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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
151/374

5.700℃の夢

 ――夢を見ました。


 ソレが夢だと気づきながら、決して自分は目を離せなかった。

 久しぶりに舐めた血の味のように懐かしい夢でした。


 ソレはそう、かつての自分です。

 自分の戦闘スタイルから導き出された最適解――肌に張り付くような多関節鎧を纏い、ローブの袖には黒鉄の鋼鉄板を縫い付け補強し、腰には大剣でも細剣でも曲剣でも小剣でも長剣でもない、しかし、形状は確かに剣としか言い様がない、ひたすら奇妙としか言えない武器がくくりつけてありました。


 その武器は、自らを悪夢に変えるためだけに作り上げた、この世に一つしかない最悪の刻術剣【愚剣】です。


 今の自分との違いは、あまりありません。

 せいぜい、若いと思う程度です。


 ただメガネがない。


 その頃の自分はメガネだけはかけていませんでした。


 ローブのフードを深くかぶって、うつむきがちな姿勢に目だけは睨めつけるように上を見ていました。

 おおよそ柄がいいとは言えない、その姿に我が事ながらタチが悪いと思います。


 こうして第三者の目から自分の姿を見ることなんて、絶対にないでしょう。

 まるで自分が何か、そう、観測者にでもなったような感覚。

 夢という虚栄の権利でしか見ることのできない、絶対不可視の光景。


 だからこそ、これが寝ている最中の出来事だと気づきました。


 あの頃の夢なんて滅多に見ないはずなのに、どうして今頃になって見ているのか。

 答えよりも夢の光景が気になり、注視してしまいました。


「第二タラスタット……」


 煙によって低くなった灰色の空。

 大寒波の影響で荒れた丘陵、少ししかなかった緑と茶の斑模様だった丘はべったりとこびりついた黒ずんだ死体と焼け跡、ひしゃげた鋼によって色積んでいました。


 その煙に紛れて、無数の黒い虫が足元を低く飛び交い、流れた血に浮かぶ白い蛆を容赦なく踏み潰しながら、自分はいました。

 吐き気がするほどの人の焼ける匂いに、鼻はとうの昔に麻痺して何も感じない。


 血の河を進みきった対岸で、ふと気づけば誰かが倒れています。

 飛び回る蠅を無視しながら近づくと、その正体に気づきました。


 赤い、真っ赤な血を流す跳ね髪の女――メルサラが倒れていました。


 しかし、自分は、いえ、夢の自分は……紛らわしい。

 アレをそうですね、『俺』と呼びましょうか。


 『俺』はメルサラに一瞥すらくれず、まだ奥で戦う悲鳴の音へと向かっていきました。


「東錦宮……」


 次は砦。

 中程からポッキリ折れた槍が捨てられ、大地に突き刺さり、十字架のように立ち並ぶ防壁。

 足元は篭城戦の時にバラまいた熱した油に火がつき、いつまでも地面が燃え続けていました。


 質の悪い油が燃える匂いは粘っこく、鼻の奥が真っ黒になるのを覚えています。

 この頃、肺すら黒く濁りそうな空気に嘔吐くような感性はもう、ありませんでした。


 ひしゃげた門から外に出る『俺』。


 転がった死体もひどいものでした。

 投げ出された手足。その全てが十全な形をしていないのです。

 確実に何かが欠けている、そんな部品がゴロゴロと転がり、自らの血脂でドロドロになってしまっています。


 破裂した人の体からあふれる、糞尿の匂いは肺に入った瞬間、異物と感じて嘔吐くほどの悪臭でした。


 もっともおぞましいのは、石造りの城壁が無数の穴を開けていることです。


 自分の作った【火榴燈】によってできた大穴です。

 

 その光景に『俺』は酷く狼狽したような、格好の悪い顔をしていました。

 それでも足だけは止めていませんでした。


 足を止めれば、もう二度と動けないという強迫観念に駆られていた、ように思えます。


 その足元には……、【嘲笑う緑石】と呼ばれた生き物が転がっていました。

 複数の生物の部位らしきものがバラバラに引きちぎられ、本体たる胸に大穴が空き、氷の刃で全身をズタズタにされた姿は間違いなく、自分の仕業でした。


 歩けば歩くほど変化していく光景。

 その全ての共通点は火と黒ずんだ死体、蠅、蛆、壊れた物々でした。


 そのうち、『俺』の焦点はフラつき、ゆらゆらと体を揺らしています。

 唇が乾き、肌が乾燥し、血色の悪い姿は脱水症状ですね。


 自分の脱水症状を外から見る経験はそうないでしょうね。


 珍しい感覚に少し新鮮さを感じながら、はて? 何かおかしいと気づきました。

 時系列が無茶苦茶なのはわかります。


 何かが綻んでいます。

 その何かは、一瞬で失われてしまいました。

 気のせいだったのでしょうか。


 第二タラスタット平原の戦の次に、跳んで東錦宮の篭城戦まではわかりますが、そこからがデタラメです。

 さすが夢。理論なんてソッポ向いています。


「あぁ――ここは」


 そこは今までの黒と赤と死体の景色とは打って変わって、明るい森でした。

 適度な木々に遮られることが少ない陽の光が地面を照らし、チロチロと水の流れる音が聞こえます。


 今までと比べると天国のようですね。


 甘い水に惹かれる昆虫のように『俺』は足を動かし、小さな湖を前に倒れました。

 あぁ、惜しい。


 自分を置き去りにして世界は急激な反転、真っ暗な世界を写したと思ったら、次の光景は同じ森でした。

 近くにはあともう少しでたどり着けたはずの湖もありました。


 さっきの続きのようです。


 ただ違うのは一人、登場人物が増えていました。


「レギィ、若いですね」


 なんというか今のレギィが老けているとかそんなことではありません。

 強いて言うなら、その美貌が完成されている今のレギィに比べて、その頃のレギィは可愛らしさがあったと思います。

 まぁ、その頃、レギィはまだ十七歳です、十七歳。

 自分は十九です。二十歳前ということは……、こっちに来て半年も経ってない頃じゃないですか。


 第二タラスタットよりもずっと前の話ですね。


 あの頃は確かに多関節鎧なんてなくて、【愚剣】もなくて、ただあのローブだけをつけていました。


 若レギィは倒れた『俺』をじっと近くで眺めていました。

 『俺』の顔の横に手をつき、上からじっくりです。

 この人、寝ていた自分になんて体勢で覗きこんでいたんでしょうね?


『ひどい……、どうして』


 小さく動く口を読んでみました。


 どうしてと言われましても。

 あー、確かこの時は……、初めてバカ王に言われて戦争した時でしたか?

 遊撃に組みこまれて、単身で敵の大将首を狙撃して、その帰りに追撃されたんです。

 大立ち回りしたのは良いものの、帰り道がわからなくなって森の中を彷徨っていたのでした。


 中々、水源にたどり着けず丸一日過ごして、とうとう足元も覚束なくなったわけです。


『怪我してる……、この人、騎士でもないから反乱軍の』


 犠牲者とでも思っているようですが、この時は立派な当事者です。

 当時は革命軍ではなく、反乱軍なんて呼ばれていましたね、懐かしい。


 しかし、夢の中なんですからあの人、あの人出してください。

 たまには顔を見たいのです。見たら泣きそうになるかもですが、それでもです。


『どうして戦うのです? 戦うことは哀しいだけなのに』


 戦わないと飢えて死ぬからです。

 でも、この頃のレギィは何も知りませんでした。

 民草が何を食べ、何を見て、何に涙を流しているのか、彼女は知る術を持ち得ませんでした。

 だから、自分は彼女を世間知らずと言ったものです。


 やがて目を覚ました『俺』はこの時、初めて若レギィを見て、


『……誰だ、お前』


 と一言、呟きましたとさ。

 若レギィから見ればお前こそ誰よ、って話ですよ。


 初めてレギィと会った頃の話ですね。

 そして光景はまた変わっていきます。


 もう場面の転換にも慣れました。


 そこは花畑でした。


 内紛が始まる前――寒波の影響はあっても、まだ辛うじて人が暮らしていけるほど細々と出来た頃です。

 あの日、無茶な重税を払いきれず、奴隷狩りがやってくるまでは。


 その日が来る前の、ほんのささやかな平和だった時間。


 花畑の真ん中に、簡素なリンネルのエプロンをつけた、どこにでもいる普通の少女がいました。


 その姿に自分は、息を飲み、体を硬直させてしまいました。

 いえ、夢の中でも会いたいとは言いましたが、まさか本当に出てくるとは思わず、心の準備もままならない不意打ちでした。


 レギィを月の華と例えるなら、彼女は太陽の下で輝くタンポポのような人でした。


 綺麗な顔立ちではありませんが、見る者を優しくさせるような愛くるしさと可愛らしさ。

 腰まで届く小麦色の髪色を流れるままにし、先だけ黒いリボンで束ねてあります。

 珍しい金色の瞳に泣きボクロ。

 あと胸も大きかったです。17歳とは思えないくらいには。


 外見は非力なのに、誰よりも心の強かったあの人。


「フィヨ……、あぁ、ものすごく元気な姿ですね」


 久しぶりに見た彼女の姿は、今の自分が見るにはあまりに眩しすぎる姿でした。

 どこにでもいる、変哲もない少女に心解かれるように意識が弛緩し、その『彼女が生きていた道』を思い出して眉根を歪めました。


 フィヨ。

 フィオユトリィという、不思議な名前の彼女を自分は『フィヨ』と呼んでいました。


 今でも自分の心を縛り、片隅にいる少女。


 彼女は誰かの声に気づいて顔を上げ、そして、ニコリと微笑みました。

 

 彼女の声はありません。

 でも唇はこう動いていました。


『――ねぇ、ヨシュ』


 彼女は自分を『ヨシュ』と呼んでいました。

 ヨシュアだとやんごとない身分の人みたいでダメ、という理由でした。

 未だに意味はわかりませんが、彼女の中で納得している非論理なのでしょう。


『赤ちゃんってどこから来るのかな?』


 全身全霊で脱力しました。


 何故、数多の記憶の中からピンポイントでこの場面を選んだんですか?

 他にもあるでしょう、キスシーンとか抱きしめてるシーンとか。


 あぁ、もう、なんていうか、そうですね。

 もう何も言わなくてもわかると思います。


 恋をしていました。

 

 自分はこの少女に恋をし、生涯を共にしたいと願い、愛を育んでいました。


 七年前に初めて出会ったあの日から、ずっと。

 彼女の隣にいると幸せで、なんでもないことなのにムズ痒いほど嬉しかった。

 彼女のことはなんでも知りたかったし、行き過ぎた想いが逆に彼女を傷つけることもありました。

 その度に『伝家の宝刀チョップ』で窘められました。


 彼女の気持ちがわからなくて、困って、何故、わからないかと憤慨しました。

 彼女のちょっとした言葉に跳ね上がるほど嬉しいくせに、全力で表に出さないようにしていました。


 当たり前だった気持ちをぎゅっと詰めこんだような想いを抱いていました。


 全てはもう取り返しのつかない過去のこと。


 こうして夢の中とはいえ、問いかけたい気持ちを抑えきれません。


「貴女が今の自分を見たら、また傷つきますかね? 君を理由に人を殺し続け、戦争が終わっても殺し続けた自分を、傷ついて、でも、また君は許してくれますか?」


 彼女ははにかみ、そして、そっと唇を動かしました。


『きっと素敵なことなんだと思うの』


 そう言って見せてくれる花のブーケは、過去の自分に向けてのこと。

 今の自分ではありません。


 話なんてできるはずもありません。

 それが何故か、とても残念なような、ホッとしたような不思議な気持ちになりました。


『パパがいてママがいて、私がいるみたいに。だからヨシュが言えないことなら――』


 もう少し見ていたい気もしましたが、自分は背を向けました。

 思い出は夢のように美しくあって欲しい。


 ここでもし、次の場面で彼女の結末を描くことがあったのなら。

 また自分は酷く落ちこむでしょう。


 大人だから目を背けることを覚えた自分です。

 君を直視できたのは、まだ若かったからです。

 若かったから、憎悪して、怒り狂いました。


 それが例え、間違った強がりだったとしても。


「――間違ったらやり直したらいいんだよ」


 そう言われた気がして振り返れば、もう次の場面に移るみたいです。

 強風が花を散らし、視界を暗く遮ります。


「それは無理ですよ」


 彼女の面影が映った闇の中、自分はそっと呟きました。


「だって、君はもう、死んでいるのですから」


 やり直すもへったくれもありません。

 その機会が訪れるのはいつだって生きている人だけの特権なのです。


 行き場のない感情にそっと蓋をして、取り残された余韻はため息と共に外に出してしまいました。


 いいんです。これで。

 どうせ夢です。ただの記憶です。


 ただ、こうも思います。

 最近では顔も忘れそうな彼女の姿をもう一度だけ、見ることができた。

 それだけで十分だったのではないかと。


 それだけで、この夢に価値はあったんじゃないでしょうか。


 でも、どうやらこの夢はまだ続くようです。

 忙しない限りですが夢までは操作できません。


 次の光景を見て、自分は息を飲みました。


 まだ記憶に新しい四年前。

 これは……、内紛の終結を決定づけた最後の戦いの光景でした。


 死体。死体。死体。

 炎。炎。炎。

 流血。流血。流血。


 革命軍と国軍の戦死者が横たわる通路を歩く『俺』。

 ヌメる石畳を踏みしめ、死体を踏みつけてでも戦わなければいけない相手が先にいました。


 誰もが国を思いながら、誰もが幸せを望みながら。

 今日のこの日まで戦い続けた終端。


 だけど、その結果は?

 ささやかな明日を奪われた彼らの、屍しかない大広間でした。


 何がある? 死体です。

 望み、叶えられなかった戦死者です。


 何を見た? 滅びです。

 飢えて死ぬ同胞の願い、その悔しさと同じ気持ちで向かい果てた挑戦者です。


 その願い、その全てを踏みにじり血の池に佇む、はためく黒コートの麗人。

 無機質なまでに感情を表さない、レギィと同じ銀の髪を持った青年。


 今代【タクティクス・ブロンド】でありながら、既にこの時、【タクティクス・ブロンド】の号を持っていたリスリア王国最強の存在。

 現在ですらその称号は霞んでいません。


 その姿を見た『俺』は、激情を燃やし、今すぐにアレを殺したい衝動を無理矢理、押し殺して対峙します。

 激情だけで殺せる相手ではありません。

 激情は術式の糧にして、純粋な殺意を方向性に定め、心の理を解き放ち、この世の全てを武器にしてようやく対等。


 そんなイカれた相手です。


「嫌なヤツが夢に出てきましたよ死ね」


 自分は黒コートのゴキブリ野郎の姿を見て、苦虫を噛み潰しました。


 こいつ、心底嫌いなんですよね。

 もう、何がムカつくって全てです。

 所作も出自も姿も性格も過去にやったことも、何もかもが気に食わない。


 【凍てつく黒星】ジグマルド・ヴォーダン。


 この世でもっとも嫌いな男です。

 訂正します。


 この世でもっとも殺したい男です。


 これでレギィより年下で、この時は自分は二十二歳、レギィは二十歳、このクソ野郎は十九歳でしたっけ。


 自分は革命軍で、こいつは王国軍。

 殺したいほど憎んでいるとなれば、後はわかりますね。

 このあと、殺し合いをしました。


 結果だけを言いましょう。

 自分が勝ちました。


 ただ、そうですね。

 ここからがきっとこの夢の本題なんだと思います。


 わざわざこんな夢を見たのも、きっとここからが本番なのでしょう。

 そんな予感が自分にありました。


「さて、一体全体、これはどういう示唆を含んでいるつもりなのでしょうか」


 そして、予感を頷けるように戦闘シーンがカットされました。

 夢の世界も無常ですね。

 反転された世界の後になったのは……、あぁ、今見て初めて気づきましたけど。


 自分たち城内の大広間で戦っていたのに、屋外にいますね。

 いえ、屋外というより『屋外になった』というべきですか。


 外壁も天井も床すらも原型を留めていません。

 ペンペン草一つ生えてませんよ、我がことながら顔が引きつります。


 広場にあったはずの死体は……、すみません。

 たぶん、消滅したでしょう。影すら残っていないと思われます。


 それどころか城の向こう側まで、もうバッチリ瓦礫の山です。

 唯一、ラスボスのいるだろう尖塔だけは残っていましたね。


 この時、あそこにはバカ王がいたはずです。

 バカ王も己の宿敵と相見えていたのですから。


「……これ、弁償を要求されなかっただけ、良かったのかもしれませんね」


 嫌なことを思い出して、すぐさまその思考は弾き出しました。

 実際、城の構築費なんて出せませんよ? やりたい放題しましたが。


「さて、記憶通りなら」


 大穴の底で倒れているジグマルド。

 そして、同じ場所で体中、血を流し痙攣しながらも立ち、【愚剣】を握りしめている自分。


 相手はもう意識を失っています。

 自分はギリギリ、意識を保っていたと思いますが、どうでしょう?


 こうして第三者の視点から言わせてもらうと、どうして自分、立っていられたのでしょうか不思議で仕方ありません。

 明らかに何本も骨が折れてますし、内蔵も相当ヤバかったはずです。

 顔も腫れ、腕や足なんか切り傷や衝撃による打撲で、紫色やら赤色で途方もなかったです。

 出血量は死ぬレベルでしょう? これ。


 本当に意識があったのか不思議ですね。

 正直、自分もこの辺はよく覚えていません。


 ですが、それでも重たい足を引き摺って『俺』はジグマルドに向かっていきました。

 殺意だけで体を動かしていたようです。

 もちろん、トドメを刺すつもりです。


 よし、殺ってよし。


 自分が『俺』相手にシュプレヒコールを送っていると、『俺』を後ろから抱きしめる誰かがいました。


 彼女の白いドレスは煤で汚れ、足も怪我をしています。

 それでも、その声で『俺』は気づきました。

 自分はその後ろ姿で気づきました。


 若レギィです。


「―――」


 何かを口にしているような動きがありましたが、『俺』の背中にぴったりくっついてしまっているので、どうにも見えません。


 ちょっと見やすい位置に移動してみることにしました。

 結構、色々、動けたことに驚きましたが、まぁ余談でしょう。


 怪我人相手に全力でしがみつき、涙を流すままにしているレギィの表情を、自分は初めて見ました。

 この時の『俺』はジグマルドの倒れた情けない姿しか見てませんしね。


 憔悴していても『俺』の憤慨の表情が見て取れます。


 自分、この時、レギィすら引き剥がせないくらい弱ってましたからね。

 あと全力でしがみつくレギィのせいで地味に体が痛かったことは、ちょっと覚えてます。


 レギィの白いドレスは自分の血で、真っ赤に染まっていきました。


『私が! 私が代わりに死にます……から、どうかジグマルドを――』

『ふざけんな……ッ!』

『――弟を、許してくださいっ』


 どうしろっていうんでしょうね、実際。


 今、思い出しても理不尽極まりない要求です。


 レギィに恨みなんてないんですよ。


 フィヨとも仲が良かったですし、友達だとも言ってました。

 だからフィヨの友達を、自分は殺すことも傷つけることもできませんでした。

 そこだけは辛うじて自制していました。


 自分と同じ、残された、フィヨとの繋がりを持つ人なんですから。


 その若レギィが弟という理由で、殺すなという。


「フィヨを殺したのはこいつでしょうに……、虫がイイにも程があります」


 ジグマルドを嫌う最大にして焦点はこの一言に尽きました。

 未来永劫、許す気はありません。苦しんで死ね。

 鉄仮面みたいな表情の乏しい顔を歪めて死ね。


 その気持ちでいっぱいです。


 でも、それでも、です。


「自分は――」


 『俺』は彼女の一言に怨嗟の声を吠えあげました。

 理性も何もない、感情のままの憎悪の言葉。


 ふざけるな、死ね、苦しめ、どうしてお前は大事なものを持っているのに自分は全部失わなければならない、お前も苦しめ、お前も失え、お前も、お前も、お前も……。


 そんな醜い、見るに耐えない情けなさ全開の言葉でした。


 ですが本心です。

 それはたぶん、あの内紛で参加した革命軍の全員の代弁でもあったと思います。

 ルサンチマンの極みだったと思います。


 ただレギィのしゃくりあげる喉の動き。

 訳も分からず流れる『俺』の涙。


 殺意やら憎悪やら怒りやら、もう何がどうなっているのか己自身もわからないまま。

 首を差し出しているレギィに対して、『俺』は【愚剣】を向けていました。



 その手から【愚剣】が落ちて。

 


 力なく膝をつき、倒れることもできずに天を見上げました。


 殺すだけの、最後の力だったものを、全部、怨嗟の言葉に変えてしまったから。

 もう一歩も動けなかったのです。


『ごめんなさい……ごめ、なさい、ヨシュアン』


 逝くことも、往くこともできず、袋小路のような場所に無理矢理、立ち続けていたんです。

 その姿に若レギィもすがりつくすらできず、地面に面を向けて嘆き苦しんでいました。


 その気持ちは間違いなく、かつての自分の気持ちでした。

 ボタボタと『俺』とレギィの涙を流れるままにして、この日。


「結局、殺せなかったんですよね」


 内紛は終結したのです。


 大事なものは根こそぎ奪われ、殺され、何一つ果たせなかったあの戦争。


 そうですね。

 四年経った今でも自分は、数多の問いかけの一つとして、どうして殺さなかったのかを問い続けています。

 サクッとやっておけば、稀にあのムカつく男と顔を合わさずに済んだのに。


 どこかから流矢でも飛んできて当たってくれませんか?

 あそこで呑気に大怪我している、ジグマルドにですよ。


 あと、この光景を四年越しに見るのは、ちょっと止めてください。

 なんというか欝々してきますからね?

 地味に今とテンションが違うので自分じゃない感がハンパないです。


 若かったんですね、自分も。

 わずか四年前の話なのに。


 心底、音声がなくて良かった……、ん?

 なんでこの夢、音が一切しないのでしょうか?

 なんだか妙な気配がしますが、まぁ、いいでしょう。


「実際、よくある話なんです」


 この頃も今も、殺し殺されて、恨み妬み、殺意を抱いて、でも、できなくて。

 そんなどこにも行けない人間は居ます。

 そこらじゅうにいるでしょう。


 自分だけが特別ではなかった。


 それだけは間違いないことです。


 内紛が終わってしまった以上、もう自分とジグマルドは戦えません。

 理に反する行為でしょうし、バカ王が変えたリスリア王国にとって、自分とジグマルドが出す被害はバカにならないのです。

 全力戦闘の結果、城一つが消えたとなれば誰だって止めますよ。

 自分以外の誰かがやってたなら、まず止めに入ります。


 せっかく平和になって、飢えも少なくなって、やっと穏やかな日々を送れるのに。


 そんな、関係ない人たちを巻きこんでまでする復讐を自分は容認できなかった。

 悪鬼羅刹と謳われようが、魔獣と呼ばれようが、です。


 こっそり殺ってやろうかとも思いましたが、ソレを実行するにはあまりにも理性の鎖は強固になりすぎました。


 ジグマルドを殺すために強くなり、強くなるために必要だった精神抑制技術が、今度はジグマルドを殺せない力にもなっていたのです。


「難儀な話でして」


 この国を出ようと考えたこともあります。

 というか内紛終結のパレードの時、こっそり出ようとしました。


 しかし、バカ王が軍隊率いて捕まえにきて、内紛の傷が癒えていない自分には抗うこともできずに捕まりました。

 あんにゃろうは毎回、余計なことばかりしやがります。


 そして、ようやく夢は場面転換に飽きたみたいでそこからは何も見えなくなりました。

 ただ、徐々に目覚めは近いと感じ、パッと術式ランプがつくように最近では見慣れた木目の天井を映していました。


「あー……、欝だ」


 目が覚めた時の第一声がソレでした。

 もう、今日は仕事を休みたい気持ちでいっぱいでしたね。

 何もする気がしない。


 夢の中の精神に引っ張られた気もします。


 でも、そうともいかない現状でして。

 試練前に生徒たちの調整は済ませておかないと。

 昨日の問題の解決もまだですし、今日は確認しておきたいことがあります。


 なので仕事は絶対に休めません。

 二日後には気になる後二点を調べておきたいというのもあります。

 さらに仕事なんて休もうものなら、絶対にレギィが看病しにきます。

 仮病だったらここで説教されるでしょう。


 なおさら仕事が休めなくなりました。


 さらに夢で若レギィを見てしまった手前もあって、今、レギィに会ったら、くだらないことを言ってしまいそうです。


 二階の窓を開けて、せめて空気だけでも入れ替えようとしたら――


「うきゃー」


 ――窓枠にしがみついている、葉っぱの仮面をつけた二頭身と出会いました。


 ポルルン・ポッカです。


「……あぁ、お前が犯人か」


 今日の夢の原因は間違いなくこいつです。


 よくわからない不思議パワーで精神、夢の中に干渉してきたのでしょうね。

 道理で音がしないと思った。

 精神干渉は【源理世界】からの内源素への干渉、それから脳内への干渉を行いますから、音声の再生が難しいのです。

 できなくはないでしょうが、抗術式力のある自分に行うには難易度は高いですね。


 まぁ、そんなことはどうでもよろしい。

 重要なことではありません。


 沸々と煮えたぎる怒りのまま、ポルルン・ポッカを捕まえようとしたら、窓枠の手を離して地面へと落下しました。

 二度ほどバウンドして「うきゃー」と叫びながら森に逃げるポルルン・ポッカに、やり場のない怒りしか湧いてきません。


「よし。あの不思議生物は絶滅させよう」


 リーングラードにいる間に必ず巣ごと破壊してくれます。


 くそ、一体、何がしたくて人の夢まで干渉してきやがったのか。

 謎生物の悪戯だけでは済まされないこともあると後で絶対に後悔させてやりましょう。


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