鼻がいたい
2014/06/18に301話より先を消去。新たに301話を投稿しました。
誠にご不便をおかけしますがご理解いただけたら幸いです。
学園に戻って一番最初にしたことは 防具の手入れでした。
ガントレットの【がくつかみ】は、ベースとなる革手袋にビスで金属部品を固定しています。
ビスは突起物として相手を殺傷する役割があるので剥き出しです。
主に赤と青と黄の源素を多く纏うので、鉄、銅、金を使用すれば一番なのでしょうが鉄はともかく銅と金は柔らかいのでガントレットの素材に向きません。そこで黄の源素とも相性の良い賢銀を緩衝材に、鉄は赤の源素との相性が下がりますが鋼に、銅の代わりに北方の鉱山で手に入る希少金属『イス霊銅』を使っています。
これは【かむやまびこ】も同じですね。
『イス霊銅』以外はびりびりハリセンにも使われていますね。
正直、『イス霊銅』は割高ですしね。グランハザードがいなければ購入すらできなかったくらいです。
さて、手入れ自体は簡単なものです。
金属部品を外して、手袋を入れ替えるだけです。
ですが、今から革手袋を作ると徹夜になります。
正直、生徒の未来にも関わるかもしれない大事な戦いに疲れを持ち越したまま赴くわけにもいきません。
なので妥協して革手袋の洗浄だけにしましょう。
明日、我慢して使えば後はゆっくりと入れ替えたらいいわけです。
ガントレットの解体を始めようとして、ふと気付きました。
帰ってきた時はソファー前の定位置に座っていたモフモフが、いつの間にか部屋の隅にいました。
どうしたんでしょうね?
『ソレを使うのなら外でしてくれ』
モフモフの視線はカビ取り用の錬成アルコールに向かっていました。
『鼻がいたい』
刺激臭はお好みではなかったようです。
仕方ないので要望通り、お外でやりました。家主なのに追い出されました。
しかし、今回もモフモフに助けられてばかりなので強く言えません。
手袋を漬けては琥珀色に濁る湯を見つめ、ビッチョリと重い革手袋を絞り、洗濯紐にぶら下げていると自分は真夜中に何をしているのか、という疑問が浮かびます。
やらなきゃいけないとわかっていても疑問は消えてくれません。
アルコールを使って滅菌し終わるまでずっと外にいました。
最近は虫も少なくなってきたとはいえ、血を狙おうとする蚊は消えてくれません。
耳元で鳴る蚊の音を手で振り払い、夜空を見上げればまだ曇天のままでした。
「そういえば王都は曇っていませんでしたね」
一人つぶやくと、何故か『リーングラードだけ曇っているように』思えてきて、重いため息が出ました。
こうして慌ただしい王都帰宅も終わり、朝になればいつもどおりの学活で自分は生徒たちに言い切りました。
「先生とアルファスリン君は今日の放課後、遺跡に出発しますので文化祭準備を手伝えません」
何故でしょうか。
こうして言い訳を重ねていくと『子供と休日に遊びにいく約束をしていたのに急な仕事で約束を破ってしまったお父さん』みたいな気持ちになります。もうダメかもしれません。
当然、生徒たちから盛大なブーイングをいただきました。
なんか昨日も同じものを見ましたね。あの時よりも勢いがあるのは何度も手伝えていないからです。
先生の株が今、急落中です。五ヶ月で培った信頼関係も一瞬で失われるということですね。いとかなし。
あと何故かアルファスリン君もブーイングしているのですが、これは怒っていいところですかね?
君も一緒に来るんですよ。
「正直に言うとな。行きたくないのじゃ」
「ぶっちゃけ過ぎていますよアルファスリン君。君は調査隊の顔でしょう。どうしてまた……」
アルファスリン君は教室の後ろ側を指差しました。
そこには何の残骸かわからないものが色々と置いてありました。
組み立てるとまた今の印象と違うのでしょうが、色彩豊かな木片だけを見ると完成品がどんなものなのか想像もつきませんね。
「まだ大道具が作り終わっていないのじゃ!」
言い切ったかのように、ムンスッと鼻から息を出すアルファスリン君。
それは果たして調査と天秤にかけていいものなんでしょうか。
「昨日は通し練習もした。演技は良い。皆、武術をやっておるからか知らんがスィ・ムーランを奏でるマッフルがかっこよく見えたのじゃ」
「ごめん、それめちゃくちゃ恥ずかしいから報告しないで」
「何故じゃ。男にはない、なんかムラッとくる魅力があったのじゃ」
「ハッキリ言っておくと同性に言われても全然、嬉しくないから」
珍しくマッフル君が赤面していました。
首元まで真っ赤ですね。
見ているとマッフル君は歯を剥いてきました。恥ずかしがらなくてもいいんですよ?
「リリーナは完璧じゃ。魂が入っておるぞ。もしもイルミンシアが目の前に居たのならあのように睫毛を震わせるのかと思ったくらいじゃ」
「にふっ」
そのいやらしい笑い方、止めてくださいリリーナ君。
「そんなリリーナじゃが惜しむらくは大道具をちゃんと作らんことじゃ。せっかくの絵の具を一式、もっておるというのに」
「上げて落とすなんてファスリンは上級者でありますな」
結構、楽しくやれているじゃないですか。
一昨日、落ちこんでいたカラスが今日は鳴いているのですから大丈夫そうで……、いえ、ここで気を緩めてはいけません。
そうやって何度、こちらの予測を裏切られてきたかわかったものじゃありません。
引き続きリリーナ君には要注意です。
「クリスティーナも問題ない。セロとエリエスは若干、恥ずかしいのか声が小さいが問題ない仕上がりじゃというのに、我らを飾るはずの【氷城】も【鎖の森】もないのじゃ! どうしてくれる! こんな時こそ男手じゃろ!」
「えー、演技監督のクリスティーナ君。アルファスリン君の見立てはどうですか?」
「概ね似た意見ですわ。若干、物覚えが悪く勝手をしようとする愚民がいますけれど、私のお陰でどうにかなっていますわね」
「余計なことは言わないように。すぐ喧嘩になりますからね。では脚本家のエリエス君」
「大道具さえできれば今すぐにでも【室内運動場】で練習できます」
短い期間ではありましたが生徒たちもそれなりに仕上がっているようです。
自分の目で仕上がりを確認したかったのですが予定のせいでうまくいきません。
「今のはなんじゃ! 疑ぐるような言い方じゃの」
「アルファスリン君を疑っているわけではありませんよ。多くの意見から正しさを検証していく方法は間違いではないでしょう? 先生が言っても説得力がないかもしれませんが失敗したくないのは本当です。今回も予定さえ空けられるのなら空けていたんですが」
言ってもアルファスリン君は頬を膨らませたままでした。
他の子達も曖昧な表情で納得は見せてくれません。
今回の調査が重要なのは、自分たちの住む場所だからです。
生徒たちもそのことをよく知っているので、気持ちは反対しても渋々納得せざるをえません。
「わかりました。幸い、午後授業は出発準備の時間として扱われています。ようするに自由時間ですね。なので手伝えそうです。大道具でまだ完成していないものを教えてください。午後授業が終わるまでに仕上げておきましょう」
「全部です」
「冗談ですよね?」
冗談であってください。
しかし、エリエスの目は真剣でした。
生徒たちも真面目な顔をしています。
え、本当に全部ですか?
「……その全部というのは背景だけですよね?」
背景はそのシーンの情景を表すための舞台装置のことです。
大道具と言えば、大体、この舞台装置のことを指します。舞台装置というと大掛かりな仕掛けように聞こえますが、だだっ広い平原に台を置いて、そこで演じれば十分、その台は舞台装置と言えるでしょう。
時には大きな一枚紙を垂れるだけでも十分、情景は理解できるでしょう。
もっとも今回の演劇で一枚紙を使うシーンはほとんどなかったので二、三枚、程度だったと思います。
逆に多いのは草むらや木々、建物のセットです。
そうした小さなセットはもう出来上がっているみたいなので、間違いではないと思います。
「いいえ」
「できるところまで作る、という約束に変更します」
さすがに全場面の背景を全て午後授業の終わりまでに終わらせられません。
自分が後五人くらい必要です。
「しかし、本来なら大道具を先に仕上げるものですが、どうしてそこまで進んでいないんです?」
小道具は結構、進んでいたように記憶しています。
すでに衣装は完成していますし、調度品なんかも出来上がっています。
「小道具は材料が揃っていたので優先して行いました。大道具が進んでいないのは材木の確保がうまくいかなかったからです」
材木の確保――そういえばエリエス君がリリーナ君を連れて材料を取りに行ったはずです。
「大工さんより材木をいただく予定でしたが【迎賓館】の建築に材木を使用したために、不足しているそうです。他のクラスも材木を使う予定だそうで壮絶な争いに発展していました。最近では寮で材木の取り分の会議が開かれたほどです」
その時を思い出しているのかエリエス君の瞳は茫洋としていました。
何があったんでしょうね。
直接聞くよりもあえてセロ君に聞いてみましょうか。
「セロ君。一体、何があったんですか?」
「キースレイトさんとフリドさんが材木の取り合いをして、掴み合いになったのです」
珍しい組み合わせで喧嘩が発生しましたね。
「そしたら止めようとした他の子も巻きこんで、サロンでみんなが……うぅ」
セロ君の瞳から光が消えてしまいました。
「最終的にティルレッタが壊れたように笑い始めて、次の瞬間、金切り声を上げて倒れてさ。管理人さんまで驚いてやってきたし、私らはドン引きだし、年少組はマジ泣きした」
「せっかく私が進行役を務めたというのに、台無しですわ」
暗黒質なセロ君から話を引き継いたクリスティーナ君とマッフル君の言葉に、自分はどこを驚くべきでしょうか。
ティルレッタ君のヒステリーの威力か、ちゃんと全クラスで会議をしようとしたクリスティーナ君か。
たぶん両方でしょうね。
何にせよ、その場に自分がいなかったことが悔やまれます。
広域オシオキ術式一つで片がつきますからね。
「先生はどうにかして材木を確保してください。でないと作れません。なるべく今日中に。置き場は【室内運動場】前です。この時にヨシュアンクラスの名札がなければ飢えた材木狩りたちに奪われる恐れがあります」
自分が学園から目を離した隙に一体、何が起きていたのでしょうか。
学園の治安が心配です。
「そういえば小道具で冠があるじゃん。あれの宝石はどうする?」
「金属を磨いて光っているように見せます。実地を見たところ、舞台と観客席の距離が少し遠かったので、誤魔化せます。予算でダメなら先生が融資してくれます」
「やった! じゃ、先生、宝石っぽい何かもよろしく」
「そういえば出番は一番、最後なのでしょう? 夕方になると室内運動場が暗くなりますわよ」
「術式ランプの光量でどうにかする手筈じゃろ。おぉ! そういえば術式ランプが足りんとも言っておったな。身銭を削ってくれるというのなら全力を出せるの」
「ぁのあの……、制作した大道具はどこにおいておけばいいのですか? それに当日なのです。あんまり重いと入れ替えがたいへんなのです」
「それは先生が良い案を出してくれるでしょう」
とうとう言いたい放題、言い始めましたよ。
この流れでどうして身銭を切ることになるのか不思議で仕方ありません。
どうやら教師不在で滞っていた許可や申請の類が今になって溢れてきたようです。
特に大道具は場面ごとに入れ替えるので、本番中、暗転の度に裏方が頑張ってセットしていかなければなりません。
本来なら、一場面ごとにセットそのものを入れ替えるべきなのでしょうが、この手間をかけるための人員が足りません。
そうなると必然、大道具は持ち運びしやすいチャチなものばかりになってしまいます。
自分はそれでも良いのですが、この子たちの頭に妥協はありません。
クリスティーナ君は本職のやり方しか見たことがないのでその通りに生徒たちに話します。当然、聞いたエリエス君も本職と同じような進行表を作りがちです。
ようするにこの人数では不可能なはずの大仕掛けを、彼女たちはできるものだと思いこんでいます。
問題はここからです。
本当なら自分が指摘して止めさせるのですが、すでに文化祭は目前に迫っています。
もっと前からちゃんと、実現可能な作戦を立てておくべきでした。
そして、今更気づくなと自分に言ってやりたいところです。脚本と演技しか目に入ってなかったために起きた失敗ですね。
大道具にしてもエリエス君がちゃんと設計図を作っています。
生徒たちはその設計図を元に大道具を作っているのなら、あの後ろにある全てのガラクタが無駄になってしまいます。
今から急な変更は難しいでしょう。
いえ、これを無視して進めることはできます。
できるからと言って、何も考えずに諦めてはいけません。
少なくとも本当にできないなら、できないなりの理由を示さなければなりません。
考えを放棄せずに、視野を狭めず、できる手段を模索し答えを示すから責任というのです。
このまま、突き進むための手段を考えるしかありません。
「……当日、壇上を割りましょう。垂れ幕を使って、表と裏に分けます」
自分が案を出すと全員、口を閉ざしました。
「表で演劇をし、裏で次の場面の背景を組み立てます。暗転時間を少し長くした後、全員で一気に撤去、あらかじめ設置したものを前に押し出し、垂れ幕でまた裏を隠します。こうすれば効率よく大道具の入れ替えが可能です」
「その案はいいけど全部の大道具を前もって【室内運動場】の中に用意しとくってことじゃん。どこに置いておくのさ。組み立てたら結構、場所を取るけど」
「もちろん、壇上のすぐ傍ですね。これも見えないように天井から垂れ幕をつけて、簡易準備室にしてしまいます。【室内運動場】は構造上、裏にも入口がありますから裏側にも置けますね。扉から入りきれないものは全て、この簡易準備室で組み立ててしまえ問題はありません」
エリエス君が開いている羊皮紙を覗きこみます。
見やすいように机に広げてくれるので、そのまま大道具の種類を仕分けしていきます。
「一番、大きな大道具は【氷の城】ですね。これは天井部まである……、本当にこれを作るつもりですか?」
「作ります」
こういう時に完璧主義者は怖いですね。
臆面もなく言い切りました。
昨日の朝に調査隊が出発して移動に一日。
今頃、現場に到着して調査を開始しています。
そして、順調に終わるのが次の日。そこから帰ってきて一日、その次の日が文化祭なのですが当日は最終準備なので一日に含めません。
残り時間はあと三日です。
「あと三日でできるかどうかはわかりませんが、挑戦しましょうか。【氷の城】は二つに分けて制作、本番は先生が設置します。それ以外は君たちでも対処できるはずです」
エリエス君は急いで脚本を取り出し、自分が言ったことを書いていきます。
本文以外にもびっしりと小さな文字を書きこんである脚本は、エリエス君の努力の証でした。
「なので大道具の制作は【室内運動場】でやりましょう。放課後に【室内運動場】の使用許可を四日分出しておきます。もちろん、他のクラスの子も実際に壇上を使った練習をしますから、場所の取り合いなどで喧嘩しないように。後で話を聞いたら全員、オシオキですよ」
そして、リリーナ君に向き直ります。
「これらの事前準備をリリーナ君。君が責任をもって担当しなさい」
「……リリーナが、でありますか?」
心底、きょとんとした顔をされました。
「リリーナ君は今、一番、余裕がありますね。既に脚本を全て暗記しているはずです。演技は通しに参加するだけで十分でしょう。わかっていると思いますが、乗り気じゃない、やる気がないなどの理由で怠けていると全員の足を引っ張ります」
「一番、大変なところであります、リリーナだけ……」
言いかけて、止まりました。
そうですね。リリーナ君だけが大変ではありません。
クリスティーナ君は演劇指導、マッフル君はまだ演技に自信がない風です。
セロ君はまだ小道具が残っています。エリエス君はこのとおり、全体の指揮を取る役割があります。
「アルファスリン君。演技に自信があるのならリリーナ君を手伝ってあげてください。さすがに今日と明日は無理かもしれませんが、残り一日を手伝いに回せると思います」
誰もが手一杯です。
もちろん、リリーナ君も問題を抱えて手一杯でしょう。
「できますか、リリーナ君」
リリーナ君は問われ、困り、目線を泳がして目を見開きました。
忘れてはいませんか、リリーナ君?
この子たちは妥協しないんですよ。
自分がそういう風に仕立てたので間違いありません。
だからこそ、自信があります。
「真面目にやらないと『置いてけぼり』にされますよ?」
特にこの状況では誰もがリリーナ君を信じざるをえません。
「別に全てを任せるわけでもありませんし、やり方がわからないほどではないでしょう。材木を用意できれば設計図通りに作るだけです。そのためにどうしたらいいかを考えなさい」
逃げ場がなくなったリリーナ君は泣きそうな顔で「うにゃー!」と叫びました。
これは請け負ったと見ていいですね。
いつまでも本気を出さないのなら、本気を出させるだけです。
もちろん、失敗するかもしれない時のために一つ、手を打っておきましょう。
幸い、材木集めのついでにできそうです。
「先生のドS! 変態! 鬼畜! いじわるであります! 先生なんか、先生なんか、なんかこうタンスの角で頭と小指をぶつけたらいいんであります!」
地味に痛そうな恨み言を叫んでいました。
「気持ちはわかりますが、先生も心を鬼にします」
「先生はいつも鬼であります!」
こうなってくると自分もちゃんと材木を用意する必要がありますね。
何せ、任命責任というものがあります。
他のクラスの子のことを考えると、多めに用意しなければなりませんね。
どうしたものかと思案していると、ちょうど学活の終わりを告げる鐘が鳴り響きました。




