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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
325/374

いいえ、ヒッポッポトトグリム病です

 気づいたら自分は自宅のベッドで寝ていました。


 倦怠感のある体に、断続的な薄い吐き気こそありますが、特に体の運用に支障はありません。

 両腕の麻痺もなくなっていますし、内源素も正常化しています。


 若干、両腕にうっすらとした痣こそ残っていますが問題ありません。


 いつの間に社宅に戻ってきていたのかと曇る頭に手を当て、あの時のことを思い出しました。


 文化祭が終わった後、アンドレアスさんの質問があり――内容の九割がアルファスリン君でしたが――たしか閉会式があったはずです。

 しかし、閉会式の記憶がないのは何故でしょう?


「モフモフ?」


 寝転んだまま首を倒すと部屋の隅にモフモフがいました。


 一応、家主の自分に遠慮しているのかモフモフはいつも一階で寝ています。

 備えつけにあった毛布が今はモフモフのベッドだったのですが、その毛布まで移動していますね。

 

『起きたか』


 静かに顔をあげて、違和感に気付きました。


「モフモフ。首の怪我はもういいんですか?」


 首の包帯がなくなっています。

 昨日までまだ首に包帯を巻いていたはずです。

 【神話級】原生生物というのはそこまで回復力が高いのでしょうか。


『あまり騒ぐと起きる』


 言われ、気配を探ると階下に複数の気配がします。

 薄い気配すぎるのは寝ているからでしょう。おかげで具体的に誰がいるのか当たりもつけられません。


「演劇の後、どうなったかモフモフは知っていますか」

『大勢のヒトが同胞を連れていった』


 思い出しました。

 【室内運動場】の控え室から出た瞬間、むくつけき集団に襲われたんでした。

 体力と気力がなく、そのあまりの衝撃的光景も手伝って自分は気絶してしまったんでした。


「……いくらなんでも舞台が終わったと同時に連れていかなくてもいいじゃありませんか」


 エドから見て、すでに自分の状態は深刻だったのでしょうか?


 気づいたら医務室で寝かされていました。

 この時、窓からかがり火の光と複数の楽しそうな気配がしていたので夜会が始まっていることを知りました。


 夜会と言ってもリューミンたちの料理が出て、酒も振舞われ、適当に喋るだけの場です。

 礼節は不要の、コミュニケーションを取る場所でしかありません。


 教師も生徒たちも参加自由、一応、乱闘を警戒して冒険者たちが見回りをしてくれていたはずです。


「そう、たしか起きてすぐシャルティア先生と会話しました」


 だんだんと鮮明に思い出してきました。


 あの時、自分が見たものは足を組んで、ジト目で見下ろすシャルティア先生でした。


「――起きたか」

「ここは、医務室ですか?」


 自分は起き上がろうとして、何かに押さえつけられました。

 よくよく見るとベッドごと巻きつく革のベルトに縛りつけられていました。どういうことですか。


「あぁ、そうだ。フンディング伯の従者がお前を連れてきた。覚えていないのか?」

「さぁ? あと華麗に流していますが今の自分の姿はおかしくないですか?」

「お前が逃げ出さないように、だとさ。私は監視役、というところだな」


 逃げると思われているほど信用がなかったとは思いもしませんでした。


「で、体調不良はどうなんだ?」

「寝たお陰でだいぶ楽になりましたよ」

「嘘をつくな」


 ピシャリと叩きつけられるように言い切られました。


「脇腹を切られてもピンピンして動き回っている人間が体調不良くらいで倒れそうになるわけがない。不調は遺跡から帰ってきてからだったな。手の震えもそうだ」


 その比較対象はおかしい気がしますが、深く追及してもボロを出すだけです。


 やはり羽ペンを拾った時に見られていましたか。

 敏いシャルティア先生のことです。そこから推測は容易だったでしょう。


「何を隠している」


 じっと見つめてくるシャルティア先生に自分は何を言うべきか迷いました。

 素直に話したところで何かが変わるとは思えません。


 ですが、そう考えていたら自分は適当な言葉を口にしていたはずです。

 迷っているということはシャルティア先生にそう伝えたいという気持ちがあるのでしょう。


「前の誓いは信用を旨とする誓いだったろう?」


 後押しされなければ言葉にならない自分に少し、苛立ちすら覚えます。


「そうでしたね。自分で言ったはずなんですが……」


 同意したら、ものすごいため息をつかれました。

 どうかしたんでしょうか?


「いや、バカらしくなっただけさ。そうだな、男がキザな台詞を口にしている時は大抵、言葉通りの意味しかない」

「キザではなく真面目な話だったはずですが?」


 エドが言ったような意味はありませんよ。


「だろうな。真面目すぎて深読みした私がバカのようだ。殴るぞ」


 拳を握りしめたので、慌てて手をあげようとして動けないことを思い出しました。

 なんとか逃げようと足掻いていると、シャルティア先生の体から力が抜けました。

 かなり呆れられています。


「……それで、何が起きた。答えてないぞ」


 もしも、これ以上、ひどくなるようでしたらエドが学園長に報告するでしょう。

 そうなると、やはり教師にも伝わります。

 何事もなければ、それで問題ないのでしょうがシャルティア先生だけなら先に伝えていても問題はありません。


「少しヘマをしまして。無色の源素に侵食されました」

「そうか、無色の源素に……、なんだと?」


 珍しくシャルティア先生が目を見開きました。

 アレフレットなら、その意味を理解して、もっと驚いていたでしょうね。


「私もくわしくは知らないが治るものなのか」

「一応は。エドで無理なら、ちゃんとした神官たちもいますしね」

「調査隊に借りを……、いや、ちゃんと事情を話せ」


 とはいえ、本物の【神話級】魔獣を殺しただなんて御伽噺を語れば、誰もがまず自分の頭を疑うでしょう。

 

 なので調査隊より先に調査目的に接触し、処理はできたものの無色の源素を浴びた、ということにしました。

 これは後でインガルズさんに口裏を合わせてもらいましょう。


「調査目的に先に接触したのは何故だ?」

「偶然ですね。誰が見つけてもおかしくなかったと思います」

「調査事故で片付けられるが、やはり、治療はこちらからの要望になるか」

「その辺はインガルズさんたちと話がついているので、学園側に貸しが増えるようなことはありません」


 調査隊への協力中、自分は『協力者』という扱いです。

 わかりやすく言うと客分なんですよね。


 基本、自己責任ですが、やはり国の体裁上、救わなければなりません。

 曲がりなりにも宗教で成り立っている国ですからね。

 こっちも国の体裁を慮って賃金を支払う形です。


 シャルティア先生もそう考えたのか大事にならないと踏んで、肩の力を抜きました。


「ほとほと問題ばかり起こすな」

「それは……、すみません。ですが、これで今回の件も片付いたはずです」


 急にグラグラと視界が揺れ、両手が灼熱したように熱くなりました。

 なるべく顔に出さないように努めたつもりですが、自分の様子に気づいたのかシャルティア先生が立ち上がり、額に手を当ててきました。


「熱があるならあると言え! 子供か!」

「……いえ、その、急に」

「待て。すぐにゾフィアかフンディング伯を呼んでくる」


 ゾフィア……? あぁ、そういえば女医さん(36)の名前でしたね。

 だんだんと薄くなる意識の向こうでシャルティア先生が扉が開いたのを最後に記憶はありませんでした。


「あの後、どうなったんでしょうか?」


 モフモフの綺麗な瞳を覗きながら、疑問点が浮かんできました。


 もしも、あのまま意識が戻っていたら医務室で目が覚めたはずです。

 ここまで誰かが運んできた――できれば、あのむくつけき集団でないことを祈ります――のでしょうが、わざわざ社宅に帰す必要はありません。


 知るためにはやはりエドに聞くのが一番でしょう。

 まだグラグラする頭を起こして、階下に降りるとそこは野戦基地のような有様でした。


 ソファーで寝ているアルファスリン君を筆頭にヨシュアンクラスが全員、床で眠っています。

 どこからか持ってきた、あぁ、いえ、おそらく生徒会に使う野営用のローブでしょうね。

 

 さらに何故かシャルティア先生が酔いつぶれたみたいに体をテーブルに預けて轟沈しています。

 本当に何が起きたんですか?


「……起きたか、この寝坊助め」

「おはようございます、シャルティア先生」


 今、まさに寝坊助なシャルティア先生に言われたくありません。

 最初に見た、ボケっとした顔はきっとレアですが、言葉で表現すると言葉の刃で心を傷つけられます。


 もしもに備えて、今のうちに人格補助を入れておきましょう。


「医務室から引き続き、番ですか? さすがにそこまで信用がないとは思いたくないのですが」

「何を言って――あぁ、そうか」


 すぐにいつもの表情に戻ったシャルティア先生は、思い出したように眉を潜めました。


「お前が意識を失ってから、もう三日は経っているんだぞ」

「すみません。よく聞こえなかったのでもう一度」


 シャルティア先生の顔は真面目でした。


 三日も寝ていた、いえ、意識不明の重体だったのでしょう。

 無色の源素の侵食が早まったのではなく、演劇のために抑える力を割いたから起きた必然ですが、後悔はありません。


「ここに可愛い屍たちがいることと何か関係がありますか?」

「詳しくはフンディング伯に聞け。私はもう帰るぞ」


 足取りがフラフラしているところを見ると、本当に看病してくれたのでしょう。

 丁寧に肩にかかった毛布をたたみ、イスの上において、すぐに玄関まで歩いていきました。


「ありがとうございました。生徒たちの面倒も見てくれていたんですね」

「……本当に世話のかかるヤツだ。お前も、お前の生徒も」


 玄関を抜ける際に疲れと共に呟いた声に、自分は静かに頭を下げました。

 この借りはちゃんと返さないといけませんね。


 そもそも今月、色んな人にどれだけのものを借りてきたのでしょう。

 残り半年で返せるかどうかはわかりませんが、今は考えないでおきましょう。


 今はこの寝ている生徒たちについての謎に思い馳せましょう。


 生徒たちの周囲には何故か『武器や防具、生徒会で使う道具』があり、心なしかクリスティーナ君の頬に薄い土汚れが見えます。

 あぁ、これはこの子たちが帰ったら掃除ですね。


 文化祭から三日後なら生徒会活動も再開しているでしょうが、そこまで急いで何をしていたのでしょうか。


 まさか今回の文化祭で予算が降りなくて、自腹を切るハメになったとか言わないでくださいよ。


 事情を聞こうにも皆、疲れているのか起きてくる気配がありません。

 仕方なく朝食の準備をしていると居間の隅で丸まっていたリリーナ君がもぞもぞと起き始めました。


「先生が復活したであります」


 寝起きの一番がそれですか。

 まるで死んでいたみたいなので復活と言わないでもらいたいですね。


「おはようリリーナ君。さて、色々と聞きたいことがあるのですが――」

「エリリン、セロりん、起きるであります」


 リリーナ君は容赦なくエリエス君とセロ君をバシバシと起こし始めました。

 遠慮をしていた自分がバカのような荒々しさです。


 不機嫌に眉根を寄せていたエリエス君も、まぶたをゴシゴシと触っていたセロ君も、自分を見るなり驚き、セロ君に至っては半泣きで突進してきました。


 嗚咽を漏らすセロ君になんとなく予想がつきつつも、エリエス君に顔を向けます。


「先生、大丈夫ですか」

「えぇ、心配をかけてしまいましたね。このとおり、元気になりました」


 教師陣は不安にさせないために教師の不調を生徒に隠すでしょうし、アルファスリン君は自分の状態を誰にも言わないように約束しています。


 なのに知られているということは、隠しきれないほど事態が進んでいた証拠です。


「ところでヒッポッポトトグリム病にかかっている時は、どんな気分でしたか?」


 ヒポ……? なんでしょう、その奇病。

 病気かどうかの前にまず、名前が覚えられません。


「ちがう、ちがう。ハトポッポヒトゲノム病であります」

「ヒッポッポトトグリム病です。ちゃんと覚えています」


 引き続き、クリスティーナ君とマッフル君を起こしていたリリーナ君の反論を、エリエス君は持論を強固に主張しています。


 起き始めたクリスティーナ君とマッフル君も自分の無事を確認したあと、この議論に参加しました。


「貴方こそ違いますわ。フノポポフォットガラス病ですわ」

「いいえ、ヒッポッポトトグリム病です」

「なんだっけ? なんでもいいじゃん。それより、先生、今日のご飯ってトマト系?」


 総じていうならどうでもいいです。

 ちなみに今日の朝ご飯は無難にパンとアイントプフです。


「なぁ、ファスリン。なんだっけ?」

「わ、妾か!?」

「先生の病気のことをリンリンが言ってたでありますよ?」


 ソファーで議論に参加せずにいたアルファスリン君は気まずそうに顔を背けました。


「うむ。たしかそのような名前じゃったな」

「そのような、というのはどの名前ですか」

「どの名前!? な、なんじゃったかの……」


 目線を泳がしたまま、慌ててごまかそうとする姿にピンと来ます。

 この子、もしかして自分の不調の真実を隠すために、存在しない病気を口走ったんじゃないでしょうね。


「そんなことよりも! ヨシュアン先生が無事で良かったのじゃ。妾たちも薬を作るために奔走したのじゃぞ」


 褒めて褒めて、と紅潮する顔で胸を張るアルファスリン君に対して、大体の大筋が見えてきました。


 倒れた自分を治すために必要な素材が足りなかったのでしょう。

 その材料集めのために生徒たちは森の中に入った、という感じですね。


 だとしたら、この子たちに生命を救われたとも言えます。


 もちろん、実際に薬を作ったのはリィティカ先生で、薬を見立てたのはエドだったのでしょうが、文化祭のように皆がいなければできないこともあります。


「そうですね。皆、よく頑張りました。ありがとう」


 その一言でしたが、生徒たちも張り詰めたものが消えたような気がします。

 いつもどおりに見えても、どこか自分を伺う様はやはり薄い緊張があったのでしょう。


「しかし、もう少し詳しく話を聞きたいのですが――」


 具体的にどういう話だったのか、セロ君の背中を撫でながら聞こうとしたら、今度は玄関からノックが響いてきました。

 シャルティア先生といい、生徒たちといい、核心部分に触れようとするとさっきから妙に引っ張りますね。


「開いてますよ」

「お邪魔するわん」


 腰をクネクネとさせて入ってきたのはエドでした。

 減ったと思った人口密度がまた元に戻りましたね。


「体調を看ようと思ったんだけどぉ、朝食が終わってからのほうが良かったかしらん。どうやら詳しい話を聞こうとしていたみたいだけどぉ」


 この言葉に肩を震わせたアルファスリン君とクリス&マッフルを自分は見逃しませんでした。

 どうやら、真実にはあまりよろしくないお話も含まれているようですね。


 エドの目が非常に楽しそうにしている時は何かしらの作為が隠されています。


「あらぁん。そうねぇ、皆も疲れているわよねぇ」

「う、うむ。そういえば帰って皆を安心させる系の話があったのじゃ。皆の者よ、そろそろ帰るのじゃ」

「いいのよん、ちゃぁんとヨシュアンが朝食を作ってくれたんだから食べてから帰っても大丈夫よぉ」

「いや、やっぱり管理人さんも心配してるしさ!」

「ん~、それも大丈夫よん。管理人さんには話を通しておいたわん」


 ジリジリと生徒たちを追い詰めていくエド。

 エドがこんな意地悪するくらいに何かやらかしたみたいですね。


 だんだん、感謝の念よりも疑念が渦巻いてきました。


「ちょっと聞いてぇ、ヨシュアン。この子たちが薬の材料を採ってきたんだけどねぇ」


 生徒たちが大慌てで騒ぐ中、エドは抑音法を使ってこっそり教えてくれました。


「それも奥地に行かなきゃ採れないような素材でね。こっそり採りに行っちゃって皆、ものすごく慌ててたわぁ。もう、ワタシも『採ってきて欲しい』と言い出したけれど、まさか子供たちだけで行っちゃうとは思わなかったわぁ」


 未だに抱きついているセロ君をポンポンとあやしながら、しかし、自分は笑顔を作っていました。


「……なるほど。少し詳しく話を聞きましょうか。大丈夫ですよ、先生は何一つ怒っていませんから」

「怒ってなかったら怒ってるなんて言葉、出ないから!」


 エドが玄関にいるせいで逃げられない生徒たちは蜂の巣でもつついたかのようにあたふたとしていました。

 リリーナ君なんか窓から逃げようとしていましたが、マッフル君と体がぶつかって出ようにも出れなくなり、クリスティーナ君も二人のお尻の前で意を決したような顔をしていました。あれは殿が覚悟したときの顔ですね。


 エリエス君は物静かに座ったままで悪いとは思っていない様子で、アルファスリン君は全力で顔を背けています。


「……仕方ありませんね。今回はオシオキしないであげましょう」


 そういうとピタリと全員の動きが止まりました。


「ほ、本当かの? 本当にびりびりハリセンは飛んでこんか?」

「ただし、嘘をつかずに本当のことを正直に言うこと。顛末を事細かに聞きますよ」


 ホッとしたの様子のアルファスリン君とリリーナ君でしたが、クリス&マッフルは少し顔色が優れません。

 あぁ、どうやら思い出してきたようですね。


 クリス&マッフルは初めての生徒会で失敗した時、経験しているからわかっているのでしょう。


 先生がどうやって君たちの話を聞くのか。


 簡単に言うと事細かに皮肉を交えてダメ出しし、心情の奥まで重箱をつつくように聞き出すスタイルです。


 今日の朝は騒がしいことになりそうですね。


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