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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
339/374

Practice makes perfect.

「さて、くわしく話を聞きましょうか」


 リリーナ君の困惑に気づいていても、授業は進めなくてはいけません。

 何せ学習要綱に余裕がありません。


 総じていうのなら、やはり集中力の欠いた授業内容でした。

 黒板よりも赤ん坊に目が向いている以上、授業どころではありません。


 授業速度が上がらないのなら、せめていつも以上に丁寧に教えました。

 この判断は間違っていないと女神に祈りつつ、授業が終わってすぐリリーナ君を拉致しました。


 以前と同じように【大食堂】の椅子に座らせ、自分は対面です。

 少し行儀が悪いですが赤ん坊の下におんぶ紐を敷き、テーブルの上に置きました。


 赤ん坊以外は半年前と変わりない構図です。

 そして、もう一つ違うものがあります。


「うわ、本当に赤ちゃんがいるね」

「これは……、まさか大先生の!」

「はは、フリド君。それ以上、先を口にした場合、宣戦布告とみなします」

「ハッ! すみませんでした! 早計でした!!」


 リリーナ君を拉致した後、何故かヨシュアンクラス全員がついてきたんですよね。

 特に追い払うつもりもなかったので放置していたら、他のクラスの子たちまで集まってきてこの状態です。


「頼むから迂闊なことを言ってくれるな、フリド……」


 赤ちゃんを見て、小さく驚いているティッド君の傍で、フリド君は直立不動をしていました。

 その二人の後ろで額を揉んでいるのはキースレイト君です。


 もちろん彼ら男子生徒だけではありません。


「うふふ、まるで煮こんだ鶏肉のような柔らかさですの……、触ったらほどけてしまいそう……」

「ふ、ふつーに怖いからちょっと言い方、考えようね? あとちゃんと赤ちゃんを見ていてくださいよ、ヨシュアン先生、食べられそうで怖いです」


 いつの間にか赤ん坊は命の危機にあったようですね。

 なんだか黒いオーラを纏ったティルレッタ君が赤ん坊に触ろうとしていたのをマウリィ君が寸でで守りきったようです。


 するとティルレッタ君はゆっくりこちらに顔を向けてきました。

 あぁ、瞳がドロドロしていますよ、それが君の母性ですか? 粘着性ありますね。


「ねぇ、先生。学園に赤ん坊を持ってきてもよろしいの?」

「本当に今更のように聞いてきますねティルレッタ君。色々とありますが今回は少し事情がありましてね。具体的には面倒を見てくれる人が見つからなかったんですよ」

「どうしようもなければ何でも許されますの?」


 重い言葉を無邪気に投げるんじゃありません。


「時と場合と言い訳によりますね。今回は先生の説得で渋々、学園長が許可してくれたのだと思ってください」

「まぁ……、なら皆で育てましょう」


 会話しましょう?

 誰も育てるなんて言ってません。


「君たちは赤ん坊の前にまず、ちゃんと勉強するように。試練までもう二ヶ月切っていますよ」


 ティルレッタ君の相手をすると無限に時間が取られるような気がします。

 時間を使っているのではなく、簒奪さんだつされるに近しいですね。


「少しの間、マウリィ君に赤ん坊をお任せするので是非、守りきってください」

「え? いきなりそんな大役を任されても……、あ、料理人さん、一番高いヤツ、お願いします。支払いは先生で」


 さらりと自分に断りもなく注文しましたね。

 断れないとわかっていてやるあたり、マウリィ君も抜け目なくなってきましたね。


 義務教育における知能指数向上の成果が出ていると思うべきか、教師と生徒でそれなりに距離が縮まって親しくなったせいか、どう言えば自分を騙せるんでしょうね。


 何にせよ、多少のやんちゃはしても、マウリィ君はきちんと言われたことをやる子です。

 悪知恵なんかに回すような、特殊な頭の使い方ではなく普通に頭がいいんですよ。

 如才ないとはこのことです。


 現に自分よりも手馴れた手つきで赤ん坊を抱いて、ゆっくりと体を揺らしています。

 赤ん坊もマウリィ君のあやし方は心地いいのか、次第に頭が垂れてきていました。


 今がチャンスですね。


「さて、色々と脱線しましたが話をしましょうかリリーナ君。断言するからにはそれなりの理由がありますね。先生もエルフの知り合いから文化様式のいくつかを知っているだけで君たちの生活を体験したわけではありませんから」


 リリーナ君は秋の果物の盛り合わせを頬張りながら、頭にハテナマークを浮かべていました。


 君が言ったからこの騒ぎになったという自覚はありますか?


「ちょうどいいですわ! 将来、エルフたちとは交流を持つのですからまとめて聞いてあげますわよ」


 リリーナ君の代わりにクリスティーナが声高に叫びました。

 聞いちゃいません。


 ですが他の子たちもそれなりに同意の念があるようで、鷹揚に頷いていました。


 あぁ、なるほど。

 クリスティーナ君にしては考えましたね。


 将来的にエルフと交流がある、ということ自体、貴族の間ではある程度、現実味のある話でした。

 すでに特区が出来、一部では交流がスタートしている状態です。

 それでも未だに巷ではエルフと出会う人は稀とされています。


 エルフと交流がある者が限られているこの現状で、学園生徒たちは恵まれたことにリリーナ君に慣れています。

 もしかするとこの子たちは『エルフと交流があった』という経験を活かして特区で働けるかもしれません。


 そうした可能性を考慮して、リリーナ君の話を皆に促しているのでしょう。

 そして将来についても考えてあげているのでしょう。


 見た目は自信満々に胸を張って、ドヤっとした顔をしていますが先生はわかっていますよ?


「まったく、やっぱり私が進めないと話になりませんわね。リリーナさんもさっさと話したらいいんですのよ。私に遠慮なんてせずに、さぁ、さぁ!」

「クリクリが聞きたいだけに聞こえるでありますよ?」


 信じさせてください、君のその成長を。


 クリスティーナ君に言われてか、それとも主旨を思い出したのかリリーナ君は果物をつまむ指を止めて、キリッとした顔をし始めました。


「集落では赤ん坊はあまりいないであります。だから、赤ん坊が生まれたら皆で育てるから捨てるなんてありえないであります」

「その辺の事情は貧村とそう変わりないようですね」


 貧村だけに限らず、国の末端である村にとって赤ん坊は人的資源です。

 懸命に働かなければ飢えて死ぬような村なら、なおさらのことです。


 どんな季節にも仕事はあり、その全てをこなしたとしても食事がない日もあるほどです。

 人を遊ばせておく余裕はありません。


 なので比較的、労働力の乏しい老人たちに赤ん坊を任せ、若手や働き盛りは仕事をするわけです。

 赤ん坊が複数いても同じで、老人一人で複数の赤ん坊の面倒を見ることもあります。


 そんな土壇場みたいな連続の日々に何十年と働ける若手がいなくなればどうなるか。

 当然のように過疎化し、満足に食べることもできず飢えて死にます。


 目先の滅びを回避するのも当然ですが、何十年後か先の滅びを回避するのも当然の判断です。

 一方でこれ以上食い扶持が増えないように殺されることも珍しい話ではありません。


 こうした生活の矛盾は貧村が豊かにならないかぎりついて回る業のようなものです。


「しかし、それは理由としては少し弱くありませんか?」

「それに『陰月期』がまだ来てないであります」


 また奇妙なローカルルールが飛び出してきましたね。

 なんとなくわかってしまうのが始末に負えません。


「えー、リリーナ君。『陰月期』というのは赤ん坊が生まれる周期、という意味で間違いありませんか?」

「五年に一回くらい、パッと子供が増えるであります。だから赤ん坊が生まれて喜ばれることはあっても捨てられるなんて、そんなのおかしいであります」

「ヒト種と違って月周期で子供が生まれるわけではない、ということですか」


 そりゃエルフの数が増えないわけです。

 それにハーフエルフもあんまり見ないわけです。


 いくつかあった疑問が解け始めてきました。


 まず、どうしてエルフがヒト種と同じ寿命でありながら若い時間が長いかというと、この『陰月期』とやらも理由の一つでしょう。

 赤ん坊を産む機会を少しでも長く保つためでしょう。


 仮説に仮説を重ねてしまいますが一つ、繋がりそうな論文を見たことがあります。


 生物の欲望は源素で表せる、というものです。

 源素が心で動くのならありえないとも言い難い話ですよ。


 性衝動は赤の源素に属しているので、エルフにとって忌避に近い感情があったんじゃないでしょうか。

 緑の源素に適応しているエルフでは赤の源素を抑えきれません。


 何らかの禁欲的生活の果てに抑圧と解放を周期づけて、自らの肉体を変化させてきたのが今のエルフだとすれば、ありえないと切って捨てられませんね。


 源素が人体にどれだけの進化と発展に影響したのか、細かい数字を出さないとわからない領域ですが、こうした背景があるのなら文化様式として『周期的な生殖』があってもおかしくありません。


 周囲と同調して一斉に出産する、という部分だけはよくわかりませんが、言ってしまえば周期こそ違えどヒト種と同じなのですから。


「それで、子供だけ集められる部屋があって、『樹の守』が皆の世話をするであります。男衆が『防人さきもり』で、女衆が『樹の守』であります。『防人』の女の人もいたり、『樹の守』のおじいちゃんがいたりするでありますが、大体、そんな感じであります」

「そして、外に出る者を『綿渡り』――でしたね」

「およ? 先生、知ってるでありますか?」

「まぁ、そこそこですね。それより、皆も聞いていますし続きを話してくださいね」


 話している途中、キリッとするのにも飽きたのか面倒くさそうにテーブルに体を預けていました。

 それでもリリーナ君も喋るのを嫌がっているようには見えません。


 リリーナ君が語る『綿渡り』の役目は単純でした。

 閉鎖された森とエルフたちを守るためにあえて外に出て、世間の情報や森を捨てた者たちと交流を持ち、時には協力して利益を生み出すことです。


 自分はその『綿渡り』に会ったことがあります。

 というかリリーナ君の叔父さんで自分の元部下ヴィリーですよ。


 しかし、ヴィリーが内紛に参加し、エルフを助けるために報復に出たのも『綿渡り』の役目というには逸脱していたようにも見えます。


 何せ、ヴィリーがやったのは報復のミンチ大会ですからね。


 おそらく『綿渡り』の役目を拡大解釈して、やりたい放題していたのでしょう。


「しかし、『陰月期』とは違うから赤ん坊が生まれることもなく、仮に周期から外れた者がいたとして少数派でしょう。その中で冒険者や旅人が赤ん坊を生み、しかもリーングラードに訪れる確率とはどれくらいでしょうね」


 目の前で生徒同士がリリーナ君へと意見を言い、興味があることを聞くという光景を見ながら、自分は目を細めました。


 可能性だけ見ればゼロとは言えません。

 しかし、限りなく薄い可能性が――


「どしたの、先生? 頭を抱えて」

「――いえ、限りなく薄い可能性が何度、目の前に横たわったことだろうかと人生を振り返っていたんですよ」


 マッフル君がジト目で見ていたような気もしますが、気にしないでおきましょう。


「実際に赤ん坊がいるのですから、困ったことに何かしらの事情があるのでしょう」

「む~……、おかしいであります、変であります、エルフのくせに生意気だ、であります」


 君もそのエルフですよ、リリーナ君。

 もっとも同じだからこそ納得がいかないんでしょう。


「大体、リリーナ君の言う『陰月期』はあくまでリリーナ君の集落での周期でしょう? もしもリスリアのどこかにリリーナ君の集落と違う集落があった場合、周期がズレていてもおかしくないんじゃないですか?」

「それはわからないであります……」


 リリーナ君の、その指先と指先を高速で付き合わせる仕草はなんですか?


「先生は旅人とか冒険者とかいうけれど皆、引きこもりで外に出てたのは叔父さんくらいであります。でも大陸中、旅したって言ってる叔父さんがリスリアにエルフは集落にしかいないって言っていたであります」

「なるほど、謎は全て解けました」


 この赤ん坊、ヴィリーの仕業ですね。

 間違いありません。こういうイタズラが好きな輩です。


 間違いであっても問題ありません。

 既にヤツはオシオキリストの高い位置を占めています。

 ちなみに一番はバカ王です。


 ヴィリーと次に会った時はリリーナ君の教育方針含めてじっくりと問いただしましょう。

 頭蓋骨の一つや二つ、折り曲げてやれば言うことも聞くでしょう。容赦はしません。


「他国からの流れ者、という可能性もあるのですから簡単に断定しないように。納得しきれないのはわかりますが情報が少なすぎますね。ただリリーナ君の言う通りならエルフは自分たちの手で赤ん坊を捨てるような文化がないことだけはわかりました」


 リリーナ君の主張にはヒト種に通じるものがありますし、何より、長い周期の上で子供が生まれるというのならヒト種よりも子は宝でしょう。


 簡単に言えばエルフには体質的に口減らしや捨て子の文化概念がない、ということですね。


 となるとリリーナ君から見て、捨て子が納得のいかない事象だったということもよくわかります。

 ある程度、話も聞けたのでこの件はここでおしまいにしましょう。


 ちょうど生徒たちにいじられて、むずがるように起き始めた子もいますしね。


 指を掴まれ、珍しく驚きの瞳をしているエリエス君を眺めながら先行きに不安を感じずにはいられません。


「先生、指を離しません。言っても聞きません」

「聞くわけないに決まっていますわ。時々、ポンッと抜けたことをいいますのね」

「クリスティーナよりマシ」

「な、な、な、私のどこが抜けているというのですの!」

「赤ん坊の近くで大声出していること、とか、ドリルが涎まみれになっているのに気づいていないところとか、かな?」


 マッフル君に言われて、慌ててクリスティーナ君はドリルを布で拭き始めました。


「なぁ、キース。騎士をやりながら子供って育てられるのか?」

「……唐突だな、お前は」

「いや、騎士見習いになれば毎日、クタクタになるそうだ。そんな中で女と結婚生活できるのかと考えるとな……」

「私も本格的に領地を継ぐことになれば、顔繋ぎや書面と領地の状況が正しいかどうかの確認もしなければならなくなるだろうな。婚約――いや、なんでもない。この学園で学業だけではなく人としても成長せねばならんようだ」

「ティッドはまだいいよな、結婚とか考えなくて」

「え? あ、うん? 結婚……、かぁ」


 こっちは妙に重たい話をし始めていますよ。

 子供らしくない、とは言いますがフリド君もキースレイト君も成人を控えています。


 成人すれば婚約する権利を与えられ、その年で結婚し、翌年には家庭を築くことを考えると今から意識していてもおかしくありませんねチクショウ。


「うふふ、先生?」


 ポツリと呟く声に目を向けると、にこやかなティルレッタ君がいました。

 何故か妙にご機嫌です。


 一体、さっきまでの間に何があったんですか。


「この赤ん坊の名前はなんて言いいますの? ショコラータ? フィルリッタ? それともマルガリータ?」

「ありませんよ」


 そう答えると、ティルレッタ君が珍しく目を丸くしていました。

 何かおかしなことを言いましたか?


「ちょ!? 先生、ひどくない? いくらオシオキ魔だって人間としてやっていいことと悪いことくらいあるじゃん」

「先生はこういうところがダメですわね。名前もつけずに一体、どうやって呼んでいたんですの、強い子に育ちませんわ!」


 クリスティーナ君もマッフル君も身を乗り出してまくし立ててきました。


 よく見れば周囲の目も非常識を見るような顔でした。

 これは新手の反抗期ですか?


「育てる前提で話を進めないように。あくまで拾っただけです。独身の自分が育てるよりも両親がいるご家庭で育てられた方が幸せでしょうに。名前にしても、自分がつけるよりそのご両親に付けてもらった方が愛着も湧くでしょう」

「それにしたってさぁ」

「ズボラにも程度というものがありますわ」


 経済状況だけ見たら、そりゃ育てられますよ。

 ただ勤務時間を考えるとありえません。


 赤ん坊の近くは基本、誰かしらいないと話になりません。

 寝ているからといって放り出す人の気がしれませんね。


 何が起こるかわからない相手ですよ?

 朝起きたら緑のウンチをしたり、吐き戻したりするんですよ。


 子疲れで倒れる奥さんの気持ちの一端を垣間見た気分の半日でしたよ。


「いいですか。何よりも大事なのはどこの子もしれない子より――」


 自分がなんとか説得しようと言葉を紡いでいると、鐘の音が鳴りました。


 カン、カン、カン、と間隔の短い鐘の音に自分は眉根を寄せて、大食堂の天井を見上げました。

 面倒なときに面倒なことを……。


「鐘が鳴るの、早くないですの?」

「それに、なんかいつもと違う。こう、カーン、カーンって感じなのに……」


 マウリィ君は目聡く――こういう場合、耳聡くですかね――事態の異変に気づき、不安そうに眉を落としていました。


「これってもしかして……、先生!」 

「全員、今から室内運動場へ移動しますよ」


 自分が立ち上がると生徒たち全員が何とも言えない顔をしていました。


 ある者は経験したことがあるのか、不安そうな顔をしています。


「お昼、まだなんですけれど……」

「何があったのですか?」


 リリーナ君だけは急ピッチで果物を食べ続けています。

 強制的に連れて行かれるとわかってか、食べられないものは制服のスカートを使って持ち運ぼうとしています。


 とりあえずリリーナ君の頭を叩いて、【室内運動場】のある方角に親指を指しました。


「敵襲です」


 まずは生徒たちを避難、それから後半授業を台無しにしようと企んでいるバカの処刑を始めましょうか。


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