Look what the cat's dragged in!
「さすがに赤ん坊を連れて授業は許可できませんね」
学園長室に入って、事情を説明すると何故か学園長は赤ん坊を腕に抱き始めました。
さらりと補佐するように立つのはご存知、透明系殺人メイドのテーレさんです。
いつもの通り、無感動な顔で学園長の横についています。
「はい、しかし、今日は少々問題があって連れてきましたが放課後にでも育てられる人を探そうと思っています。なので今日のところはご寛恕を乞いたく存じます」
「男性の子育てほど頼りないものもありませんからね。仕方ないと言えば仕方ないのでしょう。大方、朝の癇癪に右往左往したと見ました」
図星なので何も言えません。
「そうなるとやはり授業時間中の赤子の処遇が重要になりますね。なら私が面倒を見ましょう」
学園長は赤ん坊に柔和な笑顔を近づけました。
赤ん坊は無垢な顔で学園長の頬をペタペタしています。
恐れ知らずもいいところです。
無垢すぎて、こっちがハラハラしてきますよ。
「もちろん、今日だけですよ」
しかし、こうして見るとあの赤ん坊、人懐っこいですね。
シャルティア先生にも懐いていたようですし、考えてみれば初対面の自分にもです。
となると何故、リィティカ先生を嫌がったのか、これがわかりません。
もしかすると理由なんてないのかもしれません。
モフモフが時々、虚空を見つめているのと同じことです。
「よしよし。おー、おばあちゃんの顔が面白いの? かわいいね?」
一オクターブ高くなった学園長の声と上機嫌な赤ん坊の声を聞いて、自分は少し息をつきました。
なんだかんだで赤ん坊を抱いていると肩が凝るんですよね。
いや、息が詰まる、というかどういうべきでしょうか。
落としたりもできませんから常に気を遣わねばなりません。
「ありがとうございます学園長、では、よろしくお願いします」
「こちらも施設長に話を通しておきますので、ヨシュアン先生は授業に集中してください」
学園長のおっしゃる通り、集中しないとまずいんですよね。
「次の試練まで二ヶ月を切っています。なのにピットラット先生以外、先月の学習要綱を満たせていないというのは大問題です」
そう、まさかの事態でした。
実のところ現在、授業進行度が切羽詰っています。
丸々一ヶ月分くらい遅れている計算です。
原因は複数ありましたが、言ってしまえば『想定外の出来事』が積み重なった結果でしょう。
一つは先々月の遺跡事件。
遺跡事件そのものはともかく、その後が問題でした。
生徒たちが魔獣に興味を持ったために授業中や放課後に魔獣のことを聞いてきたため、緩やかに授業速度が落ちていきました。
自分たちも生徒たちに魔獣のことを知ってもらおうとしていたので一概には否定できません。
生徒たちの興味を引いている今だからこそ魔獣の講座や講義を検討していました。
まぁ、本来やるべき仕事を圧迫してもまだ余裕があったのも問題でしょうね。
ですが決定的に取り返しがつかなくなった事件がありました。
それが四聖団の来訪です。
アルファスリン君パニックのお陰で見事に学習要綱は滅茶苦茶になりました。
何せ自分たち教師はアルファスリン君のためのカリキュラムを作る羽目になりましたからね。
アルファスリン君と生徒たちの学習レベルは明らかに違いました。
またリスリア王国にとって当然であっても、法国では非常識になるような出来事もありました。
これの煽りを食らったのがアレフレットとヘグマントでした。
両名とも学習要綱にまだ余裕がありました。
ですが、歴史認識の違いを正そうと躍起になったアレフレットは無駄に過去の授業内容に凝りだしました。
一方、ヘグマントは『職業柄、体術の練度が低かったアルファスリン君』のために一人でも訓練できるように念入りに基礎をやりました。
二人は過去の授業内容をアルファスリン君に教えていたのです。
当然、生徒たちはその間、復習している状態になりますから学習要綱は滞ります。
完全に二人の貯金は尽き、現在、赤字状態です。
他にも急遽、【宿泊施設】でやった舞台も日数圧迫に繋がり、今やスケジュールは真っ赤っかですよ。
あぁ、最後にもう一つ、ありますね。
自分のせいです。
自分が倒れたり休んだりしたせいで他の先生方の負担になり、『特に一番、負担になっていたのはシャルティア先生』でした。
先ほど、まだマシな様子でしたが最近、妙に不調そうに見えます。
やはり、体調を崩す原因になってしまったのでしょう。
咳をしていたのも気になりますし、リィティカ先生が薬を渡しているのも見ています。
「唯一の救いだった自主訓練の結果も頭の痛い問題でした」
自分たちが余裕だった理由の一つに生徒たちの自主訓練がありました。
早期から予想していた『自主訓練による悪い癖がつくこと』については問題ありませんでしたが、別の方向――本当に予想外のことが起こりました。
生徒たちは自主訓練のほとんどを復習と応用にしか費やしていなかったことです。
ほとんど予習してなかったんですよね、あの子たちは。
確かに生徒たちは自主訓練のお陰で『過去の授業内容に関してのみ』練度が上がったのですが、自分たちが教えていない部分には手を出さなかったのです。
これは生徒同士で話し合った結果だそうです。
曰く、『先生が正しく教えてくれるところを前もって知ってしまったら、余計な先入観や誤解が生まれてしまうんじゃないか?』という疑問に対して、『じゃぁ、今までやったところを復習して、応用できるようになろう』という答えを出していたようです。
間違いではありません。
そもそも土台を作ってから新しい技術を学ぶわけですから、順番は間違いではありません。
当然、復習も大事な勉強です。
しかし、密かに自主訓練のお陰でこれからの授業がやりやすくなると思っていた自分が恨めしいですね。
まるで試練の予想問題が大きく外れたような気分ですよ。
「非常に不安な状況ですが一つ一つ、達成していくしかありませんよ。商売と同じように成長も水物ですが、その取り扱いは天と地ほど違います」
もう十分、経験し、痛い目にあってきています。
主にウチの問題児たちですね。
「肝に銘じております」
早速、火のついた業務と向かい合うために学園長室を出ようとすると、
「ぁ――!」
また、この呼ぶ声ですよ。
赤ん坊が小さな手を伸ばして泣き始めました。
「あらあら? どうしたの? おばあちゃんと一緒だとイヤ?」
「クレオ様。私があやしてみます」
珍しくテーレさんが積極的に動いてきました。
しかし、テーレさんがあやしても赤ん坊は泣き止みません。
「……これは、そうですか」
学園長は赤ん坊の様子を見て、すぐに見当がついたようです。
どうしてでしょうね、嫌な予感がしますよ。間違いありません。これはもしかして『また』ですか。
自然と頭が垂れてきますよ。
「ヨシュアン先生」
「ちょっと待ってください学園長、仕事ですよ? まさかとは思いますが赤ん坊を――」
「そのまさかです。今日の一日、それが貴重なことだということも承知の上で今回だけです。泣く赤ん坊には勝てませんからね」
つまり、赤ん坊を背負って授業しろ、ということですよチクショウ。
しかし、学習要綱を満たしていない自分に拒否権はありません。ノルマを達成していない社員は何時だって上司の無茶ぶりを飲むしかないものです。
「もちろん、赤ん坊が居たとしても授業速度が遅れるようなことは許されませんよ」
理不尽もここに極まれりです。
せめて両手が使えるようにとテーレさんが布からおんぶ紐を作ってくれました。
それまでの間に学園長を説得しましたが、無理でした。
何せ赤ん坊の要求が原因ですからね。
どこを間違ったら自分の人生、赤ん坊を背負ったまま仕事をしなければならなくなったんでしょうか。
ちょっと因果関係がわかりません。
教室まで足を運び、やるせなさと共に扉を開けば案の定、生徒たちはあんぐりとお口を開けていました。
「では、術学の授業を始めましょうか」
せめて何事もなかったように振舞っても無駄でした。
今日の会議でシャルティア先生からの突き上げが恐ろしいところです。
「ちょ、ちょちょ、先月もそうだったけど、先生のソレ、最近の流行りなの? 突然、あたしら驚かせて楽しいの? ていうかその赤ん坊は何?」
「先生がとうとう隠し子を連れてきたでありま――?」
リリーナ君は早速、気づいたようですね。
「――あー?」
赤ん坊が手足を適当に動かしているのがわかります。
背負うとダイレクトに子供の動きがわかるんですね。
「疑問はあるでしょうが静かにしましょう。赤ん坊が驚いてしまいますからね」
唇の前で指を立てると生徒たちは空いた口を手で塞ぎ始めました。
色々と聞かれて時間が圧迫される前にある程度、話してしまいましょうか。
「まずこの子は自分の子ではなく、拾った子です。失礼な輩が夜分に社宅の前に置いていった子ですね。本当は学園長が面倒を見てくれる予定でしたがこの子のワガママによって、学園長の仕事の邪魔になると判断したので今日一日、この格好です。わかりましたか?」
「いや、もうさっぱりわかんない。根本から理屈が違うって感じ。見てよクリスティーナのヤツの顔」
言われ、気づきましたがクリスティーナ君の様子がおかしいですね。
ドリルを震わせて、しかし、瞳はうるうるしています。
「獲物を狙う目ってこういうのを言うんじゃない?」
「先生には玩具を与えられた子供の目にしか見えませんね」
キラキラした瞳のクリスティーナ君は少し不気味ですね。
振動ドリルよりもセロ君の方がそういう反応をすると思ったのですが、当のセロ君は目をまん丸にしたまま固まっているだけです。
ちょっと気になったのでセロ君の目の前で手を振ってみても反応がありません。
というより目が動いていません。
すわ死んでいるのかと思い、口に手を当てましたが呼吸はしています。
「……先生、驚きすぎて気絶した子を初めてみましたよ」
ヘグマント先生からそれとなく聞いてはいましたが、目の前で見たのはこれが初めてです。
「あ、あの先生?」
「ちょっと待ってください。ひとまずセロ君を正気に戻しましょう」
クリスティーナ君がおずおずと手を伸ばしてきましたが、それよりセロ君です。
気絶されたら授業になりませんよ、まったく。
小さくデコピンしてあげると、しゃっくりした時のように肩を震わせて目が動き出しました。
軽い刺激で起きられたのは僥倖でしたね。
「おはよう、セロ君。戻ってきてくれて先生、嬉しいですよ」
「――ぁ、ぁ、せ、せんせぃが赤ん坊を」
帰ってきたセロ君は信じがたいものを見たように目を再び見開き、そして――
「相手はどこのだれなのですかっ」
――どうして生徒に浮気された妻のような台詞を言われているのでしょうね。
どうやらまだ混乱していますね。
仕方ないのでもう一度、説明するとグルグルと渦巻いていた瞳に冷静な光が灯りました。
「……捨て子なのですか?」
「どうにも懐かれてしまったようで、自分がいないと大騒ぎするんですよ」
とたん、セロ君の眉は八の字を描きました。
じっくりと赤ん坊を見る目はどこか『仲間を見つけた』ような瞳でした。
そういえばセロ君も似たような境遇でしたね。
修道院の前に捨て置かれていた、とのことですがベルベールさん調べでは出生が判明しています。
赤ん坊だったセロ君を抱いた母親は会話する間もなくセロ君を院長に預け、それっきり音沙汰がありません。
どうやらフュルスト領の次期領主だった男と駆け落ちしていたようですね。
どのような気持ちでセロ君を修道院に託したのかまではわかりませんが、間違いなく身の危険を感じていたでしょう。
現にその出来事から少しして『次期領主と女性、両方の死亡』が確認されています。
キナ臭いにも程がありますが、もしもご両親がフュルスト領から我が子を修道院に預けたことで守りきったというのなら、セロ君はきっと大丈夫でしょう。
ですがセロ君本人はここまで内情を知らなくとも、『己が捨てられた』という認識があるかもしれません。
「本当は先生の隠し子だったりするであります」
「リリーナ君。残念ですがそれだけはありません」
さっくりと否定してリリーナ君へと目をやると、少し違和感がありました。
まるで『困っているような、信じられない』ような不思議な表情を顔に張りつけていました。
「だってエルフに捨て子はありえないであります」
リリーナ君の言葉に、ようやく赤ん坊がエルフだったことに気づいた生徒たちは思い思い、叫びだしました。
観察力が欠けていることに叱るべきか、嘆くべきか。
どちらにしても自分が原因なのでどうにも言えませんね。
それと一度目ならともかく二度目は確実にお隣さんから苦情が飛んできますね。




