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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二間章
130/374

空飛ぶ鳥はどこへ行く?

 帝都の中央に建てられた王城。

 それは無数の天突く尖塔で作られた、剣山のようだった。


 まるで螺旋を描くように尖塔をつなぎ合わせてできた城は、城としての機能よりもまず、見る者を針の山に連れて行くような感慨に浸らせるだろう。


 その螺旋からはいくつもの石橋がかけられている。

 外に向かって伸びる石橋は第一城門とつながり、第一城門から第二城門へと、第二城門から第三城門へとそれぞれが幾重にも立体的に、糸のように張り巡らされている。


 これは攻めこまれた時に、兵を分散させ、架け橋を落とすことで一気に敵兵の数を減らせるようにつくられた壮大なトラップだった。

 そのうえ、どこから入っても最終的には螺旋の尖塔へと導かれ、一箇所に纏められるようにできている。


 その威容とは裏腹に、城門をくぐってすぐに待ち構えるのは円筒状に手入れされた糸杉と、赤と黄色の花に彩られた道、そしてその二つを囲むように流れる人工の川だった。


 戦うための機能と王城としての美の両方を追求したために作られた、帝国独特の城だった。


 その中心部。

 一際大きな尖塔の中心部に作られた会議室に多くの臣が集められていた。


「以上が、今回の事件における概要です」


 書簡を閉じて、青年宰相が口を閉じた。


 彼の名前はウルグス・エル・エマニエル。

 ほっそりとした体格で高位文官の身分を示すサーコートを着ているが、ハイランダーの血を受け継いでいるのか筋肉質――細マッチョである。

 整えられた灰色の髪を後ろになであげて、周囲の顔色を見て、小さく鼻から息を吐いた。


「(まぁ、そりゃそうだ。『厳重に警備されている国境から空を飛んで侵入者が入り込みました』と聞けば誰もが我が耳を疑うか相手の正気を疑う……、絵本じゃあるまいし。知識があればあるほど信じがたいだろうな)」


 おおよそ歳は20の半ば、行くか行かないかといった若造でありながら、国王の補佐をし、場合によっては国政を任せられる立場にいるのは異常なことだった。


「(そのうえ、やってることとなったら地方都市の領主を襲うだけなんだ。その気になれば、もっと人目のつかない方法で、それこそ闇夜に紛れて空から侵入して直接、帝都を襲うことだってできたはず)」


 元来、国政という大きな仕事に対する責任と重圧に耐えるには、歳という経験則が何より尊ばれる。

 ありとあらゆる角度から国政の優劣、重要度を見聞し、どちらを立ててればどちらが沈むのかを理解しているバランス感覚も求められる。

 何よりも求められるのは責任感だろう。


「(空を飛ぶなんて術式を生み出し、行使するほどなら【戦術級】はくだらないだろう。もしかすると【戦略級】の可能性もある。上空から【戦術級】術式で王城を撃てば、それだけで大混乱だろう。他国の威力偵察だって、それができる能と可能性があるなら大金星を狙えるくらいの所業だ。そのうえ、あの問題児オルナを殺すチャンスがありながら生かしている。いいや、これは本当にありえない。話に聞くとまだ余力を残していたそうじゃないか。どうして逃げた? 殺してからでも遅くなかったはずだ)」


 宰相という立場は国政を限定的に自由に出来る立場にあり、各臣官たちの長という立場にある。


 若造が居るような立場ではない。

 それこそこの場にいる臣たちの、子供と同じくらいの年齢だとなおさらだ。


「(非論理的すぎる。全てにつじつまが合わなさすぎて、どうにも判断しづらい。バランスが悪すぎて、これじゃ愉快犯みたいじゃないか。誰かを驚かせて楽しんでいるような意地の悪い奴だった、という答えなら安眠できそうだ。それともわざとリスリアから侵入してリスリアに罪を着せようとした法国の仕業か? そういえばリスリア側の国境警備隊も侵入者を攻撃していたという報告もあったな。これは偽装の可能性のほうが高くないか? いやいや、そう見せかけた、リスリアとの間に裏取引があってそう仕組んだとも考えられる)」


 若いというだけで国政の立場では舐められることがある。

 貴族たちは確かに帝国への忠があるが、帝王そのものに忠を捧げるのとはまた別だ。

 そして、帝王の人選であっても同じ。


 立場的にはウルグスは騎士オルナと似たようなところがある。

 彼女は女という理由で、ウルグスは若いという理由で、軽んじ、疎まれやすい。


 そのことがわかっているウルグスは表面上、決して卑屈にはならないようにと心がけていた。


「(とにかく、全てがデタラメな場合、色んな角度から物を見たほうがいい。それが一番、情報を分析する上で最善手だろう)」


 見た目を老けているように見せるため顎鬚なんか生やしていたりするが、そんなものは目の前に座る重鎮たちの重厚さには無意味だろう。


「この問題に対して防衛上の理由から、ディザン殿から何か意見はありますか?」

「意見……、ふむ」


 四角の長テーブルの一番左に座る短い顎鬚を整えた眼光鋭い男が鷹揚に頷く。


 ディザンと呼ばれた男が顎を一撫でして、周囲をジロリと眺める。


 帝国首都防衛長官並びに【キルヒア・ライン】筆頭アウルス・ディザン。

 先の獅子将軍エウオロギス・ディザンの息子である彼は、獅子将軍の魂を受け継いだ猛将だ。

 そして、【旧帝国主義者】――帝国で一番、力を求め、その結果に領土を求める者たちだ。


 もっともアウルスは己の力を高めることに固執することはあっても、領土支配欲は薄く、帝国の防国意識も高い。

 帝国にとって一番良い結果になるなら、時には毒を飲んででも主張を譲らない頑固な一面と愛国心がある。


 そのため、騎士オルナを特に目をかけて育てようと考えている節がある。

 これは【旧帝国主義者】の中でも比較的、優しい部類だろう。


「術式のことなら、そこにいる黒式十字の長に聞けばいい。どのような相手であろうとも私たち【キルヒア・ライン】は陛下と帝都を傷つけさせはしない」

「具体的にはどのような手段で」

「……現状で明確な手法はないな。せいぜいバリスタと対空術式の精度を上げるよう務めるくらいか。今後、対空への防衛強化……いや、既存の防衛とはまた違った概念を持った防衛策が必須となるだろう。対軍、あるいは個人であっても同じだ。できればこちらも空を飛ぶ人材が欲しいものだ」

「(いや、それができたら苦労しないから)」


 対空防衛。

 この大陸において、対空防衛とはたった一種に絞られる。

 それは上空から降り注ぐ術式に対する防御技術だけだ。


 戦争において術式は『万能な弓矢』の位置にある。

 飛距離は弓隊に劣るものの、破壊力は抜群の性能を誇る。言わば投石器に近い役目を与えられているのだ。

 投石器よりも小回りが効き、行軍術式による前衛の速度強化、弓矢の飛距離を伸ばし、投石器に爆発する術式具を置いて、飛ばすことも可能だ。


 時には弓矢のように放物線を描いて術式を飛ばすこともある。


 仕事に応じて、術式の可能な範囲まで後方で忙しなく動く部隊。

 これが術式師部隊の役目と言える。


 そして、それらの攻性を防ぐことも戦場の術式師には必要なことだ。


 歩兵や騎士たちが前に進めるように、降り注ぐ術式から身を守る守り手でもあるのだ。


 防性を発揮した術式師たちは当然、降り注ぐ術式を相殺するような術式よりも結界を頼る。

 この結界こそが術式を防ぐ唯一の方法となる。


 その結界はかなり大雑把で、とにかく防ぎ漏らしがないようにと広範囲に使われるために、穴だらけなのだ。

 ちょうど網目状のもっとも効率が良いと言えるだろう。

 空に網目状の結界を前面に作ることが戦争での対術結界の形式になっているくらいだ。


 空を飛ぶ人材がいるのなら、この網目を縫って直接、前衛たる歩兵や槍兵、盾兵や弓兵……、あるいは直接、部隊の頭を狙うか。

 とにかく、やりたい放題になる。


 こうなると制空圏内という概念が生まれてくる。

 そこまで至れば様々な手法を思いつくのだろうが、しかし、彼らはまだ空からの攻撃について考え始めたばかりだ。


 ウルグスが考えている間に、喉の奥で引きつったような笑い声が会議室に広がる。


「イルメントルート女術師長殿、何か意見が?」

「何、そんなものは簡単に手に入らないと言いたかっただけさ」


 ローブを着た妙齢の女性がディザンを睨みつけるように言い放つ。


 イルメントルート女術師長。

 上位の貴族の印たる刺青を額に刻み、豪華な濃紺のローブを着た女傑は薄らと微笑を張り付けて立ち上がる。

 男性本位の社会の中で、彼女はとりわけ別格の存在でもあった。


 黒式十字軍――術式騎士や騎士を取りまとめるディザンと対称的に、黒式十字は術式師や対術式騎士の人材をまとめる一団だ。


 武の【キルヒア・ライン】、術の黒式十字――【クロイツ・ライン】。

 そして、特務を担う【テルリット・ライン】。


 この三本線こそが帝国の守護を担っている。


 彼女はその一線を実力と貴族位で勝ち取った、帝国一の術式師でもある。

 新薬や術式の開発を一手に担い、彼女に頭が上がらない貴族も多い。

 あるいは病気持ちの身内がいる貴族でもいい。彼女の息がかかっていない薬品はほとんどないとされている。

 ゆえに彼女がここに座っていることを誰も文句を言えない――言うつもりもない。


 それだけの実力があるから、この場にいる。


「そもそも術式で空を飛ぼうなんて考えがおかしいのさ。その賊は頭がおかしいか生命知らずのバカだろうね。そして、そんな人材がいたとして、自由に行使できるイカレがいるとして、そいつをどこの国が放したがる。利用価値は山ほどある。術式も秘伝のものだろうて……、となるとどこぞの国で秘密開発され続けてきた術式師の一団かね。リスリア辺ならありえそうな話ぞ」

「(キチガイ呼ばわりか……)」


 心の中でウルグスは苦笑する。


「イルメントルート女術師長殿でも不可能な術式と?」

「無理だね。術式による技術よりも精神性に問題があると言っているんだよ。塔のてっぺんから落ちて恐怖を感じない者は心が壊れておるのと同じさ。冷静さと理性によって感情を戒め行使する術式師にとって、根源的恐怖からは逃れえぬ。根源的恐怖を利用するのが術式師だの」


 ここまでは前置きだ。


 帝国では不可能だ、ということを遠まわしに言いたいだけだ。


「やり方はある」

「(ほら、見たことか。今度はどんな無理難題をふっかけるつもりだ)」


 この手の会議は基本、どんなものとも変わらない。

 王という最終権力者がいれば、必然、その権力者から何かしらの許可を得ることに終始する。


 テーブルの一番、中央。

 扉から見て『誰が一番、偉いのか』とわかるように配置された豪華なイスに頬杖をついて座る一人の男性こそが全ての中心だ。


 グラナベルト帝国、最高権力者。

 帝王ヴィルヘルム・ニース・ルハイト・グラナベルト。


 金の髪に光を当てると薄い桃色に変わる、特殊な髪色。

 海よりも深い碧眼に、強烈な意思を示すようなハッキリした眉。

 複雑な紋様の刺青を右頬に刻み、座っていても長身だとわかる体格。

 細くも筋肉質な体を、赤いハーフマントで包んだ彼こそが帝国を統べる帝王だ。


 その姿は誰が見ても尊大そのものだろう。


 二十年前――先の権力争い、長男と次男の争いを両者の死を持って終わらせた張本人だ。

 何より驚くべきが当時、ヴィルヘルムは七歳だったこと。

 魑魅魍魎の巣窟だった政権の奪い合いにわずか少数の信頼できる部下と共に、ありとあらゆる手を尽くして帝王を奪い取った男。


 帝国始まって以来の神童と謳われた、帝王。


 その肩書きは、どんな事態でも動じずに足を組んで会議の進行を眺めている姿からでも知ることができる。


「(ただ、まぁ、毎回思うことだけど)」


 ウルグスが帝王を見るたびに萎縮や威圧を受ける前に思うことがある。


「(どうしてこの方はいつも腹を出しているのだろうか)」


 わざと前身頃の短い服を着て、割れた腹筋をあらわにしている。

 ズボンにしても腰辺りで止めていて、なんというか、ずり落ちないのかと心配になる。

 そのくせ、ローブと同じ色の布でズボンを締めているあたり、落ちる心配はないのだろうが疑問しか浮かばない。


 若いウルグスが見ても前衛的すぎるファッションセンス。

 普通の人が着ると、だらしないイメージしか浮かばないだろう。


 しかし、何故か帝王にはよく似合うのだからウルグスの疑問は尽きない。

 疑問に思われている帝王は気に止めず、


「良い。言ってみろ」


 なんて言い放つのだ。


 ファッションセンスはともかく、王の一言でイルメントルート女術師長の発言が認められた。

 これも許可の一つだ。


 この場の進行役を担っているウルグスですら、帝王の許可を持って進行役を務めているだけに過ぎない。


 これらの話を無表情で聞いている帝王。

 言わば、全てを決める者であり、全てを支配する者でもある。


「薬物を使えば良いのさ」


 この発言にさすがの周囲もざわつく。

 もっとも、彼らにとっては意表を突かれた答えではあったものの、内心はひどく落ち着いている。

 中には予想していながらも、そんな態度を取る者もいる。


 これから先の言葉に何か帝王への不遜が隠れているような場合、彼らは何も関知しないという意図を込めたパフォーマンスだ。

 イルメントルート女術師長もそのことがわかっているので、特に何も言わない。

 責任逃れはこの場ではよくある話だ。いちいち構っていられない。


「文官でも聞いたことくらいあるだろうさ。いちいち七面倒に感情制御させるより、簡単に感情をコントロールするやり方がね。喜怒哀楽を簡単に引き出せる代わりに理性を溶かす【フィーア】。そいつを改良したもんで恐怖心をなくし、闘争本能を剥き出しにする【アペリティフ・フランメ】。全部、どこで作られたもんか知ってるかい?」


 それは一時期、帝国にも流通した危険な薬物だ。

 帝国はその薬物が起こす数多の事件から、その危険性を理解し、今では帝国法で強く禁止されている。


 もちろん、今のリスリア王国でも禁止されている代表的な薬物だ。


 しかし、この手の類は決してなくならない。

 何せ需要がなくても、需要を作ることができる悪魔のような商品なのだから。


 今でも帝国、王国、法国問わず、闇に生きる者たちによって保持、あるいは精製を試みられているかもしれない。


「リスリアだよ。あの【狂える赤鉄】が生み出した混乱の元さね。この中にも苦い想いをしたもんがいるんじゃないかい?」

「(またこの人は古傷をナイフでえぐるようなことを……)」


 先代【タクティクス・ブロンド】が一人、【狂える赤鉄】。

 内紛で死んだ後も三国全てをかき回した狂人にして狂気の錬成術師だ。


 帝国もこの二つの薬物保持を禁止したせいで、煽りを食って家督を奪われた貴族もいる。

 その話を知っている者からすれば、苦い顔にしかならない。


 帝国としても『リスリアの薬物を使って混乱が起きた』ことのほうがよっぽど堪える内容なのだ。


「【アペリティフ・フランメ】を使えば、短時間だが空を飛ぶ真似事くらいできるだろうて」

「待て。【アペリティフ・フランメ】の副作用、知らないとは言わせないぞ」


 アウルスの声が何時になく、厳しい。

 殺気すら滲ませてイルメントルート女術師長を睨みつける。


「アレは次から次へと摂取したくなると聞く。そのうえ、薬が切れた後、あまりの辛さに自殺をしてしまうほどの禁断症状に見舞われるのだろう。まるで火が消えたように薬が切れたら死ぬ……だからこそ【アペリティフ・フランメ】と呼ばれている。冷えた七面鳥は飛べはしまい」


 空中機動という恐怖に耐えきる代わりに、もうその人材は使えない。

 人材には多大な時間と資金が求められる。

 代償というのなら人道的に言うまでもない。


「賊がそれを使ったという証拠もあるまい」

「賊がそれを使わなかったという証拠もな」


 それらと引き換えにしても良いほどの戦略的価値があるのなら、帝国は躊躇わずにやるだろう。

 全ての許可を帝王が持っていても、全ての意思を帝王が握っているわけでもない。


 時には帝王の意にそぐわない意見も賛成しなければならない。

 それは王国、帝国問わず、国なら当然のように含まれる妥協の一つだ。


「だが、そこまでして『国境を越えて地方都市までの長距離移動』ができるかは別問題だろう。報告によれば『国境まで半日間、飛び続けた』とも聞く。薬の効果の割に長すぎる。わざと場を混乱させる発言……、何が目的だ」

「正直に答えてやっただけのことよ。悪疫を飲まずして帝国は進まん。いやさ、もっと言ってやろうか? 『そこまでしなければ我が国の術式技術で賊の術式を再現できん』というわけさ。明らかに【戦略級】とは概念自体が違うのさ」

「(話が脱線している……、どこで切り上げるべきか)」


 アウルスとイルメントルート。

 この二人は本当に仲が悪い。


 自他とも厳しく、規律を重視し、力に固執する【キルヒア・ライン】。

 奔放な研究内容と効率を重視し、結果的な成果だけに固執する【クロイツ・ライン】。


 それぞれの長である以上、同じ結果を見ても過程の時点で衝突を繰り返す。


「(方向性は違えど帝国の守護の要。仲良くは……、無理か)」


 そのうえ、アウルスは非人道的な行為を嫌う。

 その当たりはどうでもいいイルメントルート女術師長と思想の違いは決定的だ。


 最近、アウルスにとってお気に入りのオルナにちょっかいかけているのも理由だろう。


 本来なら落としどころを模索して、双方に無理矢理、納得してもらうところだ。

 その役目は何時だってウルグスが務めている。


 さすがにこのまま、ずっと言い合いされても困る。

 ここらでウルグスは諌める声を作る。


「イルメントルート女術師長殿。さすがに薬物での人体実験は許されざる行為です。帝国の民はすべからく帝王陛下の人民です。借り受けたとはいえ、非人道な行為を行わせるために貴方に能が与えられているわけではありません」

「ウルグス坊やは色々とお固いの。そこのディザンもいい勝負だがの」

「坊やではありませんイルメントルート女術師長殿。貴方がいかに実力があり、年上で敬うべきでも私は貴方の上司です。イルメントルート女術師長殿もそれ相応の対応を命じます」

「命じます、の? 塀の裏で泣いていた小僧がこうまで言うようになれば、歳も取るわけだ」

「イルメントルート女術師長殿」


 ジロリと睨みつけてもどこ吹く風だ。

 どこからか忍び笑いが聞こえてきて、そちらを向けば笑い声は止まる。

 若干、からかわれたことがわかっていても、腹が立つのも事実。

 それら全ての感情と理性は表に出さず、腹の底で処理して、考えをまとめる。


 釘の一つも刺しておかないと暴走しかねないのがイルメントルート女術師長だ。

 本当はもっと強く刺しておきたいが、今回はあえて弱く注意した。


 事件を色んな角度から見てもらって、それから意見を聞く。

 ブレインストーミングと呼ばれる、あえて結論を出さない方法をウルグスは採用してたからだ。


 優れすぎた質よりも無数の量を会議に取り入れるやり方はしばしば、会議の進行が滞る。

 この二人のように対立し始めるからだ。


 対立が始まれば、各派閥で塊まりだし、足の引っ張り合う魔窟と化すのが難点ではあるうえ、貴重な時間まで奪われる。

 国政の会議でやるには非常に悪いところばかりが目立つ手段だ。


「(それでも『正体不明』であることはまずい。正体がわからないということは謎を残すことだ。謎は人に疑心の種と暗鬼の所業を容易く行わせる。そして、謎には魅力がある。蓋を開けたいと思わせる魅力がある。それが疑心をさらに冗長させる)」


 そんな手法を取ってまで『正体不明の侵入者』の正体を考える理由は一つ。


「(別に真実が必要なわけではない。謎を納得させるだけの理屈があり対処する方法があればいい。それでこの議論は終わり。次の議題に移れる)」


 ウルグスにとって政治の中で、不透明な謎があってはならない。

 それがどんな理由で作られた不自然なものでも、一万人が居て九割の人間が納得できればそれでいい。


 不利益な真実よりも利益のある嘘を求めるのが政治家なのだ。


 二人の対立を早々、見切って、すぐに反対側のテーブルを見る。


「プラトル法務官殿はどのようなお考えで?」


 ウルグスが見やる相手は【新帝王派閥】の一人であるプラトル法務官だ。


 短く整えた髪に首元まで蓄えた髭。

 法務官を意味する黒いブルゾンを着た、帝国の法務の長である。

 

「即刻、リスリア王国への注意勧告を行うべきでしょう」


 これはウルグスも同じ意見でもあった。

 相手がリスリア人かどうかは知らないが、どちらにしても無関係というわけにはいかない。


「これは立派な侵略行為であり、リスリアの関与云々はともかく、最悪、開戦を盾にいくつかの外交カードを手に入れることができるでしょう」

「(そう、それは真っ先に思いついた)」

「内乱から四年。いくら急速な回復を見せたリスリアといえど、今の時期に我々と戦う愚を理解しているでしょうな。おそらく、何枚かの妥協点を見せてくるかと思います。それとは別に少し無理な要求をしてみるのはどうです?」

「無理な要求とは?」

「『空を飛ぶ術式』の公開などは?」


 それはさすがに難しい。

 間髪いれずウルグスが心の中で反対する。


 術式師にとって術式の構造を知られてしまうことは、簡単に防御されることになる。

 優れた術式師は戦闘中に様々なアレンジを加え、術式を簡易作成してしまうが、大体の術式師は決められた構造をそのまま撃っている。


 国王や帝王にすら、術式構造の公開はさせない。

 全ての術式師への配慮であり、義務付けられた権利でもある。


 しかし、だからこそ無茶な要求になり得る。

 まさか要求に応えることはないだろう。

 だが、もしも、ということもある。


 国境向こうに居る相手は『賢王』だ。

 こちらの要求に対して『嫌がらせに似た斜め四十五度な発想で応じる』ことはよくある。


「(あぁ――思い出した。たしか前外交官がゴシップ紙に描かれて三国中にバラまかれたことがあったな)」


 あの時は攻撃的な外交官で、プラトル法務官が言ったような要求ばかりしていたのだ。

 毒舌な上に相手を下と見ることを忘れない。

 典型的な高圧外交が自慢の男だったのだが、あまりに無茶な要求ばかりしていたためにその外交内容は無茶苦茶だった。


 結局、リスリア王国に罠が待ち構えていると知らずに赴き、そのまま醜聞をばらまかれてしまったのだ。

 

 これにより帝国は外交下手、相手に要求しかしない国と揶揄され、本当にゴシップの内容を信じた一部の帝国貴族すら失笑と侮蔑を浴びせかけられ彼は辞任してしまった。


 彼は、今でも嘲笑の的になっている。

 もはや政治家として、国の重鎮としても再起不能だろう。

 これが情報攻撃だったと気づいた時にはもう遅かったという記憶は苦々しい。


「(まぁ、同じ帝国貴族にも毒舌だったから、さぞ恨まれていたろう。こっちはアレのおかげで、しばらくまともに寝ることもできなかった)」


 その影響から脱却するためにウルグスが如何に外交の方向性を変え、具体的な交渉ラインを明確に描き、再三、新しい外交官に教育したのだ。

 なお、このとき、帝王は面白そうにニヤニヤとウルグスを見ていただけだった。


 あの時から帝王は性悪だと思っているウルグスだった。


 現に今も帝王はウルグスを見て、口角を少しだけ上げていた。


「止めましょう、プラトル法務官殿。また日に三時間睡眠はイヤです」

「……あぁ、すまない。軽率だったか。だが、そこまで無茶でなくとも悪くない方針ではないかね」


 どんよりとしたオーラをまとい始めたウルグスにプラトル法務官は空気を読んだのだった。

 孫ほどの歳の青年が苦労している話を、プラトル法務官も聞きたくなかったからだ。


「(できれば、この外交で『女性騎士登用問題』を有耶無耶にしておきたいところだが)」


 ウルグスが密かにこの外交問題で裏目的にしている部分だ。


 表の目的は『空飛ぶ術式師』を適当な理由でリスリアのせいにすること。

 もう一つは今、内政で問題になっている『女性騎士登用問題』を問題にならない程度に時間を置かせることだ。


 欺瞞だとわかっているが、これで問題が下火になれば内政問題の一つがなんとかなるのだ。

 全【旧帝国主義者】を納得させるより苦労しなくていい。


「少し普段より強めで行きましょう。理由は『侵略』。証拠は……、作りますか。イルメントルート女術師長殿」

「差し当たって王国がよく使う剣拵えの短剣でも用意しておくかね。適当に血のついたものをな」


 あっさりと証拠を用意するあたり、イルメントルート女術師長がどれほどの情報を握っているかわかろうものだ。


 【新帝王派閥】の何名かも落としどころとしては十分だと思ったのだろう。

 口を挟むつもりもなく、黙って座っている。

 特に外務官から何か言うのではないかと思っていたが静かなものだ。


 おそらく外交上の問題にするには不透明な箇所が多すぎることを懸念して口を閉ざしているのだろう。

 大まかな道筋だけ作ってやれば、すぐに案を出す優れ者の外務官ではあるがゆえだろう。


 これで丸く収まる。

 リスリアの反応が若干、恐ろしいが一枚でも外交カードがあればいい。


 そして、開戦できれば末端の村民が飢えずに済む。

 無理矢理な開戦は帝国民を不安と無駄な狂乱に走らせる可能性があるため、なるべく民が自発的に動いてもらう方向に持って行きたかったのだ。


 『侵略』という嘘があり、地方都市が襲われたという現実があり、『謝罪の要求をして断られた』という流れさえあれば完璧だ。


 義憤に燃えた国民や、農奴の身分から志願する者、さらには上昇意欲が強く敵首を獲って一発当てたい者……、かなりの数がそろうだろう。

 十分に開戦する期待を持てる数だ。


 それに勝つ必要はない。

 負けなければいいのだ。


 30年前のように睨み合うだけで、ある種の特需さえ発生できれば、その時点で現状より黒字に発展できるのだ。


「(そういう意味ではあの戦……、理想的な展開だったな)」


 両国間での経済と戦のバランスが完璧だった。

 しかし、自称、平和を求める一団が無茶をやったせいで、停戦に流れこむわ猛将を失うわで良い結果で戦を閉じきれなかった。

 その頃、ウルグスも帝王も生まれてなかったが、過去の資料を見返す度に羨望すら湧いて出る。


「(まぁ、実際、開戦する相手は別に法国でもいい。正直、開戦の必要もない。現状はそんなに切羽詰っていない。昔みたいに大寒波でもない限り、こちらの食糧事情は悪くない。余裕がある内に一当てできれば恩の字か)」


 頭が固い鷹派も大人しくなる。

 【旧帝国派閥】も【新帝王派閥】も、一つの目的にまとまる。

 内政問題も先送りにできる。


 たった一つの問題でここまで処理できれば悪くない手だ。

 帝国への侵入者を侵略者に、地方都市への攻撃を征服行為に置き換えれば謎は謎でなくなる。


「(これでこの件を落としておくか)」


 そろそろこの議題を閉じてもいいだろうとウルグスの気持ちが固まったところで、突然、ドアがノックされる。


 途端、誰もがドアを注視する。

 目だけの者、露骨に顔を向ける者、様々いるが全員に共通している感想は一つだ。


 国政に関わる会議中に何らかの珍客が飛びこんできた場合、緊急である、ということだ。


 何やら顔色の悪い文官が【テルリット・ライン】のテレンツォ特務長に耳打ちをすると、その細い目が、にゅう~、と歪む。


 テレンツォ特務長。

 【テルリット・ライン】の長であり、ウルグスをして何を考えているかわからない相手である。

 男のような女のような、言い難い中性的な顔つきに猫のような細い目。

 少年と青年の間の身長は、女性なら比較的、高いと言えるだろう。

 しかし、これくらいの体格は帝国でもよく見かけるのだ。


 全身くまなく、どちらでも取れるような容姿に体格。

 それ以上に一番、目立つのは右目を隠すように顔の四分の一を覆う仮面だろう。


 ぬるりとした陶器のような質感を持った仮面をコンコンと人差し指で叩くと盛大なため息をつくテレンツォ特務長。


「いやぁ~~……、下野したいわ~……」


 気の抜けるような第一声だった。


 鬱々とした発言とは裏腹に表情は楽しそうだった。


「どうかされたのですかテレンツォ特務長殿」

「ん? あ~~……、リスリアに植えてた種が、丁寧に摘まれて帰ってきたってさ」

「はい?」


 一瞬、言われた意味がわからなかったウルグスが素っ頓狂な声をあげてしまった。


 文官から手渡された一通の手紙をひらひらとさせながら、


「だから、丁寧に梱包された『花弁が七つ』、わざわざ【テルリット・ライン】宛に送られてきたわけ。粋だねぇ」

「(それはつまり、リスリアに送っていたアサッシンたちが殺されて帰ってきたってことか)」

「防腐処理済、香水までつけてくれちゃってたって、まぁ、花を活ける才能があるよねリスリア王って」


 まさかの内容にウルグスは『してやられた』感を隠せなかった。


「お花屋さんから帝王陛下宛にメッセージが届いているけど、見る?」

「見ないわけにもいかないでしょう。渡してください」


 これが正式な王国からの手紙なら、まず宰相を通さなければならない。

 中身を見るわけにはいかないが、『見ないわけにもいかない』。


 ウルグスが帝王に視線を送ると、顎で『開けろ』と指示される。


 懐からハサミを取り出すと、何故か周囲はウルグスに変なものを見たような顔をする。

 毎回の光景ではあるが、宰相が懐からハサミを取り出す姿はちょっと見ない光景だ。


「ウルグス坊やはまぁだ、ナイフ一つ扱えないのかい」

「得手不得手があり、私にとってはそれが不得手であるだけのことです」


 苦々しい顔を無理矢理、押し込めてウルグスがハッキリ口にする。


 ウルグスは何故か刃物の扱いだけ、天才的に不器用だ。

 剣を持てば自分を傷つけることは当たり前、包丁は料理を刻む前に指を切る。

 概ね刃物と相性が悪い。

 しかし、不器用というわけでもなく、細かい作業は逆に得意だ。


 得意や不得意では語れない何かがあるのだろうとウルグスは自分をそう判断している。


 それらは別に問題のない話だ。刃物さえ使わなければいい。


 致命的なところは彼が宰相位にいること。

 ペーパーナイフを使えば、確実に中の書類を傷つけるウルグスにとって、日常的に書類仕事の宰相職はまさに自分の不器用と向かい合う毎日だ。

 

 毎日、書類をズタボロにするわけにもいかない。

 そこで彼が考えたのはペーパーナイフの代わりに、ハサミを使用することだった。


「(ハサミなら大丈夫、ハサミなら大丈夫、刃物じゃない、これは道具であって刃物じゃない)」


 と、毎回、自己暗示しながらハサミを刃物として扱わないことで自身の『刃物アレルギー』を克服するに至った。


 当然、その光景は他人から見ると『親の仇でも扱うように神妙にハサミを使う宰相』という、どこか妙な光景になる。

 さらに暗示に失敗して、ハサミで指を切ってしまわないか周囲はハラハラし通しである。


「代わろうか?」

「いいえ、結構です」


 アウルスの親切心すら跳ねのけて、手紙の裾をギザギザに破るウルグス。


「では、中身を拝見」


 やっとのことで中身を取り出したウルグスに一同、内心でホッとする。

 その光景を内心で爆笑していたのは帝王だけだった。


「えー……、読みます。『やっほー、愛すべきヴィルヘルム君』……」


 初めの行でもう破り捨てたくなったウルグスだった。


 しかし、仮にも他国の王の印が入った手紙を宰相が破るわけにもいかないので、理性を持って衝動を押し止める。


「……『君がこの手紙を読んでいる頃、俺は人生を謳歌しているだろう』。かいつまんで読みます」


 もう読みたくなくなったが、それも理性で押し殺す。

 他国の王相手にも通常営業なランスバールだった。


「要するにこの手紙は我々の諜報活動に対する抗議のようです」


 帝国の特務【テルリット・ライン】が保有する情報処理部隊。

 スパイ――イリーガルやアサッシンたちのことだ。


 それらを送り込んで、王国の情報収集と共に重鎮を処理していこうとしていた【テルリット・ライン】の行動を見かねて、先に潰したのだろう。

 生首を送りつけたのも威圧のためだ。



『あんまり俺の素晴らしい王国でオイタすんじゃねーよ。次はそっちの要人の誰かでもいいんだぜ? それとも――』



 と、言ってきているのだ。

 そして、それができる能がある、と、まざまざと見せつけたのだ。


 ここで頭によぎるのは『空を飛ぶ侵入者』のことだ。

 その能力と有効性を鑑みれば、あながち嘘とも言い難い。

 そのうえ、侵入者が本当のところ、どこの誰かわかっていないのだ。

 リスリア王国の手の者かどうか、証拠となるものは何もない。


 ほとんどが推測や状況証拠でしか語られていない。


 侵入者の言葉そのものも鵜呑みにできない。

 直接、相対した騎士オルナも『言われてみればリスリアの間者だという証拠はない』と証言している。

 同じくファーバート卿も『強者ではあったが、どこの誰かと明確に指し示す根拠がない』と証言している。


 若干、それっぽい理由を無理矢理、あげるのなら『使用した術式がリスリアのものに近い』くらいだ。

 騎士オルナの証言でも、どうやら術式の陣そのものが歪すぎて理解できなかったようだ。


「(機先を制された。相手はもう、こっちの情報を掴んでいると見ていい。下手を打てば本当に開戦する前に陛下を殺されるかもしれないなんて話……、無茶苦茶にも程がある。実際は向こうもソレをするのは困難だろうが、ありえないとも言い難い。こちらが無茶なことを言わないように脅しにかかって、お互いのハイリスクを排除するつもりか)」


 かなりの数の潜入工作員を送りこんでいるとは聞いているが、実情の全てはテレンツォ特務長しか知らない。

 事を正確に聞くためにテレンツォ特務長を見ると、肩をすくめながら口を開く。


「あ~……、ウチの子たちは何も知らないよ? 必要なことしか教えてないからさぁ。拷問されても口を割らない頑固者たちだし。そういう風に調教したし~。一人一人符丁も変えてあるから全部の情報を知ろうと思うなら頭の中でも読まない限り、不可能さ」


 その頭の中を読む【神話級】保持者が王国に居ると、ここにいる誰もが知らなかった。

 しかし、テレンツォ特務長は自分の言った言葉に何か思い当たったのか、ポカンとした顔をする。


「あ」

「どうしました?」

「……あ~、なんだろうね。王国には優秀な拷問官でもいるのかな? 昔に居た【統べる青銅】みたいにさ」

「それはどういうことですか」

「ん? 考えてみれば地方の領主が独自に情報を得るためにイリーガルをポンポン送ってんだよ、王国と法国にさ。その中で正確にウチの特務官だけ選別して、他国にはわからないように隠蔽してある【テルリット・ライン】の本部に首を届けるなんて……、確実にウチの情報、掴まれてるってことでしょ」

「(それは……、そうだ。どうしてそんな簡単なことを思いつかなかった)」


 ランスバールの手紙のせいで、平常心を揺さぶられた結果だった。

 

「また屋敷変えないとダメだなぁ……、はぁ」


 ため息をついているテレンツォ特務長には悪いが、ウルグスはため息どころの話ではない。

 悪態の一つくらい、つきたいところだ。


 出鼻をくじかれたと思ったら、今度は特務官に王国のスパイが混じりこんでいないかどうか、どれくらい情報が漏れたのかなどを調べなければならない。


 こんな状態で開戦すれば、間違いなく負け戦になる。

 黒字になると思ってやった行動が赤字になった時ほど、苦しいものはない。

 

「テレンツォ特務長殿は今回の件から半年遡って、情報漏れがないかどうかの確認をお願いします。最悪、情報を持つアサッシン、イリーガルを全回収。回収人員の時期はそちらに一任します。アウルス殿は国境の警備と対空防性の見直し、見張りの増員と効率的な運用を、イルメントルート女術師長殿は想定される対空術式でもっとも効果のあがるものを今週中に十ほど選別して、改良をしてもらいます。プラトル法務官殿は外務官と協力して、リスリアからなんとかして『空飛ぶ術式』についてと『情報漏れ』についての揺さぶりを。強行に出ながら、なるべく開戦をしない方向で。ついでに法国への揺さぶりも忘れないよう」


 一気に方向転換して、現状でリスリアと事を構えないように進める。


「(……幸い被害は地方都市の領主の名声と家宝を盗まれた程度だ。帝国の名声にも一つ、泥を塗ったが……。王国の諜報部員の洗い出しの機会と『どこかが飛行術式の開発』に成功したと考えれば、いざ戦争になった時に慌てなくて済むというべきか。どちらにしても、リスリアか法国、どちらかにこのマイナス分をどこかで補填してもらうぞ)」


 なるべく被害を出さず、なるべく確実に。

 それがウルグスのやり方だった。


 話がまとまり、次の議題へと移り、やがて、会議が終わった後。


「ウルグス。ついてこい」


 と、ウルグスは帝王に連れられて、北に向かう天空橋を歩いていた。


「この方角は後宮ですか? 帝王陛下」


 向かう先を聞いてみるも、もはや疑いようもない。

 間違いなく後宮に向かって歩いている。


 後宮は帝王の伴侶となった者たちの住処だ。

 例えウルグスでも安々と入っていい場所ではない。


「ウルグス。貴様は真実とやらをどう対処する?」

「は? 真実は真実でしょう。それをどう使うかが我々に問われていることです」

「そうだろうな。政治においては正しい使い方だろう。真実は常に知っている者にとって都合のいいものだ」


 今ひとつ、帝王の言いたいことがわからないウルグスは黙って続きを聞いていた。


「今回の件は余も興味があってな。空を飛ぶ侵入者……、その精神性はともかく、侵入者が何を考え、どうして事を及ぶに至ったか、その真実を知りたくないか?」

「陛下、それは……、ご存知なのですか?」


 まさか帝王陛下は全てを知っていたのか?

 疑問が首をもたげてくる。

 それ以上に疑問なのは、どうして真実を知りながら先の会議で何も言わなかったのか。

 そのことが頭に浮かぶ。


「いや、余は知らぬ」

「(なら、さっきの思わせぶりな言葉はなんだったんだ)」


 げんなりと肩を落とすウルグスだった。


「だから、聞きに来た」


 帝王とウルグスは後宮の前にいた。

 螺旋を描くように配置された尖塔、中央から二巡目に架け橋が一つしかない宮殿がある。

 まるで牢獄のように周囲は壁に覆われ、正規の手続きでなければ決して外から入れない造りをしている、コの字型に作られた建物。

 彩鮮やかな外壁と共に、噴水庭園が迎える宮殿は無骨な帝国建築の中で、色艶やかな花のように見える。


 しかし、どことなく造られた花のように感じるウルグスでもあった。


 憲兵をスルーする帝王と違って、ウルグスは一応、所持物の確認をされる。


「お待たせしました」

「気にするな。こっちだ」


 こなれているのか、どんどん通路の奥へと向かう帝王に遅れないようについていくウルグス。

 やがて、後宮でも一番奥、一際、武装メイドによって厳重な警備をされた部屋の前に二人はいた。


「時に陛下、疑問なのですが」

「なんだ」

「ときおり武装メイドがこちらを見る、あの、鷹が獲物を狙うような目は一体……」

「……深く考えんほうがいい。どうせ腐っている」


 意味不明な答えが返ってきたのだった。


「シリアリース。余だ。入るぞ」


 帝王が軽くドアをノックしたあと、すぐにドアを開ける。


「(シリアリース王妹殿下!? そんなバカな……ッ!)」


 対照的にウルグスは帝王の一言で、身も心も固まってしまった。


「(シリアリース王妹殿下は死んだはず!)」


 帝王が王権を授かったと同時に、帝王の妹シリアリースは公的に死んだとされていた。

 十年前の戴冠式の日に、新帝王を狙った第一王位継承者の残党による凶刃に倒れたのだ。

 帝王をかばって倒れたシリアリース。

 その光景は多くの者が目撃しており、実際に当時十歳だったウルグスも見ていた。


 あの華々しくも喜ばしい日を血色に染めた忌まわしい事件。


 シリアリースの胸元に深々と突き刺さったダガーは、どう考えても致命傷だった。

 現代の医学はもちろん、聖女アリテアの死去したこの世界では誰一人、『治癒術式』は使えない。


 『回復の奇跡』がない世界において、治癒というのはもっぱら内源素による新陳代謝の活性しか存在しない。

 それすらも代償を伴う。

 自らの傷口一つ治すのにも、全治一週間を三日に、体が感じる疲労は数倍といった具合に傷の重度によって肉体にかかる負担は天井知らずだ。

 下手をすれば自分の術式で死ぬ。

 そして、内源素を使うということは本人しか使えないということだ。


 それが現代の治癒術式の最先端だ。


 シリアリースの存命は、不可能と言ってもいい。


「――ッ!?」


 しかし、真実は目の前に居る。


 その部屋は、まるでおもちゃ箱のようだった。

 キラキラとした天井の術式ランプ、所狭しと並べられたぬいぐるみたち。

 天蓋付きのベッドと様々な本が乱立した本棚と、部屋を見た感じ、その女性がファンシー好きなことだけがわかる。


 テーブルに向かって座っていたシリアリースが、陛下に向かって飛びつき、抱きしめているところをウルグスはちゃんと見ている。

 

 もはや思考もできないほどの衝撃だった。


 帝王と同じ、光の加減で桃色に変わる金の御髪。

 記憶にあるシリアリースよりもかなり伸びた髪。その髪は足元まで伸びている。

 艶やかな頬にぷっくりとした唇、愛らしいとさえ感じるまん丸の瞳。


「(だ――だって、いや、おかしい。おかしい……、陛下より三つ年下だったろう? 本物のシリアリース様ならばもう二十四歳だったはず)」


 なのに目の前にいるシリアリースはまちがいなく十三か十四くらいの少女にしかみえない。

 まるでその姿は『死んだ時と同じ姿』のようで、ウルグスの背筋に冷たいものが走る。


「ハッハッハッ、危ないぞリース」

「お兄様! お会いしとうございました!」

「まったく……、怪我をしたらどうする」

「その時はお兄様が守ってくださるから大丈夫ですもの」


 帝王はまるで当然のようにシリアリースを受け止める。

 何度も見直してシリアリースだ。間違いない。


 間違いないことがおかしい。


「あら? あらあら? もしかして貴方は――」


 こちらを見たシリアリースに、ウルグスは年甲斐もなくビクついてしまった。


「ウルグス? まぁ、本当にウルグス? 顎に髭なんて生やしてどうしたの?」

「シリア、リース様、で、あられますか?」


 息苦しいサーコートの胸元を外し、荒い息を付きながらようやく言えた言葉。


「本当に……」


 『子供の頃に憧れた、年上だったあのシリアリース』なのか。

 そう、問いかけたくてもできなかった。


 もう何を言いたいのかウルグスすら、わからないのだ。


「本当にシリアリース様で……?」

「そう、私よ。ウルグス。昔、貴方を連れてクコの実を採りに行ったことも忘れちゃったの?」


 目頭が熱くなる。

 泣いてしまわないようにと眉に力を込めて、必死に衝動に耐える。


 戴冠式での事件での影響は、ウルグスに深い影響を与えていた。

 もう大事な人を失わないようにと、そんな事態に陥らないようにとあの頃より賢くなった。

 武術の才がなかったので、必死で勉強し、帝王に才を認められ宰相の仕事を与えられるほどに。


 悲劇は間違いなくウルグスを強くした。


 だが、目の前の真実は夢物語すぎて、ウルグスの心がついていけてなかった。

 それこそ空を飛ぶ人間と同じレベルで語られる何かがそこにあった。


「座れウルグス。茶にしよう。シリアリース、頼めるか」

「はい。お兄様」


 そう言って部屋の隅に備えてある茶器を触り出すシリアリース。

 帝王とウルグスはイスに座り、テーブルにつく。


「陛下、これは、どうしてシリアリース様が……」

「お前はこの真実をどう思う?」


 問いかけられ、ウルグスは言葉を見失った。

 頭は回転を止めてしまっているが、唯一、わかっていることがある。


「誰にも言えるはずがないではありませんかッ」

「やはり、お前もそう判断するか」


 もしも、この真実を世界に向けて公表したとしよう。

 未だ迷信や秘された儀式の類が横行し、中央ですら呪いという根拠のない術式を信じている世の中だ。


 シリアリースの生存は奇跡の常軌を逸している。


 あまりにも異常すぎて、聖女か魔女にしかなれない。

 祭り上げることでしかシリアリースを生かせないのだ。


「シリアリース様は生きたまま死ぬか、また死ぬ以外の道しか残されていません。我々であっても『国民から守ってやれません』」

「いい目だウルグス。あの時を思い出す。シリアリースを見て泣いたあの頃のだ」

「……言わないでください」


 号泣し、それでも悲しみに抗おうとしたウルグスの姿を思い出すと、帝王もあの時の苦い気持ちを思い出しそうになる。

 しかし、その感傷は毒だとばかりに感情を止めてしまう。


 術式を使う過程で使われる感情操作を利用したのだ。


 そして、同時にウルグスの気持ちを汲み取る。

 宰相ではなく、ウルグス個人の意見を出したことで帝王もまたヴィルヘルムとして応える。


「帝国には秘された宝がある」


 王国でいうところの聖剣【樫の乙女】と【湧水連珠】という宝に当たるものだ。

 同じように帝国にも国の宝がある。


 一つは騎士剣【アルブリヒテン】。

 そしてもう一つ。


「【神停血珠】と呼ばれる宝玉の力により、シリアリースは一命を取り留めた」

「【神停血珠】……」


 神代より伝わる帝国の宝【神停血珠】。


 神すら停めることができるとされる謎の術式具として伝えられている。

 どのような効果があるのかわからないが、【神話級】の類であることは多くの民衆に伝わっている。


「あの日、秘宝を使い、余は失われゆく命を停めたのだ」

「それは!」

「どうしたの? ウルグス」


 声を張り上げてしまったためにシリアリースは二人の会話に気づいてしまった。

 なんとなく、ウルグスはこの会話が聞かれてはいけないことだと最初から気づいていた。


 動揺し、頭の回転が止まっていても、わざわざヴィルヘルムがシリアリースにお茶を淹れさせたところから秘密の話だと理解していた。


「何でも、ありません」

「何、ウルグスの秘密の片思いの相手を言ってやっただけだ」


 ギクリとするウルグス。

 反面、シリアリースは瞳をキラキラさせていた。


「ウルグス、そうなの? 相手は誰? もちろん私にも紹介してくれるのでしょう?」

「え、いや、その……、もう終わった話、ですから」

「え? じゃぁ、もう失恋しちゃったの……、残念だわ。ウルグス、可哀想に」

「……お、お心を砕いていただき、あ、ありがとうございます」


 その片思いだった相手に言われてしまったため、どう返していいかわからないウルグスだった。


 もう、色んな意味で泣きそうだった。


「陛下……!」


 ウルグスを虐げて楽しむヴィルヘルムだった。

 睨みつけてもどこ吹く風だ。


 しかし、この一拍が良いように作用したのだろうか。

 感情に揺れていたウルグスの頭もようやく理性の回転を取り戻してきた。

 

 どうして今、この日、会議が終わった瞬間にヴィルヘルムがウルグスを連れてシリアリースに会わせたのか。

 ウルグスとヴィルヘルムの考えが同じなら、ヴィルヘルムはこう考えるはずだ。


 『例え近親であってもこの秘密を守らなければならない』と。


 なのに、その誓いを破る出来事が起きた。

 そして、それはこうも捉えられる。


 今日、この日に、決してヴィルヘルム一人では到達できないほどの何かが起きたのだ。

 ウルグスの力を借りねばならないほどの事態があった。


「陛下、もしかして私をシリアリース様の元に連れてきたのは」

「……ウルグスを見ろリース」

「はい。お兄様」


 言われるがまま、ウルグスを見るシリアリース。


「ウルグスは立派になったぞ。今や、余が政務を任せてもいいと思うくらいにな。そして――」


 ここから先は抑音発生法による、ウルグスだけにしか聞こえない言葉だ。


「ウルグス。余は愛すべきリースのためにリースの呪縛を正しい形で解いてやりたい」

「呪縛? それは一体……」


 ウルグスを見ろと言われたシリアリースはこの言葉に気づけなかった。

 あえて、そうしたということはウルグスにもわかる。


 すぐに抑音発生法を解き、シリアリースに言葉をかける。


「リース。答えてやれ。お前が起きてから余が伝えた話のことを」

「? はい。お兄様はこう仰っておりました。『私は目覚めるまで十年の時を過ごしている』と」


 その何気ない質問と答えに、ウルグスはイスから立ち上がるほどの衝撃を受けた。


「(じゅ……、十年!? これは一体、いや、まさか!)」


 失われた命を停める代わりに支払う代償。

 その言葉が頭によぎった時には既に答えは出ていた。


 しかし、一つだけわからないことがある。


「しかし、シリアリース様。どうして私がウルグスだとわかったのですか! あの時の私はまだ子供だったはずです! いくら十年経ったと知っていたとはいえ」

「何を言ってるのウルグスったら。私はあの時、お兄様のお命を救ってから今まで眠り続けていたんですって。お兄様が私の命を救うために秘宝まで使って、私の身体を元に戻してくださったのよ」


 嘘をついている気配はないのなら、後はもう『嘘をついた相手から確認を取る』だけだ。


「それに、いくつになってもウルグスのことなら、私、わかるもの」


 無垢な笑顔なまま、とてつもなく嬉しい言葉をかけてくれるシリアリース。

 だからこそ、その答えは絶望だった。


「陛下」

「お前の思っているとおりだ。約半年。それ以上は繰り返しだ」

「(やはり。やはり、やはり、やはり……、『眠っていたというのは嘘』だった。どういうものかはわからないが停めるということは傷もそのままってことだ。解除しても治ったりしない。別の方法でこの人は、シリアリース様を死から救った、それはおそらく、死の時間を停めたのだろう。その代償があの時から今まで、半年経つ度に記憶を繰り返し続けている!)」


 そして、その度にヴィルヘルムはシリアリースに嘘を突き続けているのだ。

 目覚めるシリアリースに同じ嘘をつき続け、信じさせてきた。

 半年の度に、繰り返される目覚めと消失に耐え続けたヴィルヘルムの気持ちはどれだけだったろう。


 きっとウルグスならば、心が折れていたことだろう。


 ひそかに驚嘆の念を抱いている間に、ヴィルヘルムは自分のマントをゴソゴソとまさぐっていた。


「そういえばシリアリース。今日はお前のその【稲妻と海の隠者】ハミンギアにも勝る知恵の力を借りに来た」

「まぁ、かの知恵神様と並べられてしまったら知恵神様のお話を聞くたびにシリアリースはお恥ずかしい想いをしなければなりません」


 恥じらいながらも奥ゆかしい姿もまた、ウルグスの記憶通りだった。


「お安い御用です。このシリアリースがお兄様のお役に立てるのなら、いくらでもお答えします」


 まるで当たり前のように書類をシリアリースに渡す。


「陛下、それは先の会議の公文書では……、王妹殿下とは言え部外者に公式書類を安々と見せるのは」

「気にするな。余が法だ。つまり、問題ない」

「(……自分の強みを理解しきっている人はこれだから)」

「………」


 すぐに書類に没頭するシリアリース。

 やがて、無表情だった顔が驚きへと変わっていく。


「すごい。この侵入者の人って空を飛んできたのね。一度、見てみたいな」

「シリアリース様……、その男は帝国の敵です」

「でも空を飛べるって素敵なことよ。雲の上がどうなっているのか、この人は知っているのよ。すごいわ、すごい……、話を聞いてみたいな、会ってみたいな」

「(あぁ、そういえばシリアリース様はこういうお人だった)」


 のんびりしているというか、マイペースというか。

 とにかく空気以上に根が軽い。風船のようにフラフラしている。

 その癖、のほほんとしたまま危ないことをするので目が離せない、一種の天然系周囲巻き込み型才女なのである。


 このせいでウルグスは幼少の頃より、ひどい目に何度も会ってきた。

 それでも見捨てられず、憧れさえ抱いていた辺り、ウルグスも立派なMなのだろう。


「(さすがに件の本人は会いたくないと思うだろう……、さすがに)」


 二回言うほど、確定したビジョンが見えていたウルグスだった。

 そうでなくても侵入者からすればシリアリースに会うということは帝国の後宮という、もっとも警備に優れた場所の奥に入り込まなければならないのだから。


 空を往くにしても無謀だ。


「その侵入者がどういうものか、わかるか」

「えぇ、とても優しい人です」

「はい? すみません、シリアリース様。もう一度お願いします」

「優しい人だと思うの」


 地方領主の玄関と天井を吹き飛ばし、警備兵に恫喝して一週間の睡眠不足に落とし込み、警備隊の精鋭を根こそぎ打ち倒し、領主の右肩を破壊したあと家宝の剣を奪い、国の精鋭である【キルヒア・ライン】の騎士オルナの鎧と矜持をベコベコに凹ました徒手空拳の術式騎士まがいの術式師を、人は悪鬼と呼ぶだろう。


「だってこの人、帝国の民の誰一人、殺していませんもの。傷つけるのも向かってきた人だけ。威嚇で済ませられるならそうしているものね。目的の障害になりそうな人だけを正確に選別して、それでも殺さなかったのよ? もちろん目的は地方領主のファーバート卿でしょうけど、それは家宝の剣――というよりお金が欲しかったんじゃないかな?」


 公文書の中にはウルグスが見たものと同じ報告書も混じっている。

 大筋はおろか細部まできっちりと騎士オルナとファーバート卿の二人から報告させている。

 その結果、二人の証言に食い違いがほとんどなかったため、信憑性は高いと取れるだろう。


 二人の人柄を考慮すれば、虚偽の申告をするタイプとも違うだろう。


「ただの押し込み強盗……だったということですか?」

「ううん。理由がないことで誰かを傷つけたりする人じゃないのよ。だから理由があったの。ここ、この文書の一文、ファーバート卿に向かって動機を話しているけど、半分くらい本当だと思うわ」


 つまり、ファーバート卿が手を出したから反撃した、ということだ。

 そして、ファーバート卿がちょっかいをかけた相手はリスリア。その秘密実験と噂され――同時に帝国貴族たちが狂気の沙汰だと笑った計画。


 義務教育計画だ。


「義務教育計画に参加していて、被害にあった人たちを守るために立ち上がったんだわ。すごい人よ。簡単にできることではないと思うの」

「しかし、それで帝国の不利益となるのなら、敵と同じだと思うのですが」

「ならウルグスは誰も悪くない方向に持っていけるように考えて帝国と王国、双方の利益を考えられる?」

「……それは私の仕事では、ありませんので。宰相は自国のことを考えるものですから」

「ね。ウルグスができないことをやったのなら、この人は十分、すごいことをしたのよ。だって、ファーバート卿が出した被害と、出された被害。あっちの被害がどれくらいか正確にはわからないけれど大体、同じくらいじゃないかしら? あちらで人が亡くなってないから、こちらでは殺すようなことをしなかった。優しくて、公平な人よ」


 言われてハッとなる。

 そういえば帝国のメンツや矜持など、国防のことを意識しなければ極めてリスクとリターンのバランスがいい。


「しかし、だからといって単身、それも飛行術式を使って国境を抜けてくるなど常人の価値観ではありませんよ。その時点でリスクが跳ね上がります。実際にソレらを行える実力と胆力、場馴れした経験を持った人材などリスリア王国でも数える程度しかいないでしょう。どんな超人ですか、頭がおかしい超人とか趣味の悪い話です」

「いるわ。ちゃぁんと。全てをクリアした人が」


 義務教育計画関係者であり、【戦術級】でも上位の存在であり、何度も修羅場をくぐった者であり、人の考えがつかない術式を考案し実行する存在。

 そんなものをウルグスは知らない。


 というか居たら、帝国にスカウトしている。


「【タクティクス・ブロンド】」

「え……?」


 それは帝国から見ても厚い壁だ。

 武力からすればリスリア王国よりも精錬されているはずの帝国がうまく侵略できないでいるのも、この超人たちの発奮が主な原因だ。


「いや、【タクティクス・ブロンド】は領内から出てこないのが通例でして」

「でも先代【タクティクス・ブロンド】は帝国領内まで足を運んだことがあったでしょう?」


 言われ、呻くウルグス。

 そう、三十年前の戦争に先代【タクティクス・ブロンド】はリスリアの侵攻軍の術式師として参加していたことがあった。

 その結果ではないが、その変事に紛れ、帝国は獅子将軍エウオロギスを失い、暗黒の七年間を迎える。


「(【狂える赤鉄】といい【統べる青銅】といい、先代【タクティクス・ブロンド】ほど厄介な相手はいないと思っていたが……、今代も相当のようだ)」

「それでねウルグス。まだ話は途中よ」

「……途中、だったんですか」


 もうお腹いっぱいのウルグスだった。


「義務教育計画はリスリア王国内でも、次代の育成という防国の側面もあるの。【タクティクス・ブロンド】からすれば十分、守るに値する計画でしょう。だから、【タクティクス・ブロンド】がいると思うの」

「確か、イリーガルが持ってきた情報によると【吠える赤鉄】メルサラ・ヴァリルフーガが警備として滞在しています……ね?」


 今、考え直すと途方もない話だ。


 いくらリスリア王国内で重要な作戦だとしても【タクティクス・ブロンド】をただの警備に配置するなど考えられないカードの使い方をしている。

 それほど重要な意味を持つのか、と勘ぐってしまうくらいに。


「しかし、一名だけなら十分、バランスは取れていると思うべきか」

「いいえ。たぶん二人はいると思うの」

「……二人も!? 法国相手の前線基地でも作るつもりですか」


 一人でも十分な計画に二人配置する意味がわからない。

 もはや国王すらも狂人なのかと正気を疑うレベルである。


「守りすぎです。さすがに二名も【タクティクス・ブロンド】を配置するなど、魔獣に襲われる予定でも入ってるんじゃありませんか?」

「でも、そうじゃないと空を飛んできた人の話につじつまが合わないと思うの」

「それは【吠える赤鉄】から報告を受けた国王が【タクティクス・ブロンド】の一人を使ったと考えれば筋は通ると思いますが」

「ダメよ。それだとこの人の人格がおかしくなっちゃうじゃない」

「帝国に攻め込んできている時点でもう頭がおかしいと同意義なんです」

「優しい人なのは間違いないのよ、うん。だから、その場にいなければ動かない人だし、目の前で被害者の言葉を聞かないと絶対、こんなことしないの」


 何を言ってもダメだろうとウルグスは思う。

 しかし、何故か核心をついたかのように話すシリアリース。

 ウルグスもシリアリースの言葉でなければ信用しなかっただろう。


 そして、シリアリースもシリアリースで既に犯人の人柄をカチリと定めてしまっている。

 こうなったら、もう、どんな言葉も無意味でしかない。


「で、誰だと思う。そのもう一人の【タクティクス・ブロンド】は。お前の忌憚のない答えを聞かせてくれ」


 ヴィルヘルムはまったくシリアリースの推理を疑っていない。

 元々、シリアリースはこうした事の真相を見抜く眼を持っている。

 それがどんなにとんでもない事実であったとしても、シリアリースが語れば、そうなってしまうかように現実になる。


「【凍てつく黒星】【砕く黄金】【たゆたう白銀】【吠える赤鉄】【輝く青銅】【濡れる緑石】。ウルグスは誰がいい?」

「……もうわかっているんなら、教えてください」

「そう? たぶん一番、表に出てこない【輝く青銅】さんか【濡れる緑石】さんのどちらかだと思う。でも、私は【輝く青銅】の人を推します」

「それはどうしてそう考えたか聞いてもよろしいですか?」

「だって、まず男性だから【たゆたう白銀】さんと【吠える赤鉄】さんはないでしょう。【凍てつく黒星】さんはこちらでも有名な方だけど、あの人は冷たい、というより感情的な行動は取らないから、ありえません。【砕く黄金】さん【輝く青銅】さん【濡れる緑石】さんは表に出ないから私たちもよく知らない。けれど、この三人の中で一番、情報が少なすぎるのが【輝く青銅】さんだから。たぶん、【輝く青銅】さんは周りが本人だと知らないところへ堂々と潜入したりできる役目を負わされているんじゃないかと思うの」

「つまり、情報が一番ないから怪しい……」

「ううん。その人がたぶんランスバール王にとって、とても大事な人だから、わざと危険がないように情報を隠しているのよ。今回の【テルリット・ライン】への脅迫にしても、他の【タクティクス・ブロンド】だったらこんなことしなかったんじゃないかしら。情報がないことと隠されていることは違うわ。これは隠されているほう。だから、もっとも情報が少ない人が犯人ってこと」


 会議室で頭をひねっていたウルグスがバカだったのではないかと思うくらい、真相が明らかになっていく。


 対するシリアリースはニコニコしたままだ。


「ほんとに、どんな人なのかしら。思ったとおりの人だといいな」

「どうしてそこまで会ってみたいと思うのですか」

「な い しょ」


 とても気分が良さそうなシリアリースに、まだ見たことも会ったこともない【輝く青銅】に少し嫉妬を覚えそうになるウルグスだった。

 

「うむ。やはりシリアリースに頼んでよかった。達見であったぞ」


 うむ、と頷くヴィルヘルムを殴ってやりたい衝動にも駆られたウルグスだった。

 もっとも武力ではヴィルヘルムに勝てないし、正面から殴りつけても簡単に殴り返されるだろう。


 そのうえ、忠誠を誓った帝王に拳を振るうわけにもいかない。


 我慢が胃をザラザラとなでつける感触を味わいながら、ヴィルヘルムの言葉に傾聴する。


「そうだな、ご褒美と言ってはなんだが……、いつかその男、お前と会わせてやろう」

「本当に!」

「あぁ。お前の兄は嘘をついたことがあったか?」

「いいえ。いいえ! そう、とても楽しみですお兄様!」

「あぁ。ちゃんとウルグスが連れてきてくれるさ」

「ちょ!? 陛下ー!?」


 傾聴したら、とんでもない話になってしまっていた。


「無理です! どこの誰かわからない、王国でも情報的に守られた【タクティクス・ブロンド】をどうやって見つけ出すというのです! 大体、そうでなくても【タクティクス・ブロンド】などこの帝国に連れてこれるわけがありません! 総力戦! 総力戦でもしない限り……」

「ウルグス……、その人と会えないの?」

「そ、そういうわけでは……、途方もなく困難という!」

「余の妹の頼みも聞けぬとは、甲斐性のない男だな」

「陛下! 甲斐性で片が付いたら国益はいらないんですッ!」

「ウルグス?」

「あ~! もう! わかりました! 期待しないで待っていてくださいっ!」

「わかった、期待して待っているわ」

「シリアリース様……」


 頭を抱えて、悶絶するウルグスをやっぱり楽しそうに見るヴィルヘルムだった。


 それは十年前によくあった光景だった。

 あの日、未来の見通しもなく暗黒の時代に確かにあった柔らかな日々。


 やがてウルグスとヴィルヘルムが帰っていく。


 部屋に残されたシリアリースは心弾むまま、ぬいぐるみに抱きついて窓の外を見る。


 空は天上大陸の影が見え、うっすらと青色に別の色を付け加えている。


「あ~あ、楽しかったわ。やっぱりウルグスは面白いわ」


 散々、いじられて憔悴し、肩を落として扉の向こうへ消えていくウルグスの姿を思い出す。

 そして、久しぶりに楽しそうな兄の姿も、記憶に焼き付ける。


 例え半年しか保たない記憶だとしても。

 兄はボカしていたが、シリアリースの推理力なら自らに置かれた境遇くらい、すぐに見抜ける。

 しかし、シリアリースはあえて、兄に気づいていることを伝えていない。


「心配症だものね。それより――」


 あの青い空を自由に飛び回れる人がいる。

 そのことにシリアリースは胸を高鳴らせていた。


 それは子供が夢物語を聞いて、心ときめかせる様に似ていただろう。


 鳥籠のように見える鉄枠の窓。

 そして、彼女を縛る時間という名の鎖。


 奇しくも兄妹はそろって同じことを考えていた。


 『空を飛ぶなんて途方もない技術を持つ者なら、もしかしたらこの鎖を解き放てるかもしれない』。


 期待と、次に迫るタイムリミットの狭間でシリアリースは落ち着いて香茶に口をつける。


 未だ彼女を鎖から解き放つ者はいない。


帝国三部作終了です。

次は王国での色々をお送りします。

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