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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
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『眼』による光学探査は原始的

 昨日、性教育の講話をした【教養実習室】は少し見ない間に変わっていました。

 おそらくレギィが連絡を取ったと思われる神官さんの仕業でしょう。

 その神官さんはこちらを見て一礼するとさっさと自分たちを置いて、どこかに行ってしまいました。


 教会のマークの入った壁布が鏡や壁に張られ、部屋の中心部にはコゲ茶色の重厚なテーブル。その上に黒い大盤が置かれていました。


 この大盤が『十二の寓意』ですね。

 黒鉄の大盤に六色の砂が均等に分けられています。

 砂はおそらく源素結晶ですね。結晶を粉々にしたものです。


 そして、この大盤の縁に奇妙な紋様が刻まれているのですが――


「……まったく見たことがない術陣ですね」


 ――ON/OFF装置もなく、触っても動きやしません。


 金属の手触りというよりも硬い木の感触。

 この体熱すら伝わりにくい金属は、オリハルコン合金ですか?

 原石は確か緋色と黄金色でしたから、これは鉄と合わせていますね。

 むちゃくちゃな使い方……、とも言えないのが恐ろしい話です。


 オリハルコンは源素の流れを防ぐ力があり、触れるだけで燃えるほどの熱伝導率を持ちますが、何かが混じった時はその限りではありません。

 特に鉄と混ざると六色全ての源素と相性のいい【術源鋼】という鋼が生まれます。

 熱伝導率はなりを潜め、まったく寄せ付けなくなるため加工が極めて難しい鋼です。


 これは……、ちょっと削って持って帰ったらダメですか?


「本来、修練した神官のみが使えていたのです」


 しきりに観察している自分を見たレギィはヒントのような説明を出してくれました。

 なるほど、ある程度の術式技術がないと動かせないようですね。


 自分は触れたまま、意識して内元素を操作してみました。

 すると、ぞわぞわと砂が動き出し、源素結晶の砂が混じり始めます。

 あ、せっかく綺麗に分けていたのに。


「元に戻す場合は蓋をします」


 一気に料理みたいな会話になりましたが、まぁ、どうでもいいことですね。

 この大盤と同じ色をした蓋。

 本体の溝と同じ、しかし凸状の紋様がつけられています。


「蓋をすると溝が埋まって術式具の機能を防ぐわけですか。そして、その間に」


 レギィは蓋をした『十二の寓意』に触って、周囲の源素を操作し、六つの方角に偏らせました。

 そして蓋を外すと混ざる以前の、均等に分けられた砂に戻りました。


「確かに人手がいると言い出すわけです」


 本来、この『十二の寓意』の砂を元に戻そうとすれば、儀式場中央に置いてしばらく放置しておくか、さっき自分がしたように源素を操作し、砂を移動させなければならないようです。


 儀式場がなければ源素結晶でも代用できるかもしれませんが、たぶん、こっちはもっと時間がかかるでしょう。

 後はもう、人力で一粒一粒より分けるか。日が暮れるじゃ済みませんね非効率的な。


「これも本当なら六名の神官がそれぞれの源素を操作し、元に戻すのです」


 自分は六色を操作できますが、レギィは赤と黒が苦手だったはずです。できなくはないでしょうが疲れるはずです。

 レギィ一人で30回も六色の源素操作をするには少し大変でしょう。


「生徒たちはまだ源素の操作で『十二の寓意』を動かすほどの技量があったように見えません」


 ちょっとカチンときましたが事実ですので黙っておきます。

 結構、強めに流さないと反応しないんですよね、これ。


「なので私が生徒たちに波形を流し、生徒たちを通して内源素を大盤へ流します」


 【健康診断】で自分が生徒たちの骨格を看たのと同じ技術です。

 ただ、少し違うのは波形を使って内源素に干渉することです。


 これも以前、フリド君が毒虫にやられた時、自分がフリド君の内源素に干渉したのと同じ手法ですね。

 ただ、あの時は自分の内源素を使って、フリド君の内源素を掴みました。そして、術式を編みましたが、今回は別に体の中で術式を編む必要もないですし、内源素を誘導するだけなら外部から――皮膚の上からですね、干渉の技術でどうにかできるでしょう。

 幸い、近くに儀式場があるので白の源素が不足することはありません。


 ハッキングほどの操作力がなくとも、これくらいはできます。

 特にもっとも技量に優れたレギィなら。


「波形を流す途中でレギィは生徒たちの内源素を『眼』で見て、『十二の寓意』で答え合わせという手法ですか」


 ダブルチェックは基本ですね。

 生徒たちには、数学などで答えを間違えてないか調べる時、一度ではなく二度、試してみろと言っています。


 一度、チェックしただけだと誤差が出るかもしれないので、もう一度、調べさせるわけです。時間が許す限りという条件こそありますが、これだけでだいぶ正解率があがります。


 【適性】を調べるにしてもそうです。

 『眼』だとどうしても源素が合わさった時に光の具合で、色がおかしく見えたりします。

 例えば青と緑。混ざると光学的に水色っぽく見えなくもないですが、実際は混ざっているわけではありません。


 レギィの視点からだと源素が合わさって水色に見えているだけなのです。


 逆に緑と赤だと赤が緑を圧迫し、混ざりません。青が赤を圧迫して、黄が青を圧迫するなど、色々と複雑な源素同士の相性や相克が絡みます。


 『十二の寓意』がないとどうしても不確かな視点からの観測になり、個人の経験則に寄りがちになるのです。


 なくてもなんとなく理解できるので十分なのでしょうが、『十二の寓意』があれば顕著に動く砂の色と見えた内源素の色を見直して【適性】が正しいかどうかレギィ自身も正確に掴むことができるのでしょう。


 さらに正解から混ざっている源素の色を波形で意図的に排除して、生徒たちの中心にある色がどんな色なのか調べることもできます。


 【適性】を詳しく調べるための、客観と主観。

 この二つの差を利用しているのですね。


「ヨシュアン、楽しそうですね」

「そうですか? 興味はもちろんありますよ」


 その母親が子供を見るような目、やめてくれませんか?

 これは純粋な興味で仕事的な興味だってあるんです。


 つまり、ちょー楽しいです。

 やっべ、テンションあがる。


「レギィ、これおいくらですか?」

「非売品です。教会の保有する神器に何を考えているのですか」


 さっきまでホワホワした小さな花が回転していたレギィでしたが、一転してジト目になりました。

 いや、うん、そうですね、ちょー欲しいです。


「では始めていきましょうヨシュアン。最初のクラスは確かシャルティアさんのクラスでしたね」


 最初に入ってきたのはちょこんとカーテシーをするティルレッタ君でした。

 もちろん人形【エセルドレーダ】も一緒です。


「今日はお願いします……、うふふ」


 今日も絶好調ですねティルレッタ君。

 微笑んでいるのに何故か違和感がある笑みでした。


 最初の相手としては十分、不安ですが決まってしまったものは仕方ありません。

 例のごとく、一番が大好きなシャルティア先生のせいですね。


「では机の前のイスに座って『十二の寓意』の縁に触ってください。【適性判断】の後は少し内源素を使いますから、身体が気怠く感じますが少しすればよくなります」

「はい、ですの」


 『十二の寓意』を触らせたら、レギィがティルレッタ君の肩に優しく触れます。


「では始めます」


 レギィが『眼』を開いたので自分も『眼』を開きます。

 ティルレッタ君の肩から流される源素の波紋。内源素を『十二の寓意』に流すと同時に、内源素の中心部ともなる心臓を見ています。


 心臓の内源素は様々な色が複雑に入り組んでいます。

 この入り組んだ色の中でもっとも働いている内源素を確認するのです。


 人間であるのなら、エルフであろうともド・ヴェルグ族であろうとも、この中心部――【リジルの脈金】があります。

 【リジルの脈金】を心臓ごと破壊されると例え聖女の治癒術式でも治療ができないという話がありますが、本当でしょうか?

 少なくとも心臓が停れば人は死にますし、同時に【リジルの脈金】も停まるので重要な部分だとわかっていても詳しくはわかっておりません。


 自分の術式でも【リジルの脈金】だけを破壊したことはないですからね。

 試す機会を選んでいる暇があればいいのですが、まぁ、やる必要もありません。


 これも医学が発達すれば【リジルの脈金】の秘密が解けるのでしょうか?


 レギィに期待ですね。


 真剣な眼で【リジルの脈金】を見ようとしているレギィ。

 その傍で『十二の寓意』に変化が起き始めました。


 ゾワゾワと黒い砂が動き出し、他の砂を覆い隠し、何かの像を結んでいきます。

 まるで砂絵ですね。少し興味が出てきたので『十二の寓意』を覗きこむと……。


「うわ」


 素の声が出ました。

 ボサボサの髪だか角だかわからない人型に赤一色で塗られた顔、しかも目が笑っていないんですよ、これ。

 無駄に無垢そうに手足の関節を無視した形状……、それが四匹。深い影溜まりのようなものが足元に広がり、どこか血の滴る光景に思えてなりません。

 震える黒砂がまるでその登場人物たちを脈動させているようで、その、一言でいうと不気味です。


 確実に心に病を抱えているんじゃないですか、これ?

 

「黒……、【純血の黒】です」


 いや、題名をつけるのなら『人の心に住まう大いなる闇』とかそんなんじゃないですか?

 純潔というか無邪気というか、確かに無垢っぽい怖さがありますが。


「ありとあらゆるを受け入れる黒は時に貴方に降りかかる全てを取り込んで孤独にさせます。一人にこもりがちな代わりに貴方は全てを内に秘めてしまうのです。そんな貴方を象徴する寓意は――『大卵を抱える猫』」


 いきなり黒属性の適性持ちとは……、この子に限ってそんな気はしてましたけどね!


「『大卵を抱える猫』……、まぁ愛らしい。バナビー・ペイターでも居ましたわ、ルーシャン・ケイティのことね。とても大好きなの、うふふ」


 あぁ、あの毒にも薬にもならない戯言で物語を回す狂言回しの猫のことですか。

 何故かバナビー・ペイターは猫の言うことを真に受けて痛い目を見るんですよ。


「ティルレッタさん、貴方は黒と、そして赤の源素に【適性】があります。ですが、黒は危険な力でもあります。行使するつもりがないのなら、そっと閉めて静かに眠らせておくべきです。もしかしたら研究機関より声がかかるかもしれませんが、協力する気があるのなら無理な行使にだけは気をつけるように」

「ありがとうございますの、試験官様」


 そう言ってカーテシーをしたのあと、人形【エセルドレーダ】を手渡すように前に突き出しました。


「では次は【エセルドレーダ】もお願いしますの」


 ……もしも人形【エセルドレーダ】にも【リジルの脈金】があった場合、自分はこの場から逃げ去ります。

 絶対、この子には近づかない、絶対にです!


「お人形さんは調べなくても大丈夫ですよ」

「貴女も【エセルドレーダ】を無視するの!! 【エセルドレーダ】は人形だけど人間なの!!」


 レギィが地雷を踏みました。

 キンキンと響く声と血走る眼が怖いです、はい。

 なんとかして元に戻さないと……、この豹変に目をパチパチしているレギィはちょっと役に立ちそうにありません。


「違いますよティルレッタ君。君と【エセルドレーダ】君は一緒にいるでしょう? だったら【エセルドレーダ】君と君は一緒の【適性】でないとダメじゃないですか」

「あら? それもそうですわ、そうですわ。うふふ」


 問題のすりかえどころではありません。

 『一緒』というキーワードを強調して、とりあえず納得させただけです。


 でも、それだけでティルレッタ君は元の調子に戻りました。


「そうね、そうなのね、うふ。ありがとうございました」


 そういってティルレッタ君は扉を開けて部屋を出て行きました。


「びっくりしました」

「ですね。レギィは知らないかもしれませんが、あの子は間違って触れると爆発するので注意してください怖ぇです」

「……それはどう注意するのですか」


 そして、次の生徒が来る前に蓋をして、砂を元に戻さねばなりません。

 こうしてレギィが波形を打ち、自分が砂を元に戻します。


 一クラス、二クラスと終わっていくうちに少し思うことが出てきました。


「この砂、元に戻す必要あるんですか?」


 源素操作するだけですが、六色同時でしかも生徒の数だけやるとなると、非常にめんどくさいです。


「混ぜたままだとうまく絵にならないことがあるそうです。そうでなくても人の心の一端に触れるのですからヨシュアンも敬虔な気持ちと謙虚さを忘れてはいけません」


 なんででしょうね。

 心の底からレギィが言うなと言ってやりたいです。

 ある意味、敬虔と言えなくもありませんが。


「ヨシュアン、ちゃんと聞いてますか?」

「はいはい、わかりました」


 元気そうなレギィですが、レギィも徹夜しているのです。

 自分と同じような倦怠感があってもおかしくありません。

 どうせ自分にわからないように隠しているのでしょう。


 疲労回復といえば睡眠、かるいストレッチ、疲労回復薬などの薬に入浴です。

 こうしたものは娯楽に関わってくるものが多いですね……、娯楽ですか。

 まぁ、今はいいでしょう。


 クラスが一度終わると次のクラスへの連絡のため、少しだけ時間が空きます。

 次はヨシュアンクラスですがヘグマントの授業を受けているため、空き時間も少し長いですね。

 この時間に少し疲れを癒す方法を考えてみましょう。


 リィティカ先生謹製の『女神の汁』がありますがあげるわけにはいきません。

 断じて! 誰かに! あげるなんてもったいないとか! そういうのではありません!

 しかし、差し伸べないとリィティカ先生は悲しまれるでしょう。

 世俗に愛の手を差し伸べる女神リィティカを信じるものなら、か弱き子羊にもまた手を差し伸べるのが信徒の教義です。


 独り占めしたい気持ちと教義が……、このジレンマが信仰の道ですか。


「ヨシュアン? 何故、血涙を?」

「信仰に殉ずる痛みに咽び泣いていただけです」

「……もう一度、ヨシュアンの心をよく知る必要がありますね」


 じぃ、とこっちを見るレギィはともかく、別の意味でも薬はあまりよろしくありませんね。

 女性は月のもので鎮痛剤を使う人もいますし、疲労回復薬と変な混ざり方をしてしまうと余計に辛くなると聞きます。

 無闇に薬を勧めるわけにもいきませんし、常用されるようなことがあれば将来的にも困るでしょう。ただでさえ24歳なんですから。


 なら代わりに何ができるでしょう?


「レギィ、疲れてませんか? マッサージ……手技療法くらいしかできませんが」

「しゅ、手技法!?」


 あれ? なんでこんな過剰反応をするんでしょう。


「しかし、そんな、ヨシュアンが望むのなら私もこの身を差し出すことも」

「生贄でも差し出すような言い方しないでください。というか何を考えているんですか」

「シャルティアさんがおっしゃるところ……、殿方は女性を喜ばせる手技法ができるとヨシュアンもそのつもりかと……、いえ、その覚悟はできていますが、こんな生徒たちが来るかもしれない場所でいたすだなんて……」

「違う意味だ! あと何故そんな急角度な間違いができんだよ!」


 素に戻りました。

 あぁ、自分もかなり徹夜が響いてますね。


 さっきから素を抑えきれていない自覚があります。


「シャルティア先生の講話はどれだけ影響力があるんですか」

「……それは殿方には秘密ですっ」

「とにかく疲れてますよね? 手技療法はどうですか性的な意味を含みません」

「若干、刺はありますが、そうですね。お願いしてもいいですか?」


 ちょっと申し訳なさそうな顔をした後、嬉しそうでした。

 何故、嬉しそうなのかはわかりませんが、まぁ肩くらい揉んであげましょう。


 レギィの後ろに回り、手を出そうとした瞬間――


「入りますわ」


 ――ノックと同時にクリスティーナ君が入ってきました。

 そして自分とレギィを見ると途端に顔を真っ赤にし始めました。


「なななななな、何をしてますの! 先生!」

「いえ、手技療法ですけど?」

「手技法!? そのようなハレンチ極まりないことをこのような場所で!」


 ツカツカと迫ってきたので頭を抑えてみました。


「もしかしてシャルティア先生の講話ですか」

「やはり殿方はそのような手業を使って女性を篭絡するのですわね!」


 それにしてもまたシャルティア先生ですか。

 というかシャルティア先生、今回の功罪は大きいですよ、絶対に。


「シャルティア先生の言ったマッサージは性感手技法です。本来というよりも元々、手技法は按摩することで血管の流れを良くして、疲れを取るために使われるものです。貴族ならそうした医者がいるくらい、知っているでしょう。それに民間にも文化としてしっかり根付いています」

「シャルティア先生はそうはおっしゃらなかったですわ!」

「それは性教育の講話だからです。そうした文化の面は大人にならないとわからないでしょうし、クリスティーナ君がどのように過ごしてきたかを考えれば、わからないのも無理もありませんが」


 むぅ~、と睨みつけてきますが事実なものは仕方ありません。


「本当にハレンチなことをしようとしたわけではありませんのね」

「仕事中にするわけないでしょう。常識ですよ」

「仕事外ではするのですわね!」


 とりあえず一発、オシオキしておきました。

 頭に血が昇りすぎて理屈が飛んでいたからです。


 仕事に影響がないなら私生活で何をしようが個人の裁量でしょうに。


「ヨシュアン、殿方がそのようなことを抑えられないことくらいは知っています。ですが……」

「あ、もうそれ以上言わないでください。はい、クリスティーナ君も来ましたし【適性判断】を始めますよ」

「手技法……、いえ、わかりました」


 何故、しょぼんとするのですかレギィ。

 まぁ、どうせロクでもないことですね。


 痛みで悶えるクリスティーナ君の首根っこを引っ捕まえて、イスに座らせると涙眼に睨んできました。


「授業外の勉強も色々と必要そうですね」

「ぐぬぬ……、私のせいではありませんわ! 紛らわしい先生がいけないのですわ!」


 唸らないの。あと謝んなさい。

 まぁ、大事なことだけはちゃんとごめんなさいできる子だから、許しはしますがね。


「高ぶらないでください。心を落ち着かせて、身体の力を抜いてください」


 クリスティーナ君は肩を触られた瞬間、ちょっとだけ肩を怒らせました。


 クリスティーナ君的にはきっと複雑なんでしょうね。

 決闘に勝った相手がこうして【適性判断】ができるくらい神官として高く在り、そして、まだクリスティーナ君はそんなレギィに敵わないことが。


 それでも、黙って言うことを聞くくらいにはちゃんと敗北を自分のものにしたようです。

 それはきっと、この前の冒険者との戦いも一役買っていることでしょう。


 そんなクリスティーナ君の心の断片は、広がる青の海原です。

 ただ広いだけの空虚な光景ではなく、輝く太陽に照らされた明るい凪の海です。

 若干、空が緑かかっているところから緑属性にも適性がありそうですね。


「静寂のように落ち着いた広い海、まさに【海原の青】に相応しい光景です。表面上は静かな海も底にはうねる力強さがあり、全てを飲み込みながらもそう在る形はどんな周囲の生命も取りまとめ生命の糧とします」

「以前、見たものとは少し違いますわ」

「それはクリスティーナ子爵がヨシュアンの授業を通して、己の力をよく知り始めたからです。心は変化するものです。戸惑わないでいつか見た貴女の海を思い出しなさい。凪の海ではありますが時には高く山を越えるほど高くなる――そうした可能性を秘めた寓意は」


 どこで寓意を調べているのかと思ったら、『十二の寓意』の一部に源素が不思議な動きをしています。

 踊るような、震えるような不思議な躍動はずっと『十二の寓意』の隅から動きません。

 おそらく、この現象と寓意を教義で解釈しているのでしょう。


 一種の暗号ですから自分にはわかりません。


「『いさめる女帝』。ですが古来より女帝は傲慢さの裏側でもあります。努、己に慢心せずその道を進みなさい」

「いさめる? クリスティーナ君が?」

「何かおっしゃいまして?」

「いえ、散々マッフル君と喧嘩しておいて諌めるとは……、どうしたものかと思いましてね」

「それは私のせいではありませんわ! あの愚民が小憎たらしいことばかり口にするから」


 それを煽っているのもクリスティーナ君でしょうに。

 本当はマッフル君を認めているくらい、わかっていますよ。

 何故なら、喧嘩というのは同じレベルじゃないとできませんからね。


「青と、それから青と混ざるように緑の源素も見えました。この二つが貴女の【適性】です」

「……ありがとうございました」


 カーテシーをして、でもビシリと指を突きつけたので、指を上から叩いてあげました。


「指を差さない」


 複雑な顔、しないの。


「……ともかく! 今度こそ貴女に勝ちますわ! 私はもっと高く、そして貴方たちのような高みまで登りつめますの。それが私、クリスティーナ・アンデル・ハイルハイツ、アンデルの名を戴いた者としての務めですわ」


 レギィはとくに何かを気にした風もなく、


「お待ちしております、クリスティーナ子爵」


 にっこりと微笑みました。

 その笑顔を余裕と受け取ったようでクリスティーナ君は肩を怒らせて部屋から出て行きました。


 余裕も何も、余裕なんですけどね、実際。


「そう逸らなくてもすぐにその場は訪れると思いますが」


 これはレギィがクリスティーナ君を買っている、ということですかね?

 すぐにでもクリスティーナ君がレギィの元までたどり着くと……、それはちょっとおかしいですね。


 自分の見立てだとクリスティーナ君がレギィと同格になるまで、一年では済まないと思うのです。

 このまま教育を施しても三年以上。

 それもクリスティーナ君が貴族の地位やそのための仕事や社交の務めを捨てる必要があります。


 すぐというほどではありませんし、かと言って才能がないわけでもありません。

 人間的な意味はどうか知りませんが、少なくとも女としてでないことは確かです。


 クリスティーナ君は間違いなくクライヴが好みですから。

 レギィのように自分を男性とは見ていません。

 まぁ、生徒と恋愛することは絶対にありませんけどね?


「クリスティーナ子爵の【適性】は中々良いものでした」

「自分はあまり、その辺に詳しくありませんが基本的に広く、大きく、そんな象徴が現れると良いんでしたっけ?」

「絵としての繊細さや鮮明さもその者の【適性】を測る一助になるでしょう。もっとも【適性】は才能と同じではありません。あくまで源素との相性です」

「ですね。自分、これでも教師ですよ?」

「ヨシュアンでも知らないことはあるでしょう? 特に白や黒の術式はあまり知らないはずです」


 確かに白でまともに知っている術式結界と復元、召喚、それとレギィがよく使うので覚えてしまった加重くらいです。

 黒も物理操作までは使えません。

 重力操作か障壁、結界くらいでしょうか?


「ヨシュアンが望むのなら白の上級までなら、教えられます」

「徹夜でなければ喜んで」


 どちらも下級か、あるいは上級ギリギリばかりです。

 あまり黒は使いたくないので覚えるつもりはありませんけどね。


「次はマッフル君ですね」


 ちょうど良いタイミングでノックの音が響きました。


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