。

 リスク低減措置をどれだけ取ろうが作業を行う者にとっては小さな危険は残り続けてしまいます。

 可能な限り安全であっても、絶対ではありません。


「今は現場の人間頼りですが、ゆくゆくは組織や機構、道具で危険性を排除していくようにしたいですね」


鍋の様子を見ていたシャルティア先生がこちらを向いてきました。

まるで秋の寒空のような瞳でした。

別名、ジト目です。


「……誰がそんなことを想像する。学園にいると麻痺しがちだが本来、現場の人間ほど予算の恩恵がなく、作業者の経験則や知識頼りになっていくんだぞ」

「産業に革命が起きて大量の物品を作れるようになったらと想像すれば、簡単に出てきますよ」

「革命が起きる前提で話を進めるヤツがいると思うか?」


 生徒たちの将来を考えるあまりに失言しました。

 確かに『どんな革命をするのかわかっていて話を進める人間』はイカレているか、『革命がどんなものか理解している人間』に限ります。


 その事実だけで真実に届く可能性と切り札をシャルティア先生は持っています。


 もっとも同時に『その真実』には絶対に到達しない自信もありました。

 例え嘘を言っていなくとも信じられない真実は嘘と変わりありません。


「そんな人間はな、結果が出るまで周囲からどう見られるか知っているか」

「風変わりな人間に見られるでしょうね。ですが農作業の安定化、大規模化と来て生産量の増加が始まれば最終的に待っているのは加工産業の大規模化ですよ」

「あぁ、ランスバール王主導の寒波対策農業が発想の源か。確かにこの北部にも作物が安定して作れるようになったら市場は拡大するだろうな。余らせるわけにもいかない以上、全体の値下がり、いや、余裕があれば――」


 そこからの話は他愛ないものでした。


 若干、シャルティア先生が消費と生産について右肩上がりの黄金律を夢見たくらいで他には、自分は出されたシチューをパンで掬っては食べ、パンに興味を示す赤ん坊をあやし、食べ終わっては食器洗いの水音をBGMにして話し、やがては赤ん坊が眠るまでは穏やかな時間が流れていたと思います。


「――それで、私の言葉の真意を聞きに来たんだろう」


 洗濯籠に布を詰め込んだ簡易ベッドで眠る赤ん坊を見つめていたシャルティア先生から、冷気のような言葉が飛んできました。


 どうやらここまではちょっとじゃれ合っていただけのようです。


 ここからは自分も気合いを入れなおさなければなりません。


「えぇ。シャルティア先生が家を潰す気なのはわかりました。しかし、やはり、わからないことの方が多いですね」


 嘘か真実か、その二択で自分は真実である、と考えました。

 その上で考えるとどうしてもある一点が引っ掛かりました。


 それは『家が絶える』という答えで『何故、絶えるとわかっているのか』という疑問でした。


 第三者からは見えない事情が家にあるのはわかります。

 こちらが把握できないのもわかっています。


 しかし、この物言いは『必ず絶える』前提で話が進んでいます。

 それこそ革命を前提で話している自分のように『未来が見えている』ようにすら思えます。


 まるで殺人事件と同じですね。

 殺人の犯行動機を知っているのは犯人だけというセオリーとそう変わりありません。


「珍しいな。そこまで深く切りこんでくるとは。お前は我々に対して一線を引いていた。一番、相性がいいヘグマントにすらそうだ。唯一、リィティカだけは例外だったところを見ると私はこう考えている」


 え? ヘグマントと相性がいいってどういうことですか?

 そんな風に観られていたんですか?


 誤解です。

 自分は脳筋部ではありませんからね。絶対です。


「実はお前は前もって私たちのことを知っていたんじゃないか? それぞれの中でリィティカだけは政治の背景がない。錬成院絡みの元老院関係者とは言えるが、地方都市出身で中央との絡みがないリィティカにその線は限りなく薄い。ましてや恩赦で師を助けようとしているリィティカならなおさら警戒しなくて良かっただろうからな」


 ちょっと待ってください。

 なんでリィティカ先生の裏事情をシャルティア先生が知っているんですか!


「リィティカの話なら学園が始まって十日で口を割らせたからな」


 自分は三か月もかかったんですが?

 しかも話の流れが良く、強引にいってようやくだったんですが?


「……ぐ。いえ、リィティカ先生については後日、ゆっくり話し合うとしましょう」

「いい加減、血涙を流すのを止めろ。病気か」


 信仰心は涙腺からだって流れるものです。


「まず誤解されているようですから訂正しておきますが自分は知りませんでしたよ。そもそもがあの日の会議が初対面です」


 なんて嘘を言わなければならない理由は一つです。

 単純に前もって情報を持っているなんて国が絡んでいると言っているようなものですから、そこだけは否定しておかなければなりません。


「ですが、それぞれの背景は大まかに想像できました。人柄や挨拶、そこから推測される上で一番、リィティカ先生が自分に近かったと理解したこともありました。まぁ、自分はまつりごとに関わらないようにしていたので、背景を感じさせる他の教師陣に比べるとリィティカ先生は癒しですね」

「ほぅ。気にしていることは否定しないのか」

「これでもめんどくさい身の上ですからね。政治絡みで粛清が起きた日には罪悪感で胸が潰れてしまいそうですよ」


 シャルティア先生もレギィの言い訳を覚えているはずです。

 自分の素性を深く突っ込みすぎると現政権の反逆にすら発展する可能性がある、ということを。


 というか、この言い訳のお陰で今までシャルティア先生に突っ込まれなかったようなものです。


「それらを前提に反論しましょう。もしも前もって教師陣のことを知っていたのならリィティカ先生の事情やシャルティア先生の事情に首を突っこむ必要はありません。何故なら知っているのに深入りする必要がないからです。そうすれば疑われる必要もありません」

「だからと言って聞こうとするにはまだ足りないな」

「愛の言葉でも囁けば十分ですか?」

「熱に浮かされるような言葉ならなおさら良しだな」


 落とし文句を考えなければ話が進まないというのも考え物です。


 煩悶する自分の姿を見たシャルティア先生はため息一つして、簡易ベッドを持って机までやってきました。

 そのまま椅子に簡易ベッドを置くと、その隣の椅子に座りました。


「――最初に言っておくが憐憫も同情も欲しくはない。結果も変わらないし、変えるつもりもない」

「聞いてどうにもならなくとも聞くべきだと感じています。それは事実です」

「無聊の慰めくらいでいい、と。そんな程度でいいなら話してやるさ」


 いつの間にか机にはワイン瓶が置かれていました。

 注がれるワイングラスに自分のものはなく、一人酒でも楽しむようでした。


 なるほど。

 雰囲気を楽しむ話ではなく、共有したくもなく、そんな意図が込められているのでしょう。


 だったら自分がするべきことは一つ。

 良い聴衆となるだけです。


「庶子と言えど私の生まれは貴族。女として生まれたからには十数年も経たない内に同格の他家か、あるいは筆頭陪臣の抑えとなる役目は当然だったろうな」


 それは一人の女性の半生をかいつまんだ、ただの独り言だったのでしょう。


 時には主語すら抜けた独白を聞きながら自分は知っていた情報と合わせて、補完していきました。


 昔々、シャルティロット家は貧しいながら幸せな家庭でした。

 小さな領地に神経質ではあるが厳格な父に心配性な正室の母。躾には殊更厳しい実の母。腹違いの二人の弟……、よくある家族構成で、よくある地方領主の実態でした。


 領地は長男が爵位を継げば財産分与で生活が目減りするような状態でシャルティロット家はお互いが支え合う状態でした。

 特産品もなく、領地の土は悪いので作物はあまり採れず、万年収支は±0あるいはマイナスなら当然、生活はとても厳しかったようです。

 それでもうまくやりくりして過ごしていたのですから、そのころから才能の片鱗は見えていたのでしょう。


「だからこそ私は選択しなければならなかった。まだ何も起きていない平穏な時代で、まだ自由に動けたからこそ」


 今はなんとかやっていけるが何か大きな天災でもあればたちまちシャルティロット家は立ちいかなくなるだろう、とシャルティア先生にはわかっていました。


 当然です。

 すぐに傾いた会社で働いているようなものです。

 経営陣は頑迷、決められたレールを突っ走る伝統至上主義では嵐に立ち向かえません。


 実際に第一寒波が発生し、シャルティロット家は困窮していました。

 これは報告書にもあったくらいですから真実なのでしょう。


 なのでシャルティロット家が戦前から戦後にかけて大きく飛躍したのはシャルティア先生の選択が良かったのでしょう。


寄親よりおやの謝年会に父が呼ばれてな。いつもは寄親の領地まで遠すぎて間に合わないと断っていたんだが何年も断り続けるわけにもいかない。昨年が豊作だったこともあって、ほんの少し余裕があったのが良い機会だったんだろうな」


 寄親というのは地方領主を束ねる大貴族に使われる、寄子からの呼称です。


 どんな地方領主も無所属とはいきません。

 必ず地方を代表する貴族によって束ねられ、その大貴族も四大貴族によってまとめられています。

 リーングラードのような他国に近い領地ですら完全な無所属とは言えず、多くは何かしらの勢力に加わっていますね。


 『輝く青銅』をやるためにもその辺のパワーバランスは覚えておかないといけないので、必死で暗記しました。


「そこで私は大人たちの会話を聞いた。迂遠で悪意のある、無駄な会話の数々を聞いていった。その目的は欲望で手段は力だった。だが本質は実のところ、知識と知恵と経験。そして、私たちに圧倒的に足りなかったのは力を生み出すための知識と知恵だった」


 金も物資もない、しかし、身分だけがあるシャルティア先生ができた唯一の冴えた手段は奉公に出ることでした。


 奉公と言ってもメイドさんになったわけではありません。

 シャルティア先生の場合、領地経営を担当している臣下の下仕えとなって働く、ということですね。


「実家を守るためとはいえ、楽しかったぞ? 何せ私の仕えた貴族は討論の好きなドSだ」


 あぁ、シャルティア先生のフォーラム荒らしの原流はその貴族ですか。

 言ってしまえば理屈で人をねじ伏せるのが大好きな人種です。


「もしも何が欠点だったかを挙げると理屈の正当性については考えてなかったところだがな」


 相手を屈服させたいだけですか。


 シャルティア先生の目が微妙にまた柔らかくなっていました。

 おそらくですが、この討論好きな貴族に仕えていた時期はシャルティア先生にとって楽しかったのでしょう。


 ちょうど生徒たちみたいに、学べるだけ学び、全力で向かい、戦えるだけ戦った日々です。

 大事な思い出なのでしょう。


「別に遊んでいたわけでもないぞ。シャルティロット家の破綻を五年に設定して動いていたからな。特に数学宮と渡りを作れたのが一番、大きかった。他にも大商会の会頭と結託して為替に先物取引、今でも第一寒波前に行った芋と麦と酒の先物取引は頭が灼熱するかと思ったくらいだ」


 この頃のシャルティア先生は貴族に重宝されたようです。

 数値による予測などの数学的な才能に秀でていたために仕えていた貴族に大きな利益を与えたようです。


「ただ酒だけは失敗だったな。アレのせいで不良在庫を抱えてしまう羽目になった」


 なおこの時、少しでも在庫を減らすために水で薄めた酒を常飲していたことが酒飲みになるきっかけだったみたいですね。


「ちなみに白酒ヴァインと果実酒を等分に割って柑橘類を添えたら飲みやすくなりますよ」

「……酒も飲めないくせに妙な混ぜ酒ばかり知っているな、本当に。あと言うのが十年遅い」


 そりゃ失礼。


 ともかく第一寒波以前に売買することで貯蓄をし、余剰分をちょろまかして実家に送っていたようです。

 下手をすれば殺されてもおかしくない行為を平気でやっていましたね。


 このお陰で実家は潤いましたが、いつまでも親貴族の下仕えのままで働いていては実家が救えません。

 だからこそ物資が潤った瞬間、シャルティア先生は下仕えを辞めてすぐに実家に戻りました。


 契機は一つ。

 タラスタット平原の変――いいえ、多くの変換点、多くの契機の中でシャルティア先生も動いただけでした。


 すでに経済関係の権利をうまく扱えるように父親の副官としての立場を得ていました。

 実家に金を送る代わりに要求していたんですね。


 そして、ようやくシャルティロット家の名義でさらなる取引に手を出しました。


 飢饉による食料不足、革命軍の前身となるウィンスラット家の抵抗、この時期は多くの物や者が動きました。

 何せ食料から武器防具類、木材に至るまで取引は活発化し、重なるように先物取引も盛んでした。

 まだ飢えよりも金銭欲が上回る時期だったんですよね。


「……それでも寒波の終わりまでは見通せなかった。食料も乏しくなってその度に領民全てが飢えないように私と父は王都や地方都市を飛び回った。幾つもの見落としをしていたことも気づかずにな」


 ここまで聞いて、自分も少し思い当たる節がありました。

 何がって、ここまでの話でシャルティア先生は活躍しすぎです。


 本来ならシャルティア先生は嫁ぐ身です。

 なのに【大寒波】中に嫁がれたらシャルティロット家は立ち往かなくなるじゃないですか。


 そう考えたら誰がシャルティア先生を嫁に出すっていうんですか。

 可能な限り結婚を遅らせようとするでしょう。


 ……いや、ある意味では鬼畜な発想ですが領民全体が飢えて死んでしまった場合、シャルティロット家も責任を取って御家断絶、もしくは処刑なわけですから苦渋の決断でしょう。

 そもそもこの時代、選択肢が苦くなかった記憶がありません。


 そして、成長した家と頭角を現したシャルティア先生。

 この二つと家族構成を考えたら出てくる答えは一つです。


「その頃からシャール……、長男が私に突っかかるようになってきた。最初は子供の反抗心、構わない姉への怒り、そんなものかと思っていた。現にビルト、次男の方は私をかばってよく兄弟喧嘩をしていたよ。自分が蒔いた種の根の深さを知った時は吐きそうになったものだ」

「それはつまり……」

「私に家督を盗られると思っていたんだ。こっちは生き残るために必死だったせいで考えもしていなかったのにな。そんな考え自体が余裕の証拠で、その余裕を誰が維持してきたのかまったくわかっていない……、まさしく愚弟だ」


 閉鎖的な、田舎貴族によくある話です。

 シャルティロット家を実際に切り盛りしている様子、自らが知らない知識を知る姉、だんだんと待遇の良くなっていくのを経験するたびに長男は怖かったでしょうね。

 何せ長男は親のしていることを真似すれば良かったし、父親もそう教育してきました。


 しかし、シャルティア先生のやっていることは父親ですら理解できないレベルです。


 必然、父親レベルの教育しかされていない長男もまた理解できなかったんです。

 長男がこのまま家督を引き継いだとしても家を維持できるかどうかもわからないんです。


 もしもその気持ちを十分に理解してしまったのなら純粋に恐怖しか感じないでしょう。


 自分の力量を超えた領地への責任と重圧なんて下手したら首でも吊りますよ?

 何せ当時は【大寒波】真っ最中、判断ミス一つで大量に人が死にますからね。


 そして、そんな恐怖をシャルティア先生は予測しきれなかった上におそらく……。


「すみませんがちょっと質問です。その長男、もしかしてシャルティア先生のやっていることを引き継ぎやら教えてもらうやら、しようとしましたか?」

「嫌った相手であろうとも教えてもらおうとする根性があれば、もっとマシだったんだろうな」


 これが答えでした。


 何がってシャルティア先生、長男の恐怖を想像できても共感できていません。


 いえ、シャルティア先生の性格ならそうでしょうよ。

 負けん気が強いので意地でも『自分を強くする方向』に持っていこうとします。

 だからどんな責任でも腰を曲げて背負ってでも目的を達成できてしまいます。


 しかし、話から聞く長男の性格は違います。

 鼻から負けるとわかって比較されるのを拒み、ただ姉を嫌うことしかできない長男は正しく根性曲がりです。

 あと甘ったれで傲慢ですね。ついでに無駄なプライド持ちとなれば次の展開も読めてきますね。


 簡単に言ってしまえば性格の不一致。

 相性が悪い以上の言葉が思いつきません。


「そもそもの話、家が大きくなり領地に人が増えたのなら終始、よそ者が流れこんでくるに決まっているだろう。それらの家を作る土地を用意するだけでも経済を活性化させる機会だというのによそ者への愚痴しか零さない時点で、私は同じ頭でも柔和な考え方ができる次男の方が次期領主にするべきだったと今でも思っているぞ」

「シャルティア先生が次男を支持してしまったら、もう争い待ったなしなんですが」

「考えても表に出すわけがなかろう。長男が家を継ぐのはもう決まっていたんだ。あとは脇をどう固めるかだけの話だ。それに私が他家へ嫁いだとしても次男が居れば問題なかった」


 いえ、問題しかないんですが、多くは言いません。

 誰だって全ての問題を解けるわけではありませんし、自分にはわかってしまいます。


 シャルティア先生が当時、どれだけ血を吐く想いをしていたか。

 それは形が違えど自分もそうだったのですから。


「そう、居ればな。まだマシだったんだろうな」


 そうです。

 家族構成を知っている以上、絶対に知らないフリをしなければいけない箇所がありました。


「走り回った。飛び回った。這い回り、家族のためと凍傷になりながらも駆け回ったさ。長男ともいがみ尽くした。だけどもな。もしも私と家の運命を決めたのはきっとあの日だったんだろうな」


 その遠い瞳の先を自分は見ることができません。


「次男が死んだあの日に全てが決まったんだ」


 知らないフリをするために眉を動かすことで驚愕の演技としました。

 そんな自分をどう見たかはわかりません。


 ただシャルティア先生は暖炉に向き直りました。

 自分は暖炉の向こう側にある景色を想像するしかありませんでした。


「私は大きな取引で王都に出ていた。あれは第二タラスタットの頃か」


 それは暖炉の火も消えるような寒い日だったのでしょう。

 吹雪く白い地獄の中を歩く、それだけで痺れた手足が痛みを発したことでしょう。


 悲報を聞いて駆けつけたシャルティア先生が実家の扉を開いた時には全てが終わっていました。

 葬式も遺体もなく、あるのは墓と次男のいない家だけでした。


「どんな病気だったかは知らない。私が聞いたのは医者が来る度に長男が激高して追い返したという話だけだ」


 長男の恐怖は疑心暗鬼を通り越して、狂気にも達していたのでしょう。

 心地よかったはずの責任がいつの間にか重圧に変わって、代わってもらおうと願ってもプライドと責任がそうさせてはくれません。


 次男を次期領主にするのは兄としてのプライドに関わり、姉に関しては自分が苦しんでいる原因だから論外です。

 進退窮まり、心身も維谷これきわまり、余裕もなければクソもない、できたことと言えば旧来通りのやり方と人の話に耳を貸さない頑固で頑迷な姿勢だけでした。


 結果が次弟の見殺しだというのなら正直な話、殺して埋めるレベルです。


「口論も説教も、もはや意味がなかった。だがそれでも良かった」


 シャルティア先生はただ守りたかっただけでした。

 家を、家族を、弟たちを。


 だから長男の反目は関係がなかったのです。


「たとえ私の事業を前にも増して邪魔するようになったとしてもな」


 長男は臣下を巻きこんで度々、父親に諫言し、シャルティア先生の案を蹴ることもあったのでしょう。

 足手まといがいる中でよく上級貴族になれましたね。


「だからと言って隣の領地の陪臣の嫁に行かせようとした案件だけは許せなかったがな。ふざけているのか、アレは。シャルティロット家より条件が良い領地に私が入ったらシャルティロット家を食いつぶすに決まっているだろうに」


 なんか愚痴が入っていますよ。

 ちゃんと腹は立っていたんですね。


「判断能力がおかしくなっていたとはいえ有能な人材をわざわざ外の領地に出す意味がわかりませんね。臣下として縛るのすら嫌だったとしても、好き嫌いで領が傾いたらどうするんですか。仕事と私情くらい分けてもらわないと」

「お前が言うな。と言いたいが、だろう? その程度の器しかないんだ」


 自分に例えるなら黒色ゴキブリと仕事……、ダメですね。

 確実にリスリアが終わります。


 こっちも願い下げですが、自分とあの汚物の場合だと周囲が止めるレベルですからね。

 むしろもしも自分とアレの関係性を知っていてなお仕事させようとしている者がいたら、『正気を疑ってもいい』ですね。


「父は諫めていたがな。その父も落雪に飲まれて逝ってしまったからはただの暴君に成り下がった。強制的に私を嫁がせようとした時、見かねた寄親が声をかけてくれてな。数学宮の職員に招いてくれた。縁は紡いでおくものだな。愚弟も寄親に言われてしまえば何も言えず、結果が現状だ」


 気づけばその手のワイングラスは空虚だけが満たされていました。

 

 きっとシャルティア先生のことです。

 恩赦によってシャルティロット家が絶えれば領地は寄親が管理するように話をつけているはずです。


 たぶん長男だけ何も聞かされていないでしょうね。

 領地剥奪後は寄親の領地で一代貴族扱いになるはずです。


 全てのコネを使って、何も問題がないようにしているのでしょう。


「それが理由ですか」

「私がしでかしたことだ。後始末は私がつけるさ」


 始まりはただ守りたかっただけでした。

 全てを賭けて守れていたはずでした。


 その全てが手から零れ落ちてしまった。

 その気持ちをよく知っていました。


 自分は憎しみました。

 この世の全てを憎み、この社会の構造を憎み、たった一人の男を殺したいと願いました。


 しかし、シャルティア先生の感じたものは違ったのでしょう。


 シャルティア先生の視線は温度を感じさせないものでした。

 ただ決めた結果を遂行しようとする――機械のようでした。


「それなら……」

「無様だろう? 私のした最初の仕事だ」


 おそらくシャルティア先生が生きている限り、長男は恨み続けるでしょう。

 下手をすれば次男や父が死んだ原因にすらされているでしょう。


 家族として元に戻る可能性はもはやありません。

 お互いが歩み寄れないまま、完全に決別をしています。


 家族なのに、もう家族ではありません。


 シャルティア先生にとってはもうシャルティロット家は重荷であり、逃れられない鎖であり、果たすべき引導であり、しかし、絶対に放置できないものになってしまったのです。


 だから潰す。

 自分が黒色ゴキブリを殺したいと思うようにシャルティア先生にとって家を潰すことがけじめなのでしょう。


「そうでしたか」


 そこに自分が介在する隙間はありませんでした。

 何かを解決する必要なんてありません。


 リィティカ先生の時のように励まし、背を押せません。

 アレフレットの時のように新しい試みを考え合えません。


 何故ならこの問題はシャルティア先生の中ですでに決着がついているからです。


 大団円にするには文字通り十年遅く、その背を押したらただの嫌な男ですよ。

 新しい試みなど誰も望んでいやしません。


『憐憫も同情も欲しくはない。結果も変わらないし、変えるつもりもない』


 そういったシャルティア先生の言葉の意味がよくわかりました。


 一つだけわかったことはシャルティア先生が白だったことくらいです。

 貴族を辞める人間が貴族院の手下になる必要なんてありません。


 自分の仕事は、終わりです。


「お話、ありがとうございました」


 コトリと炭の傾く音がしました。


 あとは赤ん坊を抱きしめて、明日もよろしくと扉を出ればいいだけです。

 ただそれだけです。


「ところでシャルティア先生、六日後、暇ですか?」


 シャルティア先生が珍しくポカンとした顔をしていました。

 あぁ、そうでしょう、そうでしょう。


 言った本人が一番、驚いていますからね?


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