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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
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荒れた野を往く子馬たち

 いつも通り自分は教壇に立ち、いつも通り座っている生徒たちを眺めました。


 教室に入って挨拶する、こんな簡単なことも懐かしく感じます。

 わずか十日だというのに感慨深いですね。色んな意味で。


「今日は後半授業に騎芸の授業があります。ひらひらした服はひっかかる可能性がありますから着替えは持ってきていますねクリスティーナ君」

「どうして名指しされたのか、詳しくお聞かせ願いませんこと」


 軽い冗談ですが、以前にやらかしていますからね。

 今回は本当に乗ったり跳ねたりしますし、心配して見たら睨まれました。


「内容は実地と慣らしですね。馬の接し方から始めて鐙の付け方、乗り方、手入れの仕方です。明日はそれを基本に一日まるまる騎芸の授業です。終わったら手洗い、うがいは忘れずにちゃんとするように」


 この長期休暇中に会議で決められたことも生徒たちに伝えなければなりません。

 清掃月間のことやシャワー室を清掃するクラスローテーションなんかは特に伝えておかなければなりません。もちろん清掃の意味もちゃんと伝えます。

 伝わっているかどうかは生徒たちの行動が判断基準です。


 さて、後半授業は言った通り騎芸の授業です。

 では、前半授業は何をするのか。


「それでは皆さん、楽しい宿題提出ですよ。ちゃんとやってきましたよね」


 授業再開ですから当然、諸々とあります。

 宿題とか、宿題とか、宿題です。


 揃ってカバンから宿題を出そうと動く中、一人、窓に足をかけて飛び立とうとする子がいました。

 もちろん、襟首を掴んで捕まえましたよ。予測できていました。


「はい、リリーナ君。飛び立つにはまだ早いですよ。巣立ちはまだ七ヶ月も先です」

「ちょっと家に宿題を忘れてきたであります。取ってくるから待ってて欲しいであります」

「知っていますか? 哀しいことに今、持っていないとやってないは同等の意味があります」

「に~、堪忍であります~」


 とりあえず強化したびりびりハリセンの奮いどころが早々と訪れて嬉しいですね。泣きたくなります。


 スパンと叩くと室内で雷が直撃したような音が鳴り響きました。

 プスプスと煙をあげて、ぐったりしたリリーナ君。よし、予定どおりの威力です。

 ちゃんと席に座らせ、襟首を離すと生徒全員がこっちを見ていました。


 三名ほど青ざめている子がいますね。


 セロ君は単純に音と威力に驚いて戦慄いてました。大丈夫ですよ、いい子に振るうびりびりハリセンはありません。


「せ、先生? なんか迸ったように見えたんだけど……」

「リリーナさんが一撃で……」


 一方、普通に青ざめていたのはクリスティーナ君とマッフル君です。

 大丈夫ですよ、良い子に奮うびりびりハリセンはありません。ないといいですね。


「君たちのために威力を上げました。大変でしたよ。一度、紙の部分を張替えましたしね上質なものですよ?」

「いや、それは色々とおかしいから」


 エリエス君だけは興味深そうにハリセンを見ていましたね。

 『そんなこともできるのか』と瞳が語っています。最近、雄弁な瞳は絶好調ですね。

 

 実際は強化したわけではなく調整の際に行った弱体化を解いただけです。

 最初のびりびりハリセンは自分でも痺れる威力でしたからね。しかし、さすがにこの威力は後に響くどころか死にかけるので若干、弱くしています。後一段階ほど出力が上がる予定ですね。

 

 生徒たちがどれくらいの抗術式力を高めたのかですが、もしも内源素操作を覚えさせたら下級術式くらいなら弾けるかもしれません。エリエス君とセロ君はまだ無理ですが。

 

「できれば犠牲者――いいえ、ケンカするときの猫みたいな髪型の子を量産させないように。先生、信じていますよ」


 ほぼ同時にクリスティーナ君とマッフル君が宿題を机に置きました。

 誠意が伝わったようですが、二人でニヤリとしないでください。一矢報いてやったみたいな顔されても困ります。

 宿題は当たり前にやってくるものですからね。


 宿題の内容は各教科を一つずつです。

 自分が生徒たちに出した宿題は第一試練までに覚えた術陣で好きな術式を作ってみましょう、でした。

 スクロールに描いて、実際に発動できれば合格です。


 ひどく曖昧で選択の限られる宿題ですが、これが結構、頭を使います。

 というよりも条件が限られているから頭を使うのでしょうね。


 ちゃんと調べるのは後にして、ざっと見るだけ見てみます。


 やはりというかエリエス君の術式が一番、基本を押さえた上で発展させていますね。

 ウル・フラムセンに分裂のアレンジで弾幕を張る形です。分裂の術陣を使っていないので高コスト低威力ですが実用性はあります。黄属性の速度は他の属性よりも早く、そして、目くらましにもなります。

 何を想定してこの構築なのか、そこは後で考えましょうか。


 次がクリスティーナ君。これはすぐにわかりました。ストライカーをしながら術式を使うことを想定しましたね。低コストに低負担で死角を守るための術式です。基本はリオ・ブラムロウ……、冷風の術式です。これにラダムの術韻を混ぜています。リオ・ブランラダム。近距離で外側に向かって氷の壁ができるものです。

 しかし、惜しいですね。良い発想ですが、まだ実用には程遠いです。


 無詠唱と合わせれば十分、使えるとだけ言っておきましょう。


 今までは無駄に華美な方向性にアレンジをしていたのに、役割を踏まえて変えた部分を評価しましょう。


 マッフル君のは……、もう少しですね。術式の理解がちゃんとできていないのか、えぇ、はっきり言いましょう。暴発します。近距離で盾に付与する術式です。衝撃と共に爆発が起きる仕組みですが腕ごと巻きこみます。火傷しますよ、これ?

 ですが、やはり発想は認めます。

 近距離戦での一対一を想定しているのはわかっていますし、後はもう少し考えればうまく使えるはずです。


 セロ君は……、まさかの物理結界のアレンジです。

 創作としての難易度は低いですが、アレンジだけなのに応用範囲はとてつもなく高いですね。

 定点防御に面単位防御、自らを覆うだけだった物理結界が見事な盾に変わってます。

 使い方次第では複数の相手を一気に制圧できますよ? その際、リリーナ君かマッフル君の手助けが必要でしょうが。


 それぞれがそれぞれの思想の元、ちゃんと考えて作っています。

 こうなるとリリーナ君の創作が少し気になりますね。


「リリーナ君。明日まで待ちますのでちゃんと宿題を『忘れずに』持ってくるように」

「……ふぁい、であります」


 まだ電撃でしびれているせいか、抑揚がありませんでした。


 後でじっくりと採点するとして、次は何を聞きましょうか?

 まだ半分くらい時間が余っているんですよね。


「まだ少し、時間がありますね。今のうちに騎芸の授業で何か質問はありますか?」

「はい」


 これに即、手を挙げたのはヨシュアンクラスの動物係、エリエス君です。


「馬を飼育するのに必要なものはなんですか?」


 知りません。

 牧場経営まではさすがに先生、専門外ですからね。


 それ以上にどこにツッコむべきでしょうか。

 飼う気があるところですか? それともどこで飼うつもりなのかという部分ですか? いえ、そもそも何になりたいんですかエリエス君。

 生徒の心がわからなさすぎて心配です。


「広い土地に食べ物と住むところです」


 一応、答えみたら『不満』の二文字が瞳に浮かんでいました。

 先生にだって知らないことがあると察して欲しいところですが、生徒はそんなこと気にしたりしませんよね。


 しかし、このまま『不満』の二文字を解消せずにいると、せっかく開きかかっている心を閉ざしてしまうかもしれません。


「まずエリエス君は馬にどうして欲しいかを考えましょう」

「……馬に?」

「馬は賢い生き物です。騎竜も同じですね。彼らには人の営みを手助けする仕事が与えられています。もちろん仕事ですから報酬ももらっています」


 報酬が生きる権利だと言うと自分が薄汚い大人に成り下がった気分になります。

 牧場はある意味、人のエゴと向き合う場所ですからね。多感な生徒たちに深く関わらせたいとは……、いえ、逆に真実を見せるべきでしょうか。いつかやったヤマバトの捌き方のように。

 迷いますね。


「飼育用は?」


 初めて聞く用法です。

 飼育するために飼うってことは愛玩用ですか? 馬を? ウルプールじゃなくて?


「えー、ちゃんとウルプールを飼いきってからしましょう」


 自分の答えもまさかの初めてでした。

 飼いきるって死ぬまでですか? 自分が自分に疑問を覚えましたよ。


「次から次へと動物を飼う予算はウチにはありませんよ?」


 お金を理由にダメという人は大抵、追い詰められています。

 つまり今、とても静かに追い詰められています。


「……わかりました」


 わかってくれて心の底から良かったと思いました。


「他に質問はありませんか」

「騎芸ってさ、乗馬とはどう違うわけ?」


 挙手もせずに聞いてくるマッフル君を怒ろうとしましたが、まぁ、ここで目くじらを立てるほどのことではありません。

 ここは言って聞かせましょう。


「挙手してから質問しましょうマッフル君」

「そういうのは明日から」


 よし、殴りたい。


「冗談だから拳握って爽やかな顔しないでよ。で、答えは?」


 最近、慣れてきたせいかたまにマッフル君はこういう感じで接してきますね。

 あれだけバカスカ、オシオキしているわりに懐いてくるというか、自然体というか。

 なんででしょうね?


 ですがびりびりハリセンを展開すると、イスから飛び跳ねてイスを盾にし警戒します。

 無駄に良い反応でしたね。


「乗馬は移動に使うための乗法ですね。騎芸は馬上で戦うことを主眼に置きます」

「馬上で、戦う? すれ違いに斬るにしても結構、厳しくない? 片手剣じゃ距離が足りないじゃん」

「そうですね。なので専用の得物を使います。実際に見ることになるでしょうが、大体が長物です」


 基本は槍や弓ですね。

 というか最初は弓だけでした。

 やがて、大剣や柄が非常に長い剣、打撃武器などの色々な創意工夫の後、突く力に負けない形に特化した騎士槍に落ち着きました。


「軍部だと騎士槍が主流ですね。しかし、傭兵などの在野の人は騎芸用に作った大型剣や三叉槍を使いますよ。鎖を使う奇異な方もいましたが、馬の利点を有効に使えるのならどんなものでも構わないというのが先生の意見ですね」

「槍かぁ……、苦手なんだけどな」

「いいえ。苦手かどうかはあまり関係ありませんよ?」

「どうしてさ?」

「一度、やってみればわかりますよ」


 こればかりは経験してからのほうがいいでしょう。

 きっと腕が辛いことになるでしょうから。


「他に質問は……」


 ゆらりと窓の近くで手が上がりました。

 地獄から這い出た幽鬼のような雰囲気はリリーナ君ですね。


「はぁ~い、であります~」

「何を気の抜けた声を出しているんですか。しゃきっとなさい」

「……先生にだけは言われたくないであります」


 よろよろと机を支えにして顔を上げたリリーナ君は消耗しきっていました。

 この後に響く力……、びりびりハリセンの威力が伺えますね。


「馬並ってどんな意味でありますか」

「君のように懲りない子のことです。以上」


 性教育は早まったのかもしれません。

 アレ以来、リリーナ君が容赦してこなくなりました。明らかにシャルティア先生のせいですね。提案者の自分も同罪なのは言わなくてもいいでしょう。


 後悔はいつだって良かれの後にやってきますね。

 生徒のためにと頑張ったのに……、レギィの押し気味のアプローチにも負けずに。


「クリスティーナ君とセロ君は何か質問は?」

「私は昔から乗馬を嗜んでますわ」


 馬に引きずりまわされた子とは思えない堂々っぷりでした。

 マッフル君がそれに笑いを噛み殺し――いえ、指差して笑い出しました。

 あと三秒くらいでクリスティーナ君がキレますね。


「はいはい、あの件はクリスティーナ君にも非があります」

「とにかく! 私は経験者なのですから質問するほどではありませんわ!」


 怒れるドリルをポンポンと撫でてやると、今度は頬を膨らませて黙りました。

 後はセロ君なのですが、ちょっと首を傾げています。


「あのぁの、お馬さんに乗るのですか?」

「えぇ、乗りますね」

「乗って戦うのですか?」

「そういう授業です」


 人形のように動かなくなったセロ君ですが突然、ニコリとしました。


「はいなのですっ」


 と、楽しそうな声で返事をしました。

 あぁ、これはまずい。何がまずいか予測も想像もできませんが間違いなく勘違いしている空気です。


「セロ君。ちゃんと先生、説明しますからゆっくりでいいのでお話しましょう」


 今すぐ誤解を解いておきましょう。

 この子の心臓が破裂する前に。


「はい! はい! 先生、はい! であります」


 復活したリリーナ君が主張を繰り返してきました。

 なんですか、この忙しい時に。


「リリーナ君。今はセロ君に説明をする時なので挙手は控えてもらえませんか」

「先生、外で馬と騎竜が走っているであります」


 自分はリリーナ君の言葉を少し吟味して、窓から身を乗り出しました。

 まだ暑い日差しの向こう、土煙と共にやってくるのは馬四頭に騎竜五頭、合計九頭が雄壮に学園に向かって走ってきていました。


「本当でありますよ?」

「えぇ、本当ですね。信じたくはなかったですがね」


 生徒たちも何事かと窓に張りつきました。

 隣からも声が聞こえているので横目で見たら他のクラスの子も窓に張りついていますちくしょう!


 玄関が破壊されるまではもう十数秒もありません。

 急いで飛び降りると同じように着地するヘグマントの姿がありました。


 自分とは違い、術式で着地の衝撃を殺しているわけでもありません。

 あの体重を支えきる強靭な足腰は流石ですね。伊達に鍛えているわけではありませんね。


「ぬぅん! どうする!」

「【殺戮線】で止めます」

「急停止すると先頭の馬が死ぬぞ!」


 もう目の前です。

 議論をしている余裕すらありません。


 なら、もう無茶をするしかありません。


 瞬間に展開した術式で暴走した馬と騎竜の進路に氷の道を作りました。

 直線に張るとそのまま学園の二階に――つまりクラスに馬が入園してしまうので、曲線を描いて大きく迂回させた後に校庭に戻す進路を取りました。


 後はもう滑って落ちるようなことさえなければ、問題ありません。


 その結果もすぐにわかります。


 氷の道に滑ることなく馬は来た道を戻っていきました。

 馬と騎竜の進行上に危険がないか見てみると、慌てている牧場主さんが走って……あ、向かってくる馬と騎竜に気づいて、手足をバタつかせながら横に逃げ出しました。


 ともあれ、止まっていた息を吐けるようになったのは幸いです。


「……で、アレは一体、なんだったんですか?」

「わからんな。ともあれ、良い機転だったなヨシュアン先生! まさか氷の道を作るとはな!」

「距離が足りなかったら殺すのも仕方ないと思いましたよ」

「うむ。しかし……」


 ヘグマントはコンコンと氷の道の側面を叩き、


「これはどう処理したものかね?」


 馬が誤って踏み外さないようにと大きく広げ、踏み抜かないようにと厚く作った氷の彫刻を見て、自分は首を振りました。


「馬の暴走記念なんてどうです? 溶けるまでそのままとか」

「面白い催しだが、そろそろ騎芸の実地が始まるぞ!」


 前半授業の残り時間を使って、壊して溶かしましたよ。えぇ。

 つくづく施工術式を使わなくて良かったと思いましたよ。

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