少女たちの成長譚 その二
お泊まり会でアルファスリンはクラスメイトの様々な話を聞いた。
「んー? あたしの目標? そんなの聞いてどうすんの。まぁ、アレかなぁ。商人として親父を越えることかな」
「商人かー、どんな商品を扱っておったのじゃ? サテラの商人みたいに絹の織物でも扱っておったのか?」
「絹なんて、まぁ、いつかはやってみた――いや、いつかやるよ。今はまだ勉強中。それにあたしは商品を売ったり買ったりできなかったんだよね。まだ早いってさ。親父の手伝いで荷受とか小姓の真似事とかしてただけだから。暇があったら目利きのために色んな商品の話を聞いたり触ったりしたかな。あーそうそう、商人って言っても色々だけどあたしは南部のキャラバン出身なんだよ。あっちってなんにもないんだよね。あるのは一面の砂漠とか荒野でね。昼は何をしてても熱いし、布を被ってないと頭がクラクラしてくるんだよ。夜は真っ青な月が出て綺麗だけど、めちゃくちゃ寒い。だからぶっとい刺し縫いの布とか動物の皮でできた天幕を作って、そこで寝るんだよ」
「なら何を食べておるのじゃ? 法国の南部にはモイライ麦の畑があるぞ? かぼちゃもある。辛子もあるぞ! 三食かぼちゃじゃぞ?」
「何、その偏りきった食生活。かぼちゃの辛煮でも作るの?」
「うまいぞ? それで王国の南部は何を作っておるんじゃ。なんにもないと言っても人がおるのなら何かしら作っておるじゃろ」
「あー、何もないけど結構、色々とあるんだよね。ちょっと北にいけばとうもろこし畑があるし、荒野でも砂漠でも陸竜はいるしさ。砂虫なんかは有名かな。薬用の覇王樹もあって、砂猫や立ち鼠もいる。砂漠で生きてる人は皆、そういう原生生物を狩ったり、ちょっとだけ生えてる植物をうまく使って生きてるってわけ」
「ほ~……、極北部みたいに一面、氷と雪ばかりではないのじゃな」
砂漠には動物や植物がないと思いこんでいたアルファスリンにとって感嘆できる話だった。
法国にとって僻地といえば雪原や氷原のような、死と雪と氷の土地のことを指す。
内陸にあるせいか生物の気配はほとんどないソコと比べれば砂漠の方が多くの生命があるように思える。
クリスティーナも納得しているのか『うんうん』と頷いていた。
そんな些細な気持ちの共有にアルファスリンは喜びを見出していた。
「ようやく愚民の砂臭さというものが理解できましたわね」
「いきなり何言いだしてんの、あんたは?」
アルファスリンはクリスティーナの暴言に口元を戦慄かせ、眉根を寄せてしまった。
「お、同じ気持ちじゃったと思ったのに……」
その呟きにエリエスは不思議そうな瞳を向けるのだった。
「じゃぁ、あんたはさぞ良い環境に恵まれて、甘やかされて生きてきたってわけね。あー、なんかわかるよ。もうなんかフリルに表れてるもんな。現実が見れてないところとかが特に」
「事あるごとにフリルフリルと……! 我が領地の特産品をバカにして!」
その瞬間、全員がクリスティーナを見やる。
セロでさえクリスティーナを見ているのだから相当、衝撃的だったのだろう。
「な、なんですの? 何かおかしなことを言いまして?」
「クリスティーナのフリルが特産品という点について、聞きたいことがある」
「いいですわよ。例えばこの寝巻きに使われているフリルは月と女性を模して作られていますの。月ノ姫という模様でして、他にも蝶の柄や花柄もありましてよ。生成りですので素材の良さがそのまま出ていますわね。こうまで白いフリルは他にありませんのよ。古くから王室の衣服まで手がけるハイルハイツの織物職人の腕の良さは王国、いえ、大陸一という証拠ですわ」
滔々と語りだしたクリスティーナに今度は全員の眉が下がっていく。
「うっわ、人生で一番、無駄な話を聞いちゃったよ」
「そんな話は聞いてない」
「話せと言ったから話したのにどうして貴方たちにそんなことを言われなければなりませんの!」
「聞きたいのは別。そのフリル地獄みたいな格好は特産品だから?」
「いいえ。美しいからに決まっていますわ」
「ダメだ、こいつ、頭がフリルに侵されてる。エリエス、もう手遅れだから何聞いても無駄かもよ」
エリエスは静かに頷くとクリスティーナから視線を外す。
もはや好奇心もわかないようだ。
「仕方ありませんわね。こうした芸術品は私やアルファ……、ファスリンさんのような淑女にしかわかりませんのよ」
急に話を振られたアルファスリンは内心で冷や汗をかく。
そもそも法国ではフリルだらけの服装よりも金糸刺繍による豪華さの方が尊ばれる傾向にある。
いくらアルファスリンが良質の衣装に見慣れているからと言ってフリルの良し悪しなどまったくわからない。
「え? う、うむ。良い糸……、じゃの? たぶん」
「そうでしょう! やはり淑女にはわかりますのよ」
「そ、それはともかくじゃ。クリスティーナはどんな目的で勉学に励んでおるのじゃ?」
「あら? そんな話でしたっけ?」
首を傾げたクリスティーナは今までの会話を思いだし、そう遠く離れた話ではないと自分勝手に納得する。
「目的というほどではありませんけれど常に心に留めていることはありますわよ。それは民を導く者は志高く在らねばならない、ということですわ。怠慢や怠惰などもってのほか。勤勉に励むなどというのは当然のことですわ」
「高く在る、というのはどういうことなのじゃ?」
「全てにおいて優れている、ということですわ」
「なら、全てにおいて優れておらんと上に立つ資格がないのか?」
クリスティーナの言うことをそのまま受け取ると氏族の長に近しいものを感じ、同時に疑問にも思った。
モモ・クローミは一時的とはいえ多くの人の上に立ったが彼女自身、強かったわけではなかったからだ。
術式に優れているわけでもなく、知識も人並だった。
それでも戦争中に誰もが彼女を仰ぎ見た。
その姿を見たアルファスリンからすれば容易にクリスティーナの言葉を受け入れられなかったのだ。
「違いますわ。私も初めは……、そう、父と母に言われた時はそうだと考えていましたわ。もちろん、なんにでも優れているに越したことはありませんわ。でも」
クリスティーナの瞳は先ほどの軽率さとは違い、ひどく落ち着いたものだった。
「高く在る、ということはたくさん在るのではないかと思っていますの。貴族としての高み、剣士としての高み。強さの、賢さの、人としての高み、私が目指す高みはより多くの高みを束ねるところですわ」
「むぅ、多くを束ねる高みか」
言わばモモ・クローミはそうした高さを持っていたのだろう。
そう思うとストンと心にクリスティーナの言葉が落ちてくる。
それも一つの目的と言えるのだろう。
抽象的で漠然としていて何をしたらいいのかわからない目的だが、クリスティーナの瞳はまるでそれがちゃんと見えているような力強さを感じる。
本当はクリスティーナ自身、何をすればいいかわからないのだが目的とする形だけは見えているのだろう。
「口ではなんとも言えるけどね」
「何か言いまして? 砂愚民」
「相変わらず耳が聞こえないのはなんかのヤバい病気なわけ? 近寄んないでよ感染るから」
「あえて聞き直しているに決まっていますわよ! その程度のことも察せないなんてそっちの頭こそいつまで経っても成長しませんわね。その慎ましいお胸と一緒」
「あ? 今まで温厚なあたしでも流石にソレはキレるし。無駄な『お腹の』ぜい肉削ぎ落としてあげるから表出ろ」
「は? 誰のどこがぜい肉ですって?」
「昨日、外、シャワー室。自分で自分の肉を掴んでため息ってちょー乙女!」
「表に出なさい低脳!」
「腹でも見せてたら? このムダ肉フリル!」
またクリスティーナとマッフルは険悪な顔を突き合わせる。
狭い中でお互い四つ手で相手をねじ伏せようとしていた。
そんな二人も目的とするところを語る時だけは同じ顔をしていた。
あれは挑む者の顔だ。
挑戦し、臨もうとする人の顔だ。
そうした顔を見るとアルファスリンは心のどこかがむずむずしてくる。
これではいけない、と漠然とした気持ちが湧き上がり、言葉にできないもどかしさに身をよじる。
だけど、まだ形は見えてこない。
ピースが足りないおもちゃを抱えたまま、より多くを聞こうと周囲を見渡すアルファスリン。
その目に止まったのは、小さな手帳に何かを書きこむリリーナの姿だった。
※
「誰かある!」
アルファスリンは四聖団の居留地に戻ってきて、すぐに叫んだ。
今、後夜祭で多くの氏族が参加しているが留守居を任されている者もいる。
後夜祭にいた者でもアルファスリンの姿を見て、何事かとこっそり戻ってきた者もいた。
その全てが『初めて聞くアルファスリンの強い声』に驚き、かすかな動揺が走っていた。
「ここにございます。アルファスリン姫様」
アンドレアスもまたアルファスリンを目敏く見つけ、こっそり帰ってきていた者の一人だ。
そのことにアルファスリンは驚かない。
呼べば必ず誰かが応える。
彼女はずっとそんな環境の中で生きてきた。
「アンドレアス。今、この場にいる全ての者を集めよ」
「承知しました」
アルファスリンが何のために人を集めようとしているのかをアンドレアスは知らない。
だが、それでいいのだ。
アンドレアスにとって唯一、信仰すら捧げられる姫の言葉があり、望みがあるのならその通りに動く。
彼はずっとそうしてきたし、これからもそうしていく。
彼が指を鳴らすと氏族の天幕に掲げられた術式ランプに火が灯る。
寡黙な赤い光が四聖団の天幕を照らし出し、非常時であることを浮かび上がらせる。
よく見ると彼の手元にある指輪もまた淡い光が灯っている。
彼らの術式具の技術はある一点のみ王国と帝国をはるかに凌駕している。
それは遠隔作動という技術だ。
本来、術式具は内源素に反応して作動する。
源素結晶を内蔵するものであっても最初のON/OFF機能は内源素を使用する。
つまり、間接的であっても誰かが術式具に触れないと作動しない。
遠隔作動はそうした定理から逸脱した技術だ。
指輪から放たれる特殊な波長は源理世界である【ナカテー】を経由して、それぞれの端末となる術式具のON/OFF機能を刺激する。
結果、内蔵された源素結晶が術式具に源素を供給し、作動する仕組みだ。
もっともこの波長を出す術式具を複製する技術はまだない。
彼らが作れるのは波長を受け取る端末だけだ。
今は神話時代の遺跡から発掘された発動機を利用し、技術を確立している。
程なくして氏族たちが集まり、それぞれが定められた位置に立ち始める。
アンドレアスとインガルズはアルファスリンの後ろに控えるように、家臣団はアルファスリンの右隣に、そして兵たちは一斉に並び、ただ静聴の構えを取る。
「聞け! 法国の神聖なる兵たちよ!」
小さな身体から発せられる声はそう大きくない。
「この絵に描かれた【ポルフィルの実】を今より二日以内に探し出し、妾の元へと持ってくるが良い!」
その内容はいつものアルファスリンのワガママのように聞こえる。
「人の生命がかかっておる」
あぁ、いつものお姫様の癇癪か、と内心、思っていた兵と家臣団は次の言葉でざわりと揺れた。
「その者は遺跡調査に協力し、またその行動に救われた者もおるだろう! この【ポルフィルの実】は彼の者の病を癒し、救うことができるのじゃ! お前たちは神兵じゃ。魔獣を滅ぼし神々の意を象る者たちじゃ」
法国の姫がたった一人の生命のために兵を動かそうとしていた。
そして、幾人かの兵はその相手がアイガリーゼスを一撃で滅ぼした教師のことだと理解し、密かに心を燃やした。
あの時、あの瞬間、たとえ姫を守るためだったとしても生命を救われた彼らは、恩義を感じていた。
ここを去ればもう返すこともできない恩だ。
ならばこの機会にその恩を返そうと心に決める。
一部のヴェーア種はそれとわかるくらいに姿勢を改め直した。
イヌ科のヴェーア種は知っている。
彼の教師は彼らの信仰する神獣の庇護者であり、もはや同胞のソレと変わらないほどの愛着を持っていた。
当の本人が知れば苦笑いをするしかないのだが、そんなものは関係ない。
形こそ違うが神獣のために働けるということは、ある種の神命を授かったのと同じ心境だ。
やる気も出ようものだろう。
しかし、大半の氏族の兵はいまだ燻っていた。
彼らにとって他国の人間にそこまでしてやる義理がないからだ。
一部はヨシュアンのことだと気づき、決闘のことを思いだし、密かに顔を歪めていた。
「人一人を救えぬという軟弱者は汚名と共に大いなる神兵としての名を返すが良い! しかし、妾の知るお前たちはたとえ深淵なる永の寝床でファーヴニールの牙に足を捕まれようとも必ず勇敢に戦い、人を救うと信じておる!」
次の言葉で大半の兵は『アルファスリンの言葉の重さ』に気づいた。
アルファスリンの言葉には形だけの威しかなかった。
それは姫という権威であり、兵はただ権威に従っているだけだった。
「だがそのためにお前たちが傷つくことも許さん!」
まだ弱く勢いもないが確かな王威が感じられ、兵たちは目を見張った。
ここで初めて兵たちは『我らが姫が見ていた』ことに気づいた。
救えると信じ、力があると信じ、そして、そのための能があると明言した。
今までそっぽ向いていたように思えた姫が今は女王の形を取り、命令しているのだ。
なんて都合のいい話だろうか。
今までワガママしか言わなかったくせに都合のいい時だけ見て、兵を奮い立たせようとしているのだ。
しかし、想いはしても反感は沸かない。
そもそも兵とは王の理不尽を形にするものだ。
その能と力を持って、『王の目指すもの』を実現する長い手だ。
弱くてもアルファスリンに女王を見た者は不思議と唇を吊りあげた。
ここで奮い立たない神兵はいないと拳を握り、自信を顕にした。
「我が命を十全に果たす覚悟はあるか!」
そして、最後の言葉で兵はその心根を言葉にするために上げた唇を開く。
「我ら、女神パルミアが約定にかけて!」
否の声はない。
ただ一斉に唱和される兵の声。
戴冠式で見る確たる王の証があるわけでもない。
二人の姉姫に比べればまだまだ王威の足りないように見えただろう。
しかし、彼らの心に一人の姫が女王になる瞬間を目撃した感動が埋め尽くしていた。
アルファスリンは女王ではない。
姫であり、その権威しかない。
本当に女王になるかどうかはわからない。
しかし、もしもアルファスリンが女王になったとして、この場にいる兵たちへと『アルファスリンが女王となった瞬間がいつか』と問われたら口を揃えて言うだろう。
『我らが女王は生命を救うために女王になられた』のだと。
誇りと自信と信仰を持ってそう語るだろう。
一斉に氏族の兵たちは動き出す。
まずは【ポルフィルの実】がどんなものか詳しく知らねばならない。
誰か知る者はいないかと見渡し、知る者は手をあげ、語りだす。
すでに自らの上官に【ポルフィルの実】の情報を報告している者までいる始末だ。
「よろしいのですか? 二日後と言えば出立の日では」
騒々しくなった兵たちは違い、家臣団はアルファスリンに近づき、そう耳打ちをする。
彼らとてアルファスリンの言葉に心動かされた者たちだ。
だが、感動だけで動くほど彼らは若くない。
氏族の代表としての責務が感動より先に冷静な判断を優先させる。
「良い。知らぬとは言わせぬぞ。彼の者は母上に会うと約束しておる。そなたの氏族は約定も守れぬのか?」
「いえ。滅相もありません」
「王都までの行程は無理をすればよい。多少の遅れは向こうも予測の内じゃろう。それでも遅れるのならば堂々と言えば良い。そなたらの国民を助けるために寄り道をしていた、と」
これに家臣は絶句してしまう。
今までのアルファスリンならば、異なる二つの条件を言えば意見を求めてきていたからだ。
それがハッキリと法国の強みと立ち位置を理解し、それを政に反映させるようになっていたのだ。
たった一週間と少しだけでここまで成長するとは思えなかったが、ふと驚いた眉をゆっくりと下ろした。
元々、アルファスリンは女王になるための知識や思想を叩きこまれている。
学園での生活が女王としての素質を開花させたというのならこれに勝る利益はない。
ならば今は小さな女王の成長を手助けする方へと持っていくのが吉だろう。
「ならばそのように。それと【ポルフィルの実】は聖地に生ると言います。リーングラードは封印の土地。この地に聖域がなくとも、封印の力が地脈を通じ、一種の聖地を作っている可能性がございます。そこには清浄の使者であるポルルン・ポッカが住んでいるやもしれません」
「うむ。伝承に詳しいのか?」
「この程度の知識なら。もっともインガルズ殿には負けますが」
アルファスリンがインガルズを見るために振り向くと、インガルズは頭を下げた。
「インガルズ、知っておるのか」
「【ポルフィルの実】を持っていたことがあります」
その言葉にアルファスリンが喜び、しかし、『持っていた』という言葉を理解して喜びは溶けて消えた。
「研究用として保有しておりましたが、霊峰の土を使っての栽培に失敗し、今はございません」
「どこで手に入れたのじゃ」
「神獣様の寝床にて。しかし、ここからでは二日で取って戻るわけにも」
「そうか……」
神獣の寝床と言われ、アルファスリンも肩を落とす。
猫神と謳われた神獣の住処は南部の北、中部の東にある。
いくら南部に近いとはいえ、南部の最北端まで行かねばならないのだ。
例え限界まで成長したグライフがいたとしても往復に一週間以上はかかる。
「イチかバチか、幾人かをやり、ここから近い地方都市で探してみるのはどうでしょう?」
落胆するアルファスリンを慰めるようにアンドレアスが希望を言葉にする。
「もしかしたらそこの領主か陪臣の誰かが財産として持っているかもしれません。強化補助をかけ、寝ずの強行軍で片道に二日かかろうとも、そこから高速飛竜で【ポルフィルの実】を運べば実質は二日と半日、あとは……、グラム殿の症状はいかなものでしょうか?」
アルファスリンはエドウィンから聞いた病状を伝えると、さすがに顔を顰めて悩みだす。
「侵度Ⅲでまだ人間の形を保っていることがもはや奇跡でしょう。ですが、その奇跡に便乗いたしましょう。苦痛を伴うかもしれませんが少しだけ時間を伸ばせる手段があります」
「なんじゃと? それを早く言わんか!」
理不尽な反応だとわかっていてもアルファスリンはつい口に出して不満をぶつけてしまう。
「幾人かの術師で医務室を源素比率の均一な場を作りだせば病状を少し遅らせることもできましょう。しかし、それは変異した肉体を溶かすことに他なりません。それには痛みを伴います。苦痛は体力を奪うことにも繋がるでしょう。一概にうまくいくだけとは言えませんが、エドウィン・フンディング伯と相談してみても良いかと」
「試してみる価値はありそうじゃの。そのように手配せよ!」
「仰せのままに」
「インガルズは隊を率いて聖地を捜索せよ! クレオ学園長からはリーングラード周辺の地図を借り受けておる。これを汝に貸そう」
これには家臣団も含め、インガルズとアンドレアス両名は目を剥いてしまった。
地図があるということはどこが重点的に防御されているのか、どこが一番、手薄なのかを教える指標でもあるのだ。
敵地の地図がある、というだけで戦略行動の成功率をあげられるくらいだ。
そのため地図は機密に分類され、おいそれと人に見せるものではなく、当然、他国の者に貸し与えるようなものではない。
表向き、たった一人の教師を救うためにリーングラードの地図を他国に貸し与える学園長の判断はある意味で狂気と言ってもいいくらいだ。
他の誰に示しをつけるのか、という疑問が一切、考慮されていない。
「それほどか……」
【タクティクス・ブロンド】の生命が救えるのならば地図を渡しても問題ないと判断したのだろうか?
それともヨシュアンという【タクティクス・ブロンド】は王国でそれだけの価値を持つのか?
アルファスリンやインガルズがヨシュアンの価値に気づいたように、王国はその価値を正しく理解している、ということだろうか。
はたまた地図そのものにそこまでの価値がなく、未来的に価値が変わると踏んでいるのか。
おそらく法国が敵に回っても十分、対応できると確信しているのだ。
もしくは敵にならない確信がある、か。
そうした確信でもなければ地図を貸し与えるなどできやしない。
こうして疑心暗鬼にさせるのも一つの戦略と見るべきだろう。
同時に『地図を貸し与えても良い友人』として信を置いているとも見受けられる。
その思惑が常道から逸しているためにインガルズの思考は止まる。
何にせよあっさりと地図を貸す学園長にインガルズは戦慄せずにはいられない。
真に警戒すべきが誰だったのか、インガルズはここに来てようやく理解したのだった。
「……ご命令通りに」
深く頭を下げるのは了承の意を示すものである。
唯一、わかっていることは学園長もまたヨシュアンを救うべく動いていることだろうか。
それは法国にとっても利益のある提案でもあった。
個人的にもヨシュアンには借りがあり、返すことに躊躇いはない。
法国としても『封印された魔獣を殺せる人材』とは是非とも繋がりを保っていたい。
学園長の手のひらで転がされている感こそあるが時間が惜しい。
それがインガルズの決定であり、またアルファスリンの意向に全面的に添う理由でもあった。
「ところで姫様」
インガルズがすぐさま行動するのを見送ったアルファスリンは、別の家臣の一人に呼ばれ振り向く。
「魔獣の講義として此度の演劇を公演なされるそうですが、明日の予定では?」
「……公演は明日なのか?」
「はい。二日後に出立予定でしたので、宿泊施設の方々に講義を為されるのならば明日が最後の機会かと……」
演劇の練習に遺跡調査とパラダイムシフトなどで精一杯だったアルファスリンは家臣の言葉をじっくり脳内に染みこませてから、大きく息を吸いこんだ。
「そういうのは早く言わんかー!? 聞いておらんぞ!」
突然の大声で家臣は戸惑い、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
「言うじゃろ! そういうことは公演後でも! そもそも先に言わんか! 遺跡調査に向かう時といい病気のことといい公演の時期といい、あの教師は妾を驚かせることに生命を賭けすぎじゃろ!! なんじゃ! なんなのじゃ!」
鬨の声より激しく、連打するような絶叫は居留地全てに響き渡った。
生まれて初めて『人の生命を背負っている認識』を自覚したアルファスリンはまだちゃんと把握しきれていない心があった。
それは『失敗すれば生命が失われる』という認識。
今までは兵たちの生命を受け持つ責任感とは別の、親しい者が死ぬかもしれないという無自覚な圧迫感。
まだ心に重すぎるソレはヨシュアンの仕業で意図されずに発散された。
「後で噛みつくだけでは済まさんからの!!」
本人はただ公演後のマッフルの気持ちをパーフェクトに理解して、叫ぶだけだった。
この時、アンドレアスの『ご褒美か』と呟く声は絶叫に紛れて聞こえなかったのは、誰にとっても幸いだったのかもしれない。
※
結果だけ見て、問題なく公演は行われた。
いくら四聖団だとしてもリーングラード周辺にあるかもわからない聖地を探せと言われ、一日そこらで見つかるはずもない。
報告待ちのまま、まんじりと過ごされるよりも学友と共に公演をした方が精神的に良いと判断したアンドレアスは、なんとかアルファスリンを説得し、演劇に集中するように仕向けた。
もっとももう一度、アルファスリンの晴れ姿を見たかったという本音がダダ漏れだったのだが、手持ち無沙汰だったのも事実なのでアルファスリンは演劇に参加したのだった。
調査隊の連絡網は完璧で【ポルフィルの実】を見つけ次第、アルファスリンの許可がなくともすぐにエドウィンとリィティカのところに持っていくよう手筈は整っている。
やれるだけのことはした。
待つだけならば、後少ししか居られない友人との交流を大事にしたい。
それもまたアルファスリンの偽らざる本音だった。
「ファスリンさん。お体の調子がよろしくありませんの?」
ヨシュアンがいない公演が終わり、宿泊施設の住人の拍手を受けながら準備室に戻ってきてすぐアルファスリンはクリスティーナに問いかけられた。
「ぬぇ? 元気じゃぞ」
変な声で反射的に答え、ふと周囲を見渡すとクリスティーナだけではなくヨシュアンクラス全員が心配そうな顔で見ていた。
ちなみにエリエスは心配そうな瞳だ。
「たしか文化祭での即興の踊りは三拍子だったはずですわよね? なのにさっきは頭上で手をひらひらとさせた奇っ怪な踊りでしたわ」
「あと勝手に石の杖もって花畑に行っちゃうしさ。微妙に台本変えたから、ほら、エリエスの機嫌が悪いし」
「万死に値します」
「どーどー、エリエス。落ち着いて話を聞こう」
内心、冷や汗をかいていたアルファスリンだったがエリエスはすぐに険のある瞳から元の無味乾燥な瞳に戻ったのを見て、少しだけホッとする。
言われた通り、今日のアルファスリンは集中力に欠けていて、思い出すだけでも赤面ものの場面はいくつもあった。
台詞を間違うところから始まり、テノートの出番なのに【囁くラタトスク】衣装で出ていこうとしたり、セロの術式補佐をやろうとしたら失敗し観客席にまで『死の使い』が飛び出したり、最後に至ってはルーカンの代役をしたヘグマントに驚き、舞台裏ですっ転ぶなどということがあった。
そうした失敗が積み重なりすぎて場所こそ文化祭の時と同じく【室内運動場】だったのが、今ではすっかり違う光景にしか見えない。
確かに昨日と違い、観客は家臣団ではなく宿泊施設の住人、他クラスの催事物は全て観客席の脇に置かれ雑多としている。
受ける印象は違うのだが、そうした違い以上にもう観客の顔が見られなくなったアルファスリンだった。
「先生が居なくて調子が狂うのもわかるけどさ、いや、居ても調子狂うんだけどさ」
「まったく。先生も先生ですわ。こんな時に病気だなんて教師のくせにたるんでいますわ!」
腕を組んでため息でもつきそうなクリスティーナとマッフルに、アルファスリンは申し訳ないような気持ちを抱えてしまう。
演劇での失敗もそうだが、ヨシュアンの病状をちゃんと皆に伝えられないことに後ろめたさがあったからだ。
それはアンドレアスの箴言通り、幾人かの術式師と共に医務室に向かったときの話だ。
アルファスリンはまずエドウィンに病状を少しだけ食い止める手段を話し、リィティカとも相談し始めた。
やがて話し合いが一段落するとアルファスリンに向き直った。
「普通なら許可しかねるわん。でも、そうね。その荒療治、ヨシュアンには有効かもねぇん」
「荒療治なのか?」
例え侵度Ⅲでも浄化は有効だ。
多少、変異した部分が削ぎ落とされても大丈夫だとアルファスリンは思っていた。
そこには好奇心もあったのだろう。
「変異した部分を浄化で取り除く――言ってしまえば切除と同じだわ」
「どういうことじゃ! アンドレアス!」
たしかに変異部を切り落とせば、少しは病状の進行は遅くなる。
しかし、それでは下手をすれば切除で死に至る可能性も生まれる。
何よりもアルファスリンを驚かせたのはその可能性をわかっていたのに箴言したことだ。
「姫様。これは病状とグラム殿を冷静に深慮した場合、そう酷い話ではありません」
疑わしい視線を送ってもアンドレアスは動じなかった。
むしろ肌がツヤツヤと輝き出すのだから、アルファスリンも苦い顔をしてしまった。
「そうねぇ。言っていることは間違いじゃないのよん? ヨシュアンがもしも魔獣になったらと考えたら、どんな化物が生まれるかわかったものじゃないわぁ。魔獣の力は元となった生物の強さに比例するんだもの。どんなことをしても――最悪、殺してでも魔獣にさせちゃいけないわけよん」
「ヨシュアン先生は汝らの仲間じゃろうが! 何故、そう冷静に恐ろしいことがいえるのじゃ!」
下手をすれば【タクティクス・ブロンド】だと知られそうな怒鳴り声も、リィティカは広い意味での仲間と取ったようで困った顔をするだけだった。
その様子から正体を知られていないと察したエドウィンは目を細めた。
「誰にとっても幸せな結末に向かうことはとても良いことよん。でも同じくらい一番、悪い結末について考えなきゃいけないの。何か、誰かが間違いを犯した時にひどいことにならないように。今回のアンドレアスちゃんの提案わねぇん、例えヨシュアンの腕を切ることになっても生命を救う時間を伸ばそうとしたの。それだけヨシュアンが助かる可能性が増えるから。そして最悪の場合、少しでも御し易くするためでもあるのよん」
「っ……、だがアンドレアス!」
「お怒りはごもっともです。しかし、時間の無さも含めて、グラム殿の力を鑑みるにやはり堅実な手かと。もしもお怒りが収まらないとおっしゃられるのならこのアンドレアス、如何なる罰も受ける所存にございます」
十全に侵食を止めるのが一番だ。
だが、その可能性が低いのならどこかで損をしてでも最善ではなく次善を選ばなければならない。
そう、わかっているからこそアルファスリンの顔は苦いままだ。
いつものように怒鳴ることはもうできない。
アルファスリンは目的というものを理解してしまっている。
そして、目的のためには大なり小なり犠牲を生むからこそ、そうした犠牲を生まないような女王になると決めたのだ。
ワガママを言えばキリがない。
それはもう嫌というほど理解している。
しかし、初めて心の底からなりたいと願った姿を否定したくもない。
「だけど運が良かったわぁ。痛みや腕が溶けるくらいならどうにかなるもの」
苦悩を蹴っ飛ばすかのようにあっけらかんと言い放たれ、アルファスリンは呆然とする。
身を乗り出し、全身で『どういうことなのか?』という姿勢を示す。
「痛みは鎮痛剤で。特にリィティカちゃんの『注射技術』は部分的な麻酔を可能にするのよん。両腕を麻酔して、ようするに痛みを感じないようにできるのよ。これは身体に大きな負担をかけないやり方なのよん。そして、変質部を溶かすという話だけど、これもどうにかなるわん」
「どうにかする薬があるのじゃな!」
「えぇ、欠損した肉体を元に戻すわけじゃないけれど、無色の源素を追い出せた時に可能な限り元の形を保てるようにできるわん」
アルファスリンは気づかない。
鎮痛剤の説明は明確に話しておきながら、肉体の欠損を元に戻す方法は曖昧な言葉で濁し、結末だけを語ったことに。
仮に気づいていたとしても秘術か秘薬と言われてしまえば、アルファスリンの立場上、エドウィンから詳しく聞くわけにも行かない。
アンドレアスはそのことに気づき、しかし、口を噤んだ。
アルファスリンと同じような立場にいるのも理由だが、話の流れからおおよそ予想できていたことだ。
【ポルフィルの実】で侵度Ⅲを治すような秘薬など作れないこと。
侵度Ⅲでも人の形を保っていられること。
この二つを『ヨシュアンだから治療できる』と頭に置いて考えた場合、ある程度の予測は立てられる。
おそらくヨシュアンは肉体の欠損すら自己修復できる何かを持ち、その力があったから【神話級】魔獣にも対抗できたのではないかと。
思えば【ナカテー】で重症を負いながら、次の日には立って歩き、文化祭では術式を使い役者すらやってのけたのだ。
タフという言葉で済まされるはずがない。
もしも、その治癒能力が『失われた回復術式』であった場合、ますます法国はヨシュアンを欲しがるだろう。
全て憶測だ。回復術式でなくとも人の治癒力を底上げする術式具や新薬がある、と言われてしまえば邪推でしかなくなる。
何やら隠したいことがあり、それは法国に知られたくない。
そのことだけわかれば後は配慮するだけだ。
もっとも時勢が変われば配慮する必要もないが、今はアルファスリンの立場や心情を重んじて何も言わない。
当然、ここまでの推測や結論はエドウィンもわかっているだろう。
軽くウィンクしてきたのがその良い証拠だ。
次いでエドウィンは『生徒たちに配慮してヨシュアンの症状は黙って欲しい』と告げてきた。
時に貴族は民に動揺が走るような情報は伝えないようにする。
こうした処置をしないと混乱を招くからだ。
混乱は容易に人を単純な思考、決断へと誘う。
生徒たちに短慮を起こさせないためにという意見はアルファスリンもよくわかっている。
実際は以前、生徒たちが勝手に遺跡に向かってしまったような事態を抑制するためだとしても本質は同じだ。
それらの条件の上、医務室を占拠させたくないという女医の意見と、医務室を使う生徒たちを考慮して、ヨシュアンの社宅に『均一の場』を作ることを提案し、社宅に治療の場を移したのだった。
この時の話し合いでアルファスリンはヨシュアンクラスの誰にもヨシュアンのことを話していない。
ヨシュアンクラスはあと一日で――引き伸ばせた半日を含め、一日半でヨシュアンが死ぬかもしれないことを知らない。
仲間に隠し事をしている後ろめたさ。
そして、刻一刻と迫ってくる時間。
この二つはアルファスリンの余裕を剥ぎ、集中力を乱すには十分な働きをしていた。
しかし、今はこの心配そうな顔の仲間をどうにかして安心させなければならない。
「うむ。実はの――」
「ヨシュアン先生が心配なのです?」
衣服を少し引っ張られ、振り向いた先は覗きこむセロの顔だった。
大粒の瞳はアルファスリンの心を見通すみたいにまっすぐ向けられている。
そして、アルファスリンもまたセロの心を見通すような錯覚さえ生まれる。
瞳の奥、かすかに揺れるものがなければアルファスリンは『大丈夫』だと伝えていただろう。
セロもまた心配している。
それもずっと、アルファスリンよりも深く心を砕いている。
そのことが隠し事している後ろめたさを刺激する。
本当のことを言うべきではないだろうか。
こうして心配している友達に何も告げないことはとても悪いことをしているのではないだろうか。
出口の見えない罪悪感に言葉を失う。
それがまた周囲に不安を募らせる。
「リンリンは言ったでありますよ?」
その様子を眺めていたリリーナは気づく。
つい先日までリリーナもまた同じようにどこにも出せないものを抱え、誰にも相談できずにいた。
「それは一人で悩まなきゃいけないことでありますか?」
まるで金槌で殴られたかのような衝撃を受け、目を見開いた。
それはアルファスリンが怒り、リリーナに伝えた言葉だ。
一人の苦しみに閉じこもるではなく――
信じるに足る友を信じ――
助けを求めようとする心を我慢するではなく――
「リリーナは『助けて』と言えたであります」
――全てを救う単純明快なロジカル。
そこに悪意が混じれば全てが破産するという、とてつもなく重たいものだ。
故に見定める必要があり、しかし、今回ばかりは見極める必要などはなかった。
「そうじゃったな……」
何故ならここにいる彼女たちは皆、出会ってすぐの立場も種族も国も違うアルファスリンを受け入れた。
モモ・クローミのようにあるがままを受け入れ、今、この場にいる。
「口止めされておった。皆を不安にさせぬようにと。妾と四聖団の力があればどうにかできるはずじゃった」
言葉はすらりと出てきた。
「先生の――病はとても危険なものじゃ」
言葉は思ったとおり、皆を動揺させてしまった。
その顔にじくりと心が痛み、しかし、言葉は止まらない。
「治療法は限られており、もう残された時間は一日と半分しかないのじゃ。それも今、四聖団の皆が探し続けておる。じゃが一向に見つからん。待ち続ける、この時間がたまらんのじゃ」
アルファスリンは何かを求めて、手に入らないものはなかった。
口にした全ての望みはおおよそ叶ってきた身だ。
しかし、今は何も見えない荒野で一つの金の粒を探すような、とても心細い気持ちだった。
本当に望みを叶える困難と苦しみを知り、噛み締めていた。
「ヨシュアン先生は遺跡調査の時に妾の兵を助けたのじゃ。その結果の病ならば妾はヨシュアン先生を助けねばならぬ……、いや、助けたいと願ったのじゃ」
そこに偽りはない。
多少、本筋と違っているが間違いなく本当のことだ。
流石に病気の内容は言うに憚られた。
魔獣になるかもしれない、なんてことを言えるはずがない。
その気持ちは優しさから来るもので、例え本人が気づいていなくとも心は理解している。
故に罪悪感はない、と。
「後は結果だけを待つ――本当にそれで良いのかと思っておるのじゃ」
「つまりさ、ファスリンは『まだ何かできることがある』けど、それがわからないからすっ転んだりしてたわけ」
アルファスリンの悩みを聞き、マッフルはすぐに解のための問いかけを始める。
普段は悪ふざけに使われる頭脳はこうした時こそ本領を発揮する。
「茶化すでない! 妾は真面目に言っておるのじゃ!」
「わかってるって。そんじゃ、もっと詳しく教えてよ。どうすれば先生が救えて、何が必要で、どうやって兵たちに伝えて、どういう風に命令したのか、とか」
全員はその場で車座になって、話し合う。
ヨシュアンを救うには【ポルフィルの実】が必要で、【ポルフィルの実】は霊峰のような『源素が集う場所』にあり、リーングラードの中にはそんな場所はない、と伝え、全員で頭をひねり始める。
「『源素が集う場所』なら一つ心当たりがある」
エリエスの一言に皆が耳を傾ける。
「ここから北東に鉄鉱石の取れる山裾があった。その頂上にはシャワー室の床材になった源素結晶があった。先生は『なりかけ』だと言っていましたが、源素結晶が生まれる場所は大体、『源素が集う場所』と記憶してる」
「あー、あそこの頂辺かぁ。話には聞いてたけどさ、あそこ、木って生えてたっけ?」
「見ていないのでわからない」
こうした条件から理論づけ、記憶から献策を出すやり方はエリエスの十八番だ。
すぐさま出てきた案に期待の熱がこもる。
だが、アルファスリンはゆっくりと首を横に振る。
「ないじゃろうな。そも【ポルフィルの実】自体、生育が難しいそうじゃ。なりかけの源素結晶ができる程度の場所では芽すら出ないじゃろう」
「結構、強い土地じゃないとダメってことか」
源素が多く集っているだけではなく、土にも影響されるのだろう。
こうした条件からの推測、想像を頼りに理屈を生み出すのはマッフルの思考法だ。
ときおり暴投こそすれ、大きく当たれば利益が大きい。
成長幅の大きな思考だからこそヨシュアンも止めるようなことはしないだろう。
マッフルは想像する。
全ての条件、全ての情報、そこから導き出される答えを。
創造する。
誰もが行き着かない道を思考の草の根を分けて見つけ出す。
深く思考するために身動きが止まったマッフルの代わりに、クリスティーナが口を開く。
「もっと何かありませんの?」
「あとは【ポルフィルの実】の絵くらいじゃろうか」
絵を見せるとクリスティーナの眉が歪む。
お世辞にも美味しそうには見えないからだ。
逆にリリーナはその手から絵を預かり、しげしげと観察している。
セロはそんなリリーナの隣で絵を覗き見していた。
「リーングラードの中には『源素の集まる場所』がないからの」
「それじゃお手上げじゃん。あたしらリーングラードから許可なく出られないしさ」
「でも、どうしてなのですか?」
絵から目を離したセロは不思議そうに呟く。
「『源素の集まる場所』がないってどうしてわかったのですか?」
「リーングラードは特殊な場所じゃ。詳しくは言えんが、法国でも何度か調査した場所でもある。さすがに『源素の集まる場所』を探すことはなかったのじゃが、それでもないと言い切れるだけの根拠があるのじゃ」
「その根拠は説明できないわけね」
「うむ。じゃからリーングラードの外を探しておるのじゃ。今は外周部を探しておるはずじゃ」
「もっとわかりやすい手がかりはないものかしら。目に見えて源素が溢れていたり、不思議な動植物があったり……」
「ポルルン・ポッカが居るくらいじゃろうなぁ……、ぬぉ!?」
再び全員がアルファスリンを見つめてくる。
その瞳は心配ではなく、驚きに満ちていた。
「は? なんでポルルン・ポッカ? いや、ちょっと待って、今、四聖団って外周部を探してるんだよね」
「う、うむ。後は守衛たちも探しておると言っておったな。他にもフンディング伯の兵たちもそうじゃ」
「で、『源素の集まる場所』にはポルルン・ポッカもいる、と」
「あたしら、ポルルン・ポッカにあったことあるんだけど。だったらリーングラードの中にもいるんじゃないの?」
「そりゃおるじゃろう。しかし、ポルルン・ポッカがおるからと言って――」
何かが思考の端を触り、アルファスリンは身動きしなくなった。
何かを間違えているような気がして、その解に触れそうになったのだろう。
眉を顰め、必死でその思いつきを思い出そうとするがするりと抜けてしまった思考は尻尾も見せない。
言いようのないイライラに頭をかきむしるが結局、解答は出てこなかった。
「あのさぁ、ファスリン。たぶん国の事情とかで言えないこともあるんだろうから無理に聞けないけど、それでも一つだけ答えてよ」
すでに何らかの解答を導き出したのかマッフルに迷いはなかった。
「ポルルン・ポッカの住んでるところって『源素の集まる場所』で、【ポルフィルの実】が生えてる可能性が高いんだよね? だから四聖団の人らも『源素の集まる場所』を探す上でポルルン・ポッカがいるかどうかも指標の一つにしてるんじゃない」
「うむ。ポルルン・ポッカがおらずとも『源素の集まる場所』はあるが、一番、わかりやすい見分け方じゃろう」
「じゃぁ、話は簡単じゃん」
マッフルが立ち上がると全員がその話を聞こうと顔を上げる。
「ポルルン・ポッカに住処を案内してもらえばいいじゃん」
「ぬわー!? そうじゃった!」
その瞬間、アルファスリンが奇声をあげて立ち上がった。
マッフルの言葉を聞き、掴み損ねた思考の端を握りしめたのだろう。
リーングラードは強大な魔獣を封印する禁域だ。
その内部は無色の源素で満ちるので、それらを常時、【神話級】術式によって浄化し続ける場でもある。
言わば常に土地に負担をかけている状態でもある。
そうした作用もあって『源素の集まる場所』は中々、生まれづらい。
法国でも共通の認識であり、だからこそアルファスリンたち四聖団はリーングラードの内部を調べずに外周部から調べようとしたのだ。
そんな環境なのに『リーングラードの内部であれど外縁部に位置する山裾に源素結晶の生まれかけている』ことに疑問を持つべきだったのだ。
そんなこともあるのかと軽くスルーしていたが、それは今この瞬間に置いて重要な情報に変わる。
「リーングラードはすでに浄化を終えかけておったのか……ッ!」
非常に危険な機密をさらりとこぼすアルファスリンだった。
ちなみにヨシュアンクラスの誰もが意味が分からず、きょとんとしていたのが救いだろう。
つまるところ、負担の少ない土地に変じ、余剰の源素がリーングラード内部のどこかに溜まりつつあるのだ。
そうなればポルルン・ポッカも別にリーングラードの外に住処を作る必要はなくなる。
ポルルン・ポッカが【神話級】術式の担い手であるのなら、外部よりも内部から行使した方が術式の理屈上、効率が良いのだ。
これは他人に強化術式をかけるよりも自らに使う方が強化率があがる、という理屈と同じ働きだ。
対象に結界を張るより自らの周囲に結界を張る方が難易度が低いというのも同じ理屈だ。
リーングラードの内部にポルルン・ポッカの住処がある可能性は――高い。
そのことに気づき、アルファスリンは己の失策に気づく。
現在、四聖団はリーングラードから出ている。
残っているのは護衛数名とアンドレアスくらいなものだ。
今から高速飛竜を使い、四聖団にリーングラード内部を探らせたとしてどれだけの時間がかかるだろうか。
少なくとも一日かけて周囲を調べている以上、近場にいるとは思えない。
戻ってくるのに半日、調査に一日。これでは十分な働きはできない。
仮に素早く帰って来られたとして時間の少なさから必死になる兵でポルルン・ポッカを探そうとすれば、怯えさせかねない。
下手をすれば逃げられてしまう。
「ぬおー! 妾のあほー!?」
「なんかファスリンが己を蔑み始めた!?」
「人手が足りぬ! どうして妾は先にリーングラードを探そうとしなかったのじゃ!」
初期の失策が取り返しのつかないものとわかり、頭を抱えて蹲った。
その様子を見ていたリリーナは不思議そうな顔でアルファスリンの頭をポンポンと撫で始める。
「ここにいるでありますよ?」
言われ、ゆっくりと顔を上げる。
「人手ならここにいるであります。明日は参礼日でありますし、まだお昼であります」
「そうそう。大体、探すったって全部探すつもり? どこに居たのかとか聞かなくていいわけ?」
「汝ら……」
さも当たり前のように手を差し伸べる友人たち。
その、それぞれの表情がなんとも心強く感じられる。
「大体、先生がヘマをしたのが原因ですわ。ここは仕方なく一番の生徒である私が救いの手を差し伸べるべきですわね」
「セロもがんばるのですっ」
「でも問題がある。私たちは一度、勝手に遺跡へと向かったことで私たちだけの行動は許可されない。先生にも自身の分を超えた行動は注意された」
「違う違うエリエス。許可はさ、後で貰えばいいんだって。一大事なんだよ? 人の生命がかかってるんだよ? 怒られるかもしれないけれど【ポルフィルの実】をもって帰ってきたら誰にも文句なんて言われないに決まってんじゃん。むしろ褒められるね」
ここでいつものように抜け道を示すのはマッフルだ。
確かに成果さえあげれば勝手な行動を注意されることがあっても、そう強く言われることはないだろう。
そうした後からの許可がないわけでもないのだ。
「詭弁」
「じゃぁ、エリエスは先生が病で倒れたままでいいわけ?」
「困る」
「よし、じゃぁ問題なし。どうしても気になるんならさ」
今度は適当な羊皮紙を探し出し、羽ペンで文字を書いていく。
その文面を皆に見せると小さく息を漏らした。
「こうしておけば前に言われた『どこに行ったか』を怒られずに済むしさ」
「わかった」
さらりとエリエスを納得させてしまえば後は簡単だ。
「なら防具を取りに行く方がいい。ファスリンの防具もたしか倉庫にある。裏口から出れば近道。花畑で二手に分かれてクリスティーナとリリーナ、マッフルは皆の防具を牧場に運ぶ役、私とセロ、ファスリンは牧場で足の調達」
「ぇ……、いまからなのですか? ヘグマント先生やアレフレット先生に……」
「何を悠長な……、そんな時間はありませんわ! 行きますわよ!」
マッフルが抜け道を見つけ、エリエスが作戦を考え、クリスティーナが弱腰のセロを強引に動かし、リリーナはそれを見て当たり前のように後についていく。
いつものヨシュアンクラスで、いつもの暴走だ。
「うむ! 何かあったときは妾が責任を持とう! 兵の誰もが行けぬというのなら、妾たちがゆかねばならぬのだ」
そして、そこにもう一人が加わる。
強力に何かを間違った責任の取り方で全体の意思を磐石にさせる。
つまるところ権力による暴走の正当化が誕生した瞬間だった。
彼女たちは理解している。
ヨシュアンの危地を救えるのは自分たちだけだと。
しかし、あえて見ないふりもしている。
先生たちに報告すればもっと確実にヨシュアンを救えるのだということを。
彼女たちの心にはまだ根強く『己のできること』を探しているのだろう。
故に彼女たちは彼女たちだけを選択し、動き始めた。
※
もぬけの殻になった控え室にアレフレットが現れる。
いつまで経っても控え室から出てこない生徒たちに業を煮やし、急き立てるためにやってきたのだ。
「お前たち! いつまで着替えを……?」
いなくなった生徒たちを探すように周囲を見渡すアレフレットの足元に一枚の羊皮紙が落ちてくる。
おもむろに拾い、その内容を理解した時にはアレフレットのこめかみに青筋が浮かび上がっていた。
「あのバカどもが……ッ! ヨシュアン・グラムみたいにまたやらかしたな!」
勢いと怒りで羊皮紙を握り潰し、それからすぐに控え室から出て行く。
この事態はアンドレアスも交えて対処に乗り出さなければならない。
下手をすれば国際問題だ。どんな角度から見ても厄介事の宝庫だろう。
やがて、ヘグマントが眉を顰め、シャルティアが頭に手を添え、リィティカとピットラットが曖昧な笑みを浮かべ、アンドレアスが悲劇のように祈りを捧げることになる。
その羊皮紙に書かれた文字はこうだ。
『ちょっとヨシュアン先生を助けるために皆で西の森に向かいます。ご用件があったら後ほどヨシュアン先生を交えてお声かけください』




